日記・寺社めぐり・史跡めぐり

早川 海蔵寺補足

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先月訪れた早川の海蔵寺。

そのときは角館城主・戸沢盛安の墓を探したものの見つからず、住職もおらずで大した成果も得られませんでした。

その後、3月に市教委から発行されたばかりの冊子『身近にある小田原の史跡 川西版』をぱらぱらと捲ってましたら興味深い点が書かれておりました。
どうやら盛安の墓は明治時代まであったようです。

そもそも中興開基になっているのは、堀秀政だけでなく盛安も中興とされているのでした(『新編相模国風土記稿』)。

慶長19年(1614)に大久保氏二代城主・忠隣が改易されてから阿部正次が上総大多喜から移封される元和元年(1619)までの第一期番城時代では、盛安の子である政盛も城代を務めていますから、その時に父を開基に寄進をしたのかもしれません。

02_2堀秀政の墓碑(宝篋印塔)の方は、三十三回忌に建立されたものだそうです。
4基ある宝篋印塔のうち、秀政のものは解説板に一番近いものでした。

ちなみに江戸の戸沢家菩提寺は三田の常林寺。
地図で見たら、以前に御所サマと福島正則の墓を見にいった正覚院のすぐ近くでした。
また今度訪問してみるつもり。

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芒種・梅雨の装い

ようやくウチの近所の田にも水が引かれました。
沼状になった田んぼにさっそくカモが泳いでいます。

典厩さんの日記では、信州佐久では5月はじめに水引きされていたから、ほぼ一月遅れ。
稲の種類もあると思いますが、こんなにも違うものなんですね。
それとも苗代だったのかな。

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さて、小田原城では今月から花菖蒲祭り。
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/event/JUN/hanashoubumatsuri.html
開花はまだわずかですが、本丸九輪橋下の堀跡ではアジサイや菖蒲のライトアップの準備が進められていました。
ここではアジサイが本丸法面(斜面)、アジサイが堀跡と植え分けされています。

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朱の九輪橋がアクセントになっていますが、オリジナルは無彩色の欄干橋だったと思います。
この本丸堀も法面もいずれは整備されるでしょうから、それまでの暫定利用かな。

でも、満開時はなかなかの景色ですよ。

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五月甲子

今日はデジカメ忘れたので写真は無しです。

午前は市内城山にある蓮船寺さんにお参りして来ました。
今日は甲子(きのえね)。
大黒さんの日ですからね。

小田原城大外郭の脇にある面白いお寺ですが、ここの大黒さんも本尊の古い大黒天像と、三面大黒天像(弁財天と毘沙門天の顔と手がついてる三面六臂の大黒天)とがあります。

おばあさん(先代住職夫人)の昔語りを暫く聞いて、ちょっと史跡見物。
といっても小田原城大外郭遺構に変わりは無いのですが。

先日、新たに大外郭の一部(緑4丁目、たぶん稲荷森とかの堀などでは)が国史跡指定されたので、現状はどうかと寄り道してみました。

結果的には、まだ特に見学に供されてはいないというか、前のまんまです。単に土地が国史跡に指定されたということでしょうか。

で、帰ろうかと思ったら、向かいからボロい原付が。
なんと気象予報士のMさん。
7年ぶりかな、再会したのは。
仕事が変わって暫く会ってませんでした。

近くで家庭菜園をしているとの事で、小一時間ほど畑で喋ってました。
気象学会でも、近頃の温暖化ヒステリーには疑問を抱く方が少なくないそうで、Mさんもその説を支持しておられるとのこと。

別れ際に一言
「トマト盗むなよ」

たしかに、桃太郎は美味しいですからね・・・。
って、違う!
野菜ドロボーなんてするかい(笑)。

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海蔵寺

大観音さんともう一つ、この日の目的だったのが、早川の海蔵寺に来ることでした。
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ここは、後北条氏以前に西相模に勢力を広げた大森氏出身の安叟宗楞(あんそうそうりょう)による開山。
曹洞宗の小田原三山の一つとして、戦国時代には特に格式を誇った寺院です。
今は普通の田舎寺という感じですがね。

それだけに山主も広い交際関係があったようで、『小田原記』では弘治元年(1555)に結城政勝が伊勢参宮の途路に立ち寄り、住職の取次で北条氏康に会見したと書かれています。

また、豊臣秀吉の小田原攻め(天正18年・1590)に際しては、早くもその前年12月に豊臣方禁制を得ています。
秀吉の北条氏への宣戦布告が11月24日ですから、かなり早くから情報を得たり手を回していたようです。
(石垣山一夜城の立地を秀吉に進言したのは、実は松田憲秀ではなく海蔵寺だったりして・・・、寺の裏山だし・・・)

現在、このお寺がウォーキングや史跡めぐりなどで認知されているのは、境内のビランジュと当地で陣没した豊臣方武将、堀秀政の墓です。

堀秀政に関してはウィキなどで上手く述べられていますので、省略。
一応、海蔵寺が秀政などの陣場になっていたと考えられているようです。


そして、ここに出羽角館城主の戸沢盛安も葬られたともいいます。
今のところ、自分が確認したのは、新人物往来社の『戦国人名辞典』だけですが、何れかの家譜などに載っているのかも知れません。

