カテゴリー「(寺の)開帳・特別公開・特別行事等」の14件の記事

井之頭池弁財天ご開帳

今年は巳年ということで、各地の弁財天や厳島神社の特別行事が行われているようですね。
多くは、4月もしくは旧暦4月の初巳もしくは13日に斎行されるようです。

昨日は、東京は三鷹市の井之頭池弁財天が12年に一度のご開帳ということで、参拝してきました。

お像は恐らく近世以降のお作でしょうが、現在も崇敬本尊となっているお像は“生きている”という点が最も重要なのであります。
私は今回が初参拝。
以前、こちらの絵馬をお土産に頂いて以来、気になっていたので、ちょうど良い機会となりました。

吉祥寺駅で降りるのは何年ぶりだろう。
前進座劇場で山中貞雄特集を観に行った時以来かも。だったらもう15年以上経っている。
いや、7年前にお付き合いでジブリ美術館に行った事があったか。
前進座に行った日の事は本降りの雨だった事まで覚えているけど、ジブリ美術家行った時の事は記憶に薄い。
て事は、やはり、完全にお付き合いで面倒だったんでしょうなあ(笑)


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天気は上々。良い参拝日和でした。

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七井橋の碑。
かつては、七井池と呼ばれていた程、湧水豊かな場所だったんですね。

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12年に一度という事もあってか、すでに長蛇の行列。
と言っても、入堂まで30分ほどでしたが。

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白木美しい開帳塔婆。
本尊から繋がる五色の紐で結縁参拝。
お堂前の狛犬は特徴的な顔をしてました。

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中へは、お堂をぐるりと回り、ちょうど本尊お厨子の真後ろ辺りから。
黒漆塗りのお厨子で、昭和4年に浅草の職人作による新調とありました。

堂内は撮影禁止。
開扉されたお厨子には、八臂弁天さん。丸くて白肌のお顔に細目で柔和な表情をしておられました。
厨子左には三面大黒天。右には毘沙門天。
天台寺院でよく観る組み合わせですが、この崖上にある別当・大盛寺もやはり天台宗でした。
寺伝では源経基の創建にまで遡るとなっていますが、現在の弁天堂に直結する確かな由来としては、江戸時代に神田上水の水源地として認知されてからなのでしょう。

本堂外陣には、右に十一面観音。左に不動尊や客仏らしき小さな仏像群が。
そのうち一つは、お顔は一面で憤怒相、手は多臂で右手一つが長い鉾を持つ、足は半跏。
今となっては記憶があいまいですが、あれが明王部ではなく天部なら、大自在天かもしれないので、少々気になったのでした。
次回普通の時か定例縁日の折にでも聞いてみたいと思います。

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宇賀神の石像。
もとは大盛寺黒門近くに立つ標石だったようですが、移転の末、上部の宇賀神像だけが弁天堂境内に遷されたようです。
蓮台も付いてるし、標石にしては勿体ないくらいの立派なお像。
神田上水の水源神として崇められていた往時のほどを偲ばせるものがありますね。

参拝後、ご朱印と開帳記念の御影札を頂いてきました。
また、こちらオリジナルの経本もあって、コンパクトで良さそうだったのですが、聞き忘れてしまいました。

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公園をぶらり。
新緑の合間に陽が射すこの時期、花見の盛りも過ぎ、のんびり散策できて最高でした。

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徳川家康が茶水として愛飲したと伝わる「お茶の水」。
こんこんとしていますが、実は昔ほどの湧水はなく、現在は水道で流しているようです。

今は弁天池さまというよりも緑地公園の趣きですが、かつての水源を大切に思う心は残っていると感じました。
現在の都民の水道水は、利根・荒川水系と多摩川水系が殆どのようですが、ここも大切に守っていって欲しいですね。と言っている私は全然関係ない者なのですが。

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以前、おみやげに頂いた絵馬。
持物といい梵字といい、まさに宇賀弁財天らしい絵柄で気に入っています。

