カテゴリー「博物館・美術館 展観」の28件の記事

日光一文字

九州まで出張ることなくこれらを見る機会が来るとは・・・。
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昨日は休みというともあり、始まったばかりの特別展『軍師・官兵衛』展を江戸東京博物館に観に行ってきました。もちろん、第一の目的は官兵衛さんではなく、北条家ゆかりの品々。
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福岡市博物館に収められている黒田家旧蔵の「太刀“日光一文字”」や「北条白貝」「琵琶“青山”」などが揃って関東へお出ましなのですから。

大河ドラマ『軍師・官兵衛』の第1話冒頭および本編後の紀行コーナーで紹介されたエピソードですが、これらは豊臣秀吉の小田原攻めの際に調停役として赴いた黒田官兵衛に北条方が礼として与えたと伝わっているもの。
実際には色んな人が籠城中の北条氏へ働きかけたでしょうし、官兵衛もドラマのようにあんな一人颯爽と城門前(井細田口でしょうか?)に立ったとは考えにくい。たぶん、後に氏直が投降する滝川雄利らと共にアポ入れて入城しているはず。
それでも、これら北条家累代の家宝が与えられるというのは、やはり相当な感心を起こさせる人物だったのでしょう。ただ、領国安堵と氏政・氏直父子の助命を確約した可能性を考えると、色々と複雑な思いになるのではありますが…。

展示構成は、①播磨時代(黒田職隆書状や織田信長黒印状、・安土出土遺物など)、②有岡城幽閉(秀吉書状、竹中重治書状、黒田家臣起請文、家臣像など)、③秀吉統一時代(明智光秀坐像、阿弥陀寺位牌拓本、本能寺跡出土遺物、“日光一文字”など)、④如水時代(肥前名護屋城図、白熊采配、水牛脇立兜(前後期入替)、黒田長政像など)、⑤文雅たしなみ(芦屋釜、利休書状、和歌短冊など)といった流れ。
黒田官兵衛の文書類は、テーマに合わせての10点ほどでしたでしょうか。
家臣関係では、東京巡回展では、母里友信関連のもの(槍“日本号”や甲冑、像)が少ないのがやや残念なところ。日本号は以前に国立博に来てた時に見た記憶がありますが、大分前の事ですし。

今回、個人的に興味深かったのは・・・
【岐阜城出土の金箔押棟板瓦片】(信長が安土以前から瓦に金を使っていた事が分かった貴重な発見)、岐阜市教委。
【播磨三木合戦図】(別所氏菩提寺・法界寺で現在も追悼法要で絵解きに使われる絵の模写(江戸期)、威儀正しい別所氏や家臣らの合戦の模様や、痩せ衰え自害に及ぶまでドラマチック)、兵庫県歴博。
【明智光秀坐像】京都・慈眼寺。
【阿弥陀寺位牌拓本】(本能寺変で討死した信長信忠ほか家臣らの俗名と戒名を併記)同寺。
【羽柴秀吉大坂築城石持掟書】(石を運ぶものは、より重い石を持つものに道を譲れとか、喧嘩をふっかけるなとか、作業に細やかな指示)、兵庫県・光源寺。
【小田原陣之時街道筋諸城守衛図】(京から三島辺りに至るまで秀吉が泊した城や街道の景色などを描く図。富士山や箱根双子山、厳に柵廻らす山中城のほか、安土に立ち寄ったことなども記す、街道見聞絵図でもある)、山口県文書館。
…等々のあたりでしょうか。官兵衛や黒田家に直接関係のあるものではないですが。

黒田官兵衛関連のものとしては、やはり書状の類でしょうか。
本文の他に追筆が多かったり、歴史ある寺には丁寧な言葉を用いたりなど、配慮の細やかさを感じました。
まあ、今回出された書状の類は子息や家臣らに宛てたものが多いので、当然と言えばそうなのですが、当時も“委細は誰々(手紙を持参した使いの家臣)が…”と簡潔に締め括る文章が多かったでしょうし。
あと、人物像の作例も多い人なのですね。
ポスターにも使われている江戸後期の絵のほか、有名な脇息にもたれかかる絵も数種類あるようでした。これらは展示期間中に入れ替えられるようです。
一方、夫人(照福院)像(京都・報土寺蔵)は、7月1~13日のみの展示で、それ以外はパネル写真のようです。

私は北条氏ゆかりの品目的で観に行ったのですが、織田・豊臣関係の一つの通史展示としても楽しめるかと思います。お近くの方は足を運んでみては。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2014/05/index.html
6月18日には、斎藤慎一氏の講演「豊臣政権と小田原合戦」(要申し込み)もあるので、それに併せても良いかも。締め切りは5月30日、もう明日ですが。

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江戸博に来たのも久しぶりでした。前回は江戸城展あたりだったろうか。

両国駅もその時以来。
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駅頭は近辺の開発の歴史を如実に示す景色ですね。後ろに国技館の屋根とスカイツリー。
とても駅らしい駅舎で、地域に愛されてそうです。

あと、図録のほか、お土産に買った城郭用語クリアファイル(部分)。
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昨今、こんなのまで商品になるんですね。この頃は戦国時代関係の展示があると、公式グッズ以外の商品が充実していて驚かされます。
これも公式グッズではなく、もしかしたら小田原城の売店でも売ってるかもしれません(笑)

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佐野美の甲冑展展観

“さのび”って、略さない方がいいか(笑)

三島市の佐野美術館に甲冑展を観てきました。

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『兜KABUTO 戦国アバンギャルドとその昇華』
http://www.sanobi.or.jp/exhibition/kabuto_2013/
(※同じ巡回展のまとめサイトでいくつか写真が見れます http://matome.naver.jp/odai/2138538543652324001)

時おり雪がちらつく寒い一日でした。
予備にとリュックの底に入れておいたヒートテック肌着上下を忘れてたら、風邪引いてたかも。
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1月7日から始まったこの展示、実はこの日が最終日。
予想以上に見応えある内容でした。会期ひと月で終わってしまうなんて勿体ないくらい。でも地方展示ではこの位が普通なんでしょうかね?