戸沢盛安といえば、鬼九郎や夜叉九郎などと異名を取った武勇の士ですが、まあ、これもウィキなどで検索してみてください(面倒くさがり)。
某戦国ゲームでもなかなか強いキャラのようです(笑)。

この方も小田原包囲中に陣没されているのですが、まだ20代ですよ。
秀政より若い。
個人的想像ですが、箱根山中城攻めでは中村一氏の部隊に加わっていたようなので、もしかしたら銃傷を負って長陣中に発症したんじゃないかなと。あそこは鉄砲による被害者が多かったみたいですから。

小田原城包囲は4月から7月。
およそ一と月ずれる今の暦なら夏真っ盛りの時分です。

もし戦病死だったとしたら、弱っていく己の身体にどれほど悔しかったことでしょう。
盛安は日本海経由で京に参陣し、ようやく三河吉田城で秀吉に謁見したそうですが、これは、南部信直を出し抜いて参着した津軽為信より早い。
確かに若気もあるでしょうが、個の功名ではなく、秀吉政権による領土の公認の願いや、領主のプライドも背負って参陣していたはずです。

まあ、そんな勝手な想像をしてまして(笑)。
ともかく、ご住職にお話でも聞けたらと思って行ったわけです。
・・・そうしたら、またしても不在でした(苦笑)。

まあ、電話でも良いのですけどね。
自分、ツールとしては余り好きではないのです。
用件だけでやりとり終わっちゃうので。

とりあえず、門前でお会いした史跡オジサンと一緒に少し探してみましたが、戸沢氏の追善碑みたいなものは見つかりませんでした。

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堀秀政とその家臣の墓とされる宝篋印塔も、基壇の法名などが摩滅してイマイチどっちが秀政なのかハッキリしない。
以前、文化財保護委員の方に教えてもらった気がするのだけど、忘れてしまいました。

形式的には江戸期だよね。
追善のものだと思う。
一番手前の宝篋印塔の基壇部なんかは、江戸以前そうな感じですけどね。

他にも草に埋もれた墓石などがありますが、ほとんどは古くてもせいぜい元禄。
五輪塔や宝篋印塔はパーツなら中世までいくのがあちこちにあって、きっと大森~後北条時代の墓石なのでしょうが、すでに墓の用を為していない状況です。

ともかく、遺跡が無いにせよ埋葬地ということであるなら、戸沢盛安のことも現地の解説板に一筆触れておいてもらいたいな・・・。


関係ないけど、参道の柑橘系(たぶん)の花が良い匂い。
ミツバチ達が足にいっぱい花粉着けて飛び回ってました。
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川中島合戦戦国絵巻への道(平成20年度)~⑪石和の歴史散歩Ⅳ~

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鵜飼山遠妙寺では大黒さんを発見。

正月に七福神詣でにハマり、子年ということで初甲子詣でをした私としましては、大黒さんを見るととてもラッキーなように感じてしまうのであります★

それにしても日蓮宗は大黒さんが多いですな。
この大黒さんは、石和温泉七福神の一つでありますが、鵜飼川(笛吹川)から出現した大黒像のご分身なのだそうです。
「福寿開運大黒天」とありました。

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お寺の由来も、謡曲「鵜飼」ゆかりのお寺としてなかなか興味深いものでありました。
http://www.y-shinpou.co.jp/108/039ukai.htm
(甲斐百八霊場―遠妙寺のページ)
楼門(仁王門)もまた立派です。

私が一番興味深かったのは、同じく境内にある「願生稲荷大明神」。
もとは甲府の武田館(の稲荷曲輪)で祀られていた由緒あるお稲荷さんです。
板書きされた由緒によれば、武田氏滅亡後は忘れられつつあった稲荷社だったが、石和居住の老女に降りて遠妙寺に勧請するようにと語ったのだという。
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現在はコンクリート製の味気無い覆屋に収めてありますが、一軒社流造の唐破風向拝付で桧皮葺という、立派な本殿のようです。

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川中島合戦戦国絵巻への道(平成20年度)~⑩石和の歴史散歩Ⅲ~

少々回り道になってしまいましたが、笛吹川河川敷へ一度出て、国道411号線へ。

411号線は川沿いを西へと少し進み、国道20号線に合流する手前で右折。
この辺りがかつての石和宿入口のようです。

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通りには古い建物はそれほど残っていませんが、道沿いに寺社や本陣跡などが並んでおり、宿場があったことは分かります。

ここでは、最初に鵜飼山遠妙寺(日蓮宗)と願生稲荷、次に石和本陣跡、そして石和八幡宮とその裏にある調御山仏陀寺(臨済宗)を見てきました。

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大塚・歳勝土遺跡&都筑民家園

関家住宅から、早渕川を渡ってセンター北駅の方へ。
この日は思ったよりも温かく、汗が少々にじみました。

昼食は横浜市歴史博物館の近くにあるお蕎麦屋さんで。

自分は納豆そば(ざる)大もり。
納豆だけでなく、しいたけなどもトッピングしてあり、そばもコシがあって美味しかったです。

早くもビールを飲む方々も。

食後は、歴博で常設展を見学。
そして、弥生時代の環濠集落遺跡として結構有名な「大塚・歳勝土遺跡公園」と、都筑民家園へ。
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ちなみに、大塚が集落の方で、歳勝土(さいかちど)遺跡は方形周溝墓のようです。

