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湘南ひらつか七福神 写真 (後編)

七福神も残すところあと二か所。
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毘沙門天担当の春日神社さんは、平塚宿の鎮守のお社。
旧東海道からは北に奥まった場所にあります。

歴史は古く、もとは黒部宮(くろべのみや)といって、現在地のほぼ真南、平塚市黒部丘にあったそうです。
社務所でうかがった話では、花水川の岸近くにあったのが、水害に遭いやすいとの理由で現在地へ遷されたらしいとのこと。『吾妻鏡』に記された「黒部宮平塚」というのが、文献上で初見される平塚の地名で、宿の成立にも関わるお宮なのかもしれません。
源頼朝が、妻・北条政子の安産祈願に神馬を寄進した寺社の一つでもあります。

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この辺りは空襲の被害から免れたのでしょうか。社殿や石垣には時代を経た風格が感じられます。
また、境内には鐘楼があり、習合時代の面影も。

境内には天満宮、龍宮社など幾つかの末社。
それぞれにオリジナルののぼり旗が奉納されており、なかなかカラフルです。
龍宮社は、山の龍神さんと海の龍神さんそれぞれが別のお社に祀られていました。

天満宮の隣に新築のお堂が建ち、そちらが毘沙門堂。
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建物は神社っぽく流造りのようですが、ちゃんと“お堂”と書いてあります。
数珠やおりんまで置かれ、完全に仏式。
由緒書によれば、かつての別当寺・廣蔵寺(古義真言宗)に祀られていた多聞天に倣ったとのこと。
これは、神社側の方が習合時代の信仰を進んで再現するのは珍しいと思いました。
(大山みたいに完全に別組織になってしまうと難しいのでしょうが)

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お堂は開扉されており、毘沙門さんと、その妻・吉祥天、息子代表の善膩師童子(ぜんにしどうじ)の三尊像を拝む事が出来ました。
この時は七福神イベント期間という事で拝観叶いましたが、普段は奇数月の初寅日にご開帳とのこと。

七福神などで神社が毘沙門天を担当する場合は、それぞれの流儀が見られて面白いですね。
大黒さんや弁天さんは、大黒天=大国主命、弁財天=市杵島姫命、というのが習合時代からの通例のようですが、毘沙門さんはそういうの無さそう。

参考までに今まで行った神社系の毘沙門天の場合を見てみますと…

箱根、駒形神社の毘沙門天社(箱根七福神)
・・・毘沙門天として祭祀。

藤沢、白旗神社の毘沙門天像(藤沢七福神)
・・・毘沙門天として祭祀?(開眼されているようですが、相殿祭神としては記されていない)

鎌倉、白山神社の毘沙門天
・・・相殿して祭祀。本来は主と末の関係であった毘沙門堂と白山社が逆転した形。

東京日本橋、末廣神社(日本橋七福神)
・・・武甕槌命を毘沙門天として。

東京麻布一本松、氷川神社(港七福神)
・・・毘沙門天との相関は明記しないが、祭神は素盞嗚尊・日本武尊。
朱印で頂く毘沙門天御影は、日本神話的なお姿。

と、まちまち。私が気にしても仕方ないのですが(笑)。
逆に恵比須さんをお寺が担当する場合もありで、新たに札所として担当する場合はそれなりの由緒を出してあげたりと、寺社さん方のご苦労もあるかと。
現世利益の神々だけに、由緒の有る無しで箔の出方が違うというか、参拝者の数にも差が出そうな気がします。

春日神社の社務所では、親切な女性神職の方が色々と話をしてくれました。
神社や歴史の事など、また改めて参拝の折に聞いてみたいと思います。

朱印を頂いている間、今日はじめて七福神めぐりの方と出会いました。
ご夫婦で車で回られているようでした。


そして、いよいよ最後の妙安寺。
しかし、満願する前に、平塚宿の遺跡めぐりを少しばかり。

平塚宿の京方見附跡は春日神社からほど近く。
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ここからは広重の東海道五十三次の平塚宿に描かれた高麗山を眺める事が出来ます。

