カテゴリー「日記、歴史、つぶやき」の32件の記事

強風で小田原城の老松折れる

小田原城址公園内で二番目に古いとされてきた老松が、今日、強風によって枝が折れてしまいました。

http://www.news24.jp/articles/2009/07/10/07139379.html#

高さ約10mの所から分かれていた太い枝が(というより幹に近い太さですが)、折れて地面に落下。
幸いケガ人はいなかったものの、根元に転がる老齢の太枝は無残な姿をさらしています。

最初聞いた時は、本丸にある城内最高齢の“巨松”(おおまつ 樹齢400年以上と見なされ、北条氏康手植えの七本松のうち最後の一本といわれる)かと思いました。


実際に破損したのは、二の丸側の馬屋曲輪にある、上の方で幹が幾枝にも分かれた老松の方。
こちらも樹齢300年以上と見なされています。
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(写真は昨年。真ん中の松)


さて、小田原城の馬屋曲輪で松と言えば、通な人は“住吉の松”を連想されるかと思います。
江戸時代の城絵図(文久図や宮内庁蔵の図など)にも記載されている大木で、銅門側との間にある「住吉堀」や「住吉橋」の名称もこの松に因むものと思われます。
住吉の名のもとは、北条氏政がその松の下で和歌を詠んだという事に因るらしいのですが、まあ伝承でして定かな事ではありません。

今回枝が折れた老松、「もしかしたら、これが住吉の松かもね」なんて話も前からあったのです。
樹齢300年では氏政の時代に届きませんが、植樹が愛称を継承することも良くある話です。
私としては、複数の城絵図見ても場所も規模も違うように思うのですが。

今年度からの馬屋曲輪における修景整備では、この松は伐採対象から外れていたと思いますが、このようなタイミングでポッキリ折れると、ちょっと気になってしまいます。
今後の作業中に枝が頭上に落下などということが無いように、十分気を付けてやってもらいたいものです。


それから、同じくして銅門の土塀の破損が発表されました。
http://www2.city.odawara.kanagawa.jp/press/detail.do?enterpriseNo=20090174
写真で見ると、白漆喰がおよそ一間分ほどの長さにわたって剥落してしまった感じです。
復元してから約10年ですが、こちらも幾つかヒビが見えて来ました。
破損の拡大を防ぐよう尽力して頂きたいと思います。

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今年度は馬屋曲輪の石垣など

本年度の小田原城の復元・修景作業は、3月末に公開された馬出門の内側にあたる「馬屋曲輪」の石垣整備などを主に行うそうです。

復元される馬屋曲輪の隅櫓(ちょうど、角の大久保さんちと三の丸小学校の角に相対する箇所)は、二重櫓だったことが絵図などで明らかにはなっていますが、構造物そのものの詳細(図面や廃城前の写真など)情報が不足しているため、現在のところ復元の予定はないようです。

ただ、櫓台石垣が復元されれば、その上に実存した建築物も見たくなるのが人情かと思います。
国史跡であること、公共事業としてどこまでするべきかなど、議論の余地があるでしょう。
その点は、石垣復元後の世論次第というところかもしれません。


こちら、市文化財課による告知ページ。
http://www2.city.odawara.kanagawa.jp/press/detail.do?enterpriseNo=20090162

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サブカル系戦国2 萌?なのか?

そして、もうひとつ。

『戦国美麗姫図鑑』

いや、凄い題です(笑)。
こちらは平積みではなく背表紙だけでしたが、さきの『歴女』に連動してか、そう離れた場所になかったのですぐ目に入りました。

で、試しに抜き出してみると表紙がまた凄かった…。
こちらをご覧ください。

『戦国美麗姫図鑑』(著・橋場日月、編・戦国萌姫研究会、PHP研究所)
http://mainichi.jp/enta/mantan/graph/book/20090611/
○内容紹介
戦国時代の姫君100人を史料をもとに現代の絵師たちが美麗にビジュアル化! 絶世の美女、無敵の女将、智略の才女…
強く、儚く、美しい彼女たちの出身地、生没年、家柄、登場史料などのプロフィールを網羅!!
武将にくらべあまり知られていない姫たちの秘話、逸話やトリビアも紹介!
歴史ファンも資料としておさえておきたい一冊です。 収録の姫君たち(一部)
瀬戸内のジャンヌダルク/大祝鶴姫 愛され出戻り娘/伊達五郎八 歌舞伎になった美しき姫/武田 菊 愛と憎しみの逃避行/北条院殿 太閤最愛のセレブ姫 前田 豪 不遇の夫を支える賢妻/大谷竹林院 他
カバーイラストは笠井あゆみ先生の萌バージョンが見参!!美麗ピンナップつきです。
絶世の美女、無敵の女将、智略の才女…。史実、伝説に記された武辺、美貌の姫君たち。出身地、生没年、家柄、登場史料などのプロフィールを網羅。姫君たちの秘話、逸話やトリビアを紹介。


と、色々とインパクト(疑問)あるコピーが並びます。
大三島の大祝の娘がジャンヌダルクと比べられるという超越の比較視点には驚きました。
そもそも、出身地や家柄で「強く儚く美しく」ってされてしまうのはどうかと。
サラリと書いてますが、ピンナップ付きの歴史ムック本。

PHPが出しているというのもちょっと意外でしたが。

中身は、右ページにそれぞれの姫の逸話や系譜の紹介。左ページにイラスト(それぞれ異なる作家が描いている)。
一つの見開きにつき一人を扱っています。
文章の方は歴史雑誌などでコラムなど執筆をされている方のようで、内容は特に奇をてらったものはありませんでした。
今川氏真に嫁いだ北条氏康の娘(早川殿)も載っていたのには、ちょっと感心しましたけど。
新紀元社の「Truth In Fantasy」シリーズを萌系イラスト(?)で構成してみたら…、というところでしょうか。
当世の“萌え”に相当するスタイルが分からないので判別できませんが、たぶん若い男性を主なターゲットにしているのかと思われます。
ただ、キャラクター描写は時代考証を気にしてないというか、殆どファンタジーです。
ゲームキャラのようなのを想定して描いているのかもしれません。

こちらでも若干の紹介がされています。
http://news.walkerplus.com/2009/0612/12/

どういう反響があるのか試しにアマゾンでレビューを見ましたら、意外と好評価。
まあ、イラスト中心な本かと思ったら以外に真面目な内容だった、というギャップがそう印象付けてるのかもしれません。

そしてさらに、“この商品を買った人はこんな商品も買っています”の欄を見ると、こんなのも。

『戦国“漢(おとこ)”絵巻 (コミック)』(編・学習研究社)
http://www.gakken.co.jp/moegi/special/soe0906.html
○内容紹介
描き下ろしイラスト満載で詳細解説。戦国武将プロフィールブック37人。萌えるエピソード&4コマ掲載。聖地巡礼のお供に、ゆかりの地紹介。本格歴史ライターによる解説&甲胄作り収録。


上の本の武将版ってトコでしょうか。
こちらはコミックスの体裁で学研から。
大手ばっかじゃないか(笑)。


あと、他にもこんなのないもんかと適当にポチポチしてましたら…
こんなのも(笑……汗)。

『イケメン戦国武将忠義編 (SESAME BOOKS) (コミック) 』(著・男前戦国武将研究会、ゴマブックス)
(ほかに『情愛編』『友情編』あり)
http://kimasas.exblog.jp/11827743/
○内容紹介
信長と利家の、愛が濃すぎる忠義関係(池上小五)
三献茶の真実~三成の機転がピンチを救う!?(大竹直子)
家康の危機を救った伊賀忍者・服部半蔵(武浦すぐる)
鉄砲に怯えた幼少の北条氏康(冨永逸生)
大友宗麟を友として支える立花道雪(宮明睦恵)
銃に散った三好義賢(ALFRED少尉)
九度山で幸村への忠誠を確認する猿飛佐助―(屍のぼる)
第六天ニャ王 ノブニャガと部下の日常(ここなっつ)


まあ、内容はBL(たぶん肉体的なのより精神的なものが主流かと)のアンソロジーコミックスなのだと思いますが。普通に。
一応、歴史上人物をネタにしているのだから、大荒れはしていないのではないかと想像。
それよりなにより、タイトルが開き直りすぎ(笑)。
編集者さんの勇気にひとまず拍手しておきましょう。

今まではサブカル系な戦国ムックって、城の復元イラストとか戦史的(どれも執筆者の主観がかなり入ってそうな印象…嫌いでないですが)な内容満載な学研の『歴史群像』あたりが独走してた感じしますが、そういうのは専ら若い男子が購読していたと想像します。
入口の広さは、初期の『歴史群像』の方が『ムー』らしさあったりで、サブカル系雑誌としての面白さはあったと思うのですけどね。
歴史ミステリーなるじゃんるも定着している今では、その辺一線引く事になってしまいそうですが。

さて、こういうブームを見ていると、そろそろ女性向けな歴史雑誌も出たりして??なんて気もします。

あ、また横道に逸れ過ぎてしまった・・・
それは置いといてと。


『戦国美麗姫図鑑』を手掛けた「戦国萌姫研究会」、そして
『イケメン戦国武将』を手掛けた「男前戦国武将研究会」。
どちらも語呂をダブらせないあたりに遊び心を感じます。

興味深く感じたのは、上の本は皆今年の6月から7月の間にかけて発売されたという点。
タイミングになにか意味があるのでしょうか?