休日ということもあってか、ここの公園は多くの家族の憩いの場となっておりました。

都筑民家園は自分は今回始めての訪問。
港北にあった旧長澤家住宅を移築したようです。

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中はひんやりとして快適でした。
竪穴住居も中は涼しかったですけどね。
どちらの民家も一度くらい泊まってみたい。
ん?竪穴住居も民家と呼んでいいのかな?
遺構としてでない呼び方なら、これも民家になるのかな?
まあ実際住んでる人はいないけど・・・。

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関家住宅

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茅ヶ崎城址の後、中原街道の方にまわって、関東最古の民家ともいわれる重文・関家住宅を見学。

今もお住まいなので門外からそっと見るだけですが、窓の少ない古風な主屋と豪壮な長屋門は大変存在感がありました。

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やはり実際に使われている古民家はいいですね。

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茅ヶ崎城址公園

もう頭が冴えてしまってるので、そのまんま書いちゃいます。

昨日29日、猛馬飼育係さん企画で史跡散歩&鍋会オフがありました。
参加者は、三浦介星友さん・箱根少将さん・将軍サマ・さおりんさんと自分の6名。
私としてはかなり久しぶりの史跡めぐりオフ。
メンバーも初参加のさおりんさん以外は一番お馴染みの面々。
飲みの席で振り返ったら、ご一緒に出かけるようになってもう7年です。

さて、茅ヶ崎城址公園はオープンが近いとは聞いていましたが、まだ見れるか分からず、とりあえず行き当たりばったりで行ってみました。

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入口に柵がしてあったので「まだだね」と諦めかけたところ、たまたま市の公園整備担当の職員サンにお会いしまして、同伴で中を見学させていただけることになったのでした。
超ラッキー♪

中は一部を除いて芝も育ってきていました。
堀底を散策路として、各曲輪が見学できるようになっており、沿道にはシャガなどが植えられています。

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遺構の説明版は写真もしくは図付き。

トイレも完備で、樹木も適度に残されていますので、緑地公園としても地域に親しまれそうです。

実際の公園オープンは5月後半頃になるとのこと。

公園に関しては、
http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/park/make/chigasakijoshi/

公園整備に伴う発掘調査報告書も埋蔵文化財センターのサイトで見れますよ。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/maibun/index.html
ここの「刊行物案内」のページの下の方です。
ただ、けっこう重いのでダウンロードしてから見た方がいいかも。

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川中島合戦戦国絵巻への道(平成20年度)~⑥甲府城跡~

二十四将の終着を見届けたところで、さおりんさん、かずさんぐさんと再び合流。

歩き回らせちゃってスイマセン。

でも、この後もうひとつ行く予定地があるのです。甲府城跡。

もう16時を回っていたので、ちょっと焦りつつ、また20分ほどえっちら歩いて甲府駅前へ。

2041213_0771跨線橋に着くと、眼下にはつい最近復元された山下御門。
そして線路の向こうには白亜の稲荷櫓と天守台の高石垣が!

城内を鉄道が走る、なんとも微妙な光景です。

さっきまでその線路を、観光用のSLが走っていたらしい。

少々違和感を感じたのは、線路のこちら側にぽつんと再現された山下御門。

橋側から見ると、門の内側になってしまうので、枡形もなくいきなり渡櫓門が置いてあるように見えてしまう。

今回は時間がギリギリで立ち寄れなかったけど、次回はしっかり正面から入って、重厚な枡形を堪能したいと思います。

2041213_0801稲荷櫓に到着したのは16時50分くらいだったでしょうか。

何を急いだかって、スタンプです。

ここ甲府城も「日本100名城」の一つでして、稲荷櫓の有人案内所にスタンプが置かれているのです。

お祭の日なので少しは閉館が遅くなると期待してたんですが、実際閉館ギリギリタイムだったのかも。

まあ、なんとか無事押せました(笑)♪

この「100名城」スタンプを集めている人はそこそこおられるようで、受付の方によれば、この日は我々で22組目(だったかな?)との事。多いんだか、少ないんだか。

それにしても、さおりんさんは100箇所全部のスタンプ本気で集めるそうです(まじですか?!)。

私もついでに集めてしまってますが(笑)、どうなることやら。
単なる旅のスタンプ集めの一つとして終わってしまいそうです・・。

内心、御陵印(各天皇陵の御朱印みたいなもの)みたいに、事務局でも全スタンプ一括管理してるんじゃないかと思ってたり・・・・。

そのうち観音霊場みたいに、東国100城・西国100城とか出てきやしないか心配です(ないでしょうね)。

稲荷櫓内では、整備前の発掘調査で出土した瓦類などが展示されていました。

浅野家の「違い鷹羽」紋の軒丸瓦や、オーソドックスな三つ巴紋の軒丸がありましたが、後者では製造年代によって巴の向きが違っていたり、周囲の連珠(円模様)の数が違ったりもするようです。