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御真影札と散華。
平成25年ご開帳記念とありますが、古くから授与していたような木版画(の印刷)。
ここでの弁天像は二臂。当時のご本尊かお前立像でしょうか。
散華はご朱印頂いた折に挟んで頂きました。
五色の色違いのほか、弁財天のソ字と宇賀神のウ字がありました。
こちらもなによりの記念で有り難いです。


※追記:5月1日、弁天堂と池を挟んだ対岸にあった稲荷社が不審火で焼けてしまったようです。上のお札にも載っている「親之井稲荷」さんがそれです。
弁天さんとの関係、社名の由来などは分かりませんが、親と書くからには地主神か、人手による整備される前の水神さんとしての祠でしょうか。
ともかく、弁天さまのお札に併記されてるからには共に信仰されているのだと思います。
小さな祠でしたが、私がお参りした日も、地元の方らしい親子連れが、「こっちもお参りしていくんだよ」と手を合わせていました。
吉祥寺の事件といい、なんだか物騒で心配ですね。
お社の早い復興と、地域の安全をお祈り申し上げます。
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(写真はご開帳の折のものです)

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かんまん不動尊 拝観

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昨日9月28日、平塚市下吉沢の八剣(やつるぎ)神社の「かんまん不動」立像(国重文)を拝観してきました。
毎年1月28日と9月28日にご開帳されています。

こちらがそのお不動さん。実物の撮影は不可なので、平塚市教委発行の冊子表紙より。
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実は以前に平塚市博物館での展示で観た事はあったのですが、やはり普段お祀りされてる場所で拝観するのとでは見え方が違うように感じました。やはり、定まった霊場のご尊体である時は威厳があります。

とはいえ、八剣神社のご神体というのではなく、神社近くの収蔵庫で地域の方に保管されているというものです。
当日ここで訪問客の対応に当たっていた方にお話をうかがったところ、ここに収まるまで何度か盗難にあったとか。
以前は、神社からほど近くの松岩寺の不動堂にあり、さらに昔には寺の裏山の“不動平”という地に祀られていたそうです。

現在は国重文ということで、コンクリート製の立派な収蔵庫に安置されて厳重に保管されています。
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私が拝観している間、この収蔵庫の建築を担当した会社の社長もお参りに来ていました。

このお不動さん、『平塚の文化財』(平塚市教委)によると、12世紀ごろ畿内で造られた可能性が高いとの事。
穏やかな憤怒相と無理のない姿勢。大山のいかついお不動さんも良いけど、こういう温和なお姿も好きです。

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アキバの神様

タイトルはシャレです。
とはいえ、間違ってるようで完全に間違ってる訳ではないと思います。

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今日は小田原市板橋にある本山修験のお寺、量覚院の大祭でした。
火伏(ひぶせ)の神として、かつては江戸や各地で大いに信仰された秋葉権現のお祭りで、毎年12月6日の夜に各地から修験者が集まって火渡りを修します。

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小田原市中里の満福寺で行われる火渡り(毎1月28日)も共に無形文化財にしていされていますが、あちらは昼間の火渡り、こちらは夜の火渡りで、絵的には後者の方が神秘的です。
また、前者は当山派(真言系)、後者は本山派(天台系)ですので、作法もところどころ違ったり。

相模で山伏というと、江戸もとい東京では大山なんかが有名かもしれませんが、小田原も江戸時代までは玉龍坊という修験寺がありまして、この量覚院と道了尊(南足柄市)も併せて、結構山伏の活発な地域だったのであります。特に玉龍坊は戦国時代の小田原北条氏に大いに保護され、同氏領国の伊豆・相模・武蔵南部において、多くの修験寺・山伏集団が玉龍坊の下に置かれていました。

量覚院は、北条氏滅亡後に小田原城主になった大久保忠世が創建、境内に遠州秋葉山から秋葉三尺坊権現を勧請し、その別当寺としたものです。

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こうしたナントカ権現といった様な神仏習合の神は、明治の神仏分離において廃止され、修験も宗教として不認可となってしまいました。近隣では箱根権現は箱根神社に、伊豆山権現も伊豆山神社に、大山は山頂の石尊権現社が阿夫利神社上社に、大山寺が縮小移転され替わりに阿夫利神社下社が建立されました。小田原においては、玉龍坊は廃寺、道了権現は本堂など一連の伽藍と分けた神社形式にして一時期を乗り越えました。

