カテゴリー「仏像・神像」の3件の記事

国宝 大神社展 展観

昨日、都合が取れたので、ゴールデンウィーク開始前に行ってきた。
東博の特別展にしてはかなり空いていたと思う。
やはり、仏像や絵画に比べると、神宝や神像の類はまだマイナーな好みなのかもしれない。
その分、一つ一つをじっくり観れたのは幸いだった。

展覧会チラシを見ると、“初公開”マークが幾つもある。
実際、普段公開が滅多にされない品(ご神宝類)が多いようだ。
伊勢や出雲の遷宮を控えた今年、これも神社界による一種の勧進出開帳なのかとも思えなくはないが。
ともあれ、日本全国の各神社社宝を一堂に、まさに浴びるように拝観できるというのは稀有な催しに違いない。

拝観前に、上野公園内にある花園稲荷に参詣。
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一応ご神宝類の拝観であるので、簡略ながらの清祓いとして。


平成館で展観するのは、『ボストン美術館・日本美術の至宝』展以来だろうか。
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展示内容は、6つの構成からなっている。
【第1章 古神宝】
 神前に捧げられた最上級の工芸品の数々。装束・調度品・武具など。主に平安~室町時代の作。
【第2章 祀りのはじまり】
 古代祭祀に関わる考古品・神宝、文書類。三輪山や沖ノ島の祭祀遺物、延喜式神名帳など。古墳時代~平安時代、ほか。
【第3章 神社の風景】
 神社の旧景観を伝える、縁起絵・宮曼荼羅・境内図など。鎌倉時代~江戸。
【第4章 祭りのにぎわい】
 祭礼に使用された、神輿・装束・小道具、祭礼図屏風など。主に平安~室町。
【第5章 伝世の名品】
 各神社に伝わる由緒品、優品など。鏡・武具・馬具・納経・寄進状・絵馬・陶磁器など。古墳~室町。
【第6章 神々の姿】
 神の姿を現した、神像・御正体・絵像など。平安~室町。

展示物の性格から見ると、「神に捧げられた宝物」「文書や絵による史料」「信仰対象」、の3つに分けることもできようか。
総数200点以上の豪華な展示である。
個人的には、神像(木像・絵像)が見たかったのだが、宮曼荼羅や工芸品も素晴らしいものばかりだった。

その中で最も見たかったのは、大和文華館の「子守明神像」(南北朝時代)と、三重・伊奈冨神社の「男神坐像」(平安時代)。
前者は、畠山記念館の「清滝権現影向図」(本展には出ていない)とよく比較されるが、神身の大きさが強調されて描かれている。
後者は、目尻が吊り上がり、強調された威容で、一度見たら忘れられないお顔だ。

若狭神宮寺の男女神像、松尾大社の三神像、東寺の(八幡)女神像、櫛石窓神社の女神像なども神威感じられる作だった。

神像特有の様式も興味深い。
前後幅が狭いのは、狭い本殿に収めるためか。
また、内繰りを施していない像が多いようだが、これは像を霊木で作った依代(よりしろ)・神体であると考えるためか。
そのせいか、割れが生じている像が幾つか見受けられた。

宮曼荼羅は、「富士浅間曼荼羅」と「伊勢両宮曼荼羅」が見ていて飽きなかった。
今は禁足地となってしまった、外宮の奥の院たる高倉山の天岩戸(横穴古墳)、その近くを歩く修験僧、伊勢内宮奥の院の金剛証寺など、かつての神宮霊域の景観は興味深い。
その点、浅間大社は大きな変化はないのが対照的だが、やはり習合時代には三重塔があったのが分かる。

古神宝の工芸品では、熊野速玉大社の「金銀装鳥頸太刀」(南北朝期)と「橘蒔絵手箱および内容品」が豪華で目を引いた。
鳥頸太刀の鍔と柄には、密教法具である法輪が装飾されており、この太刀そのものも法力を備えていそうな趣を漂わせていた。

そして、もう一つは、鶴岡八幡宮の北条氏綱奉納・相州綱広作の大太刀。
昨年、特別な便宜によって社務所で拝観することができた事は以前にも書いたが、まさか一年も経ずして再見できるとは、夢にも思っていなかった。
これだけ長期に公開するのは、初めてなのではないだろうか。
これも、刀身の銘文だけでなく、外装具にも北条家の威信をひしひしと感じさせてくれる名品である。
特に鍔の金工は見応えがある意匠だ。

さて、展示室は当然撮影禁止なので、本館の関連展示で似たようなのを幾つか。
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金峰山出土の、「線刻水分三神鏡像」。
『大神社展』にも、東博所蔵の御正体「子守三所権現鏡像」が出ていた。

それから、日御碕神社の「黒韋肩裾取威」(室町時代)。
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『大神社展』前期展示には、同神社のもっと豪華な「白糸威鎧」(鎌倉時代、国宝)が出陳されている。