櫓の二階では、甲府城の模型が展示されており丁寧に説明してくれました。

閉館まぎわだったのにイロイロとお話して下さり、甲府城の概要や今後の整備計画などが良く分かりました。

昨年はムカツク山梨女に出会ったおかげで、内心山梨県のイメージが極悪でしたが、おかげさまで今はかなりの好評価となっております(単純)。思わぬところで小田原市役所のネタで盛り上がりましたし(笑)。

櫓から出ると、もうかなり西陽に。

せっかくなので、ささっと城址の主要部を一回りして見学してきました。

2041213_0881動物園付きの城址公園に見慣れた私ですので(笑)、純然としたこうした城跡はとてもスッキリして見えます。

また、東国の城なのに高石垣なのも魅力。

門や塀も多くが再建されていて、歩くのも楽しいです。ちなみに写真は稲荷門。

ただ、石垣に落書きが多いのだけはいただけません。

特にヒドイのが天守台穴蔵の石垣。見ていて悲しくなりました・・・。

天守といえば、ここに天守閣を復元しようという動きが前からあるのは存じてましたが、あまり評判良くないようですね。やはり政治が絡むからか・・・。

最近では天守があった可能性は高まっているようですが、具体的に再建となると難解。

国史跡でないだけに、文化庁指導に厳然と従わなくても良いのかもしれませんが、それでも一昔前のように“想像復元”なんて許されないでしょう。

城跡は復元とかだけでなく、現状を損なわず維持していくのも評価されるべきです。

ま、それは別として、城址の公園整備はこれからも続けられていくようで、武田氏館跡と併せて楽しみなところではあります。

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川中島合戦戦国絵巻への道(平成20年度)~甲斐古府中へ⑤武田二十四将騎馬行列~

武田氏館跡ではそのほか、西曲輪の北門の枡形や主郭の堀、わずかに見える天守台石垣などを見学しました。

藤村記念館は修築工事中。

ふと時計を見ると、15時半。

そういえば、そろそろ武田二十四将の騎馬行列が帰還してくる頃です。

武田神社の参道に戻ってみると人ごみが。どうやらすぐそこまで来ている模様。

2041213_0631その合間から武田通りの方を見ますと、もう鳥居前を曲がってお堀に沿って帰陣中~。

せっかく待っていたのに見逃しては元も子もない・・・。

ともかく、かずさんぐさんとさおりんさんを置いて、一人もとの西曲輪へダッシュ!

甲冑武者を追ってハアハア走ったのは、地元の『北条五代祭り』以来でしょうか。

これはもう、質はともかく撮れる素材はかならず撮影する、という前からの呪縛のようなもの(苦笑)。

できれば武田氏館のお堀を効果的に入れて撮影したかったのですがね・・・。

行列の中ほどに追いつくのがやっとで・・・・・(汗)。

2041213_0661幸いなことに、秋山伯耆守信友役の三浦介星友さんや原美濃守虎胤役の繁霞さんは後尾の方でしたので、なんとか馬上の勇姿を拝見することができました♪

黒澤映画や日本大好きなルーマニア人の友人Fなどは、こんなお祭見れたら大喜びだろうなあ。

騎馬武者姿で武田屋形前から甲府城の方までをぐるりと行列できるこのお祭、抽選だけど一般参加なのですよね。
武者に扮するまでなら、結構あちこちの時代祭りがあるけど、馬に乗れるのは少ないと思います。

自分も一度やってみたいような(笑)。気分よさそう。

騎馬武者の面々は、皆さん自分から申し込んで出ているだけに本当に楽しそうだし、なりきっておられる。

見ている方もね、そういう方が楽しいですよ。

お馬さんもお疲れ様でした!

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ちょっとお疲れな方(馬)もいたようですが、この時期、武田関係のお祭で忙しいんでしょうか。


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川中島合戦戦国絵巻への道(平成20年度)~甲斐古府中へ④子とりの堀~

武田氏館跡で今回、もうひとつ確認したかったのがコレ。

甲府市のHPはなかなか充実していて、昔話集なんかも掲載されているのですが(↓)、そのなかでこんなのがありました。
http://www.city.kofu.yamanashi.jp/contents/content/section/42/204/

2041213_0521(引用はじめ)

「子取りの堀」

(松のしらべ方言伝説号より)
 武田神社の烏居に向かって左方の古城の堀に、昔は子供がそこを通ると、水中に美しい玩具が落ちていて、子供がそれを取りに堀に入ると、誰でも皆、堀の主のために水中に引き込まれてしまった。
 そんなことのないように堀の入り口に地蔵を立て、今でもその地蔵があるという。

(引用おわり)

