以下は、思い出しながら携帯で書いたので、まとまりの無い文章で申し訳ありません。
私が脳内補完している部分も幾つかあると思います。
ただ、「こんな内容でした」という点がお伝えできればと思います。

先日24日の夜、小田原箱根商工会議所の青年部オープン例会で富野由悠季監督が講演し、私も地元の友人と連立って聴いてきました。
http://www.odawara-yeg.com/
富野氏は『機動戦士ガンダム』シリーズ他の監督としてよく知られており、小田原市のご出身(多古だそうです)。
しかしそんな事を知ったのは、私の場合、ネットで色々な情報を見れるようになってからで、具体的な内容を目にしたのは小田原市広報誌2001年4月1日号によるインタビュー記事でした。
それ以前も、レコードの類に付いてるミニコメントなどで目にもしていましたが、なんとなくネガティブ思考な人というイメージがあるくらいだったでしょうか。
今ネットで氏を検索してみますと、やはりなかなかの個性的人物のようです。
氏ご本人を「御大」と呼ぶファンも多く、その語録もはや伝説化している感すら見受けられます。
今回わざわざ出向いて講演してくれる(しかも無料)ということで、地元ミニコミ誌で告知を見た私はすぐ予約をしました。
その時、注意されたのが「撮影や録音の禁止」「サインや質問の不可」「コスプレ禁止」という点。
今回は商業イベントではないし、特にアニメファンが対象というのでもない。また、肖像権がある方だというのも分かります。が、コスプレというのは・・・。ココは小田原ですよ(笑)。
友人曰く「見たことある」とのことですが、ほんとかな。甲冑武者じゃないのか。

まあ、監督サイドからの毎度基本的なお約束事項なのでしょう。
当日の注意書きにも「コスプレをみたら監督はお帰りになるかもしれません」とありましたが(笑)、あいにくそういう方はおられませんでした。
見たことない私は内心期待していたのですが(笑)。
講演会は「市外からも申込可」との事でしたので、私達は早めに商工会議所へ。
それでも、すでに入場待ちをしている人がいました!
名前と入場券を引き換える時に名簿が何枚か見えましたが、実際に市外から来ている人も少なくない模様。
地元でもミニコミ一紙に小さく広告が出ただけなのに、よく情報を得たものです。
まあ、それだけに参加者全体としては少ない方だったのかもしれませんが。
来場者は私達のような30代~40代男性が多いかと思いきや、女性も結構多く、3割以上はいたのではないでしょうか。このあたりも幅広い人気振りがうかがえました。
19時。
拍手と共に御大が入場。
やや暗いウグイス色のソフトスーツに黒いキャップ姿でご降臨。
地味な姿だが、実はよく見るとスーツ裏地の一部がどピンク(笑)。
私にとっては初めて見る御大である。
見た目は静かな小柄なオジサンという感じ。
挨拶もそこそこに背後に掲げられていた《世界的アニメーターに学ぶものづくりの秘法》という演題を指し
「まず訂正させてもらいますと・・」
現在、大学ばかりか国費で海外まで講演に行かせてもらっているが、これも数年前から日本のアニメというものが売れる、つまり金になるからということでこういう動きになっている、ちょっと考えられなかった事です(ちょっと困惑してる感じ)。と、やんわり知名度におっかぶさって町興しに期待する視線に釘を刺した(ように見受けられた)。
さらに、「私はアニメというのはかなり嫌いです」と(笑)。
初富野な私にはもうどうなることやら、ドキドキワクワク。
御大自身の簡単な歩みとして、ご両親が東京から小田原へ越し、市内多古で育った事。
S高校を出て日大芸術学部で学び、映画制作を志したが入社が果たせず、絵を多少描けたこともあってアニメ会社(虫プロ)へ入社したが、本意ではなかったこと。
当時アニメーションという呼び方は一般的でなく、「テレビ漫画」「漫画映画」と呼ばれ、専ら子供対象の低俗なものだったこと。職業としてもまともなものと思われず、家族にも不安がられたこと。などなど。
当時のアニメ映画といえばディズニーが一般的で、自身も子供の頃の映画教室で『バンビ』を観たのを覚えているが、動きが攻撃的に見え好きになれなかった。そうです。
そんな作例を目にして、「子供相手だからと馬鹿にしたような作品からは良い物は生まれない」という思いに至ったという。
やがて虫プロ出身者らで立ち上げられた「サンライズ」という制作会社でアニメ監督を務める事となり、ロボットアニメを色々手がけることに。
だが、当時のロボットアニメは「悪い宇宙人がいて、どこかの天才博士が島に基地を作って、正義の熱血少年が巨大ロボで戦う」ような勧善懲悪もの。
ただ、スポンサー企業の玩具を売るのが目的の低俗なものだった、という。
そんななかでも、敵のロボにも人間が乗っている事を描いたりなどして、単純でない作品を試行錯誤してきた。
そして、毎回、スポンサーの望むようなロボットの戦闘が行われるような世界をリアルに構築するには、宇宙人とかではなく異なる主義同士の戦争というものが相応しいと思い至った、のだそうです。
戦争となると御大のイメージするのはやはり太平洋戦争で、15歳の少年がパイロットになるという異常な状況には特攻隊の若者のイメージが投影されているとか。
つまり、扱い方もろくに知らずに戦場に送り込まれていく若者の姿。
当初の設定とは別に、主人公のアムロは実際には17歳と考えて描いていたそうです。
(ということは、シャアは20代?)