さて、時代の奇書となるか黄書となるか。
ま、同人誌やマンガのカテゴリーでは珍しくもなんとも無いんだろうけど。

来年あたり古書店の100円コーナーにあったら記念に買うかもしれない。
(手がけた方には失礼な事言って申し訳ありません)
絵柄はどれも余りタイプではないのです。
個人的には山口将吉郎さんの武者絵なんかが好きなのです。


あと、男色趣味があったと噂される高畠華宵さんの絵なんかは今でも色気を感じます。今の人に受けるか分かりませんが。
華宵美人と言われるだけあり女性絵(独特の風貌より細密な着物などの描写が美しいと思う)が多いですが、男子の絵もあり、大変艶めかしいです。
http://www.amazon.co.jp/%E9%AB%98%E7%95%A0%E8%8F%AF%E5%AE%B5%E3%83%BB%E7%BE%8E%E5%B0%91%E5%B9%B4%E5%9B%B3%E9%91%91-%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4582633889/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1246642051&sr=1-1

こんなの(↓)にも収録されてそう。

http://www.amazon.co.jp/%E6%98%AD%E5%92%8C%E7%BE%8E%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%89%8B%E5%B8%96-%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%B7%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E4%B8%AD%E6%9D%91-%E5%9C%AD%E5%AD%90/dp/4309727298/ref=pd_sim_b_4


ま、それより、中学時代に軽く震えながら(やはり伊勢治書店で)一人立ち読みした雑誌『夜想』や『銀星倶楽部』を読み返してみたい衝動が感じられた今日この頃。(どんなこの頃ですか)

ちなみに私は少年趣味も同性趣味もありませんので悪しからず。

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サブカル系戦国1 歴史アイドル?

昨日、地元の書店「伊勢治書店」でサンカ関係の本を立ち読みしていましたら、こんな本が平積みしてありました。

『歴女 私の愛する戦国武将』

美甘子さんという歴史アイドル(?)が書いたもののようです。
以前、CSの「旅チャンネル」では鉄道アイドルなる方が出ていましたが、こんな方もいたのですね。
アイドルやマスコットキャラクター、等身大の置物など、色々と二次元から三次元に出てくる面白い国です。いや、皮肉ではなく感心しています。

嗜好性が分化されてきたのに伴って、芸能も世間一般に広く受けを狙うだけでなく、こうした特化ファンをターゲットにする傾向が今後も出てくるのでしょうか。
趣味の共感性からコアなファンが育てば、ブームの高まりとともに知名度も上がりますからね。
本業からアートや趣味、サブカル方面に“売り”をシフトした芸能人は多いですが、その逆バージョンとも言えましょう。
長短の差はあれどもアイドルというのは期間限定商品みたいなものでしょうが、こういう方たちは知名度(というか話題度)が落ちてもブログなどで自己発信力がありそうですから、暫くは活動できそうな気もしないではありません。

ブログを拝見しましたが、時代祭りの姫役とかで登場したりもなされているようです。
これは、うまい営業法かもしれません(笑)。
雇うイベント側としては、有名芸能人より安くあがりそうだし、役についてもしっかり勉強してくれそうだし、ファンが勝手にネットとかで宣伝もしてくれそうなメリット。
事務所としては、キャラクターをそのまま売れるのと、イベントの集客を宣伝に結び付けられる。
手広くやるより、特定のイベントの常連になるとかの方が好印象になるような気がします。

さて、こちらがその本。
リンクは当人ブログの本紹介している箇所。
(宮下さんとこの黒田家本が隣に置いてあるw)

『歴女 私の愛する戦国武将』(著・美甘子、ビジネス社)
http://ameblo.jp/mikako426/entry-10288257394.html
〈内容〉
世に草食男子がはびこる反動か、
「戦国無双」や「戦国BASARA」といった戦国ゲームにはまる「歴女」(レキジョ、歴史好きな女性)が急増している。
そのトップを走る美甘子が、滅びし戦国武将への熱い思いを記す!
巻頭カラーページと、各章末にイラスト新聞「歴女通信」を加えた充実の1冊。
歴史アイドル美甘子が戦国武将、石田三成・直江兼続・小西行長をピックアップ、その人物の一生を描く。


しかし、当の歴史好きな人への受けがどうか。
反発する人も多いんだろうなあ。
鉄道アイドルもそんな感じがしましたし。
コアな趣味だけに“新参者が大きな顔するな!”と癪に障ったのでしょうか。
ま、買うのも男が多いのでしょうが(笑)。


それでも、文化財の保存や署名活動のPRもしてくれれば大きな助けになりそうです。
が…、売り出し中にそんな政治かかったの期待するのも可哀想か。
歴史ファンには高感度アップするとは思うけど。


山川の『歴史散歩』とか小学館『全集・日本の歴史』なんかが並ぶなかにあったのでかなり目立ってました。

ま、民俗におけるサンカなんかも昔のサブカルではあるのですが(笑)

そういえば、大食いタレントは最近見かけなくなってしまいましたね。

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特別展「海賊 -室町・戦国時代の東京湾と横浜-」

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特別展「海賊 -室町・戦国時代の東京湾と横浜-」は、予想していた以上に展示が多く、また解説も親切な内容だった。
海賊の発祥から中世の東京湾、とくに横浜市域と八丈島支配、里見氏に関する資料は文書だけでなく、所伝品や考古遺物などもありなかなかバラエティに富んでいた。
八王子信松院の軍船模型も同寺で見たとき以来だが、付属の伝来資料(図画資料など)は初めての拝見。

失笑してしまったのは、里見氏がどこかの神社(鶴谷八幡宮?)を寄進造営した時の棟札の内容で、そこには主たる古河公方の武運長久を祈願する旨記されているが、ちゃっかり自分の名前の上に“副将軍”と書いてあったりした。
棟札の祈願文の内容に関してまでは、解説文が置かれていなかったので、どういう趣旨のものかは不明のままだが、意気が現れていて面白い。

できれば、港湾都市における海運と河川水運の引き継ぎや、寺社との係り合い、当時の海戦の実際などにも触れてくれれば、もう少し理解や興味も深まったと思う。
特に、海戦に関してはまだまだ陸戦ほど様子が明らかになっていないのかもしれないが、色々と比較資料を提示することでヒントには為し得たと思う。
その点では、海士役やかつぎ衆の方面も紹介することで、港町だけでなく、漁村など海浜の村の戦国時代を多角的に紹介することも面白そうではある。

とはいえ個人的には、自分にとって遠縁の一族にあたる久良岐郡富岡村の柳下豊後守の関係資料が実見できたのは感激モノであった。長昌寺の伝承は聞いていたものの、槍などが実際にまだ残っているとは思わなかった。

都合が合えばもう一度見に行きたい。

常設なども少し見てから、三ツ沢上町へ。
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ここには北条家臣・多目氏の菩提寺、豊顕寺がある。
その背後の山は江戸時代から桜で親しまれているということで、一度満開の頃に来て見たかった。
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実際行ってみると、それほど爛漫としてはいなかったのだが、静かな山裾の森にひらひらと花びらが散る景色は、横浜駅の近くとも思えぬほど穏やかなものだった。

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祝・開門式

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かねてより復元工事が行われていた史跡・小田原城の馬出門。
大手筋の三の丸から二の丸の間に位置する馬屋曲輪の入口に当たる門です。

このほど仕上げも無事終わり、3月29日日曜日に開門式が行われました。
連日の冷えのせいで桜の開花には少々早くなってしまいましたが、観光客やこの日を待ち遠しくしていた市民ら大勢の人々に見守られ、華々しい式典となりました。

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式典には市長はじめ市行政や文化庁、そして史跡小田原城調査・整備委員会委員長の小和田哲男静岡大学教授が参列。
同教授による馬出門の役割、また今回の整備により新たに大手ルートが整備された意義などが紹介され、来賓代表によるテープカットがなされました。

その後、手作り甲冑隊のほら貝の音と共に開門。
関係者、一般見学者と続いて、無垢な白漆喰が鮮やかな門を次々に通り抜けました。

馬出門内は枡形(ますがた)と言って、勢溜りと防御を兼ねた四角い密閉空間になっています。
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馬屋曲輪へ入るには、馬出門を入り左に直角に折れ、もう一つの門・内冠木門をくぐらなければ入れません。
江戸時代以降の日本の城で多用された門のスタイルです。
門の形式は、馬出門・内冠木門ともに高麗門(こうらいもん)。控柱にも屋根があるのが特徴です。