そういえば、西曲輪の土橋のあたりに石碑やらあったなぁ~、と思って行ってみましたら。

2041213_0511あった(笑)。

まあ、上のお話に該当するお地蔵さんかどうかは確証ありませんが・・・。

そのほかにも、西曲輪の竹は割ると断面が武田菱になっているとか・・。

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神社ができるまでの館跡はうっそうとした茂みだったみたいですから、昔はちょっと怖い雰囲気もあったんでしょうかね~。

実際、堀で子どもがおぼれた事もあったのかもしれませんね。

「あんなとこで遊んでると、お堀に引きずり込まれちゃうぞ!」
なんて、大人が子どもをしかる口実にしていたのでは・・・。

でも、逆にそれで興味が湧いちゃった子も少なくなかったハズ(笑)。

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川中島合戦戦国絵巻への道(平成20年度)~甲斐古府中へ③武田氏館跡~

2041213_0331話が前後しちゃいましたが、武田氏館跡の大手門あたりの現況はこんな感じでした。

現在の武田神社東入口になるのが館の大手門になるのですが、その外側で近年継続して調査が行われ、現在は公園化整備が進められています(史跡武田氏館跡大手門周辺ゾーン整備工事)。

現地の説明板や甲府市HPで公開されている資料などによれば、大手門の外側にも堀に囲まれた区画、つまり曲輪(くるわ)があったようです。


復元整備されているのは、その仮に“大手曲輪”とでもいうべき区画の北側で、私達が訪れたときは、芝生育成のために土塁上などは立ち入り禁止になっていましたが、ほぼ完成している状況でした。

“大手曲輪”の北側は武田氏館主郭北東の「御隠居曲輪」方面へ続く堀になっており、興味深いのは、並行している主郭部の堀が空堀なのに対し、こちらは水堀になっています。

東側は城下からの大手筋にあたる「鍛冶小路」に堀を隔てて接し、南北二箇所に土橋が設けられていたようです。
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現在までの整備では、北側の土橋が再現され、大手口の土橋のように二段の石積みが施されています。
ちなみに、大手口土橋でも発掘調査は行われ、今よりやや幅狭な武田時代の土橋と石積みが出土したとのこと。

大手口外側の石塁も整備されるとのこと。
発掘調査では、その下から三日月堀が確認されたそうですので、武田氏時代から馬出しが築かれていたことになります。
丸馬出しは、武田氏系城郭に特徴的な防御設備として有名ですが、今までの確認例ではその殆どが前線にあたる静岡県や長野県でした。それが、この発掘で本拠にも設けられていたというのは、意義のある発見だったようです。
具体的な時期などはなかなか難しいでしょうが、やはり軍事的緊張の度合いからして武田勝頼時代と想定されるのでしょうかね。
徳川氏の支配期(関東移封前)に旧武田系家臣による作事という仮説もありでしょうか(笑)。

ともあれ、史跡名になっている「武田氏館跡」周辺の整備工事になってはいるものの、明確な遺構の保存となると、最終段階の姿、つまり豊臣大名・加藤光康の甲府館跡を整備することになってしまうわけですな。

それはそれで楽しみではあるけど、わざわざここに来る方は武田氏の跡を偲びに来る人が多いでしょうから・・。

そういう意味では、将来の西曲輪の発掘および整備が大いに期待されるのではないでしょうか。
まだ先でしょうが。


最後に一応、武田氏館跡の簡単な歴史をさらっと(真っ先に紹介すべきだったか・・・)。

永正16年(1519) 武田信虎によって築かれる。
それまでは、石和に近い甲府市川田(現在の二宮神社あたり)に居館があったそうな。

永正17年(1520) 要害城を築く。

大永元年(1521) 武田晴信誕生。

天文2年(1533)  武田氏館消焼失。

天文10年(1541) 武田晴信、父信虎を追放。

天文12年(1543) 武田氏館類焼。

天文20年(1551) 晴信嫡男・義信と今川義元の娘の婚儀により西曲輪の造営(翌年完成)。

天正元年(1573) 信玄死去。

天正4年(1576)  武田勝頼、要害城修築。

天正9年(1581)  新府城(韮崎市)を築城。本拠を移す。

天正10年(1582) 武田氏滅亡。織田信長、武田氏館仮御殿に本陣。本能寺の変(あはれ・・)。 徳川氏と北条氏による甲信争奪戦、のち和睦。徳川臣・平岩親吉、甲斐の郡代に。

天正18年(1590) 徳川家康、関東に領国替え。羽柴秀勝、甲斐領有。

天正19年(1591) 加藤光康、甲斐領有。この頃、武田氏館に石塁など築かれる。甲府城築城開始。

文禄2年(1593)  加藤光康、朝鮮の役にて陣没。代わって浅野長政・幸長が甲斐領有。 (慶長5年頃までに甲府城完成し、武田氏館は廃城へ)

慶長5年(1600)  関ヶ原の戦い

慶長6年(1601)  平岩親吉、甲府城代として再入国。

大正8年(1919)  武田氏館跡に武田神社創建。


武田氏館跡周辺の整備事業内容については甲府市HPで公開されています。
http://www.city.kofu.yamanashi.jp/contents/content/view/5249/282/
記者会見の内容をここまで開示してくれるのは嬉しいですね。