さて、展示内容は、ポスター写真になっている…
「伊達政宗所用・黒漆塗五枚胴具足」(仙台市博)や
「蒲生氏郷所用・黒漆塗燕尾形兜」(岩手県博)、
「黒田官兵衛所用・銀白檀塗合子形兜」(もりおか歴史文化館)、
「黒田長政所用・黒漆塗桃形大水牛脇立兜」(福岡市博)
…といった、有名な戦国武将ゆかりの甲冑また変わり兜のほか、工芸的・芸術的に優れたな刀装具類の陳列でした。
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また併せて、佐野美術館所蔵品の「伝上杉謙信所用・秋草文黒漆太刀拵」等も展示。

出品数でいうと後者の刀装具類が圧倒的に多いのですが、鞘(さや)・鍔(つば)・目貫(めぬき)・栗型(くりかた)・鐺(こじり)等々の緻密で繊細な意匠に唯々感心しました。写真も無いのに言っても仕方ありませんが、手作業でよくあれだけの表現ができるものだと思います。
私以外の見学者も有名な甲冑が当初の目当てなように見受けられましたが、展示後半の金工漆工の素晴らしさに、暫し足を止めて見入る人、目を細めて感嘆する声が絶えませんでした。

私の一番の目的は、高梁市歴史美術館からの「銀箔押兎耳大角立物付兜」と「板倉勝重所用・日の丸金箔押紺糸威二枚胴具足(写真)」。

これらは5年前、備中松山城見学に行った際、同美術館にも足を運んだのですが、計らずも館内整理中で見学できなかったのでした。今回ようやく…です(笑)。
(でもやっぱり、現地の歴史を探訪しながら見たかったな)

面白かったのは、「黒漆塗三十二間筋兜 鉄線前立・三日月前立付」(個人蔵)。

所用したのは武将ではなく茶人。武者小路千家の茶人、木津宗詮(きつそうせん)三代。
江戸時代といっても、初代が天保の頃の人だから、幕末の頃の作品ですね。もう完全に装飾品。
復古調の筋兜にテッセンと三日月の前立て。なんだか加山又造の日本画みたいです(笑)。
漢字で鉄線と書くのを防具に見立てているのでしょうか?
眉庇(まびさし)の北斗七星は、茶杓の見立てかもしれませんね。
同じ茶人でも、千利休所用の(表千家伝存)甲冑に比べると、戦の匂いを全然感じません。

刀装具は、後半の“末永雅雄コレクション”が秀逸。
百足の目貫とか大黒さんの笄(こうがい)とか。細密で目が疲れるほど(実際、展観後トイレ行ったら充血してましたw)。
外国人が根付とか鍔なんかの骨董をコレクションしてる理由も分かる気がします。

戦国時代や江戸時代に思いを馳せるというより、武具工芸の粋を堪能した展示会でした。

美術館庭園の梅。
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20年ぶりのベアトリーチェ

リフォーム以来、未だに部屋の片づけに追われてます(苦笑)。
書籍・コピー類や未組立てプラモの類を売るか捨てるかの選別なのですが、さすがに余暇をずっとこれに充てているのもいけません。ヤケクソで廃棄してる本もあるので、精神的に全然休息になってない…(汗)

ということで、節分の日、『ラファエル前派』展を観てきました。
いや、前からその予定だったのですが(笑)

場所は、六本木の森アーツセンターギャラリー。この美術館、というか六本木ヒルズ自体が私今回初訪問でした。
デザイナーや企画者の意向をふんだんに取り入れたような複合施設ですが、それだけに展示会場にたどり着くまでに少し迷ってしまいました。
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同ギャラリーは森タワー52階。展望台と同じフロアでした。こんな高い所で展観するのは生まれて初めてかも。他人事ですが、搬入とか大変なんじゃないでしょうかね。

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ラファエル前派の絵を観るのは、20年前にロンドン・テート美術館に行って以来か。
当時は特に興味を持っておらず、(有名なミレイのオフィーリアくらいは見ておこうか)くらいな気持で行ったのでしたが、素晴らしい作品が一杯で入り浸ってしまいました。たしか10時頃に入ってから、昼食も忘れて閉館までいたと思います。もちろん、見ていたのはラファエル前派作品だけではないのですが。
なんというか、緑や青など自然の色彩の鮮やかさ、ライトなシニカルさながらも抒情的な表現などに魅力を感じたのだと思います。美術史的な事やアカデミックな評価などに関してはさっぱりで、本当に視覚と情感で惹かれたのです。

それ以来20年。今回楽しみにしていたのは、ロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」、アーサー・ヒューズの「オーロラ・リー」「4月の恋」、ヘンリー・ウォリス「チャタートン」、そして、艶っぽい(笑)コールドロンの「破られた誓い」等との再会。そして、初見となるミレイの「マリアナ」とバーン=ジョーンズの「愛の神殿」でした。
やっぱり実物は良いですね。当たり前ですが。あと、関係無いですが、特注の額が見れるのも実物ならでは。

ところで、今回の展示は全てテート美術館からのものですが、残念ながら、バーン=ジョーンズ「黄金の階段」「コフェチュア王と乞食娘」、ミレイ「ナイト・エラント」、ホルマン・ハントの「我が英国の海岸」、ロセッティの「聖母マリアの少女時代」、フレデリック・ワッツの「希望」、などは来ていません。特に後者2点はまた観てみたかったので、少し残念。

しかし、ミレイの「マリアナ」はドレスのコバルトブルーがとても美しかったですし、その生地(ベルベット?)の質感と背をそらせたポーズは確かに官能的でした。バーン=ジョーンズ「愛の神殿」は、展示の最後の方でしたが、隣に「愛に導かれる巡礼者」がドーンとあって、そっちに視線がもっていかれ気味でした。もう少しひと息置いて見える構成にすれば、引き立ったと思うのですが。
ロセッティの「ナザレのマリア」「ダンテが見たラケルとレアの幻影」「ダンテの愛」も良かった。
眼福眼福。