古花水川に沿って街道を海側に少し入っていくと、相模薬師霊場10番札所の薬師院がありました。
今となってはお薬師さんを拝むことはできませんでしたが、本堂前の蓮の花が迎えてくれました。
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ここも弘法大師ゆかりの古刹で、(かすれて読み難かったですが)門前の由緒書によれば、かつて金気多く飲用に適さなかった湧水を大師が清水に変えたという霊地であるそうです。
水や温泉に関わる大師伝説は本当に多いですね。

再び街道に戻ります。
次に目に入ったのは、こちら平塚市消防団第一分団の詰所。
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広重の平塚宿の絵と、海鼠(なまこ)壁風の装飾が目を引きます。
ここは、平塚宿の西組問屋場跡ということで、団員達の愛郷心が感じられるようです。
加えて、火の見櫓状の防災無線塔が何とも言えない味わいを醸し出しています。

宿場関係の記念碑はこのほか、本陣・脇本陣・東組問屋場・高札場があり、
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(本陣跡)

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(高札場跡、道路向こうに東組問屋場跡)

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(脇本陣跡)

宿の東端には江戸見附跡。
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これらのほとんどは、平成13年、江戸幕府の東海道制定400周年を記念した「東海道ルネッサンス事業」の際に設置されたもの。神奈川銀行前の本陣跡の碑は当時既存だった為か、同企画の碑は見あたりません。
でも、こういうのはやはりお揃いで欲しい。今更ではありますが。

この「ルネッサンス」イベントの時は、小田原でもシンポジウムというか各宿場の交流会みたいなのがありまして、私も仕事で参加しました。盛り上がりの度合いは地域によって様々でしたが、各地の観光パンフを眺めていると、実際通しで歩いてみたいと思いました。
“東海道五十三次どまんなか”の静岡県袋井市などは一番気合が入ってた場所の一つですが、今では名物「たまごふわふわ」が結構有名になりましたね。
このイベントもはや過去のものとして忘れられようとしていますが、今後も県レベルで各宿場がジョイントしたイベントを仕組んでも良いのではないかと思います。

脇本陣跡近くの平塚本宿郵便局では、風景印をもらいました。
なかなか良いでしょう。「七夕飾りと高麗山(と小さく富士)」の景。
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暑中見舞いにも使えそうな柄です。
このほか平塚本局に行けば「牽牛と織姫」の風景印もあると聞いたのですが、今回は時間が押していたので諦めました。


そして、妙安寺(日蓮宗)さんへ。
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ついにコンプ!もとい満願であります♪
この喜びをタワシ持つ手に替え、ゴシゴシ念入りに洗わせてもらいました(笑)。

こちらの担当は大黒天。
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大黒さまは、ご本尊の足もとの辺りに。

遠め目だと分かりにくいので、一部拡大。
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この大黒さんは、ご住職が三度の荒行を成して請来されたお像とのこと。
そういえば、日蓮宗は扱う加持祈祷によって修しなければならない荒行の回数が異なると聞いたことがありますが、大黒さんは三度の行満が要るのでしょうか。
文字通り、血と汗と涙の結晶。ありがたや。
こちらでは、夏のほうろく灸のほか、納め甲子に大黒天の大祭を行っているようです。
私は今まで甲子参り(初めと納め)は毎度東京に行ってましたが、近くの平塚にもあったのですね。

妙安寺は“平塚の鬼子母神”として親しまれていたお寺だそうです。
本堂の写真を見ると、中の本尊よりも脇の鬼子母神像の方が大きくて存在感溢れています。
このお像は、徳川家康の側室・お万の方の持仏であったのを、奥女中の妙安尼(妙安寺の開基)が拝受したもので、それを本尊としたのが妙安寺の創立なのだそうです。