その頃、ここ量覚院の秋葉権現がどうやって護持されてきたのかは分かりません。今のところ不勉強。
しかし、本山であり勧請元でもある静岡県の秋葉権現が、新設された秋葉神社と袋井市の可睡斎に分離されてしまったのに比べると、量覚院の秋葉権現は信仰形態をよく保っているように思います。

今日は昼時間、祭事の準備中のお寺にお参りして来ました。
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参拝後は、地元板橋の和菓子屋・盛月さんの露店でお土産購入。
まあ、コレが本当の目的であったと白状致します(苦笑)
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大祭の日だけ販売される「山伏問答」というお菓子。
小麦とソバと水飴でこねられた素朴な味ですが、こういうシンプルなのは好きです。
片方は天狗の団扇、菊は本山派修験の宗紋でしょうか。

これと豆大福を買って足早に山内を辞してきました。寒かったし。
今夜はあいにくの雨でしたが、火渡りはどうだったのでしょうか。

ちなみに、こちらは過去の火防祭のニュース映像。
松明で夜闇に梵字を描く動きなど、とても神秘的ですよ。
http://www.news24.jp/articles/2009/12/07/07149227.html#

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四万八千日詣り

今年も参拝に行く事が出来ました。
私は自宅近くの飯泉観音こと飯泉山勝福寺(坂東三十三所観音霊場5番札所)に参拝しています。
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日中、ようやく西陽眩しくなってきた午後4時頃に時間を見つけてお参り。

一度の参拝で四万八千日分の参拝をした功徳を積めるという、お盆前の観音様まいり。
関東では四万六千日とか四万九千日とか色々ありますが、関西ではどうなのでしょう。
京都清水寺の千日詣りは有名ですが、遠隔地に行く程に功徳のスケールが拡大したのでしょうか(笑)
そもそもどうして積善功徳の倍増デーなどというものがあるのか?
よく分かりませんが、お盆の時期に重なるというのが良いのでしょうね。きっと。

お盆が故人を想い共に過ごす日なら、この四万八千日は現世救済の観音様に家内安全・健康を感謝・祈願する日とでも言えましょうか。また、自身が他人の為にどれだけ助けとなれているかを省みる日でもありましょう。
と言っても、時間を割いてまで毎年行こうと意識し出したのは、ここ5・6年ほどです。


昔は門前の通りまで露店が並んだそうですが今は僅かばかり。
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昨年(↓)までは店の辺りにまでサルスベリの花が満開で見事したが、今年は目立ちません。剪定したのかも。
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観音堂横では、土俵飾りが片付けられている所でした。
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小一時間ほどまえまでは子供相撲が行われていたとの事。(惜しい、これは見てみたかった)

燈明をあげて観音堂へ参拝。
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今日は内陣が開扉されて前立ちの観音さまが拝めます。
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子供の頃から、お正月やだるま市の度にお会いしてる一番親しい観音さま。
まだ(写真でしか)お会いした事のない秘仏ご本尊さまと共に、試験のことから病気平癒まで、色々とお世話になっています(笑)

ちなみに、ご本尊(十一面観音立像、平安地方仏、県指定文化財)は、三十三年毎のご開帳。
前回の開帳は昭和56年。私は小学生でしたが残念ながら見ていません。
次は三年後の平成27年なので、もうすぐ。今から楽しみにしています。

お堂のなかでは、この日も巡礼の方が一人参拝・読経しておられました。
まだ若い男性で、白衣ではないものの金剛杖持参の真摯な参詣。
個人で回られているようで、もしや歩きで全行程回られているのかと大変興味深く思いましたが、時間が無かったので声をかけませんでした。