ともあれ、西洋美術史にさっぱりな自分にとっては、作家やモデル達の相関関係や反映されている物語などの説明は楽しかったですし、印刷物では絶対分からない発色の味わいも堪能しました。
また、20年歳を重ねて見かたが変化している自分を再発見した気もします。
ミレイの「釈放令、1746」のように女性の強い精神力(肝が据わったというべきか)を描いた作品などは、10代後半の頃には余り魅力を感じませんでしたし、風景画に目を注ぐ時間は他のジャンルに比べると短かったでしょう。
風景画は、心の情景ですから、(惜しげも無く気軽にどんどん撮れる)デジタルカメラ全盛の今だからこそ、その良さが分かる気がします。特に旅先でふと足を止めて立ち去り難く感じるような一瞬は、100枚の写真よりも1枚の絵の方が思い出を呼び起こしてくれるでしょう。
マドックス・ブラウンの「干し草畑」は、歌の一つでも詠んでみたくなるような、匂い漂う農村の名月を感じさせてくれました。プライス・ボイスの「サリー州ウォトンの風景、秋」は、ラファエル前派作家たちに愛された伝統的農村風景の斜光穏やかな風景で、ずっとその前に佇んでいたくなりました。

これだけ見ると、やはり現地でアート探訪をしてみたくなります(苦笑)。

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おみやげは、図録とミニ・クリアファイル(ロセッティ「ダンテの愛」)を。
帰りの美術館エントランスの通路、対向者の顔どこかで見た事あると思ったら、村上隆さんでした。(えっと、知人だったかな?)と、しげしげ見てしまいました。

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テレ朝「報道ステーション」の天気予報でおなじみの毛利庭園。
毛利甲斐守邸跡ということで、少しは大名庭園の面影が残ってるのかと思ってましたが、全くの新作のようです。結構、こじんまり。
お庭ついでに、鳥居坂上の国際文化会館(旧岩崎小彌太邸)の前にも足を運んでみましたが、こちらの方が期待できそう。
この辺りも古き良き山の手を感じられて散策楽しそうでしたが、午後から寛永寺で節分のご祈祷予定だったので、またいつか。

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国宝 大神社展 展観

昨日、都合が取れたので、ゴールデンウィーク開始前に行ってきた。
東博の特別展にしてはかなり空いていたと思う。
やはり、仏像や絵画に比べると、神宝や神像の類はまだマイナーな好みなのかもしれない。
その分、一つ一つをじっくり観れたのは幸いだった。

展覧会チラシを見ると、“初公開”マークが幾つもある。
実際、普段公開が滅多にされない品(ご神宝類)が多いようだ。
伊勢や出雲の遷宮を控えた今年、これも神社界による一種の勧進出開帳なのかとも思えなくはないが。
ともあれ、日本全国の各神社社宝を一堂に、まさに浴びるように拝観できるというのは稀有な催しに違いない。

拝観前に、上野公園内にある花園稲荷に参詣。
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一応ご神宝類の拝観であるので、簡略ながらの清祓いとして。


平成館で展観するのは、『ボストン美術館・日本美術の至宝』展以来だろうか。
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展示内容は、6つの構成からなっている。
【第1章 古神宝】
 神前に捧げられた最上級の工芸品の数々。装束・調度品・武具など。主に平安~室町時代の作。
【第2章 祀りのはじまり】
 古代祭祀に関わる考古品・神宝、文書類。三輪山や沖ノ島の祭祀遺物、延喜式神名帳など。古墳時代~平安時代、ほか。
【第3章 神社の風景】
 神社の旧景観を伝える、縁起絵・宮曼荼羅・境内図など。鎌倉時代~江戸。
【第4章 祭りのにぎわい】
 祭礼に使用された、神輿・装束・小道具、祭礼図屏風など。主に平安~室町。
【第5章 伝世の名品】
 各神社に伝わる由緒品、優品など。鏡・武具・馬具・納経・寄進状・絵馬・陶磁器など。古墳~室町。
【第6章 神々の姿】
 神の姿を現した、神像・御正体・絵像など。平安~室町。

展示物の性格から見ると、「神に捧げられた宝物」「文書や絵による史料」「信仰対象」、の3つに分けることもできようか。
総数200点以上の豪華な展示である。
個人的には、神像(木像・絵像)が見たかったのだが、宮曼荼羅や工芸品も素晴らしいものばかりだった。

その中で最も見たかったのは、大和文華館の「子守明神像」(南北朝時代)と、三重・伊奈冨神社の「男神坐像」(平安時代)。
前者は、畠山記念館の「清滝権現影向図」(本展には出ていない)とよく比較されるが、神身の大きさが強調されて描かれている。
後者は、目尻が吊り上がり、強調された威容で、一度見たら忘れられないお顔だ。

若狭神宮寺の男女神像、松尾大社の三神像、東寺の(八幡)女神像、櫛石窓神社の女神像なども神威感じられる作だった。

神像特有の様式も興味深い。
前後幅が狭いのは、狭い本殿に収めるためか。
また、内繰りを施していない像が多いようだが、これは像を霊木で作った依代(よりしろ)・神体であると考えるためか。
そのせいか、割れが生じている像が幾つか見受けられた。

宮曼荼羅は、「富士浅間曼荼羅」と「伊勢両宮曼荼羅」が見ていて飽きなかった。
今は禁足地となってしまった、外宮の奥の院たる高倉山の天岩戸(横穴古墳)、その近くを歩く修験僧、伊勢内宮奥の院の金剛証寺など、かつての神宮霊域の景観は興味深い。
その点、浅間大社は大きな変化はないのが対照的だが、やはり習合時代には三重塔があったのが分かる。

古神宝の工芸品では、熊野速玉大社の「金銀装鳥頸太刀」(南北朝期)と「橘蒔絵手箱および内容品」が豪華で目を引いた。
鳥頸太刀の鍔と柄には、密教法具である法輪が装飾されており、この太刀そのものも法力を備えていそうな趣を漂わせていた。