ご朱印は色紙とご朱印帳に頂きました。
朱印帳のご朱印代は不要とのことでしたので、その分と寸志を義援金箱に入れさせて頂きました。

また、授与品で大黒さんの福銭があったので、三嶋神社の恵比須さんと対になるように求めました。
この時は、三嶋神社さんの福銭に大黒さんも入ってるとは知らず、結果ダブル大黒さんを頂くことに。
現在は、三嶋神社さんのは貯金箱に、妙安寺さんのは財布に入れてお守り頂いております。

これにて満願。
色紙を大事にしまい、翌日から始まる七夕祭りの飾り付けなど見物して、平塚を後にしました。
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そういえばお昼食べるの忘れてました。
今度は、弦斎まつりの頃にでも来るとしましょうか。
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湘南ひらつか七福神 写真 (中編)

須賀港を後にして、次は東海道線北側の寺社へ参ります。
途中までさっきと同じ道を戻り、平塚競輪場やオリンピック百貨店が並ぶ道から線路を越え、国道1号線へ。
「ひらつか七福神」は大きな道沿いの寺社ばかりなので、順路は非常に分かりやすいと言えます。

ただ、余り真っすぐな道ばかりは自動車みたいで面白くないので寄り道。
自転車の本領発揮です(笑)。この暑いなか、徒歩でしたら無駄な行動は控えてしまったでしょう。
まずは、せっかく海近くまで来たので浜まで。
観光協会の地図には「平塚砂丘」とあり、富士山も見えるとの事。
国道134号線を渡る横断歩道がチト遠かったのが予想外でしたが、確かに砂の豊富な浜でした。
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しかし、これでも侵食などで大分減って来ているとの事。どこもそうなんですね。
あいにく富士山は見えませんでした。
(暑いと書きましたが、この日は天候が不安定で、晴ときどき雨という感じでした)


こんどは長楽寺の方へ戻って、門前の住宅地をポタリングしていると、小さなお稲荷さんが所々に。
小田原もそうですが、漁師町やその周辺てお稲荷さんが多い気がします。

その中でもインパクト大だったのが、こちら。
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鳥居を覆うばかりの鬱蒼さに、つい自転車を止めて杜の中へ入ってしまいました。

外から見ると暗くて不気味でしたが、境内は掃き清められており、立派なお社でした。
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ご神木のタブノキには平塚市保全樹木との標示があり、大事にされている森のようです。

鳥居横の掲示板には、「妙徳稲荷大神」とあり、相殿として「木曽御嶽大神」と「日月神道日津久宮」が祀られているとの事。
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後者の“日月”の文字は象形文字風な字体で、いわゆる“神代文字”のような。大本教系の個人がお祭りされているお稲荷さんなのかもしれません。社務所らしき所も人の気配が無かったので、良く分からないままでした。


そろそろ七福神巡拝に戻って、今日の4番目の霊場。馬入橋にほど近い、蓮光寺(高野山真言宗)さん。
こちらは布袋尊の担当。
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国道1号線を渡ると、築地風の立派な壁が見えてきますが、山門がまた風格漂ってます。
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高野山東京別院の(前身である寺院の)旧山門を移築したのだとか。
江戸時代までは、後ほど向かう平塚八幡宮の供僧を務めた歴史もあるお寺です。
本堂は近代的なコンクリ建築。その前では、よく育ったサボテンが花を咲かせていました。

布袋さんは本堂斜め前、鎮守のお稲荷さんと地蔵さんに挟まれて立っていました。
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まだ新参者という感じです(笑)。
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七福神ののぼりが無いと、お地蔵さんの一体として勘違いされてしまうかも?スキンヘッドだし。