史跡武田氏館の概要に関してはこちら
http://www.city.kofu.yamanashi.jp/contents/content/category/46/348/210/

そのほか、山梨県の埋蔵文化財センター内のコンテンツに過去の発表会の配布資料がアップされています。
(↓平成19年度シンポの「佐々木氏資料」が武田氏館跡に関して)
http://www.pref.yamanashi.jp/barrier/html/maizou-bnk/95827179228.html

(↓「2007年度上半期遺跡調査発表会」に武田氏館跡についてあり)
http://www.pref.yamanashi.jp/barrier/html/maizou-bnk/74596514647.html


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平成20年の二所詣・熱海&伊豆山

十国峠と経て熱海へ。

梅林も興味あったけど、今回はパス。

未訪問だった熱海の鎮守・来宮神社と、箱根と同じく万巻上人ゆかりの湯前神社に参ってきました。

2021_3781来宮神社は樹齢2000年以上という大クスノキが有名なのですが、やはり実物はスゴイ迫力。
今の祭神こそ違ってたりしますけど、小田原市早川の紀伊神社あたりから伊豆の海岸沿いには、こうした「木の宮」が多いですね。
そうした神社にはクスノキのご神木も結構多いのですが、あれは人が植えたものなのか、それとも地域的な植生なのか気になるところです。

途中、山門のアタミザクラが綺麗だった温泉寺にも寄りましたが、幼稚園だったらしく、山内に入ったらちょうど鬼役の保父さんが隠れているところに出くわしてしまいました。
「あ~、幼稚園の節分か~」
なんて懐かしくなりましたけど、若い保父さんの方はちょっと恥ずかしそうでした(笑)。

2021_4641湯前神社はその名の通り、温泉場の神さま。
医薬の神としても知られる少彦名神。
お手水は温泉がかけ流されていました。
この像がだれなのかは気になるところですが・・・。

伊豆山の走湯神社のお湯(走り湯)もそうですけど、神社の温泉って余計に効用がありそうな気にさせてくれますね。
とりあえず、私は参拝の後、そのお湯で手のひらと顔などを湿らせてもらいました。
その後しばらくはポッカポッカして汗が出るほど。

その後、MOA美術館で大黒天像の企画展があったのでこれを観覧。
胎蔵界曼荼羅にある大黒天や、奈良は西大寺からの大黒像(鎌倉時代)などがありました。
もう、ここんとこホントに大黒サマづいてます(笑)。
おなじみ尾形光琳の「紅白梅図屏風」も出ていましたが、私は甲冑姿の大黒天半跏像(観音寺蔵・寄託先琵琶湖文化館より)に見とれていました。

そっから伊豆山までは歩いていきました。
これがちょいハードでした。
熱海は坂道多いんですよね~(笑)。

ようやく伊豆山神社で参拝を済ませたのが4時半頃でしたか。
2021_5161手水鉢の水落しが紅白の龍になっていました。
昨年の暮れだかに新たに設けたそうで。
『走湯山縁起』にある伊豆山の地下で和合する赤白の龍にちなむものだそうです。
伊豆山の龍神は箱根の芦ノ湖の話と絡むので、今日の参拝の最後に出会った景色としては吉祥だと思います。

で、このお手水、どう柄杓に汲んだら良いのか考えましたが、やはりそれぞれより半々に汲んで和合水にさせていただきました。
いえ、よこしまな気持ちではなくいたって真面目ですよ。

何の実証もできませんが、個人的には玄旨帰命壇が行われていたのではないかとも考えていますし。

ともあれ、こうして昔の信仰の性格が造形で表現してくれるのはありがたいことであります。

その後、階段を下って走湯神社へ。
参拝をしてから横穴の湯気に暫くあたって帰りました。
お湯も手首くらいなら浸かれるかなとも思いましたが、熱くてとてもじゃないけどできませんでした。
湯温は約70度とのこと。

お茶ならぬるいくらいなのにな~(笑)。

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平成20年の二所詣・箱根

2021_3261神社の説明とか云々は昨年も書いたので、省略(笑)。

単なる写真日記ですな。


2021_3411先日の雨は箱根では雪だったらしく、この日の午前中はまだ溶け残りがありました。
平日の午前ということもあって余り参拝客もおらず、ゆったりとお参りできたのは良かったですが、日影の参道が凍っていたりするので、石段や坂道は緊張しました。