ロボットもそれまでのような巨大なものではなく、兵器らしい大きさに設定。
だが、それでも地上で戦うというのは無理があるということで、 宇宙。
これはまた手抜き方の一つでもあったそうです。
宇宙だと背景が簡単だから(笑)。
ただ、スポンサーとしては比較物が無いとロボットの巨大さ(つまり玩具購入に結びつくような、強さのイメージ)が分からないとして、クレームがついたという。
ならばと、今度はスペースコロニーという宇宙空間に浮かぶ人工大地を設定したのだとか。
「だから、第一話『ガンダム大地に立つ!』というのはウソなんです(笑)」と仰っていました。
結局、最初のガンダム本放送視聴率は、思うに上がらず打ち切りに。
それが、再評価に結びついたのは実は女子中高生、女性のファンの声によるものが大きいのだそうです。
以後、作品作りには女性に受けるものも、という考えがあると。
ちなみに、小説版『ガンダム』に関しては印税による小遣い稼ぎのつもりだったということです。
それにも、制作会社から「ノベライズするならシナリオライターも併記しろ」と注文が付いたそうです。
実際、朝日ソノラマ版の最終ページにはTV版ガンダムの各ライターが載せられているが、誰も実際には小説版には参加していないそうです。
以後も、ノベライズだけでなく小説作品を書いてきましたが、10年ほど前に自分が書いているものはいわゆる文芸ではない、つまり自身は作家ではないと自覚。
それはとても辛い事だったそうです。(Wikiなどで述べられている欝の時期でしょうか)
そして、冗談ではなく、超えたいのは宮崎駿ではなく、スピルバーグとルーカスなのだそうです。
よくジブリの宮崎監督に対抗心を持っているとか言われるが、それは彼が学習院卒という点だとか。
宮崎氏や高畑氏はすごい、と仰っていました。
「でも、ジブリが成功しているのは鈴木氏という名プロデューサーがいるのが大きいのです」 とも。
「ガンダムだって同じ。自身は文字通り作品の「方向付け」をするディレクターであり、これに、当時は最高のアニメーターだと思った安彦良和や大河原邦男といった才能、スタッフ、それに俳優達がいて、あれだけの評価になった。ガンダムの産みの親とよく言われるが個人ではないのです」
「そういう点で、さきほど「アニメは嫌い」と言ったが、映像表現の一つとして大切にしたいと思っている」
「アニメを目指す人に言いたいのは、メカデザインや動く画の良し悪しではなく、演出論や独創性ということ。そうでないと、どんなにCGが綺麗でも何かの真似になってしまう。常識にとらわれず、自身の審美に照らしていくのが大事なのです」
と、だんだん話は熱を帯び、帽子をとって、会場内を歩きながら語られました。
後半では、郷土小田原への言葉として、
「小田原もまさにそうで、私は離れてしまった人間だし、アニメ監督の仕事しかできないから何も手助けできないが、現在や目先の価値観ではなく、その土地が本来持つ条件を見直すべきではないか」
「小田原というのは周囲を山に囲まれているとはいえ、とくに閉じられた場所ではない。それなのに、環境が良すぎるせいか、なかなか足柄平野の外に関わっていかない気質がある」
「私自身が住んでいたから分かるが、小田原と東京の距離は絶妙なところがあって、それが良くも悪くもある。
常識というのは変わっていくもので、例えば今後30年後には車社会がどうなっているか。今こそ昔の小田原が持っていた箱根の麓で江戸の喉元という地勢を見直すべきではないか。」
そして、
「講演に先立ち小田原の歴史、特に北条早雲と二宮金次郎を勉強してみました」
すごい.