実は、お隣のお地蔵さんの方が、お寺の名物というか知られた存在なのです。
「持ち上げ地蔵」といって、願い事を心に念じながら持ち上げてみて、軽く感じたら願いが叶い、重かったら叶わない、という占い地蔵さん。関西では伏見稲荷の「おもかる石」や、高野山の「みろく石」など時々見かけたりしますね。
このお地蔵さんは、明治12年に東京上野の浄名院の住職が開眼した八万四千体のお地蔵さんのうちの1体だそうです。ということは、他に八万三千九百九十九体の地蔵ブラザーズが居られるわけです。彼らが今どうなってるのかも気になります(笑)
もとは近隣地区の個人宅で祭祀されていたものだそうです。
蓮光寺さんは高野山真言宗ですので、見立て「みろく石」地蔵さんとしてもピッタリな気がします。
ついでに布袋さんの本地というか、本家の唐土では弥勒菩薩の化身として崇められていますしね。

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私も試しに抱えてみましたが、想像以上にかなりズッシリ(笑)
見かけの可愛さとは裏腹にヘビーなお地蔵です。
欲を張るんじゃないよ、との有り難い喝だったのでしょう…
まあ、覆堂の下のお地蔵さんを抱くにはかなり前傾姿勢でいかないと触れないので、力を入れにくいのもありますが。やはり、欲を出しちゃイカンのでしょうな…

ご朱印は庫裏で。
正午10分ほど前だったので悪いかなと思いましたが、おだいこくさんが快く対応してくれました。

蓮光寺の隣には、先ほどのお地蔵さんにちなむという力餅が名物の弘栄堂。外に貼られた「冷やしモカ大福」というのに袖引かれる思いがしたのですが、先ほど最中を食べたばかりなのでまた今度。

次の平塚八幡宮へは、国道1号線をこのまま西へ。
ここの国道はかつての東海道ではなく、戦後の区画整理で設けられた新道のようです。自動車の交通に適した広く真っすぐな道は、徒歩や自転車には少々退屈かも。
八幡宮を目の前にした「宮の前」交差点では、横断歩道が無く歩道橋オンリーだったのが困りました。市役所近くの交差点まで行く遠回りに。
私と同じく自転車で同コース巡る方、蓮光寺参拝後は「馬入交差点」で左の旧道、つまり旧東海道を進んだ方が良いと思います。新道にくらべると歩道も狭いですが、等身大の人間としてはこのスケールくらいの方が落ちつくように感じます。


平塚八幡宮の鳥居には五色の七夕飾り。
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しかも、よく見ると七福神バージョンの飾りです。左右に社紋の鶴丸。中央に宝船。そして担当の弁財天が。
まさに七夕ならではですが、この時期に限ってはここをスタートかゴールに定めて巡るのも良いかもしれません。特にグループで回られる場合は、全員の記念撮影にぴったりかと。

弁天さまは、鳥居をくぐって左手、池中の島に鎮座されておりました。
鶴岡八幡宮の旗上弁天社とは逆の場所ですね。
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緑に朱い鳥居と祠が映えています。お像は無いようです。もしかしたら、祠の中に宇賀さん(人頭蛇身)の石像?とも思いましたが、祭神は市杵島姫命。ご神体はオーソドクスに御幣なのかも。
『新編相模国風土記稿』を見ると、江戸時代には境内に弁才天が祀られていたと記されていますが、やはりこちらは廃仏されてしまったのかもしれません。
この弁天さまは、同市岡崎の駒形神社末社・弁天社から新たに勧請されたとのことです。
池に鳥居立てるの、ご苦労だったでしょうね。

まだ寂しげな、というか、八幡さんの参道から目立たない感じですので、もう少し賑やかになって欲しいなあ、という気もします。
ま、その辺、ごちゃごちゃして霊域を損ねないように、兼ね合いなど難しい点あるのかもしれませんが。

続いて八幡さまにお参り。
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今年は夏越大祓に神社参拝できなかったので、茅の輪くぐりできたのは幸いでした。
平塚八幡宮は私の初宮まいりの場所であり、何となく特別な思い入れがあります。生まれも育ちも小田原の私ですが、父の仕事の都合で、乳児の一時期平塚に住んでいました。