そして、もう一つは、鶴岡八幡宮の北条氏綱奉納・相州綱広作の大太刀。
昨年、特別な便宜によって社務所で拝観することができた事は以前にも書いたが、まさか一年も経ずして再見できるとは、夢にも思っていなかった。
これだけ長期に公開するのは、初めてなのではないだろうか。
これも、刀身の銘文だけでなく、外装具にも北条家の威信をひしひしと感じさせてくれる名品である。
特に鍔の金工は見応えがある意匠だ。

さて、展示室は当然撮影禁止なので、本館の関連展示で似たようなのを幾つか。
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金峰山出土の、「線刻水分三神鏡像」。
『大神社展』にも、東博所蔵の御正体「子守三所権現鏡像」が出ていた。

それから、日御碕神社の「黒韋肩裾取威」(室町時代)。
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『大神社展』前期展示には、同神社のもっと豪華な「白糸威鎧」(鎌倉時代、国宝)が出陳されている。


展観した時間は2時間ほど。
空いていたので、本当にじっくりと堪能できた。
神像は色々な距離から眺められるよう展示がされており、配置の仕方も神社のようで雰囲気があった。
 
解説文に関しては、個々のキャプションは良いとしても、全体にどこか万博的な散漫さを感じた。
展示品の多くは、祭祀遺物などを除くと、殆どが平安~室町の中世、神仏習合が盛んだった時期の作品だ。
大博物館ならではの事情、神社界の事情など、いろいろあると思うが、テーマ性が薄くそれが物足りなかった気もする。

この後は、本館で「平成25年新指定国宝・重文」の特集陳列を。
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韮山の願成就院「不動三尊像(運慶作)」や、
南アルプス市の江原浅間神社「浅間神像」
http://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/kanko/shiseki-bunka/index.html/newspage?item=/shisei/soshiki-syokai/kyoiku-iinkai/bunkazai/news/sengen
を展観。

そして、リニューアルオープン後初見の東洋館。
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中国や西域、インドの仏像を見たのは何年ぶりだろう。
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イケメンな天竺仏や、しなやかな唐菩薩、微笑する斉や魏の仏達。
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ここだけでも充分癒される場所だ。

この日は閉館が夜8時までということだったので、7時ころまでゆっくりと。
結局、7時間くらい通しで東博を堪能でき、真に眼福なる一日だった。

追記。
本館のミュージアムショップが本館1階に移転。
天井が高いので、明るく開放的になった。書籍棚も見やすい。

こちらは、『大神社展』展観のスーベニアに購入した布製ブックカバー。
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展示されていた「春日神鹿御正体」のイラストがプリントされた、文庫本サイズ。
なんだか勿体なくて使えなさそうだ。
このデザインで、特別展オリジナルのご朱印帳があればもっと良かったのだが。


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展観 「早雲寺 織物張文台および硯箱」、「飛騨の円空」展

下谷七福神めぐりをした後、何を考えたか、福神ついでに護国院の大黒さん、不忍池の弁天さん、五条天神さん(末社に七福神社がある)にも参拝。
鶯谷から三ノ輪まで歩き、そこから再び上野公園を半周してしまったのだから、結構歩きまわってしまったと思う。

で、東博の正門に着いたのが結局15時半過ぎ。
リニューアルオープンした東洋館を見るのは諦めて、まずは常設展示へ向かう。

この日(3月2日)、東博に来た本当の目的は、早雲寺寺宝の「織物張文台および硯箱」を観るため。
早雲寺の寺宝公開で見る事が出来るのは精巧なレプリカ作品で、実物は国重文で東博に収蔵されている。
といっても普段公開しているわけではなく、入れ替え展示で出してくれるのを待つだけなのだが、今まで知る限りでは殆ど出していなかったのではないか。
今回は、友人の宮下さん(感謝m(_ _)m)からメールで教えてもらい、貴重な機会に巡り合う事が出来たのであった。

文台は、本館一階、入って右奥突き当りの部屋に展示してあるらしい。
初めて出会う本物への期待が高まり、早足に。
今まで各種書籍で見知ってはいるが、それぞれ印刷の具合が異なるので、実物の織物の色がどんなであるのか知りたかった。

照明を落とした薄暗い角部屋である。
それは、螺鈿や漆蒔絵の手箱などと並び、慎ましやかにさえ見えた。
レプリカとはだいぶ違う色である。
(撮影禁止となっていたので)文章だけで表現するのは困難だが、早雲寺銀襴とも言われた文台に張られた唐草文様の織物は、経年変化で茶ばみ、かなり色褪せもしていた。
金襴・銀襴といった素材の特質もあるかと思うが、造形物に張った織物という点も保存が難しい理由の一つであろうかと思う。江戸期の早雲寺も安泰だったわけではない。
どの程度の劣化というべきか、素人の私には判断しかねるが、近くに並ぶ螺鈿箱のようなきらびやかさを今は感じる事は出来ないのが少々残念ではあった。

しかし、400年以上経た実物だけが持つ風格はある。
伝承のようにこの文台で北条氏政が歌を詠んでいたのかと想像するだに楽しい。
最近、江戸期小田原城の御城米曲輪跡の下層から、北条時代の礎石建造物や池水庭園らしき遺構が現れて話題になっているが、その辺りで、もしくは八幡山にあったという隠居所で、これを愛用していたのだろうか。
泉水の流音ささやく庭の見える書院、僧や若侍を相伴に控えさせ、この文台を傍らに座す景色を思い浮かべる。
見学者が少ないのを良い事に、そんな時空を超えた観覧を楽しませてもらった。


そして、特別展『飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡』へ。
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エントランスに下がる迫力のタペストリーだが、実は展示スペース1室の大変小規模な展示。
しかし、50体近い円空仏が居並ぶ様は壮観ではあった。
これが、ほとんど一つの寺院からの出展というのだから凄い。
閉館時間が近いのもあり、東博としては混雑というほどではなく、一つ一つじっくり見れたのは幸いだった。