小田原城の馬出門は、絵図によれば江戸初期から同地にあったことが分かっています。
現在の姿(今回復元された姿)になったのは寛文12年(1672)に改修された後。この状態で幕末を迎えました。

水堀の向こうには平成9年に復元された銅門(あかがねもん)が見えます。
そして、その背後の小丘の上に本丸の常盤木門(ときわぎもん)と天守閣(ともに復興)の姿が松の木の間からわずかに。
この角度からのアングルは平成17年からの復元工事が始まってから久しく見れなかった事もあり、見学者は門越しに見る銅門や本丸の景色を楽しんでいました。

今年の北條五代祭りは、この門の完成を記念して、〈二の丸広場~銅門~馬屋曲輪~馬出門~お堀端通り〉のルートで武者行列が行われるとの事です。
このコースのパレードは、銅門が復元された平成9年から数年ほど実施されていましたが、ここ最近はまた二の丸広場から学橋(まなびばし)を渡ってお堀端通りへと進むコースで行われていました。


開門式でお会いした人々で、話題は早くも、馬出門や馬屋曲輪から本丸への展望に移りました。
本丸の樹木が育ちすぎて天守閣が見えないのですよね。それを今後、適選伐採していかねばと。

公園が史跡だけでなく、市民や観光客の憩いの場所だという事も分ります。
ですが、植物の根が伸びすぎると石垣への負担になりますし、城遺構の姿を後世に正しく伝えていくのも大切な事です。
今回の馬出門整備にあたっても幾つかの樹木を伐採しなければならず、少なからぬ反対がありました。
本丸周辺でもそういう声が出るとは予想していますが、小田原駅や八幡山から見えても、大手筋にはほとんど遮蔽されている現状はそのままにはできないと思います。
でも一度、水堀の隅櫓や馬出門を手前に、天守閣が背後にそびえる重層的な光景を多くの人が見れば納得してもらえるはず。

さらに先の話になりますが、この景観を国道1号線から見えるような街づくりをしていくのも大切です。
小田原は、城址公園のすぐ近くを国道が走っているにもかかわらず、中小のビルが建って天守閣がほとんど見えません。
箱根駅伝の中継でも、わざわざランナーと城を同一フレームに映すためにヘリを飛ばしています。
おかげで「ういろう」の店舗が城かと間違われると言うジョークもあるくらい。

箱根や湯河原方面に向かう車も、この国道を通ります。
歴史に大して興味がない人でも、車窓から天守の姿が見えれば、ここが城下町だと分ってもらえるでしょうし、ついでに立ち寄る人も増えるかもしれません。

そのようなプロセスを築いてゆく為にも、本丸樹木の間伐は早期実現が望まれます。
先月も間伐は幾らか行われましたので、市のほうでもその点は認識しているものと思われます。

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兼続が祀った曽我兄弟

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写真は箱根神社摂社、曽我神社拝殿内も絵馬ですが、さきほど箱根神社のブログを見てましたら、興味深い話が紹介されていました。

http://hakonejinja.no-blog.jp/syamunissikara/2009/03/post_f2b5.html

小田原攻めの帰路に富士山麓で獲た曽我兄弟像を祀った神社が米沢にあるようですね。
富士山麓ということは、曽我八幡宮のある富士宮か曽我寺のある富士市のあたりでしょうかね。

http://www.naoe-kanetugu.com/trip_yonezawa/kandatumyoujin.html

上杉家や兼続に興味がある人には有名なのかもしれませんが、曽我兄弟の何に感じて木像を持ち帰ったのか気になります。
まあ、武田信玄の生誕伝説でも曽我五郎の生まれ変わりとかいうのがありますし、そのせいか甲府大泉寺の武田信虎の墓の隣には曽我兄弟の供養塔が並んでいます。
また南アルプス市の旧芦安村地区にも曽我十郎の恋人・虎御前の墓というのがあったり。


曽我兄弟を祀る寺社では、仇討本懐を遂げた5月28日に祭礼が行われる事が多いのではないかと思います。
兄弟討ち入りの夜に笠を燃やして松明代わりにしたという話から、兄弟の供養を、傘(笠)焼き=瘡除け、にかけて行われるようになったようですが、小田原市曽我谷津の城前寺では仏式、箱根神社境内の曽我神社では当然神式で催行されます。

遠いところでは鹿児島県加治屋町で行われる「曽我どんの傘焼き」。
これは鹿児島三大行事の一つとされる位で、規模も神奈川県のものより余程大きいようです。まだ実見していないのでよく分かりませんが。
また、どのような経緯で行われるようになったかも興味深いところです。(曽我氏の実家伊東家が後に九州へ移ったのに関係あるのでしょうか)
こちらも以前は旧暦5月28日に行われていたようですが、現在は7月第四日曜になっているようです。
http://www.city.kagoshima.lg.jp/_1010/kanko/7omatsuri/7-9omatsuri/0006115.html

米沢の神達明神の祭礼は7月16日。
もともと樋口家のプライベートな屋敷神のようですが、今は地域の鎮守さまということで、お神輿でも出るのでしょうか。


武士の時代はそれだけ『曽我物語』や芸能の曽我モノなどが親しまれていたのだと思います。物語の内容的にも庶民より武士が好むでしょう。

そのため祭神とした場合の性格は、(長年の苦難を耐え抜いて父の仇討本懐を成し得た)武芸や信念、孝行の精神というところでしょうか。

大石内蔵助が主君仇討の成功を祈って、箱根越えの際に「曽我兄弟の墓」(現在は違う遺跡と分かってますが、当時はそのように信仰されていた)に生えた苔を持ち帰った事は有名ですが、兼続の場合はどうだったのでしょうか。

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宇喜多直家は悪人だったのですか?

本のリサイクル・フェア。

毎年、年度末とかに図書館でやりますね。
先日は地元の図書館で行われてましたのでちょっと寄って来ました。

一部の人が大量に持ち去るのを防ぐために、今回は一人10冊まで。
私は仏教関係をメインに頂きました。

お得に感じたのは、『鎌倉の仏教』(有隣新書)と『妖怪談義』(岩波新書)。
新書って、読まれにくいのか分かりませんが、たぶん未読本。
折り目・手あか汚れ全く無しで、本の角もビシっ。
新書って、図書館じゃ余り借りられないのだろうか。

あと、『歓喜天(聖天)信仰と俗信』(雄山閣)。
これ、以前から軽く一読したいなと思ってたのですが、現在アマゾンじゃ古書で約12000円とエラいぼったくり価格。
これもほぼ未読状態でしたので、ラッキー♪

それと、児童書コーナーで誰にも触られない学習漫画の一群があったのですが、見てみると、『学習漫画「岡山の歴史」』シリーズ(笑)。

なんで小田原市の図書館で岡山の郷土史マンガがあるのか分かりませんが、個人的には(きっと早雲の故郷だからだろう)程度に考えて「戦国時代」編だけ頂いてきました。
帰って見たら、早雲の「そ」の字もありませんでしたけど(苦笑)。
(メインはやはり、三村・後藤・宇喜多)

笑っちゃったのが、巻末の「Q&A」コーナー。
第一門目にいきなり、
「宇喜多直家は悪人だったのですか?」だって。
確かに、郷土の偉人として紹介する場合、子供に聞かれたら困りそうな質問ではある(笑)。

これ分かるなあ。
北条早雲だって、地元じゃ英雄でも、一般的には長らく梟雄扱いされてきましたからね(苦笑)。

で、肝心のアンサーですが、
「…、むしろ見方を変えて、直家のプラスの面を見ましょう」
ということでした。
編者も完全に否定は出来なかったらしい…

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明日は二の午 油揚げ

今日は晴れたけど寒かった…。
先日の暖かさがあったから尚更だったかも。

星友さんは今日史跡と河津桜の散歩を楽しまれていたようですが、実は自分も今日はぶらり。
半分は祖父の月命日の墓参だったのですが。
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残念ながら早咲き桜は見られませんでしたが、祖母ん家で沈丁花の香を楽しみました。
今年の開花はやっぱり早いと思う。

明日は二の午ということで、軽く稲荷さん廻り。
初午に参拝できませんでしたし。

まず、ご先祖さん達が祀っていた、町稲荷。
何の変哲も無い普通のお稲荷さんです。
江戸ほどではありませんがね、やはり城下町なので、旧武家地なんかには、元の屋敷稲荷や町稲荷がちょこちょこあります。

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それから、祖父のお墓から近くの「山上横町」へ。
北条家臣の山上強右衛門屋敷があった事からついた旧町名ですが、ここにも山上氏の屋敷神だった、山上稲荷が江戸時代までありました。
もしかしたら、まだどこかに残ってるかも、と思い、山上氏の旧菩提寺などへ寄ってもみましたが、現存していないようでした。
山上氏は確か河内狭山へ行ってしまったと思いますので、近世以降はここと縁が薄くなってしまったかもしれません。