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ここは、おみくじの種類が豊富でした。
こども用、七福神、縁起もの、勾玉、などなど何でもござれ。社務所の前には、男みくじ・女みくじなんてのも。
私はもちろん、「七福神みくじ」!
小吉で毘沙門さまでした。


そろそろお腹も空いてきましたが、残り2社寺ですので続けて行きます。
国道に戻り横断歩道を渡ると、豊川寺なるお寺が。
曹洞宗とあるので、豊川稲荷の支院的なものかと思い足を止めると、門前の再建由来碑には、戦前に豊川稲荷の分霊を勧請したお寺とありました。戦後の火災で焼失してからは、普通のお寺のようです。
ここもまた後日改めて参拝してみたいと思いました。


春日神社に向かう途中、平塚2丁目の大鳥神社へ寄り道。
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この辺りは戦後しばらくまで遊郭があった場所と聞いていましたが、昔を偲ばせる建物などは見かけることはできませんでした。バス停に「桧扇町」というのがありましたが、これなどは当時に因む地名なのでしょうか。
大鳥神社といえば、江戸の新吉原にも鷲(おおとり)神社がありますね。それに倣ったのでしょうか。
お社の後ろには、関東大震災の遭難者供養碑と、地蔵・馬頭観音など石仏が集められていました。石仏の多くは近代以降のもののようで、なかには「玉の霊」と刻まれているものも。飼い猫でしょうかね。

平塚2丁目から4丁目にかけては住宅街に緑地公園が点在していました。
そのなかに、“鏡山お初”の墓や、地名由来伝説に語られている“平塚の塚”などもあって、歴史を感じさせる場所です。
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平塚宿の北外れにあたるこの辺り、お寺が多い場所だったのかもしれません。
この後に参拝した春日神社で聞いたところによると、神社向かいの公園は、旧別当寺の広蔵寺があった場所だそうです。


(つづく)

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湘南ひらつか七福神 写真 (前編)

湘南ひらつか七福神を参拝した人のブログ、まだ余り見かけませんので、写真でちょっとご紹介。
上から参拝した順です。


平塚駅西口近くでレンタサイクル(200円)した後、北口の地下通用路を通って南口へ。
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最初は、善性寺(日蓮宗)さん。南口から須賀港への道をまっすぐ。
戦時中に横須賀から引っ越してきたお寺だそうです。
よく清められたお庭、重厚な玄関戸に宗派紋のステンドグラスが印象的でした。
私はここから発願。色紙は500円です。

こちらは福禄寿の担当。
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なんと象牙から掘り出されたお像だそう(シャレではなくw)。
同じ白でも、陶器よりもしっとりとしたツヤがあります。
前には三彩の菩薩様、背景には螺鈿の釈迦説法図と、アートに荘厳なされておられました。

ちなみにこちらは朱印はセルフで。
最初という事もあって、かなり手首が緊張しましたが上手く押せました。


次の三嶋神社さんは、善性寺さんの道路向かい。
こちらからは西参道ですぐに拝殿脇に出ますが、神社はやはり正参道から参りたいもの。
境内に隣接する公民館に自転車を置かせてもらい、一つ二つと鳥居をくぐって参拝。
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お神輿を通す為でしょうか、鳥居の基礎をさらに高く上げているのはどうしてでしょう。
右にある小社は弁天社。昔は池があったのでしょうかね。

ご祭神は事代主命と大山祇命。
本家三嶋大社と同じく、恵比須様としてもお祭りされています。
そんな恵比須さん、ここでは拝殿斜め前にブロンズ像が。
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社務所で色紙とご朱印帳に印を頂くと、福銭を下さいました。
あとで封の中を見ると、米粒大の恵比寿さんと大黒さんが入っていました。ありがたや~♪