坂東三十三ヶ所、私もまだ満願していません。
ツアーは使いたくないので、なるべく徒歩と公共交通で巡拝していきたいと思っています。
巡礼道のおもむき残っていない場所は少なくないようですが、石の道標といったかつての信仰遺跡は点在しているはずですし。何より、色んな人と出会って話したりできるのが単独行の良い所です。

巡礼といえば、飯泉観音には四国霊場お砂踏みのミニ霊場もあるので、参拝のたびに3~5ヶ寺巡礼しています。
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今日で23番の薬王寺と鯖大師まで来ました。
徳島県霊場もようやく終わりです(笑)

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道了尊のお御輿、ロマンスカーで新宿へ

下の記事にもありますが、昭和5年以来の大イベント。
【大雄山最乗寺が80年ぶり首都圏御開帳、30日から都内など行脚】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101029-00000031-kana-l14


檀家が無いお寺だから、どこかのみこし会に依頼してるみたい。東京まで出開帳して練り歩くんだから気合はいってるだろうな。
でも初日のこの雨、天狗さんだけに雨は瑞祥だろうけど、寺も担ぎ手もちょっと可哀そうだ。あそこの歩道、苔で滑りやすし。
一緒に行列する稚児たち、風邪引かないといいけど。

この道了尊は、南足柄市にある大雄山最乗寺(曹洞宗)の守護尊とされる垂迹神で、お姿は飯縄権現や秋葉権現に似ています。違うのは翼が無いのと、剣ではなく杖を持っているところかな。
もとは、寺の開山であった了庵慧明禅師の入寂に殉じて火定(つまり自ら焼身する即身成仏)した“妙覚道了”という山伏を祀ったものです。
のちに寺の鎮護神となり、また諸願成就の祈祷対象にもなった、天狗信仰の一種であります。
江戸時代には“小田原の道了尊”として富士山参りや大山参りとセットで広く親しまれました。

江戸への出開帳は江戸時代に2回、明治と昭和初期に各1度。
今回は開山・了庵慧明禅師が亡くなって600年目にあたる大遠忌としての出開帳です。

普段は宝物館(見学可)に収まっている豪華御輿にご真体(寺なので)入りの厨子を納めて、今日山を下ります。
明日は特別貸し切りの大雄山線で小田原へ。10時半頃、駅から御輿巡行し、小田原城址公園と「ういろう」本店でご祈祷。
11月1日は小田急ロマンスカーに乗せて東京の別院へ(5日まで)。3日は両国国技館で大祈祷。
6日は箱根強羅別院で、7日に巡幸行列を連ねて大雄山駅から帰山。とのこと。

この間、連日担げる様な人はきょう日いるのだろうか?
それこそ天狗のような気もする(笑)

私は明日の小田原巡幸だけ見てくるつもりです。
でも、御輿がロマンスカーに乗ってるところも見たいな。
下北沢の別院とかは通過みたいですが、車内でご祈祷してたりして(笑)

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船岡大祭

長期休みも残すところ二日。
当初は姫路から直帰するか、大阪で一泊してお城見物と時期外れの七福神めぐりでもして帰ろうかと思ってましたが、今居てるのは京都(笑)
突然連絡したにも関わらず、お松さんに一日ガイドして頂きました。(大変世話になりました~!)

京都で今日19日に船岡大祭ってのがあると知って、急遽こちらに変更したのでした。
これは船岡山にある建勲神社のお祭りで、祭神の織田信長が京都上洛を果たした日に行われているのだとか。
神事では仕舞・敦盛や胡蝶の舞が奉納され、火縄銃の実演も行われます。
今どき火縄銃の実演はそれほど珍しくないけど、せっかくのタイミングですから。

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実演される火縄銃には、こんなデカイのも。重そう。


で運良く、織田信長の菩提寺である総見院(大徳寺塔頭)の特別公開にもあたっていたので、こちらも併せて見学して来ました。
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こちらには祭りの前、開門の頃に行ったので落ちついて見学できました。
葬儀に使われた織田信長の木像や輿のほか、一門の位牌もありました。
織田信長や戦国大名・織田氏が好きな人には興味尽きない場所かと思います。
個人的には、釣瓶井戸に使われていた織部焼きの滑車に目を惹かれ、とても印象に残りました。
あと説明してくれた方。
分かりやすく色々と説明してくれたのですが、信長や秀吉、堀秀政には「公」を付けて呼んでいたのに、明智光秀は「みつひで」(笑)
まあ、お祀りされてる方や施主を敬称してるだけなのでしょうけど。
一回だけミスって「光秀公」と言いそうになってましたが、見学者は聞こえないフリ(笑)