最後に、古新宿町の北條稲荷。
ここは色々と興味深いので明日また(たぶんw)。

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風間豆富店の油揚げをお供えしました。
ここは、小田原でも人気の豆腐屋の一つ。
「極上絹ごし」や各種具入りのがんもどきが人気です。
お揚げも、おいなりさんに使ってる寿司屋が幾つかあるみたいです。

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特別展『戦国大名北条氏とその文書』展観

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開催前から楽しみにしていた展示のくせに、会期終了間際の展観。
残す所あと2日だった。

午前10時前、みなとみらい線にて県立博物館へ。
入口近くで特別展ポスターを写真に撮っていると、老齢そうな警備員さんが
「もしこの展示を見るなら…」
と、入場券を譲ってくれた。
余分にもらっていたのだろうか。会期も終わりに近いのでくれたのかもしれないが、嬉しかった。


展覧の内容は、表題の通り、戦国大名北条氏ゆかりの文書を博物館蔵品を中心に構成。
副題に「文書が教えてくれるさまざまなこと」とあるように、北条氏文書に用いられた紙・折・封の形式の使い分けなども、実物やレプリカ品を使って分かりやすい説明がなされている。
加えて、文書の時代背景をビジュアル的に紹介するものとして、歴代当主画像やゆかりの工芸品、伝来品、考古遺物などが展示されていた。 

展示構成は以下の通り(図録に拠る)。
Ⅰ、戦国大名北条氏とは
Ⅱ、博物館所蔵の北条氏関係文書
Ⅲ、文書の作成とその作法
Ⅳ、文書からうかがう戦国大名のくらし
Ⅴ、戦国大名北条氏の滅亡とその後


すでに終了した展示なのでいちいち具体的に紹介しないが、内容で興味深かったのはⅢ・Ⅳで、竪紙・折紙・切紙といった異なる形式文書を並列して見れたのは実物ならではの分かりやすさであった。
今後も北条氏に関する展示は文書がメインになるのであろうから、これは大変良い勉強になった。

学芸員・鳥居氏による図録序文には、北条家の公印として最も代表的な、虎の朱印「禄壽應穏」について、次のように書いている。
「虎の朱印は、天正18年(1590)の北条氏の滅亡まで、72年に渡り当主の印として使用された。(中略)この印の使用には早雲(宗瑞)から氏綱への代替わりとの関連が指摘される。つまり、家督の継承を控えた早雲は、それまでの花押を据えた文書を介した当主と家臣の個人的ともいえる繋がりを断ち、印を使用することにより『北条家』と家臣という新しい主従の構造に置き換え、代替わりに伴う混乱を避け家督の移譲を円滑に行えるよう意図したのであろう」


こうした公印は、当主の花押を書く手間を省く意図もあり、伝馬手形に使用された「常調」の馬印や、戦陣からの後退を許可する「通過」印がある。

応仁の乱や今川家の家督争いを見てきた早雲。
初期からの家臣には、早雲と同じく幕府に仕えていた人物もいたようである。
内務に長けた人物もいたに違いない。
依然として当主の私印たる花押が重要視されたとはいえ、戦国大名北条家歴代を通じて同様の公文書発給制度が維持されていたというのは、やはりそれだけ優れたシステムだったのだろう。
こうした「公なる家」を維持する運命共同体意識が、いつからか「国」意識へとなっていったのだろうか。


県立博サイトのデジタルミュージアムのコンテンツ内「後北条氏関係文書」では、館蔵の後北条氏文書や印判、文書の形式などが紹介されている。
今回の展示内容にも重なる箇所が幾つかある。
http://ch.kanagawa-museum.jp/dm/dm_index.html


文書以外で興味深かったものは、次の三点。

宝泉寺から展示された「北条時長像」。
時長は、同寺開基の宝泉寺殿の実名と伝えられ、北条幻庵長子で小机城主だった三郎と同一人物の可能性が高いそうである。
この時長像は、早雲寺の北条氏康画像の影響を受けた画風との事だが、後北条氏の歴代当主以外の画像としてなかなか興味深い。
今まであまり展示される機会はなかったのではないかと思う。
宝泉寺は小田原市内なので何度か訪れた事があるが、時長像は今回初見であった。
非公開のようだが、同寺には幻庵作の庭があるとも聞く。
一度、小規模でも地元で公開の機会があればと思う。

そして、島根県と新潟県で発見(出土?)された経筒。
いわゆる六十六部信仰で、巡礼者に全国六十六ヵ国へ埋納させた写経(法華経一部八巻)筒の一部。
経筒に刻まれた内容から、これらは北条氏綱が大永七年(1527)に没した妻の一周忌供養のため、その翌年に埋納させたものであると分かったものである。
氏綱の誠心や当時の上流武家における信仰のあり方が感じられる展示品であった。

もう一つは、「我等はしりめくり之覚」(桜井武兵衛覚書)。
文書ではあるが、書状ではなく武兵衛自身による自伝的武功書である。
北条氏に仕えた桜井武兵衛は、後に結城秀康・松平忠直に仕えているが、その生涯における武功を書き記している。
武兵衛は、松田(笠原)新六郎が武田氏に寝返った時、沼津の泉頭城々衆だったらしく、その折の槍働きなども記されている。
また、山上郷右衛門や中山勘解由など、北条家では有名な武士の名も見え、後世の軍記物等で記される武者等が当時も高名だったことが察せられて楽しい。


残念だったのは、北条氏繁筆の鷹図が写真展示であったり、江島神社の八臂弁才天坐像がすでに出陳期間を終了して(写真展示であった)お帰りになっていた事だろうか。

それでも、全体としては文書が中心という一見地味な企画を、大変分かりやすく展示解説してくれたのは有難い試みだった。
実物の古文書を見る楽しさとでも言おうか、そんなヒントが満載であったと思う。

帰宅して、本展示の図録を見ていたら、『戦国のコミュニケーション』(山田邦明、吉川弘文館、2002)をもう一度読み返したくなった。


展示室を一巡した後、常設展示を見ていたら、偶然にも桜町中将様にお会いした。
ご子息様とお出でになっていたので、少々お邪魔してしまった形ではあるが、展示を改めて見、歴史談義を交えることができた。
現在、初期作品のリライト中との事。
なかなか大変な作業が察せられる。

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西洋館

部屋は、花御殿ではなく、西洋館。
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明治24年の本館よりは新しいですが、花御殿(昭和11年)よりは古い、明治39年です。
http://www.fujiyahotel.jp/stay/room.html

西洋建築の方はなんていうスタイルか分かりませんが、それに唐破風と花頭窓が付いた折衷デザイン。
白色を基本に、一・二階の瓦を和瓦で統一してるので、それほどオーバーデザインな感じはしませんでした。

部屋は天井高いし、ゆったりしていて、過ごしやすいです。

ただ、古い木造建築&もともと外国人(西洋人)向けホテルということで、多少使いづらいです。
というか、「こんなクラシックホテルで宿泊したい!」という人以外には向いてません。

ほぼオール木造なので、夜中のテレビ音量を気にしたり、全室禁煙(当たり前ですが、文化財保護のためです)だったりしますし、配線工事も余り出来ないらしく、オートロックではありません。
お風呂(温泉)も部屋の西洋式バスが基本です。
大浴場もありますが、別棟。

2008111802_3
あと、エレベーターが無いので祖母には少々不便でした。
一応〈祖父をしのぶ会〉ですが、祖父本人が来ていたら、きっと
「こんな風呂やーなこった!へーってらんねーよ」
と文句タレてたことでしょう(笑)。

もちろん、私は全身で満足。
こんな部屋、滅多に泊まれません(涙)。

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ウン周年。箱根登山鉄道

こちらはもっと長い創業120周年。
http://www.hakone-tozan.co.jp/info/120info-1.html

前身の小田原馬車鉄道と小田原電気鉄道の頃から数えると、今年で120周年らしい。

小田原駅前の箱根登山ビル「ベルジュ」では古写真展が開催され、小田原電気鉄道時代の写真や、創業時のケーブルカーや強羅公園などの様子が展示されていた。
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小規模な展示とはいえ、しっかりスペースを設けてやるあたりはさすが私鉄というか、地元企業というか。

そういえば、10年前やその前の今頃もイベントをやっていた。
その当時は、交流のある企業にいたので色々とグッズをもらった気がするが、その当時の本社は今は無い。
小田原駅の寂しい側(西口)のさらに離れた所に移ってしまった。
登山鉄道も発着が小田原からではなく箱根湯本になってしまって、普段はあのレトロな車体が見れないのが残念である。
(風祭駅も味わいの無い新装にされてしまったし)