こちらも当然撮影禁止なので、展示目録の中から、気に入ったもの、印象に残ったものを記しておく。

まずは、パンフ写真にもなった両面宿儺。
多くの人がそうだと思うが、円空仏といえば真っ先に想起する作品。
中学生の頃、祖父と飛騨高山旅行に行った時、この像を観たいと思ったが、拝観叶わなかった。
初めて見る実物は想像よりもややスマートで、恐いというより、ハンサムだと思った。
微笑した二面の明王や童子、もしくは将軍神のような姿だが、火炎後光は巻雲のようにも見えるし、下げ持つ斧はむしろ静けさを感じる。
両面宿儺は、日本書紀に登場する怪人で、朝廷に反逆したとして退治されてしまうのだが、千光寺の伝承では、救世観音の化身として人々に崇められていたという。
この像をして何らかの二面性を表しているのならば、飛騨という地域特性を察するに、山林資源をめぐる在地と中央との軋轢の中にあった首長もしくは祭祀長的な人物の姿、怒りや無念さが込められているのではないか。
像として造り出すからには、身近に伝わる救世観音の化身の神としての像を、この土地の人達は依頼したのではなかろうか。

展示室入口に立っていた、素玄寺の不動明王立像。
背も高く、入口で見学客を迎えるに堂々たる存在感を放っていた。

千光寺の不動三尊像。
一本の木を三つに割って造られた不動尊と両童子。
同じく、錦山神社の稲荷三尊。
円空仏には時々こういう作があるようだが、造形の面白さだけでなく、木に神仏を観じていたからこそではないか。

千光寺の宇賀神や歓喜天はごくシンプルだった。

そうかと思えば、出口近くにあった清峰寺の千手観音像は、一つ一つが違う方向を向いた手が動的で、丸みを帯びた姿は粗削りな不動尊と対照的。
優しげな微笑が印象的で、この前で暫し動かなくなる見学客も。
これは、ちょうど展示ケースの高さが絶妙だったと思う。

時代は違うが、これらを観て思ったのは、伊勢原の日向薬師や横浜の弘明寺観音。
平安時代のこの地域の一例ではあるが、“鉈彫り”という表面を仕上げない独特の作風は、材になっている霊木の質感を残すためであるとも考えられている。

円空仏にも同じように、古風な木霊を感じさせるところが多分にある。と思った。
霊木への尊崇というよりも、もっと近しい親しみのような感じではあるけれど。

そういう点では、展示室中央にあった、千光寺の金剛力士像はちょっと恐かった。
地に根を張ったままの木に仏を彫刻する、いわゆる生木仏(いきぼとけ)である。
大きな鼻に顔面の力が集中したような、目の周りのしわ。
釣り上がった口元は、笑っているようにも見え、十一面観音の暴悪面のよう。
この手の像は、殆どが、程なく立ち枯れてしまうのだが、私にはこの憤怒相が木の怒りに見えて仕方なかった。
すでに地から切り離されて長い年月を経ているが、細かなヒビや割れがさらに迫力を増していた。


このような展示で、なかなか楽しめたのだが、写真が一つも無いのは楽しくないので、最後にこちら。
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東博所蔵の円空仏。如来立像。
特別展に合わせた常設室のセレクトであった。撮影可。

ところで、手塚治虫『火の鳥・鳳凰編』に出る我王(がおう)のモデルは、もしかしたら円空なのかな?

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雨模様の紅葉狩り 鎌倉

曇り時々雨、のち晴れ。
紅葉見物のお客で混んでるかな、と思ってましたが、それほどでもなく。
寺があちこちにあるので分散するんでしょうね。

午前中は、鎌倉国宝館を見学。
現在(といっても明日2日までですが)、県立歴博・金沢文庫・鎌倉国宝館の3館で、世界遺産入りを目指した特別企画が開催されてまして、国宝館は鎌倉の仏教文化に関する展示をしてます。
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/24-10koto-kamakura.html

あと、駅近くの生涯学習センターでも出土遺物のミニ展示が行われています(↓)。
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私は、富士市の瑞林寺からお出ましになってる、慶派(康慶らしい)仏師作の地蔵菩薩坐像が目当て。
凛々しいお顔とお姿でした。
お寺では年に一度、8月15日にしかご開帳しないのですよね。
http://hellonavi.jp/fuji/shisetsu/1238.html
今年の夏に行こうかとも思ってたけど、都合つかなかったので、ぜひ見たかった。

佐奈田与一ゆかり、証菩提寺の阿弥陀さんにも何年かぶりにお会いできました。
あとは、鎌倉の仏像として特徴的な土紋装飾や、宋風の影響を受けた作品がちらほら。
人物像は、東博と甲斐善光寺の源頼朝像や満昌寺の三浦義明像など。
個人的には、旧小田原北条家本(後に徳川家蔵)の『吾妻鏡』なども注目。
称名寺光明院の大威徳明王像は、金沢文庫で展示された時は正面と脇からしか見学できませんでしたが、今回は真後ろと頭上も見れるケース展示でしたので、細かな截金模様などがよく見えました。

国宝館にしては珍しく、常設の仏像は殆どが倉庫入りという展示でした。今回はタダ券(県内でかなりバラ捲いた模様)持ちだったので、少し得した気分です。
図鑑みたいな分厚い図録は、1200円とリーズナブル。
こういうのが東博でやるだけで、1000円は値上がりしそう。(いつも思うけど、なぜ?)

