2013下谷七福神めぐり(1)寿老神
ニュースでは昨日関東各地で春一番と報道されていたが、今日の風の方が季節風らしい強さがあった気がする。
まあ、一番でも二番でも良いが、春風吹きすさぶ今日、ようやく今年の七福神巡りを果たす事が出来た。
お参りしてきたのは下谷の七福神。
所用時間は、今まで巡ったなかでも最短コースの1時間半ほど。と言っても、いつもの如く色々道草して2時間弱かかってしまったが。
上野・浅草間の根岸・下谷・竜泉・三ノ輪、ちょうど旧東京市下谷区にある寺社で構成されているが、それを以って名称としたのかは定かでない。
“恐れ入谷の鬼子母神”で知られる真源寺以外はあまり有名ではないローカル寺社だが、それぞれ個性があり、由緒も興味深い。オリジナル授与品も豊富なので、毎年巡って集める楽しみもありそうだ。
歴史好きな方は、上野山から日光街道を経て吉原土手へ歩く気分でぶらりしてみたら色々昔の景色が想像できて楽しいだろう。正岡子規や樋口一葉ゆかりの場所も点在するので、併せて歌碑めぐりしてみるのも面白いと思う。
大通りは車の往来が煩いが、ほとんどの寺社は脇の旧道沿いにあるので意外と静か。正月の頃は車も少ないだろうし、気軽に徒歩で回れる楽しいコースだ。
山手線鶯谷駅北口で下車。改札口で七福神めぐりのマップがもらえる。
ここから徒歩1・2分の直近に寿老人担当の元三島神社がある。というか、ホームからすでに見えている。
北口周辺は鶯谷の夜の顔ともいえるラブホテル街だが、神社はまさにそのど真ん中。まさか、女郎にかけて寿老人ということは無いだろうが(笑)。
まあ、若かりし頃にサバゲやってた私にとっては、鶯谷駅から連想するのは、中古軍装品店の笠俊商店であったりするのだが。
鳥居を潜ると、真新しい狛犬が目立つ。
台座には、明治時代の狛犬が2年前の東日本大震災で損壊したと記されていた。
境内はよく掃き清められている。高台に建てられた社殿は陽が当たって明るく、気持が良い神社だ。
これが平場の神社だったら、ラブホビル群の日陰に沈んでしまい、ジメッとした境内になってしまったかもしれない。
社殿は、コンクリートの神明造り。
社叢(しゃそう=神社の森)は少ないが、梅や桜の樹が植えられていて、ささやかな花見も楽しめそうだ。
地元の人や駅利用者にとっては、ラブホ街は単なる通過地なのだろう。私が授与所で案内を乞うている間にも、親子連れの参拝客がさっと参拝して行った。
祭神は、大山祇命・伊佐那岐命。
ここの三島明神は、伊豆一宮ではなく伊予一宮の大山祇神社からの勧請。
神奈川県内で三島神社というと、伊豆の三嶋大社から勧請したというものが多いので、てっきりここは江戸時代に伊予ゆかりのお屋敷でもあったのかと思いきや、鎌倉時代の御家人河野氏ゆかりの神社であった。
元寇の時に水軍の将として活躍した河野通有は、妻が江戸重長の娘であった縁で上野山に館があり、その邸内社として勧請されたのが発祥であるとのこと。
江戸時代になって徳川将軍家菩提寺の寛永寺造営が計画されると、三島社は上野山から降ろされる。その後、代替地を再び収公されるなどして二遷したのが、現在の浅草寿四丁目の本社三島神社なのだという。しかし、旧来の氏子にとって浅草は遠方なので、ここ根岸にあった熊野神社にも合祀される事となった。すでに詳細は不明のようだが、そういう経緯あっての“元”三島神社らしい。伊佐那岐命が祀られているのは、熊野神社の祭神なのであった。(では、その熊野神社の由来はどうなのか、とも思うのだが不明。同族の一遍上人ゆかりだったりしたら興味深いのだが…)
境内には、正岡子規の句碑「木槿(むくげ)咲て絵師の家問ふ三嶋前」が建立されている。
この近くに住んでいた正岡子規も、故郷伊予の水軍ゆかりの神社に親しみを感じていたのではないだろうか。
ちなみにここの寿老人さんは、“寿老神”と神社らしい表記がなされ、延命長寿の神さまになっている。
大山祇神社の武勇よりも、熊野神の医薬神的な神徳が反映されているのかもしれない。
(下谷七福神は、元三島神社以外は寺院)
七福神の授与品では、寿老神の尊体(400円)、それを乗せる宝船(600円)、絵馬とお守り(各500円)がある。
七福神巡りの絵馬というと、笹に下げるミニ絵馬のようなものが多いが、下谷七福神のは皆普通サイズ。ご朱印ではなく、絵馬を揃えてみるのも楽しいかもしれない。
駅でもらえるマップにも書いてあるが、宝船はここ元三島神社でしか頂けないので注意。
また、松の木が描かれた能舞台のような飾り台は絵馬台(600円)といって、こちらは布袋尊担当の寿永寺で授与している。
授与所では、弁財天担当の弁天院は普段無人なので今日全部揃えるのは無理かもしれないよと教えてくれたが、それも一つの縁と考えてとりあえず巡拝してみる事にした。
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