展観した時間は2時間ほど。
空いていたので、本当にじっくりと堪能できた。
神像は色々な距離から眺められるよう展示がされており、配置の仕方も神社のようで雰囲気があった。
 
解説文に関しては、個々のキャプションは良いとしても、全体にどこか万博的な散漫さを感じた。
展示品の多くは、祭祀遺物などを除くと、殆どが平安~室町の中世、神仏習合が盛んだった時期の作品だ。
大博物館ならではの事情、神社界の事情など、いろいろあると思うが、テーマ性が薄くそれが物足りなかった気もする。

この後は、本館で「平成25年新指定国宝・重文」の特集陳列を。
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韮山の願成就院「不動三尊像(運慶作)」や、
南アルプス市の江原浅間神社「浅間神像」
http://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/kanko/shiseki-bunka/index.html/newspage?item=/shisei/soshiki-syokai/kyoiku-iinkai/bunkazai/news/sengen
を展観。

そして、リニューアルオープン後初見の東洋館。
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中国や西域、インドの仏像を見たのは何年ぶりだろう。
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イケメンな天竺仏や、しなやかな唐菩薩、微笑する斉や魏の仏達。
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ここだけでも充分癒される場所だ。

この日は閉館が夜8時までということだったので、7時ころまでゆっくりと。
結局、7時間くらい通しで東博を堪能でき、真に眼福なる一日だった。

追記。
本館のミュージアムショップが本館1階に移転。
天井が高いので、明るく開放的になった。書籍棚も見やすい。

こちらは、『大神社展』展観のスーベニアに購入した布製ブックカバー。
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展示されていた「春日神鹿御正体」のイラストがプリントされた、文庫本サイズ。
なんだか勿体なくて使えなさそうだ。
このデザインで、特別展オリジナルのご朱印帳があればもっと良かったのだが。


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展観 「早雲寺 織物張文台および硯箱」、「飛騨の円空」展

下谷七福神めぐりをした後、何を考えたか、福神ついでに護国院の大黒さん、不忍池の弁天さん、五条天神さん(末社に七福神社がある)にも参拝。
鶯谷から三ノ輪まで歩き、そこから再び上野公園を半周してしまったのだから、結構歩きまわってしまったと思う。

で、東博の正門に着いたのが結局15時半過ぎ。
リニューアルオープンした東洋館を見るのは諦めて、まずは常設展示へ向かう。

この日(3月2日)、東博に来た本当の目的は、早雲寺寺宝の「織物張文台および硯箱」を観るため。
早雲寺の寺宝公開で見る事が出来るのは精巧なレプリカ作品で、実物は国重文で東博に収蔵されている。
といっても普段公開しているわけではなく、入れ替え展示で出してくれるのを待つだけなのだが、今まで知る限りでは殆ど出していなかったのではないか。
今回は、友人の宮下さん(感謝m(_ _)m)からメールで教えてもらい、貴重な機会に巡り合う事が出来たのであった。

文台は、本館一階、入って右奥突き当りの部屋に展示してあるらしい。
初めて出会う本物への期待が高まり、早足に。
今まで各種書籍で見知ってはいるが、それぞれ印刷の具合が異なるので、実物の織物の色がどんなであるのか知りたかった。

照明を落とした薄暗い角部屋である。
それは、螺鈿や漆蒔絵の手箱などと並び、慎ましやかにさえ見えた。
レプリカとはだいぶ違う色である。
(撮影禁止となっていたので)文章だけで表現するのは困難だが、早雲寺銀襴とも言われた文台に張られた唐草文様の織物は、経年変化で茶ばみ、かなり色褪せもしていた。
金襴・銀襴といった素材の特質もあるかと思うが、造形物に張った織物という点も保存が難しい理由の一つであろうかと思う。江戸期の早雲寺も安泰だったわけではない。
どの程度の劣化というべきか、素人の私には判断しかねるが、近くに並ぶ螺鈿箱のようなきらびやかさを今は感じる事は出来ないのが少々残念ではあった。

しかし、400年以上経た実物だけが持つ風格はある。
伝承のようにこの文台で北条氏政が歌を詠んでいたのかと想像するだに楽しい。
最近、江戸期小田原城の御城米曲輪跡の下層から、北条時代の礎石建造物や池水庭園らしき遺構が現れて話題になっているが、その辺りで、もしくは八幡山にあったという隠居所で、これを愛用していたのだろうか。
泉水の流音ささやく庭の見える書院、僧や若侍を相伴に控えさせ、この文台を傍らに座す景色を思い浮かべる。
見学者が少ないのを良い事に、そんな時空を超えた観覧を楽しませてもらった。


そして、特別展『飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡』へ。
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エントランスに下がる迫力のタペストリーだが、実は展示スペース1室の大変小規模な展示。
しかし、50体近い円空仏が居並ぶ様は壮観ではあった。
これが、ほとんど一つの寺院からの出展というのだから凄い。
閉館時間が近いのもあり、東博としては混雑というほどではなく、一つ一つじっくり見れたのは幸いだった。