お昼は「さらさ」という喫茶店で。
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もと銭湯だった建物は、外観こそ唐破風のついた昔風銭湯ですが、室内はオリエンタルなタイル張り。
どんな風呂だったんだろ。
食べたのはランチセットですが、美味しかったです。
京都って、カッコいい喫茶店がたくさんありそう。

午後は、気になっていた戦国グッズの店など行ってみたのですが、大した収穫はなし…。
唯一あった北条グッズのトートバッグを買ってきました。


その後、門跡寺院・青蓮院へ。
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国宝の青不動(画像)が特別開帳ということで行ってみました。
仏教美術の本とかでよく見かけるあの青不動さんです。
これがそーかと、護摩堂でじっくりと見させて頂きました。
が、横でお松さんボソッと
「いつものレプリカと同じように見えるんですけど…」
うっ…(汗)
確かに、像なら違いが素人目にも分かりそうだけど、画は…
ましてや照明落とした堂内。
実は私も内心そんな気がしないでもなかった(苦笑)


夕暮れ時にぶらりとした祇園は良い風情。
縁切り神社で有名な金毘羅さんに寄ったら、縁切り祈願の札がドーンとあって驚いた。
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見仏・横須賀 浄楽寺(運慶仏五体)

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間が空きましたが、19日は仏像めぐりに行ってきました。

今月初めにたまたま、部屋にあった雑誌『週間 原寸大 日本の仏像』の40号「運慶仏めぐり」をパラパラ見てましたら、この日が横須賀市の浄楽寺というお寺で行われる年に二度の仏像公開日だと知りまして。

浄楽寺は、和田義盛が文治五年(1189)に建立した七阿弥陀堂の一つが前身とされる古刹。建永元年(1206)の風害に遭った後、鎌倉の大御堂(源頼朝が父・義朝の供養のために建立した勝長寿院)の建物一部を移築して再建したことから、院号を勝長寿院とした由来があります。

ここにある運慶仏は5体で、阿弥陀三尊および不動明王と毘沙門天。
いずれも国重文です。

江戸時代の地誌などでは、阿弥陀三尊は鎌倉の勝長寿院にあった本尊を移したものだと考えられていましたが、昭和34年(1959)、毘沙門天像から胎内銘板が発見されたのが契機になりました。
銘板には、文治五年(1189)、和田義盛夫妻を願主として運慶が小仏師10人を率いて造立したことが記されていたのです。

その後、昭和45年に不動明王像からも同じ内容の銘板が見つかり、阿弥陀三尊の胎内に記された墨書銘の書風(つまり筆跡鑑定ですな)もこれらと一致する事から、5体いずれもが運慶によるものだと判明したのでした。

そして文治五年といえば、寺伝で云われていた和田義盛の七阿弥陀堂の創建の年であることから、この像は当時の本尊であったと確信されたのだそうです。

さらに、この書風による鑑定で伊豆の願成就院の像(阿弥陀如来・不動および二童子・毘沙門の五体)も、浄楽寺の三年前の運慶作と断定されることになり、浄楽寺での発見は運慶研究を大いに進めるものとなったのでした。

まあ、上の多くは帰宅してから頂いた資料やら書籍やらで知ったのではありますが。
今、あらためて色々と本など見てみますと、よく写真で紹介されてる仏像だったのですね。


ところで今回の拝観、実は前日まで行くか行くまいか迷っていました。
が、当日になってみると朝早く目が覚めてしまい、もう行くしかないなと(笑)。まるで遠足を控えた小学生みたいです。