アニメ以外も語る気まんまんだったようです。
「北条早雲という人物、私達が小田原にいた当時は学校でも授業で教えてくれませんでしたが、素浪人あがりというのが一般的でした。 それが、実は足利幕府に務めていた人で、旧来を否定した素浪人どころか、むしろ伝統的なものに深く関わっている人物だったわけです。そして、頭角を出したのは「吉良の次は」と云われた足利一門の今川家という保守的なところ。 そういう人が戦国時代のさきがけになっているというのが興味深いところです。」
「つまり、変革というのは伝統(旧来)の延長線上にあった」
「演出的には戦や忍者という方に偏ってしまうが、この人は戦だけでなく領内で検地を進めて国づくりを進められる人だったということです。もとは伊勢氏なのに北条を称していくところも凄いところだと思います」
「二宮尊徳(金治郎)もまた異能な人で、時間が無いので詳しくは語れませんが、道徳だとか宗教だとかみたいな押し付けがましいものでなく、実に簡便に道理を説いています。 ちょっとこの人についてはもっと認知されても良いのではないかと思いました」
「それなのに小田原では受け入れられなかったのは何故でしょうか。尊徳の教えを伝える団体の本部(報徳社)があるのは何故か知ってますか?静岡県ですよ。 どうして小田原でなかったのか?・・・今の小田原にもそういうところがあるのではないでしょうか」
「私が育ったのは小田原氏扇町、全国どこにでもあるようなツマラナイ名前です、昔は多古といった所です。残念ながら海の方の方とは縁が無くて、泳ぎは酒匂川で覚えました。」
「以前、『ガンダムA』という変な雑誌での対談で聞いたのは、日本海溝の底を上げているのは大量の砂利なのだそうです。そして、その砂利の産地に小田原の酒匂川のものが多くあるのだそうです」
「でも今の酒匂川にはダム(飯泉取水堰)があって、砂利がせき止められてしまっている。結果的に御幸ヶ浜の砂も減ってしまったり」
「あのダムは本来県民のためのものではないんです(と利権を匂わす)」
「私がいた頃はなかったものですが、あれが本当に必要なものなのか考えたことはありますか。常識を疑うというのはそういう事なんです。」
「今、エコというのが世の中のキーワードになっています。ですが、これもかなり危ない。皆が正しいと言っているところに怪しいところがある。」
このあたりから段々と未来論へ。
「でも、これからは本当に大変な世の中になります。 100年後にはもしかしたら日本は無いんじゃないかと本気で思っている。そういう意味で大変です。皆さんは。私はそれまで生きていませんから(笑)」
と、このような内容だったでしょうか。
今になって幾つかの富野本などを見てみますと、以前語った内容を仰っていた部分と、そうでない部分があったように感じました。
私にとっては初富野体験でしたが、はっきり言ってファンになりました(笑)。
確かにネタにされやすいほどの話の飛躍ぶりではあります。
でも、常識をつねに疑いつつ己の審美眼を信じて制作にとりくむ姿勢に感銘を受けました。
脳が常に活発に動いてる人なんじゃないでしょうか。
故郷とはいえ、地方の小さな講演会に合わせて本当に色々な本などを読んできてくれたようで嬉しかったです。個人的には、北条氏や二宮尊徳翁に関しての感想などをもっと聞いてみたかった。
当初、質問はご法度だったのですが、途中、ちょっと話の間が空いてしまって、「ずるい手」と称しつつ、監督の方から質疑応答を投げかけてくれました。
が、上のようなルールでしたので、突然言われて誰も挙手せず・・・。
もったいなかったかな。
もしかして、今回は初めての小田原での講演だったのではないでしょうか。
今までは映画祭でのプロフィール紹介くらいでしか触れられませんでしたが、今回ついにご本人が姿を現してくれたわけで、感動でした。
また、出身高校が同じだったという点も初めて知ることができ、小さな希望が持てました。いろんな意味で(笑)。
主催の商工会議所青年部にも、今回の企画をとてもありがたく感じています。
凱旋地として今の小田原はあまりにも小さなステージですが、次回はもっと開かれたイベントでお越しになってくれたらと、再訪を強く願っております。
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