館外に出ると、紅葉がなかなか良い具合。
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たぶん年内最後の八幡様にもお参り。
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でも、今日は上宮まで行かず、若宮と舞殿前で済ませました。

突然の大つぶ雨で人気が減った階段をパチリ。
それにしても、大銀杏が無いとやはり何かスカスカした感じ。特に今のような黄葉の時期だと。
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昨年はひこばえが元気に芽吹いてましたが、その後、あまり勢いがみられないような。大丈夫かな。
なんとか新しい生を引き繋いでもらいたいものです。

相馬天王社でおむすび昼食。
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一息入れている間に、晴れ間がのぞいてきました。

亀ヶ谷坂を越えて、円覚寺へ。
雨上がりの切り通しでは、何人かすれ違う方がスッテンコロリン。
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ここはよく転ぶ人を見かけますが、なかなか改善されませんね。私も、一度ハデに転んだことがあります。
急勾配の舗装路に苔がのってるので、湿るとよく滑ること。
傘さしてるとバランス取りにくいので、雨降ってる時は余計オススメできない道です。

勾配をもう少しゆるやかにしたりとか、段差をつけるとか。色々案はあるのでしょうが、切り通しそのものが史跡なので削ったり掘り下げたりできないのでしょうかね。
(それとも、フェンスに囲まれた一角の方が実際の切り通し遺跡なのかな)
絶対滑らない樹脂マットを路肩に敷いたりとか、ないもんでしょうか。

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吉川霊華展

先日、初めて国立近代美術館に行ってきました。
分館の工芸館とか京橋のフィルムセンターは何度か足を運んでるのだけど、本館行ったのは今回が生まれて初めて。
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本館は1969年の建築だそう。いかにも60年代なデザインですね。
なんとなく科特隊本部を思い出してしまいました(笑)

ついでに竹橋駅で降りたのも初めて。
駅にはカッコ入りで(毎日新聞社前)てあったけど、ホントに社屋地下街に直結だった。
なんかシェルターみたい。
(そういや、皇居と某地下鉄駅が秘密の地下道でつながってると聞いたことあるけど、何駅なんでしょうねえ)
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あと竹橋門跡の石垣は、結構刻印が多かった。

ま、それはともかく、目的は、こちら『吉川霊華展 近代にうまれた線の探究者』でした。
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http://www.momat.go.jp/Honkan/kikkawa_reika/index.html#outline
吉川霊華の来歴、展示概要、出展リストなどは、上のサイトを見て頂くとして。
筆使い、特に女性の髪や衣装の文様など、絹糸のような線が織りなす繊細な描写に感嘆!
全景と細部の観覧を繰り返したので、退館した頃は目が凄く疲れていました(笑)

霊華は、鏑木清方らと同じく主に大正時代に活躍した日本画家ですが、結構マイナーな方かと思います。
(ちなみに、女性の名のようですが、“れいか”は雅号です)
描いていたのが、実在の女性や同時代の景色ではなく、和漢の古典物語や仏画が多かったのが一因でもあるよう。
まあ、西洋式美術が最上とされていた明治時代に、浮世絵・やまと絵の技法を身に付けたお方ですから、現在の美術史的にもアウトサイダーになってしまうのかな。

しかし、元旗本で儒学者だった家に生まれ育ち、和漢籍や書に通じたお方でしたので、これが江戸時代のままだったらもっとメジャーな存在になれたのかもしれません。
伝統的画法を用いた伝統的画題の作品、そうした最末期の結晶的な作品群という点では、西洋におけるアカデミック美術に似たような匂いを感じたのでありました。

そういう画家(と呼ばれるのを本人は嫌がっていたそうですが)なだけに、伝統的な方面からは絶大な信頼を得ていたようで、大作は寺社からの発注品が目立ちます。

入口ロビーに大きく飾られた『神龍』の図は、方廣寺大黒堂の天井画に使われたもの。
女性や菩薩像のような線の細い作品とは対照的な迫力でしたが、周囲の雲の濃淡などの細やかな描き込みはやはり霊華。
延暦寺蔵の最澄像も見事でした。
一番長く眺めちゃったのは、浅間大菩薩の絵。美しさと威厳・畏怖を見事に感じさせてくれるお姿。
それから、スケッチ類が結構な数で展示されてました。時代考証への細かな心配りがよく分かります。

実は、私が霊華を初めて知ったのも江島神社。
ある本で裸弁才天像の修復に関する文章を読んだのがきっかけでした。
(現在、同神社に安置・公開されている裸弁天様は、霊華らの監修によって修復されたもの)
この作者の作品、どんなのがあるんだろうと興味をもって検索しても、画像が見れるのは僅かな作品ばかり。
作品リストにある数々の絵がどんなものなのか、いつか見る機会があるかと願っていましたが、まさかこんな早く似叶うとは。

企画展も15年ぶりということで、相当混んでるかと心配していましたが、凄く空いていました(笑)
NHKの日曜美術館(アートシーンですが)で紹介された後だったので、心配もしていたのですが、実にじっくりとゆったりと堪能できました。
霊華の作品は、個人蔵の物がほとんど。
まとめて観覧できる機会は滅多にないのに、勿体ない!

図録は素晴らしいものがありましたが、グッズやポストカード類は一切なし。
マイナーゆえに売れ残りを危惧したのか、はたまた個人コレクションが為にグッズにできなかったのか。
『香具耶姫昇天(かぐやひめしょうてん)竹取物語』なんかは、ミニ掛け軸でもあれば七夕の頃に良さそうな感じでしたが。

万人向けではありませんが、滅多に見れない作品ばかりですので、興味ある方は是非!29日までです。

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開成町で『小田原大海嘯全図』を見る

今日は開成町の町民センター(町役場のとなり)に行ってきました。
紫陽花ではなく、歴史イベントの展観です。
(ちなみに後ほど田んぼの方を歩いてみましたが、咲き始めているものが幾つかありました)

県西部の6つの歴史愛好・研究グループによる合同開催展示会でした。
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会場では各グループの会報即売のほか、最近の研究・活動の発表などが所狭しと並べられていました。


そのなかで最も関心を集めていたものの一つが、『小田原大海嘯全図』22枚の展示だったろうと思います。
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東日本大震災からまだ一年弱しか経っていないだけに、生々しい迫力が感じられました。
一部撮影させて頂きました。が、昔のコンデジなだけにブレたものばかり・・・
ブログでは少し見やすいように、コントラストをやや高めにしてあります。