JR横須賀線の逗子駅からバスに乗って約25分。
途中、葉山御用邸前を過ぎて長者ヶ崎あたりに出ると、道は海沿いに。
秋らしい群雲が西の空に広がりつつありましたが、まだ湿度は感じられず、朝光爽やか。
ほぼ無風でしたので、海のにおいは薄っすらと。

バス停「浄楽寺」で降りると、お寺は目の前です。
門前には、“特別開扉”と書かれた立て看板。
しかし、そこには10時からとありました。
時計を見ると、まだ9時前。
不覚。
渋滞を避けるために早く来たのですが、開館時間の確認を完全に忘れていたのでした。

本堂の周りをうろついてみたりしましたが、世話人さん達も到着したばかりで、掃除や飾りつけなどでバタバタしています。
やはり、10時まで待つしかなさそうです。

時間を潰すため、少し道を戻り、途中のコンビニでおむすびとコンポタを買い、立石海岸に行ってみました。

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立石。
たしか浮世絵の画題にもなっていたはず。
相模湾向こうの伊豆や富士に陽が沈む夕景は、今でもカメラマンに人気の構図です。

沖ばかりでなく、海岸線もまた変化に富んで景色に優れています。
この辺りから長者までの岸壁沿いを「大崩」と呼ぶのだそうです。
かつて北条早雲の軍勢に追われた三浦道寸の軍が、抵抗をしつつ新井城へと後退していったのだとか。
地名の由来はやはり地形にあるのでしょうが、語り聞く悲話が結びついていったのでしょうか。

10時になったので、ちょうど通りかかったバスに飛び乗り浄楽寺へ。
拝観のお客が結構集まって来ていました。

少し早足に本堂本尊で拝礼、そして裏手の収蔵庫へ。 コンクリ造りのしっかりした建物です。
入口には沢山の履物。早くも拝観者でいっぱいでした。
開館してまだ5分程だというのにこれだけ来館しているというのは、意外と近所の方々が多いのかもしれません。
拝観料100円を払うと、お寺や仏像の説明を記したプリント2枚手渡してくれました。


館内は、中央に阿弥陀三尊。右手に不動明王。左手に毘沙門天の尊像。
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/bunkazai/kuni01.html
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/bunkazai/kuni04.html

阿弥陀如来は座像で、この三年前に建立された伊豆韮山の願成就院の阿弥陀像とよりやや低い像高。
保存状態は浄楽寺の方が優れているようです。
素人目には、金箔が落ちた状態の願成就院の阿弥陀様に比べ、(後補とはいえ)再貼しているこちら浄楽寺の阿弥陀様の方に、浄土曼陀羅の如き荘厳さをイメージし易く感じました。
厚めで男性的な安定感があるものの、顔は丸みを帯びて表情もやや和かく感じます。

脇侍の両菩薩も実に堂々としています。
それぞれ一体で安置しても、本尊としての存在感があるのではないでしょうか。
今のところ、確実な運慶作の菩薩像としては唯一の作例だそうです。


不動明王像は、への字に歯をくいしばり、片目をすがめた面相。
なかなか凄味のあるお顔です。
剣や索を握る両腕は、特に肘から前腕にかけて大きな力がみなぎっている緊張感を感じました。
心なしか玉眼が血走っているようにも見えます。


毘沙門天像もまた、眼光鋭く力強い動きを感じるお姿。
東国武士好みらしい逞しさとでもいえましょうか。
願成就院の毘沙門像は、ふくよかな顔と伸びやかな姿勢が安定感を感じましたが、こちらはより好戦的というか動きを感じます。

これら浄楽寺(の元の阿弥陀堂)の阿弥陀・不動・毘沙門の組合せは、願成就院と同じ構成。
一説には、三浦氏一門の和田義盛が北条氏に対抗して建立させたものだとも考えられてもいるようです。
不動尊に強烈な憤怒、毘沙門天に好戦的な感じを受けたのは、そのような背景があるからでしょうか。
それとも、私が北条贔屓な人間だからそのように感じたのでしょうか(笑)。