この箱根登山鉄道、鉄道ファンにはそこそこ人気あるようで、今回も記念グッズがいくつか出ていた。
私は、古写真展で知ったのだが、馬車鉄道のステンドグラスしおりや馬車鉄道ストラップなど、なかなか購買意欲を湧かせるグッズではある。
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つい、買ってしまった。(本社および湯本駅などで販売)

国府津-小田原が下等で6銭。
小田原-箱根湯本が8銭、とある。
今にしてどれ程の貨幣価値なのか分からないが、庶民的には安くは無かったと思う。
祖父などは、もっと小さな乗合馬車で飯泉観音に出かけたとか言っていた。
それにしても、二等席とかでなく、「下等」というのが率直で分かりやすい。

記念の駅弁も出ている。
小田原駅開業88周年記念のものより、かなり鮮やかな内容だ。
http://odawara-hakone.keizai.biz/headline/photo/59/
値は1000円を超えるが、これなら食べてみたい気がする。
このあたりは、弁当メーカーのスタンスの違いもあるだろうと思う。

小田原の駅弁は老舗の東華軒だが、昔からの名物弁当を提供し続けるのは良いしても、それ以外では余り魅力を感じないのが正直なところだ。
がんばって下され♪

あと、箱根といえば、もう一つの大手が今年130周年…。
ロマンスカーのCMで映っている場所ですが、近々に。

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いろいろとウン周年。小田原駅

今年の小田原箱根地域では、いろいろとウン周年のようである。
そんな一つが、東海道線の小田原駅開業88周年。

イベントなどは先月に終わってしまったが、写真を撮っておいたのでご紹介まで。

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駅前の小便小僧(ニコットちゃんという)は、駅長スタイルに。

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駅構内では、過去の写真を展示していた。
鉄道の事はさっぱりな自分なのだが、この80系というのは見た記憶が無い。
鳥みたいな顔だ。
色はおなじみなのだが。
いつごろまで走っていたものだろうか。

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駅スタンプも国鉄時代のデザインを復刻。
といっても、国鉄時代のスタンプが分からないので、たぶん、JRの表記以外は復刻なのだろう。
まあ、絵柄はJRの今も同じなのだが(外枠が梅でなく円)。
作りたてのスタンプなのでキレイに押せたのが嬉しい。

それから88周年記念として、駅弁も出された。
…が、余り美味しそうに見えないので購入は控えた。

鉄道ファンの方々も、きっと中身より外装紙目的に買われたのだろうと思う(笑)。


それにしても、記念イベントや復刻スタンプの告知など、駅構内に張り出された紙くらいしか見かけなかった。
このやる気の無さというか、醒めたあたりが、最も旧国鉄らしさを感じるのだが(笑)。

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古民家探訪・岩瀬邸

先週末、文化財保護イベントの一つとして、地元でも古建築数件が公開された。
いずれも私有建築で普段は公開されない物件である。

毎年この時期に行われているもので、今回私は特に行く気は無かったのだが、この岩瀬邸は、自宅から最寄り駅へ行く途中にあるお宅だったので、もののついでに寄ってみた。

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岩瀬邸は、坂東三十三観音札所の飯泉観音への道「順礼街道」から少し奥まった地域にある。
このあたりは細い路地に生垣が巡らされた旧農家(現役の方もいる)が立ち並び、鎮守や道祖神、不動堂などが辻などに点在し、昔ながらの光景が良く残されている。
現存する茅葺屋根の古民家は二件。
岩瀬邸はその一つである。

岩瀬家はこの地の豪農の一つで、この家からは戦中から戦後にかけて三越の社長を務めた実業家・岩瀬英一郎氏が出た。
昭和三十八年に亡くなるまで、日経連常任理事および日本百貨店協会会長を務めている。

さて、黒塗りの板塀に沿って歩き表門に至ると、市が設けた説明板がある。
門柱の脇にある銅板製の解説板によれば、安政4~5年に建てられたとのことである。市内の優れた建造物に認定されている。

邸内に入ると、数名ずつの小グループに分かれて説明をして頂いた。
玄関から土間を抜けて裏庭に出る勝手の戸板は、もとの玄関戸だったらしく、通用口を引く向きが逆であった。

裏庭、というか勝手側の敷地には大きなケヤキの木が何本か立っている。門外からも見える大きな木で、この建物と一体の景色を成している。

そのはるか樹上ではオナガがギャーギャー鳴いていた。
営巣しているようだ。
後ほどお話したご主人曰く、
「見かけは良いが、声がひどくてね」

オナガは名前通りに尻尾が長く、羽や尾の一部が青色でなかなか美しい鳥なのである。
だが、声はカラスより酷く、ダミ声ときている。
それでも、近所の並木ではムクドリの大群による糞害が問題になっているから、ここのオナガ達は良い意味で守り鳥ではあろうか。

さて、建物だが。
市の文化財事業ということで、最近になってコンクリート固めの土間をはがしたり、裏の蔵の修復などが為されたようであった。

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とはいっても、今でも岩瀬氏が住んでおられるため、生活に必要な手は入れてある。
例えば、土間とデイ(土間から上がる板の間)の間は、長押の上、梁から棟木までの隙間は、板や土で埋められていた。防寒のためかと思うが、これは何となく英国のハーフティンバースタイルを連想させて美しかった。

間取りは、入口から土間に入って左手にデイ、手前奥に座敷が二間(仏間と書院造りの客間)。裏側奥は元は納戸のはずだが、今は居間に使っているようだった。
相模地域に多い、三間三間取りの農家造りが基本だが、一間分横長に大きい。
木鼻のような装飾もあり、これが安政年間当初のものかどうかは尋ねなかったが、経済力のある農家だったのだろう。

構造など、基本的な部分はオリジナルを残しているようである。
無論、幕末の建物だから長年の間にあちこち手は入れてるのだろうが。

最後の大きな工事は大正時代の震災前だという。
それだけ頑丈であったということか。

ご主人によれば、今後も保存活用していくご意思のようで、茅葺の維持のために囲炉裏を作ろうかなどと考えておられた。

県下でも、保存されている古民家は幾つかあるが、生きている古民家は少ない。
今後も現役を貫いて行って欲しいと思う。

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久々のバトンです

遅くなりましたが、桜風東行さんに頂いたバトン。
頂いたお題は【北条一族】ってことで、やってみたいと思います。
えっと、この場合は戦国時代の後北条もとい小田原北条氏ということで良いのでしょうね??
というか、今考えるとコレ、以前に鬼ヶ島殿から【美少女】バトンで同じのが来たような気もしないでもありません(ま、いっか)。

ルールと各トピックス文は、桜風東行さんのとこからコピペさせて頂きました。m(__)m


【北条一族】バトン
(ルール)
・指定者以外はやらないでください。
・いつか回って来るかバトン
・回してくれた人から貰った【指定】を【 】の中に入れる事。
・指定した人をタイトルにする。


▼最近思う【北条一族】
ここ数年は、小田原北条氏を扱った一般書が連続して出されて嬉しい限りです。
黒田基樹氏の著作が多く、今までの研究が一般向けに改訂編纂されたという所でしょうか。

時代小説作品の発表も複数あります。以前のように大御所作品の改版モノではなく、新人の書き下ろし作品が多いような気がします。
最近は時代小説を読んでないので、比較できませんが、あまり光の当たらなかった関東の戦国時代に光をあててくれるのは喜ばしい事です。


▼こんな【北条一族】は嫌だ
ミラージュ(笑)、というのは冗談で、私個人としては一族の三郎景虎が主人公というのは悪い気はしません。
これをきっかけに小田原観光してくれる人や、北条氏に興味を持ってくれる人が少なからず増えたのでしたら有難い事です。

北条氏は、こんなの嫌だ…という選択幅があるほど、まだメジャーな存在ではないでしょうね(笑)。一族としては。たぶん。

強いて挙げれば、四代・氏政公や五代・氏直公は家を滅ぼした暗愚な当主と云われる事が未だに多い事でしょうか。
他家でもそうでしょうが、やはり死人に口無し的な悔しさは少なからず感じますです。


▼こんな【北条一族】には感動!!
最近の事でいえば、単純ですがズバリ昨年のNHK大河ドラマ『風林火山』!
山中の戦や河越夜戦が映像化され、二代・氏綱公(一番好きな当主です)も登場。
息子・氏康公への五条の置文(遺言)も出してくれたのには、感激の余り震えましたよ(笑)。
いずれも初映像化だったのでは??
それに、小田原城CGも出ましたしね♪


▼この世に【北条一族】が無かったら…
北条時代の小田原がなければ、江戸時代の宿場としてあれだけの規模を持てたか分からないし、今の小田原も無いかもしれません。
それよりも、北条氏の関東領域が無ければ、徳川氏の関東移封もあったか分からない訳で、そうなると江戸に幕府も無かった可能性がありますね…。