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熱海桜

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今年も二所詣でに行って参りました。 昨日ですが。

私が言う「二所詣」ってのは、箱根神社と伊豆山神社(熱海市)への参詣の事でして、ここの所、喪中の年以外は結構続けて出かけております。

昨年は、征夷大将軍太郎さんのお車で伊豆山から箱根のルートでしたが、今年は一人でバス利用してその逆ルート、箱根から伊豆山へとお参りいたしました。

今回は特に熱海をメインにしましたので、来宮神社や温泉寺、湯前神社なども初めて訪れることが出来ました。

熱海は折りしも梅祭りの最中。
温泉街の狭い坂道などを歩いていますと、梅が時々香ってきました。

2021_5061また、「熱海桜」も各所で見ることが出来、ひと足早く立春を感じました。
河津桜と同じくヒガンザクラの種類なのだと思います。

写真は、温泉寺・伊豆山神社(うっすら後ろに大島と初島)・走湯神社で。

2021_5551花の色がソメイヨシノなどより鮮やかなのは良いですが、花弁が重たそうに下向きがちなので、日当たり具合によっては結構見栄えが変わるかも。

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初不動・火渡り行

20128_024128日の初不動には、関東三十六不動霊場の札所詣でに参ろうかと思いましたが、先日の甲子参りの折に都内の不動尊寺院もいくつか行きましたので、近所のお寺で不動尊詣でを致しました。

ウチの近所にある満福寺
ココでは毎年この日に、火伏せや無病息災を祈願する火渡り行が行われています。
市でも季節の観光行事の一つとして紹介されていますが、自分らにとっては小学生の行事でも参加したお馴染みのもの。
のぼり旗が立っているのを見て「あ~、明日は火渡りか」という感じでしたが、今年は久々に行ってみることにしました。

火渡り行が行われるのは、午後1時頃に始まる柴燈護摩の後半ですが、すでに11時半にはベストショットを狙うカメラマン達が場所取りを終えていました。

私は、本堂でご祈祷に参加してから外に出たのですが、もうその頃は斎庭は見物客でいっぱい。
とりあえず、人波の後方から手を上げてポチポチ撮っておきました。

20128_0391山伏問答や結界を張る祭文などを聞いていると、五大明王を配しているのでしょうか。
なかなか興味深い内容ですが、天台系の修験宗(本山派)である板橋の量覚院の山伏問答の方がやや長いような気がしました。
ま、両方出ておられる行者さんもいたような気もしたのですけど(笑)、今はあまり宗派を気にしないのかな?

宗派といえば、ここはウチのお寺と同じ宗派なので、どこかで見た方がいるな~と思ったら、菩提寺のご住職でした。
あと、中学の時の先輩も親父さんの跡を継いで参加されてました。

20128_0661柴木に火が点けられると、錫杖や読経が響くなか、参加者はそれぞれの願文を書いた護摩木を火炎に投げ込みます。
私は、家内安全と身体健全を祈願。
思い切り投げてしまったので、つい火を飛び越えて向こう側に行ってしまいましたが、きっと誰かが放ってくれたでしょう。

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そして、行者たちの火渡りが行われると、水天の真言「おんばろだやそわか」の唱和のなか、一般者の参加に。

せっかくなので私も火渡りに参加してきました。
裸足で歩かないといけないのですが、一般者には火や灰をよけてくれるので熱さはまったくありません。
むしろ、地面が冷たいので、皆さん、トットコ渡って墓場で足を洗っていました(笑)。

私は家がすぐなので、帰宅してお湯で洗いましたが、わざわざ見に来られる方は足洗い用のタオルかウェットティッシュと収納用ビニール袋を持参した方が良いと思います。
あと、寒かったり、風が強いときは火の粉が飛んだりしますので、衣服にも気をつけた方がいいかも。

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初甲子・初天神

正月より節分までの余暇は、毎年ほぼ寺社めぐりに費やしておる私であります(笑)。

さて今年の正月25日、初天神はちょうど甲子(きのえね)の日にあたり、大黒さんの縁日でもありました。

特に今年は子年の初甲子ということもあって、福徳を願う人や大黒様ファンにおかれては、密かに(?)各大黒寺院を参拝された方々が多かった事と思います。

私はと言いますと、今年の正月に初めて七福神詣でをして以来、大黒さんのあのユニークで頼もしいお姿に惚れ惚れしてしまいまして(笑)。
また、同じような像容であっても、造立発願者の願意によって微妙に違っていたりするところなどが興味深いところです。

ともかく、12年に一度の初甲子。
私もいくつかの大黒サマの古刹を巡って、福徳を祈願してまいりました(笑)。

神道系の大国サマ(大国主命)である神田明神も含めますと、全部で七箇所に参拝。

20125_1831江戸三大黒の一つ、寛永寺の塔頭である護国院や、迫力ある三面大黒天で有名な入谷の英信寺なども礼拝できました。

そのほかにも、ほぼ偶然の縁で拝観する事が出来たのですが、吉原遊郭は「大黒楼」のシンボルであった金箔張りの大黒サマに出会えたのもまた嬉しい事件でした。

そのほか、ジンクスを担いで後北条氏にまつわる福徳スピリチュアル(?)スポットなども訪ねてみましたが、こういうお寺めぐりもなかなか楽しいものです。
特に下谷あたりのお寺さんは下町らしいアットホームなところが多くて、またお参りに行きたくなりました。あと、山内に植物が結構多いのですよね。

20125_2351帰りには湯島天神を通りかかり、初天神なので一応手を合わせて来ましたが、さすがに奉納絵馬の数がハンパじゃありませんでした。

20125_2421縁起モノの「うそ鳥」も授与されていまして、私もちょっと欲しくなりましたが、まあ今さっきに大黒サマ詣でを済ませてきたばかりですからね。
それらも「ウソ」にされてしまっては困りますので(笑)、眺めるだけにとどめました。