そのほか、不動明王像から出た銘札や北条政子が寄進したという銅製懸仏も展示されていました。
ただ、真贋が明らかではないようです。

収蔵庫内では、ご朱印も受付ていました。
不動尊と毘沙門天の判があるようで、これを目当てに訪問されている方々もいたようです。

退出する前、少し下がった位置で阿弥陀三尊を拝みましたが、先ほど間近で見上げたときより、阿弥陀の視線といい三尊のバランスといい、しっくりするものがありました。
本来の阿弥陀堂で祀られていた姿がどのようであったかは分かりませんが、そのぐらいの距離をおいて拝むよう配置されていたのでしょう。たぶん。

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早雲寺 11月の公開日

早雲公はじめ北条五代の菩提寺である箱根湯本の早雲寺ですが、11月7日(金)~9日(日)に寺宝と襖絵の特別公開がされます。

普段は拝観できないお寺ですので、ご興味ある方はこの機会に如何。
ただし、雨天の場合には早雲像など拝観できない場合があるかもしれませんので、悪天の場合などは事前確認なさった方が良いかもしれません。


http://www.hakonenavi.jp/hakone_info/event.html

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初不動・火渡り行

20128_024128日の初不動には、関東三十六不動霊場の札所詣でに参ろうかと思いましたが、先日の甲子参りの折に都内の不動尊寺院もいくつか行きましたので、近所のお寺で不動尊詣でを致しました。

ウチの近所にある満福寺
ココでは毎年この日に、火伏せや無病息災を祈願する火渡り行が行われています。
市でも季節の観光行事の一つとして紹介されていますが、自分らにとっては小学生の行事でも参加したお馴染みのもの。
のぼり旗が立っているのを見て「あ~、明日は火渡りか」という感じでしたが、今年は久々に行ってみることにしました。

火渡り行が行われるのは、午後1時頃に始まる柴燈護摩の後半ですが、すでに11時半にはベストショットを狙うカメラマン達が場所取りを終えていました。

私は、本堂でご祈祷に参加してから外に出たのですが、もうその頃は斎庭は見物客でいっぱい。
とりあえず、人波の後方から手を上げてポチポチ撮っておきました。

20128_0391山伏問答や結界を張る祭文などを聞いていると、五大明王を配しているのでしょうか。
なかなか興味深い内容ですが、天台系の修験宗(本山派)である板橋の量覚院の山伏問答の方がやや長いような気がしました。
ま、両方出ておられる行者さんもいたような気もしたのですけど(笑)、今はあまり宗派を気にしないのかな?

宗派といえば、ここはウチのお寺と同じ宗派なので、どこかで見た方がいるな~と思ったら、菩提寺のご住職でした。
あと、中学の時の先輩も親父さんの跡を継いで参加されてました。

20128_0661柴木に火が点けられると、錫杖や読経が響くなか、参加者はそれぞれの願文を書いた護摩木を火炎に投げ込みます。
私は、家内安全と身体健全を祈願。
思い切り投げてしまったので、つい火を飛び越えて向こう側に行ってしまいましたが、きっと誰かが放ってくれたでしょう。

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そして、行者たちの火渡りが行われると、水天の真言「おんばろだやそわか」の唱和のなか、一般者の参加に。

せっかくなので私も火渡りに参加してきました。
裸足で歩かないといけないのですが、一般者には火や灰をよけてくれるので熱さはまったくありません。
むしろ、地面が冷たいので、皆さん、トットコ渡って墓場で足を洗っていました(笑)。

私は家がすぐなので、帰宅してお湯で洗いましたが、わざわざ見に来られる方は足洗い用のタオルかウェットティッシュと収納用ビニール袋を持参した方が良いと思います。
あと、寒かったり、風が強いときは火の粉が飛んだりしますので、衣服にも気をつけた方がいいかも。

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初虚空蔵その2

さて、鎌倉駅には戻らず、延命寺前の踏切りを渡って、若宮大路から海岸橋を経て長谷寺に。
20113_1201三橋の信号あたりに来ると、さすがに観光客でいっぱいです。
小町通りの次に観光地らしい賑わいがある場所なのでしょうかね。