小田原大海嘯(かいしょう)とは、明治35(1902)年9月28日に県西部沿岸をおそった高潮と風雨による海水害で、当時の小田原町では死傷者195人(うち死者11人)。多くの家屋が被害に遭いました。
この記録絵は、自身も被災した住民によるもので、現在では貴重な災害史史料となっています。
(できれば、郷土の学習本として本にして販売してもらいたいものです。)

『全図』では、作者が住んでいた山王地区の風水害の惨状が描かれ、新玉・万年などの近隣区が冠水している様子、救護物資が届き配布されるまでの光景がつぶさに記録されています。
また、今は失われた小田原の街の景色の一端も描かれている点なども貴重かと思います。

これは、七枚橋の旧護摩堂川が溢れて冠水している新玉の蓮上院(左の黒屋根)門前の救出風景。
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右二軒の建物も同じく寺で、善照寺と三乗寺。
三乗寺は現在は廃され、旧地に跡碑があるだけです。
蓮上院後方の高台は小田原城総構の土塁かと思われます。
同土塁は現在も住宅に埋もれるように一部残存していますが、この時は格好の避難場所であったかもしれません。

こちらもその近く、本源寺向かいの道沿い(牢屋町)にあった監獄での冠水。
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この絵を見ると、囚人の服は江戸時代と同じ柿渋染であった事が分かります。
いつ頃までこんな服を着せていたのでしょうか。

山王原での犠牲者合同葬儀の様子。
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下の図は、松原神社と新善光寺に集積された救護物資。
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上の葬儀の幕にある寺紋は新善光寺のものでしょうか。
この水害の対策では、同寺が大きな役割を果たしていたように見受けられます。
その後の小田原善光寺講との関わりなど、どうなのでしょうか。少し興味を持ちました。

この『小田原大海嘯全図』、一部は昔学校で使った郷土学習本等で見た記憶がありましたが、全ての絵を目にするのは今回が初めてでした。
もしかしたら、このように広く公開したのは初めてではないでしょうか。
これを見れただけでも、今日開成町まで行った甲斐がありました。
企画・実行をなされた方々、ありがとうございました。


おまけ。
この展示をやっていた町民センター隣りの開成町役場。
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「由芽市」??ゆめし?
なんだと思ったら、TVドラマのロケに使われていたようでした。
何のドラマかは分かりませんでしたが、俳優の岸辺一徳さんや小泉光太郎さんがリハをやってるのが遠目に見えました。

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百鬼丸さん切り絵展

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昨日の夕方、城址公園の桜を観てきました。
すでに葉桜ではありますが、なんとか今週末くらいまでは花見できそうな具合です。

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ちなみに箱根の方は、まだ元箱根など山上の方は梅が3分咲きとのこと。
桜はもう少し先になりそうです。
こんなに開花期がずれ込むのも珍しい。というか、生涯の思い出にも残りそうな慌ただしさです。
先月末は東博の『ボストン美術館・日本美術の至宝』展を観て来たのですが、この頃はまだ両大師堂の梅が満開といった感じでした。
それが、2週間で葉桜とは…。

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ところで、昨日城址公園に行った第一目的は桜にあらず。この切り絵展が目的でした。
時代小説の挿絵や表紙などで活躍されている切り絵作家・百鬼丸さんの作品展。
今まで膨大な作品に絵を挿しておられるので、時代小説好きな方なら一度は目にしているはず。
http://www.hyakkimaru.com/

今回の展示では、それら挿絵・表紙絵などの作品は一部に止め、ご自身の企画である等身大武将シリーズが並べられています。
現在は真田十勇士と北条五代が制作進行中。
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運良く私が行った時はご在廊で、見学者が少なかったのもあり、小1時間ほどお話しすることができました。
百鬼丸さんのご出身は山梨県富士吉田市。ご実家は商店をされていたそうで、子供の頃は富士登山の客相手に笠や金剛杖の販売を手伝ったりした事もあったとか。
現在は、埼玉県川越市在住で、切り絵教室も開いてるそうです。
グッズ類に河越重頼の手ぬぐいというマニアックなのがあったのは、そんな理由からでした。

しかし、マニアックさでは(特に作品の対象とするには)小田原北条氏五代も二十歩百歩。真田十勇士ならまだ分かるのですが。実はそれが一番気になっていました。なぜに小田原へ?

接点になったのは、どうやら外郎(ういろう)さん。
一昨年出された小説『ういろう物語』(山名美和子著、新人物往来社)の表紙を手掛けたのが縁で、今回小田原の桜まつりに合わせて場を設ける事になったのだとか。
以前NHK大河ドラマの巡回イベント『風林火山』展では作品が大好評だったそうで、今後は歴史名所でのイベント等で作品展を開催されていく構想なのかもしれません。
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これは“北条五代を大河に!”と目指している市としてもウェルカム企画だったらしく、そういえば以前の市広報で市長と対談している記事がのっていました。
市からの条件としては、早雲寺の北条五代像のイメージを使って欲しいという事。そのほかは結構自由に任されてるようです。

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右が、1作目の北条早雲。そして左が2作目の氏康。
頭の形や顔のパーツなどが参考になされているのが良く分かります。
ともに直垂姿、そして三つ鱗散らし。
実際の早雲寺像では早雲が僧形、氏康が鶴亀文様の大紋なのですが、黒白の切り絵という表現で武将らしさを出すにはこのスタイルの方が良いとの事。三つ鱗はシャープさを出すのに採用したとのことでした。
確かに、このスタイルでしたら鶴亀のような曲線はキャラクターにとって余計な情報かも。
早雲は画像の時よりも若い時期という設定。

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こちらは、制作中の氏綱。
三つ鱗はありませんが、かなりカッコイイです。
ちなみに、氏政・氏直は束帯姿でいくとの事。

今回の企画を縁に、また別な北条キャラも手掛けて欲しいと思いました。
それとなく聞きましたら、風魔小太郎は頭の中にあるようです。
せっかく川越に引っ越しされたのですから、と北条綱成(&福島伊賀守も。笑)と大道寺政繁を推させて頂きましたが、いつか実現すると良いなあ。

最後に、グッズの手ぬぐいと絵ハガキにサインを頂いてきました。
百鬼丸さん、色々と雑談を交して頂きありがとうございました!