それにしても、寒かった・・・・。
湯島天神の庭池なんかも凍っていましたよ。
私の鼻も真赤だったかも。


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初観音

もう今日は21日で初大師さんになっちゃってますが・・・。

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18日の夕方、駆け込みで近所の“飯泉観音”こと勝福寺(坂東三十三観音・第五番札所)にお参りに行ってまいりました。

観光地だと、こういうご縁日はメチャ混みだったりしますが、地方の札所は歳の市でもない限り静かなものです。

といっても午前中はそれなりに巡礼者が来ていたようで、私が行った時は、観音堂で護摩壇の片付けや、庫裏で接待係のご婦人達のねぎらい会をしているようでした。

前回の札所が鎌倉の長谷寺(四番)だっただけに、ここでの静かな合掌のひとときに癒されました。

それにしてもこの日(も)、とても寒かった~。
一人だったから気にしませんでしたが、私も一ミリくらい鼻水たれてたと思います(笑)。

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門前の布袋さんもウールの頭巾を着せてもらっていました。
丸ボウズでお腹出してちゃ寒いもんね。
心なしか嬉しそうな笑顔です。

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初虚空蔵その2

さて、鎌倉駅には戻らず、延命寺前の踏切りを渡って、若宮大路から海岸橋を経て長谷寺に。
20113_1201三橋の信号あたりに来ると、さすがに観光客でいっぱいです。
小町通りの次に観光地らしい賑わいがある場所なのでしょうかね。

実は私、ここに入るの初めてです。
マイナーな史跡を好んでいるわけではありませんが、いつも混んでるのでどうも敬遠してまして・・。
アジサイなら成就院でも良いし、眺望ならその裏山の霊仙山の方が優れているし。そして無料だし(笑)。
でも、坂東観音巡礼を始めてからは、いつか行かねばと思っていました。

受付で入山料を払って中へ。
さすがに広いです。
が、参拝者というか観光客もたくさん。

20113_1231観音堂へ行って、坂東観音四番目の観音様をお参りしましたが、さすがにこの混雑では看経(かんきん:お経の黙読)も邪魔にされてしまいますので、十句観音経だけ読ませて頂き、ご朱印を頂きました。
まあ、デカイ観音さんなので、遠くからでも拝めるのですけどね(笑)。
鈴杖を持った長谷寺スタイルが特徴的。

デカイといえば、隣の阿弥陀如来も大きいです。
こちらの阿弥陀さんは、廃寺になった他の寺院から運ばれたものだそうですが、由比ガ浜から見て西の山におわす現在のポジションはなかなか良いのではないでしょうかね。
観音像の実際の造立年代ははっきりしないとの事ですが、天平8年創建という寺伝は杉本寺に次ぐ古刹かと思います。
20113_1451海に臨む観音霊地ということで、熊野信仰なんかも後世に入っているのかな、などとも思うのですが。

阿弥陀堂と反対隣が、宝物館兼大黒堂。
大黒堂はもとは階段下にあったようですが、今は古い大黒像は宝物館入りし、鎌倉七福神には別の大黒天と三面大黒天、彩色された「なで大黒」などがありました。

宝物館は3月から有料制となるそうです。
いかほどの入場料になるのかは分かりませんが、大型の相模型板碑や大きな御正体などは県内でも珍しいし、三十三応現身像なんかは玉眼が入っていて、間近くで見ると結構なまなましかったり。

お堂の後方には展望台へと続く道。
昨年、景観条例だったか埋蔵文化財保護だったかの違反で色々報道されてましたね(笑)。
ここも、人がいっぱい。
虚空蔵堂のご祈祷ももうすぐだったので、このあたりで退出することにしました。

ほかにも、経蔵はマニ車みたく回して経を一読したことになる輪堂だったり、弁財天とその眷属十六童子を陽刻した洞窟「弁天窟」なんかもあってなかなか楽しめるお寺でした。
また、ゆっくり参拝に行こうかと思います。
ただし、混雑の少ない開門の頃に。


早足で虚空蔵堂へ。
御霊神社の前も七福神めぐりのお客さんで結構にぎわっています。
さきほど、若宮大路の渋滞にはまってる観光バスを見たら、「鎌倉七福神ウォーキングとイチゴ摘み」なんてツアー名が書いてありました。
それも一台や二台ではない。
結構人気あるのですね、鎌倉七福神。さすが観光地。
来年の候補に鎌倉七福神も考えていたのですが、こんなに混むなら正月以外にしようと思ったのでした。
ここは通年対応してるみたいだから・・・。

20113_1611虚空蔵堂にはご祈祷の10分ほど前に到着。
大して並ぶこともなく、お線香をあげ、参拝へ。
私は特にご祈祷を頼むことも無かったので、堂内には入らず外からご開帳の尊像を礼拝させて頂きました。
お顔は吊り下がった幕の影でよく分かりませんでしたが、お前立の像より華奢な感じ。
その後も参拝客があまり増えなかっ