実は私、ここに入るの初めてです。
マイナーな史跡を好んでいるわけではありませんが、いつも混んでるのでどうも敬遠してまして・・。
アジサイなら成就院でも良いし、眺望ならその裏山の霊仙山の方が優れているし。そして無料だし(笑)。
でも、坂東観音巡礼を始めてからは、いつか行かねばと思っていました。

受付で入山料を払って中へ。
さすがに広いです。
が、参拝者というか観光客もたくさん。

20113_1231観音堂へ行って、坂東観音四番目の観音様をお参りしましたが、さすがにこの混雑では看経(かんきん:お経の黙読)も邪魔にされてしまいますので、十句観音経だけ読ませて頂き、ご朱印を頂きました。
まあ、デカイ観音さんなので、遠くからでも拝めるのですけどね(笑)。
鈴杖を持った長谷寺スタイルが特徴的。

デカイといえば、隣の阿弥陀如来も大きいです。
こちらの阿弥陀さんは、廃寺になった他の寺院から運ばれたものだそうですが、由比ガ浜から見て西の山におわす現在のポジションはなかなか良いのではないでしょうかね。
観音像の実際の造立年代ははっきりしないとの事ですが、天平8年創建という寺伝は杉本寺に次ぐ古刹かと思います。
20113_1451海に臨む観音霊地ということで、熊野信仰なんかも後世に入っているのかな、などとも思うのですが。

阿弥陀堂と反対隣が、宝物館兼大黒堂。
大黒堂はもとは階段下にあったようですが、今は古い大黒像は宝物館入りし、鎌倉七福神には別の大黒天と三面大黒天、彩色された「なで大黒」などがありました。

宝物館は3月から有料制となるそうです。
いかほどの入場料になるのかは分かりませんが、大型の相模型板碑や大きな御正体などは県内でも珍しいし、三十三応現身像なんかは玉眼が入っていて、間近くで見ると結構なまなましかったり。

お堂の後方には展望台へと続く道。
昨年、景観条例だったか埋蔵文化財保護だったかの違反で色々報道されてましたね(笑)。
ここも、人がいっぱい。
虚空蔵堂のご祈祷ももうすぐだったので、このあたりで退出することにしました。

ほかにも、経蔵はマニ車みたく回して経を一読したことになる輪堂だったり、弁財天とその眷属十六童子を陽刻した洞窟「弁天窟」なんかもあってなかなか楽しめるお寺でした。
また、ゆっくり参拝に行こうかと思います。
ただし、混雑の少ない開門の頃に。


早足で虚空蔵堂へ。
御霊神社の前も七福神めぐりのお客さんで結構にぎわっています。
さきほど、若宮大路の渋滞にはまってる観光バスを見たら、「鎌倉七福神ウォーキングとイチゴ摘み」なんてツアー名が書いてありました。
それも一台や二台ではない。
結構人気あるのですね、鎌倉七福神。さすが観光地。
来年の候補に鎌倉七福神も考えていたのですが、こんなに混むなら正月以外にしようと思ったのでした。
ここは通年対応してるみたいだから・・・。

20113_1611虚空蔵堂にはご祈祷の10分ほど前に到着。
大して並ぶこともなく、お線香をあげ、参拝へ。
私は特にご祈祷を頼むことも無かったので、堂内には入らず外からご開帳の尊像を礼拝させて頂きました。
お顔は吊り下がった幕の影でよく分かりませんでしたが、お前立の像より華奢な感じ。
その後も参拝客があまり増えなかったので、しばらく外から拝ませてもらいました。

これで今日の目的は達せられました。
これまで毎年、来ようと思って実現しなかった虚空蔵堂のご縁日参拝。
満足満足。
自分の干支の守り本尊ですからね♪

20113_2001その後、御霊神社を参拝してから帰宅。
境内には紅梅が咲いていました。

そして、ここでも福禄寿を拝観・・・。
結局、5箇所も鎌倉七福神に寄ってしまいました~。
ご朱印もらっとけば良かった・・・。
ま、いいか。
また出直しってことで。

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