▼次に回す人5人【指定】付きで!!
うーん、やってる人はもう回ってそうですし…。
今回は回すの辞めときます~。


時間かかりましたが、考えてるのも楽しいものです。
さて、今度はガンダムのバトンでもやってみましょうかね(苦笑)。

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難攻不落の浜居場城

南足柄市にある浜居場城(はまいばじょう)跡。
とても小さな城跡だが、後北条氏が駿河との国境を守備する足柄城に連携させた支城の一つである。

遺構そのものは地味なのだが、この城の管理に関して北条氏が城番に発した指令書、というか注意事項の「はまいは掟」が、北条氏はもとより戦国時代の山城管理および警備の実態を知る史料の一つとしてよく知られている。


現在では足柄峠から神奈川県の山北町や南足柄市方面へと下るハイキングコースの見所の一つとなっているが、下った箇所からのバスの便が悪いのと、隣りにある矢倉岳へのコースの方が展望に優れているのもあってか、それほど人気がないようである。

まあ、余程好きな人でなければじっくり見られる城跡ではない。

南足柄市も過去に簡単な報告書は出してはいるが、堀跡が枯れ枝などで埋もれつつあるのを見るに、それほど管理に熱心ではないように思われる。

そんな地味な浜居場城だが、昨今別な意味で難攻不落の城であった。

2・3年前だったか、城跡の付近でスズメバチにハイカーが襲われる事件が何度か起こり、ハチの活動が収まる冬近くまでこのコースは回避勧告がなされていた。

その後は特に何事も無いようで、後事の顛末を聞いてはいない。
恐らく巣は除去されたのだろう。


そして今年。
近場ながら、私もここ数年通っていないので今秋あたりに歩こうかと思っていたのだが、一週間ほど前にこんな記事(朝日新聞・地域欄↓)を目にした。
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000000808230002

記事では特に浜居場城跡周辺が挙げられているわけではないが、城跡の麓の集落なので、「暴れサル」の群れの活動範囲に入ると思う。

小田原市でも時期によって住宅地近くまでサルが下りてくることがあるが、結構強気で、子供や身長の低い女性などは追いかけられたりすることがある。
渋谷駅の迷いサルのような可愛らしさは、無い(笑)。
みかん農家ではお婆さんでもエアガンを所持している時があるくらいだ。

以前聞いたところによれば、小田原付近で箱根系サルと伊豆系サルの群の活動域が接するそうである。


まあ、それはいいとして、南足柄市ではサルの被害が農作物だけでなく、噛み付かれる被害が出てしまったのである。
報告を受けて、所轄の松田署も対応した。
http://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/71ps/71mes/71mes350.htm


件の「暴れサル」が指名手配されたかどうかは定かでないが(笑)、この程ようやく検挙されたのである。
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000000808260003


処分されたおサルには気の毒であるが、里の平和は一応取り戻された。
浜居場城跡へもきっと安心して歩けると思うが、サルへの対応は上の松田署サイトの注意事項などを留意されたい。

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北條氏政・氏照墓前祭

暑い日でしたね~。

今日は休みにしてあったのですが、予定が無くなってしまいましたので、お盆前のお手伝いに行って参りました。
(ウチは母方の祖母宅が7月盆)

お盆飾りはすでに伯母が用意してあったので、私は墓地の掃除へ。
調子に乗ってウチのだけでなく一族の他墓も草むしりしてしまったので、汗ダラダラ。
ウチの墓はまめに誰かしらが掃除していますが、後者のお墓は遠方の縁戚なのでやりがいがありました(苦笑)。
雑草ってすぐに伸びてきますねー。

01_3
その後、小田原駅前の北条氏政・氏照両公のお墓へ。
今日は命日(新暦あわせですけどね)ということで、毎年、周りの商店街の方々や遺跡顕彰会の方によって墓前供養祭が行われています。

法要は午後3時半からで、参列者の大半は商店街や常連の年配者の方々でした。
02_2
前は時々、『炎の蜃気楼』ファンの女性参列者もお見かけしましたけどね。今日は居なかったようです。
(私がその作品を知るきっかけとなったのもココでした)

まあ、以前より開始時間が遅くなったし、平日だし、殆ど告知めいたものもしてないから、地元じゃないとなかなか来られんでしょうね。

私も行ける時はなるべく参加するようにしてますが、年によりけり。
晴れてても大風が吹いたり、法要直前までどえらい天気雨が降ったり、変な天気になることがたまにあります。

今年は静かな陽光の下、無事終了しました。

03_2焼香した参列者には全員に「幸せの鈴」。
志納された人にはお返し(お菓子)が手渡されました。

私もささやかながら・・。

お菓子は以前よりグレードアップしてました(笑)。
いや、お返しの中身のことなんて言うべきじゃないけど、肩肘張った法要でもありませんしお許しあれ。

その後、以前駅前にあった書店の社長さんがやられてるギャラリーで少しお話して帰りました。


あ、「幸せの鈴」ですが、これは10年位前からでしょうかね。
ここにお参りに来ると恋が実ったとか、よく分からんのですがいつからかそんな由来を掲げて、自由にお持ち帰りできる鈴が置かれだしたんです。
願いが叶ったら、墓前の柵に返しに来るというのがルールのようです。
結構ぶらさがってますから、律儀にも返しに来る人は少なくない模様。
(今じゃ赤錆びちゃって、少々汚らしくもありますが)

で、無料だったから良かったのか、誰かが口伝したのか、若い女性が寄っていく光景が確かに増えたような気がします。
大方は高校生とか短大生でしょうか。
ついでに、どんな人のお墓かとかも興味持ってもらえれば嬉しい。

以前一度、墓碑に目もくれず鈴だけ持って帰ろうとした女子高生三人組を目にしてしまいましたが、さすがにそれはイカンだろうと。
なるべく穏やかに(笑)、「せっかく来たんだから手を合わせて行きなさいな。その方がご利益あるんじゃないの」と。
オジサンぽいかなーと一瞬迷ったんですけど(笑)。
そしたら、素直に合掌一礼なされて行きましたので、良かった。
その後、史跡オヤジの本分出して、少しだけ(たぶん)氏政・氏照のお話なんかしてしまいましたが・・・(汗)。

もう何年も前の事ですけどねー。
彼女たちの鈴が返されてるといいな。

この墓前祭が終わると、「小田原もお盆だな」という気がします。

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奈良時代の住居

だそうです。
この時代の再現住居は初めて見たかも。
01_3
ぱっと見、木から下ろされた鬼太郎ハウスみたいです。

02_3掘立て柱で基本的な構造はあまり弥生時代と変わらないように見えます。
違いは竪穴から、草を編んで巡らせた壁に代わった辺りでしょうか。

03_2でも快適なのかなあ?
こっちの方がすきま風多そうな気が・・。

かまどまでは再現されてませんでした。

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川中島合戦戦国絵巻への道(平成20年度)~⑧石和の歴史散歩~

で、5時に起床。
余り寝てませんが、朝風呂と石和の史跡めぐりをしたかったので。
まだ足元が軽くフラついてましたが。

熱い湯を頭からかぶり、露天風呂で足湯しながらラジオ体操したら、かなりシャッキリしました。

6時少し前に史跡めぐりに出発。
道の途中で石野真琴さんに出会う。
さすが、お早いです(笑)。

2041213_1401
最初に見たのは、県史跡の八田家御朱印屋敷。
(詳細は面倒なのでこちらをご覧あれ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B0%E5%AE%B6%E6%9B%B8%E9%99%A2)

初めて石和のお祭りに参加した時も行きましたが、改めてじっくりみたかったのです。
もちろん中の書院はまだ開いてませんでしたので、これはまた次回。


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周囲には屋敷の土塁と堀が部分的に残っています。
伊豆韮山の江川邸もそうですが、屋敷地と建物がセットで保存されているのはやはり見応えがあると思います。


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ちなみに表門は、石和陣屋から移築されたものだそう。
しっかりセコムシールが付いておりました。

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北條五代祭り(6)

行列が過ぎると、沿道からはサーッと人が去っていきます。
この辺の見物客は地元率高めですからね。
「はい、行っちゃったよ~」って感じ(笑)。

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私以外のお二人は、再びア号燃料を補給。
ぶらっと歩いて、小田原文学館の庭でしばし休憩。
藤が綺麗でした。

その後、小田原城址公園へ。
さすがに観光地(というか、今日はここの祭りだし)、まだ賑わっていました。

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復元中の馬出門は、門や塀の骨組み(というか建物の木の部分)が完成しつつあるような様子。
来年度には完成を見ることができるでしょうかね。

銅門広場では、「小田原かまぼこドック」なるご当地グルメ(ジャンク?)を食べてみました。
以前、NHKだったかの番組で初めて知ったのですが、食べていたタレントも微妙な表情でした。