こちらも当然撮影禁止なので、展示目録の中から、気に入ったもの、印象に残ったものを記しておく。

まずは、パンフ写真にもなった両面宿儺。
多くの人がそうだと思うが、円空仏といえば真っ先に想起する作品。
中学生の頃、祖父と飛騨高山旅行に行った時、この像を観たいと思ったが、拝観叶わなかった。
初めて見る実物は想像よりもややスマートで、恐いというより、ハンサムだと思った。
微笑した二面の明王や童子、もしくは将軍神のような姿だが、火炎後光は巻雲のようにも見えるし、下げ持つ斧はむしろ静けさを感じる。
両面宿儺は、日本書紀に登場する怪人で、朝廷に反逆したとして退治されてしまうのだが、千光寺の伝承では、救世観音の化身として人々に崇められていたという。
この像をして何らかの二面性を表しているのならば、飛騨という地域特性を察するに、山林資源をめぐる在地と中央との軋轢の中にあった首長もしくは祭祀長的な人物の姿、怒りや無念さが込められているのではないか。
像として造り出すからには、身近に伝わる救世観音の化身の神としての像を、この土地の人達は依頼したのではなかろうか。

展示室入口に立っていた、素玄寺の不動明王立像。
背も高く、入口で見学客を迎えるに堂々たる存在感を放っていた。

千光寺の不動三尊像。
一本の木を三つに割って造られた不動尊と両童子。
同じく、錦山神社の稲荷三尊。
円空仏には時々こういう作があるようだが、造形の面白さだけでなく、木に神仏を観じていたからこそではないか。

千光寺の宇賀神や歓喜天はごくシンプルだった。

そうかと思えば、出口近くにあった清峰寺の千手観音像は、一つ一つが違う方向を向いた手が動的で、丸みを帯びた姿は粗削りな不動尊と対照的。
優しげな微笑が印象的で、この前で暫し動かなくなる見学客も。
これは、ちょうど展示ケースの高さが絶妙だったと思う。

時代は違うが、これらを観て思ったのは、伊勢原の日向薬師や横浜の弘明寺観音。
平安時代のこの地域の一例ではあるが、“鉈彫り”という表面を仕上げない独特の作風は、材になっている霊木の質感を残すためであるとも考えられている。

円空仏にも同じように、古風な木霊を感じさせるところが多分にある。と思った。
霊木への尊崇というよりも、もっと近しい親しみのような感じではあるけれど。

そういう点では、展示室中央にあった、千光寺の金剛力士像はちょっと恐かった。
地に根を張ったままの木に仏を彫刻する、いわゆる生木仏(いきぼとけ)である。
大きな鼻に顔面の力が集中したような、目の周りのしわ。
釣り上がった口元は、笑っているようにも見え、十一面観音の暴悪面のよう。
この手の像は、殆どが、程なく立ち枯れてしまうのだが、私にはこの憤怒相が木の怒りに見えて仕方なかった。
すでに地から切り離されて長い年月を経ているが、細かなヒビや割れがさらに迫力を増していた。


このような展示で、なかなか楽しめたのだが、写真が一つも無いのは楽しくないので、最後にこちら。
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東博所蔵の円空仏。如来立像。
特別展に合わせた常設室のセレクトであった。撮影可。

ところで、手塚治虫『火の鳥・鳳凰編』に出る我王(がおう)のモデルは、もしかしたら円空なのかな?

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かんまん不動尊 拝観

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昨日9月28日、平塚市下吉沢の八剣(やつるぎ)神社の「かんまん不動」立像(国重文)を拝観してきました。
毎年1月28日と9月28日にご開帳されています。

こちらがそのお不動さん。実物の撮影は不可なので、平塚市教委発行の冊子表紙より。
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実は以前に平塚市博物館での展示で観た事はあったのですが、やはり普段お祀りされてる場所で拝観するのとでは見え方が違うように感じました。やはり、定まった霊場のご尊体である時は威厳があります。

とはいえ、八剣神社のご神体というのではなく、神社近くの収蔵庫で地域の方に保管されているというものです。
当日ここで訪問客の対応に当たっていた方にお話をうかがったところ、ここに収まるまで何度か盗難にあったとか。
以前は、神社からほど近くの松岩寺の不動堂にあり、さらに昔には寺の裏山の“不動平”という地に祀られていたそうです。

現在は国重文ということで、コンクリート製の立派な収蔵庫に安置されて厳重に保管されています。
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私が拝観している間、この収蔵庫の建築を担当した会社の社長もお参りに来ていました。

このお不動さん、『平塚の文化財』(平塚市教委)によると、12世紀ごろ畿内で造られた可能性が高いとの事。
穏やかな憤怒相と無理のない姿勢。大山のいかついお不動さんも良いけど、こういう温和なお姿も好きです。

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