来週からは上田で展示をされるとの事です。

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馬博と根岸歴史散策

馬の博物館(横浜市根岸区)へ企画展『ススメ!小田原北条氏』を観てきました。
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実は馬博は初訪問。知ってはいましたが、今までなんとなく琴線に触れなかったというか、大して期待していなかったというか。
ナメてました自分(苦笑)。大変楽しい博物館でした。
今企画を抜きに常設展だけにしても、多角的に馬と人との関わりを紹介していて興味深いです。
http://www.bajibunka.jrao.ne.jp/U/U01.html

個人的にグッと来たのは、遠野の古民家(曲がり屋)の再現展示。馬屋と住宅が土間を挟んでL字型に繋がった構造で、東北地方の特徴的な民家の様式です。コレ、以前に古民家の写真集で見て以来、興味を持っていたのです。
再現セットとは言え、内に佇んでいると、映画『馬』で娘(高峰秀子)が仔馬が生まれるのをジッと待っているシーンを思い出しました。

また、木曽地方の馬頭観音像も興味深いもので、道祖神と習合した双体の馬頭観音。馬文化の濃い地域ならではです。

さて、肝心の企画展の方はどうだったのかと言うと、これまた満足の展示でした。
(タイトルはアレですけど…笑)
徳川幕府による伝馬制度の礎になったもの(の主要なひとつ)として、後北条氏による横浜市域の支配事例や運輸・伝馬のあり方を文書史料を中心に紹介。
馬上の身分にふさわしい小田原鉢の優品や、参考資料として江戸期の馬甲冑や荷駄鞍、さらに戦国時代の小田原城および城下を想像させる図画類と出土遺物などが展示されていました。

解説パネルも、文書の現代語訳表示など、大変分かりやすく説明してあり、ふと小田原城天守閣展示の文書類もこのくらい親身な説明を来館者へ供すべきだと思ってしまいました。

今展示で最も見たかったのは、ポスターに写っている螺鈿(らでん)鞍。
豊川市の菟足神社が所蔵するもので、伝来経緯は不明とのことですが、裏側に“氏綱(花押)”“天文五年三月十日”と刻銘されています。
黒漆に青貝を散りばめ螺鈿をした美しい作品ですが、残念ながら、銘を見せるために裏返しての展示でした(苦笑)。

別室では、上杉景勝所用の「伊予札萌黄糸綴両引合胴具足」が特別展示されていました。この前の小田原城天守閣の甲冑展では正面からしか拝見できませんでしたが、こちらでは独立したガラスケースの展示で、二重シコロの後側などよく見る事が出来ました。

充実の展観後は、極上の秋晴れの下付近をぶらぶらと。

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博物館となりのポニーセンター。

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この綺麗な毛並みのポニーさんは、ペルニーて名だそうです。

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公園内は黄葉がちょうど見ごろでした。

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旧横浜競馬場 一等馬見所の建物。
スタンド席はこの裏側なのですが、米軍敷地内で見学不可。

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地蔵王廟。公園から山手方面に少し行った高台にあります。
ここは、明治六年(1873)横浜在住の中国人が設けた墓地で、地蔵王廟は同二十五年(1892)に建てられたもの。

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横浜市内最古の近代建造物だそうです。
私、中国の建築とかはさっぱり分かりませんが、中華街の華美な関帝廟・媽祖廟とかと全然違いますね。レンガ造りだし。
横浜市教委の説明板によると、広東や台湾など南方特有の形式だとか。
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王廟内には中央にお地蔵さん、その左右の区画に位牌。こういう配置のあり方は日本と余り変わりませんね。
お地蔵さんは、冠被ってるのが中国風?でも、錫状持ってるし、お姿としてはそんなに変わらないもんです。
邪魔にならないようチラと、墓参してる方を眺めてましたが、やはり作法は違いますね。
私も参拝させてもらいましたが、作法は良く分からないので、お地蔵さんのご真言で済まさせて頂きました。

で、もう一度森林公園に戻って、次は根岸駅方面へ。
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途中、米軍住宅やら敷地の外周を迂回するので遠回りな感じです。
(関係無いですが、良いエンブレムですね)

根岸八幡社の前を過ぎて小路に入ると、右手にこれまた良さげな物件(笑)
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こちらは、横浜市指定有形文化財となっている旧柳下邸。
明治時代に海外からの銅鉄引取商で財を成した柳下家の旧邸で、現在は「根岸なつかし公園」として市民に供されています。
母屋は大正八年(1920)、蔵は九年の建築。洋館は大正十二年の関東大震災後に増築されたようです。

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居間。昔はここから根岸湾が見えたとか。
日当たりの良い奥の部屋は、戦後に増築されたもの。

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客間。

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洋館二階への階段。二階は非公開。昔は富士山や海の眺望に勝れていた事でしょう。
一階は、天井から窓まで洋風に設えられていますが、床だけは畳敷き。八畳間ですが、天井が高い部屋なので狭く感じました。


…と、そんなこんなの歴史散策でした。
地蔵王廟も「なつかし公園」も入場無料。
建築好きやハイソな雰囲気を味わいたい方は、三渓園や山手洋館などと併せて見学すれば、楽しい一日散歩コースになるかと思います。

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それにしてもこの辺り、西に富士山、東に横浜港を望める風光明媚な高台。
おまけに沿道に並木や公園も多く、とても閑静な住宅街。
麻布といい米軍サンは良い物件押さえてますなァ。
帰り時、根岸駅前から見上げた時は、映画『天国と地獄』の権堂邸を連想せずにはおられませんでした(笑)。

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