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で、私の感想はというと・・。
やはり、余り大きな感動は・・・無いかな・・・。うう~ん。
煮込んださつま揚げのサンドイッチ、そのまんまというか・・。
野菜が挟んでないから、そう感じるのかな??
ねり物はさすがに美味しいのですが。
ご当地グルメとして応援したくもありますが・・・、ちょい弱いかな~。
前の「かまぼこパスタ」とかの方が驚きはありましたね。

買い食いできるカマボコ類をするなら、江之浦にある「ドライブインみのや新島」で売ってる“さがみ揚げ”みたいな方が受けそうな気がしないでもない・・。
目の前でしょう油付けて焼いてると美味しそうだし。


夕食は拙宅までお越し頂き、お粗末ながら自己流バターチキンを食べて頂きました。
タマネギとナッツのペーストがやや少なかったかもしれませんが、お二人とも一応楽しんでいただけたようで良かったであります。

猛馬飼育係さん、結局この日はどれだけのアルコールを摂取なされたのでしょうか(笑)?
また是非ゆっくりと飲みたいものです。
(と言っても、ココ見てないと思うけど)

さおりんさん、また歩きにお付き合いくださいませ(笑)。
中華も楽しみにしております♪

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北條五代祭り(5)

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武者行列の次はこちら、町衆隊。

見どころはもちろん、神社神輿。

小田原初めて来られるお客さんには、武者行列だけでなく、突っ込み(飛び)で有名な小田原流のお神輿もぜひ見て行って欲しいものです。

居神神社さんの暴れ神輿も独特ですよ。

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北條五代祭り(4)

もう一つのマイヒットがこれ。
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小田原市章付きの陣羽織。

しかし控えめな大きさだな~(笑)。

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北條五代祭り(3)

今年の姫様役の方々はお美しい方々でしたが、個人的に惹かれたのはこの方です。

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す、素晴らしい・・。

写真では見えませんが、しっかり背中には刀を背負っています。

後ろの方のお犬サマも羨ましそう(笑)。

お、ア○中組も発見!

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北條五代祭り(2)

浜からセカセカと小走りしてパレードコースに行けば、もう見物客が。

良かった、ちょうど先頭が来るところでした♪
お墓参りと神社参拝した甲斐ありました(笑)。

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パレードの内容はほぼ毎年同じ。
手作り甲冑隊ほかの先陣から始まり、初代・北條早雲(伊勢盛時)公・二代氏綱公・三代氏康公・四代氏政公・五代氏直公の武者隊が城下を行進していきます。

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あと各部隊のなかに、歴代御台所様や北條一族の武将ほかが。
北條氏の主な城があった八王子や埼玉県寄居町、静岡県伊豆の国市(旧韮山町ほかの合併)からも毎年出陣されます。
手作り甲冑隊も、毎年新作の発表みたいな感もありますので、力作なんかが見れるのは楽しみです。
最近はホントにバラエティー豊かです。


色々あって(苦笑)、城下町大使として毎年楽しませてくれた阿藤快さんとかの姿は無し。
(城下町大使は昨年度を最後に廃止となりましたそうで)
そういや小沢小田原市長も今回で最後の早雲役です。
(5月18日が市長選なのです)
4選してるだけあって、一番見慣れた早雲役ですが、来年はどうなるのでしょう。
ちなみに小沢市長の前の方の時は、武将役やらずに、ミス小田原とオープンカーで登場してたような気がします。
(これもどうかと思うけど・・笑)
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松原神社のあたりで見ていてイイのは、まだパレードが始まったばかりなので武者がダレてない事でしょうか(笑)。
あと、お神輿が門前で木遣や突っ込みを見せてくれること。


出場者の中には今年は特に知人は無し、と思ったら一人居た(笑)。

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北條五代祭り(1)

昨日3日は毎年恒例の「北條五代祭り」。
わが町、小田原市で行われる一番大きな観光イベントです。

今朝の新聞で見ましたら、今年の来客は17万人ほど。
最近は来客数が増えているようで。
やはり不景気とガソリン価高騰の影響でしょうかね~。

今年は猛馬飼育係さんと、さおりんさんがお出でになるということでしたので、不肖私が案内させて頂きました。

小田原駅で待ち合わせし、まずは近くにの「北条氏政・氏照の墓」へ墓参。
せっかくですのでお線香をあげ、しっかり手を合わせてきました。

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(昨日2日は、箱根湯本にある北條家菩提寺、早雲寺でも北条五代歴代の供養祭が行われました。
あいにくの雨で北条五代墓所での法要は中止され、本堂のみとなったそうです)

その後、ちょっと寄り道をしながら浜辺の方へ。

武者行列コース近くである松原神社門前の屋台で、今日最初のビール♪
猛馬飼育係さんは、すでに待ち合わせの前に一杯やっていたようですが(笑)。

松原神社は小田原城下町の総鎮守。
戦国時代、ここの別当・玉龍坊は本山派修験の大先達として、北条氏領国内で大きな勢力を持っていたといいます。

五代祭りでは、武者行列などのほか、松原神社ほか五基の神社神輿もパレードに参加しています。
私達が行ったときは、ちょうどここのお神輿が出立するところでした。

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それをお見送りして、我々も神社に参拝。

神前でけじめをつけましたら、屋台で広島焼き・たこ焼き・じゃがバターを買って浜へ。
もちろん、ここで再びアルコール補給(笑)。
ああ、今日はどうなることやら。
参加者があのお二人と分かった段階で、こんな状況は予想していましたが(爆)。

海は満ち潮時。
不安定な天候で、風も少々、ちょいとベタつく空気。
それに決して美しい浜ではないけど、大きな海を前にお酒や食べ物を楽しめるのは開放的。
次のお客を気にしながらランチするよりも、よっぽどよし!
特に、飲む人・しゃべる人(爆)。

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そんなこんなで、飲んで波見てボケー・・・と。
そろそろ行列が来る頃かな、と思い時間を確かめたら・・・・・
1時50分。
あれー、出陣して20分も経ってるじゃんか!

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深夜一人の史跡めぐり

今日は、というか昨日29日は歴史散歩&ほうとう鍋のオフ会でした。

30分ほど前に帰宅。

実は川崎からの東海道線で寝過ごしちゃいました(苦笑)。

起きたら早川駅(ホーム真っ暗)。

ここで30分待って乗った最終の上り電車は、あいにく小田原が終点。

結局、そっから小一時間歩いて帰りました。
(タクシーは勿体無いのだ!)

おかげで酔いがさめまして、なんだか不思議と元気になってきたので、ちょっと寄り道。

酒匂川にほど近い場所にある、徳川家康陣場跡を見てきました。

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豊臣秀吉の小田原攻めの時に家康が陣場を置いたとされる場所で、江戸時代に創建された小さな東照宮があります。

民家の敷地内にも土塁がホンの少し残っております。
こちらはもちろん見てません。

かなーり久しぶりに来たのですが、特に変わりはなく。

でもなんか写真見ると、心霊スポットみたい・・・(笑)。

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御鎮座記念祭

征夷大将軍太郎さんと久しぶりに鎌倉へ。

写真はウェブアルバムに。
http://album.nikon-image.com/nk/NK_AlbumPage.asp?key=1158290&un=12027&m=2&s=0

正確には、午前中は隣の逗子市にある神武寺におったのですが。

ここは、今でも山寺の面影濃い雰囲気の良い天台の古刹です。
ここは戦国期に小田原北条氏の庇護を受けた寺院でもあり、そのおかげで豊臣秀吉の兵火に罹ってしまったりもしていたり。
山内各地には中世の「やぐら(横穴廟)」や塔頭跡、防戦を意識した道や尾根切などが草薮の中に隠れています。
征夷大将軍太郎さんとは以前、県立博物館で開催された「神武寺展」を見に行ったこともあり、一度現地にお連れしたいと思っていたのでした。

昼食は、誤って久里浜行きに乗ってしまったので、横須賀で海軍カレーでも食べようかと思いもしましたが、やはり鎌倉に戻ってきました。
またしてもミルクホールでカレー(笑)。
実は昨晩も我が家はカレー、この日の朝もカレーパンだったり。
ここで次回の幾つかのイベント企画について談合。
ホントはこれが目的だったのですけどね。その割りに午前と午後に山んなか歩き回ってましたが・・。

その後、特に行きたいところも思い浮かばなかったのだけど、とりあえず志一稲荷神社に行ってみました。
ここは以前の日記でも触れましたけど、ダキニ天系のお稲荷さんではなかろうかと思っています。

で、ここまで来ると八幡さんはもう目の前。
じゃあ、ということで境内に入ってみれば何やら準備中。
舞殿背後の階段下両脇には床几が並べられ、ロープが張ってあります。
あれ、もしかしたら今日は・・。
と思ったらやはり御鎮座記念祭でありました。
そうでした、毎年師走の16日だったはず・・・。
すっかり忘れていました。
以前も神武寺に行った帰りにたまたま寄ったら、この日。
年末の御礼参りにしては、何とも有難き御神縁であります。

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(左は以前見たときの写真。八幡宮舞殿後にて)
御鎮座記念祭とは何ぞや、というのは鶴岡八幡宮のHPを見ていただければ分かります。
簡単に言えば、先祖が建てた材木座の元八幡を源頼朝が若宮八幡として今の地に遷座したのだけど火災に遭ってしまって焼亡。それを再建したのと、頼朝自らが新たに石清水八幡から勧請(今の上宮)したのを記念してのお祭りということでいいでしょうか。

当時から連綿と続く厳粛な神事ということであります。

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(こちらは神事終了後に社務所に引き上げるところ)
神事では階段下の参道で神楽や舞が奉ぜられるわけですが、照明は篝火のみ。撮影もフラッシュは厳禁(やっちゃう人いるけど)。
なかなか幽玄です。

ですが、今日はそこまで見ずに鎌倉を後にしました。

その後、「極楽寺坂切り通し」周辺で逢魔時を満喫。
暗くなるまで墓や古戦場をブラブラ。

さおりんさんに合流いただき、久々の江ノ電で藤沢へ。
お好み焼き食べて帰ってみたら、トヨタカップも大河ドラマも全て終っていました。

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のろしリレー

今月23日に滋賀県の小谷城ほか幾つかの山城跡で、のろし駅伝が行なわれるようですね。
今年は小谷から越前一乗谷まで60以上の山城をのろしリレーするそうです。
http://www.biwa.ne.jp/~kohoku-s/akikikou/akikikou.html
まあなんと壮大な企画。
主催者は全体の防火管理とか指導とか大変そうだけど、こういう歴史体験イベントってとても興味深いですね。

山梨県でも若神子城とかでやってたと思いましたけど、北条領でも見てみたいものです。
鉢形城くらいから八王子とか経由して小田原までどのくらいかかるものだろうか?
煙のほかに龍勢花火とか使って伝達するのも面白いかも。
下田城から小田原までの到達時間も気になるけど、海岸沿いの城砦だと狼煙も相当濃いめに出したのか、それとものろし台の間隔を短くして設けたのか、調べてみたくもなるな・・。

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さーたーあんだぎー

・・ってのをようやく食べましたよ。
地元デパートの食品売り場で沖縄フェアやってましたので。
以前、桜風さんのミク日記で何気なく知って以来、少々気になっていたのでした。
自分、琉球食品は全くの初めてだったと思います。

確かにまん丸な揚げドーナツのような。
豆腐ドーナツよりは油こかったかな。
美味しかったです。が、翌日は結構硬くなってしまった・・。
焼きたてを美味しく食べるのがベストなんでしょうね。
プレーン・黒砂糖・ごま・シークァーサー香味の四種あってそれぞれ100円でした。


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さて、全然関係ありませんが・・・。
以前、金沢文庫の展示でもらってきた、ダキニ天の式盤を作ってみました。
無料配布されていたチラシの裏にプリントされていた(学芸員さんのお手製?)ペーパークラフトです。
手作り感のある製図でしたので、まじめに作っても多少いびつな形になってしまいましたが、もともと洒落グッズ。立体再現して改めて見るだけでも楽しめました。
私はどういうモノかさっぱり分からんのですが、展示での解説に依れば、陰陽師が占術に使う「式盤」に密教のダキニ天を取り入れたもの。
称名寺に伝わる資料の一つ「頓成悉地法(とんじょうしっぢほう)」というのがあって、その中にダキニ天を祭る次第などでこの式盤についても記されていたらしい。
(もう、展示内容の記憶も確かでないのですが)
この式盤は上中下三段のパーツで成ってまして、最上の円錐が天盤、中の筒が人盤、下の立方が地盤。
立体曼荼羅とか天球儀みたいなもんなんですかね。
まあ、使い方とかさっぱり分からんです。
いわゆる「お狐さん」ですから、余計なことしたくないですけど(笑)、オカルトグッズというのは、こういう怪しい存在感があるから好奇心そそられます。
もちろん、それぞれの意味を理解すれば、怪しさよりも教義の解釈法や合理性を見出すことができるのでしょうけど。

ただ、処分に困るのですよねえ・・・。

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おまけ

五代祭り(3日)のオマケ的景色。


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「小田原駅の小便小僧(これは旧駅時代から愛されている像でニコットちゃんという愛称があります)の陣羽織&鉢巻着用」

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「何か背負っている足軽氏(スピーカー?それとも後方への送風機?それとも家電ドロ?=当世風乱取)」

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「行列最後尾の郷土キャラ。たぶん小田原競輪のマスコット氏。(というか、前回まで登場していた小田原提灯キャラは捨てられてしまったの??

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神輿渡御

北条五代祭りの武者行列の後に続くのが、地元の神社神輿の「まち衆隊」。この頃は、こちらを見るほうが正直、楽しみだったりします。
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もともと異なる例祭日の神社同士ですが、やはり昭和の50年台位だったんですかね、連休のイベント(武者行列)に合わせて神輿渡御も行なうようになったようです。
本来は地域の宗教行事でありますから、やはり例祭は決められた日に行なうべきだと思いますが、でも、次に来るかどうか分からない観光客の方々に「小田原流(これでググってもらうと色々分かっていただけるかと)」の担ぎを見てもらいたいという気持ちも分かるような気がします。

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松原社・山王社・大稲荷社の走る神輿に、荒ぶる居神社の神輿。でも、居神さんのお神輿は北条氏を称えるこのお祭りに出るの、どう思っているのか少々気になります。何せここの祭神は、北条早雲に亡ぼされた三浦義意の息子・荒次郎さん(&ホノカグツチノカミ)ですからね・・(まあ、厳密に言えば元は井水の神だったようですが)。
でも、ここのお神輿は美しいですね。

ともあれ、地方の祭礼文化などが廃絶しがちな今日、しっかり受け継がれて愛されているのは素朴に嬉しいです。
その後、夕闇迫る頃に地区の子供神輿が来ますが、この頃から5日まではあちこちで囃子の音や神輿の掛け声が聞こえてまして、なんだか理由無くワクワクするものです。

明日(4日。もう今日か)はお浜降り、で、明後日が宮入り。
この宮入りが最高に盛り上がる訳ですが、この後の静けさの寂しさといったら。
興奮冷めやらぬオジサンとかが、酔って「おいーさー!」と声出すと、どこか別方向から誰かが「(こ)おりゃーさー!」と返事する声が聞こえてくるというのも、何度か見かけた覚えがあります(笑)。(これが小田原流の神輿担ぐときの声。元々漁師のお祭りという色が濃いですから、そうした生業に発するリズムなのでしょう)
それがまた何となく哀愁感じるのであります。

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北条五代祭り

何だかこの五六年ほど毎年見に行っているような(笑)。
いや、公私混ぜたらもっと前から毎年行ってるかな・・。
ともあれ、今年も見に行ってきました。
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さすがに城址公園まで見に行くのはめんどいので、祖母宅から一番近い大工町の通りに。
馴染みの古書店で店番のおばさんと話し、「もうすぐ来るよ」というので、通りに出て見学。
毎年、友人知人を案内するときは松原神社の辺りで座って見てましたが、この辺りも悪くないです。

ただ、今年はちょいと地味だったかも。
現在、旧警察署前の馬出門土橋(めがね橋)あたりが復原整備中なので、銅門から出てくる演出は無し。
城址公園で見る武者行列は、城内小跡地の二の丸広場から水堀を渡る箇所のみだった模様。
あと馬上の武者も少なくなったような気がします。
やはり予算の関係でしょうか・・・。年々見応えが(汗)。
ただ、この頃は結構遠方からも一般参加してくれる人があるようで、そういう意味ではこのまま先細りになっていくのは勿体無いですね。
いきなり20年程前の豪華さ(重臣クラスもメイクして馬に乗ってたり、登場人物も多かった。ただ、市長がオープンカーに乗って登場はいただけなかった。笑)に戻れはしないでしょうが、せめて本丸の天守下を通る旧コースにした方が客も喜ぶのではないでしょうかね。一応、絵にもなるし(参加者は歩く距離が長くなってしまいますが)。

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それでも、今年は行列の武者が元気ある人多くてよかった。
特に(北条二代)氏綱隊の人たち。
お互い既知の間柄というのと、若い(ほぼ皆十代)人達なので、勝鬨が気持ちよかったですね。氏綱役の方が抜刀して鼓舞してましたが、やはり馬上の士が気合入ってると下々の者にも伝わるのが良く分かりました。
馬上の武者は、祭事の関係者が勤める事が多い本イベントですが、やはり元気でその気になれる方を一般公募した方が絶対良い!と思います。

そういえば、先月の石和で会った武田方の足軽さんで「今度、小田原の五代祭りに出ます」と言ってた人がいましたが、どこかですれちがったのかな。

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