次は、寿老人担当の長楽寺(高野山真言宗)へ。
ここも同じ道沿いで、須賀港へほど近く。
この付近は歩道の幅が広く、自転車通行帯も明示されているので通行も快適でした。

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長楽寺は本堂が造営工事中。葺いたばかりの瓦が鮮やかでした。
お寺の由緒書を見ると、弘法大師が関東・奥州巡錫のさい、伊豆から海路上陸し滞在した霊地、という伝説があるそうです。
伊豆は修禅寺などが弘法大師伝説で有名ですが、その続きといったところなのでしょうか。それはともかく、古くからの海路を伝える話のようで興味深いです。

ご本尊はお薬師さん。
寅年の昨年いくつか参拝した、「相模薬師霊場」の十一番札所とのこと。ちょうど、仮本堂におられましたので参拝できました。
寅年開帳の時は平塚市までは参拝できなかったので、寿老人さんとダブル参拝できてラッキー♪
お薬師さんは専用のご朱印帳に押してもらっているので、後日また改めて参拝に来たいと思います。
ちなみに、帰宅してから『新編相模国風土記稿』を読みましたら、こちら三嶋神社の旧別当寺で、お薬師さんは本地仏だったそう。
三嶋明神の本地がお薬師さんというのは多いですね。薬師信仰というと、つい中世以前にさかのぼる古仏が多い印象ですが、習合信仰では割とポピュラーなようです。

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さて、寿老人さんはというと、仮本堂の軒先に居られました。大小のダブルおじいさん。
大の方は巻物を持ち、小の方は桃を持っています。巻物は不老不死の秘儀が記された経巻なのでしたっけ?
この巻物、福禄寿が持っている場合もありますね。
もしかしたら、隣の老人は福禄寿さんだったのかも。まあ、どちらもモデルは同じではありますが。
仮本堂で印を頂く間、冷たいお茶を一杯頂きました。


これで、平塚駅より南側の寺社は終了。
次の蓮光寺さんからは、駅北側の寺社になります。
その前に、須賀港を見物していくことにしました。
かつては相模の物流拠点として一大集積地であった港。
湘南の名称を初めて使ったとされる崇雪も、きっとこの湊を行き来する帆舟の姿を、松が数多茂る大磯の浜から眺めたことでしょう。

途中、柳栄堂という和菓子屋さんに寄って、何かご当地らしいお菓子はないかと物色。
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「千石船もなか」というのがあったので、これを買ってみました。
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実際行ってみると、現在の須賀港はただの小さな漁港、というだけな印象。
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昭和41年に市が建てた「相州須賀港の碑」が港の外れにぽつねんと。
そこには、長楽寺にもあった空海滞在の伝説や、後北條氏の頃より物流拠点として栄えた事などが記されていましたが、顧みる人は殆どいないような気配です。

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でも、ゆったりした相模川の河口を眺めていると、ここがかつての港だったんだなあ、という気にはなってきます。

ここで先ほどの最中をパクリ。美味しい餡子でした。
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(つづく)

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湘南ひらつか七福神

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今日、平塚市の『湘南ひらつか七福神』を回ってきました。
こちらは今年7月5日に始まったばかりの新しい七福神霊場です。
正月ではなく、七夕に合わせての開催というところがいかにも平塚らしいところ。

地震の後、七夕まつりと同じくどうなるものかと心配していましたが、“福(復)興、日本はひとつ”とコピーも新たに無事開催の運びとなりました。
七夕祭りの方が石巻市などを応援するように、七福神でも義援金を各寺社で集めることになったようです。

今回はオープニングイベントとして、5日に七福神パレード、7月5~11日の間はウォーキングやバスによるツアーが行われました。今回の反応をもとに、来年の正月や七夕の頃も行われるのかもしれません。

標準コースは約8キロ。パンフによればJR平塚駅を中心に徒歩で3時間ほど。
(パンフは駅構内などには置かれておらず、各寺社でもらえます)
私は色々と寄り道したかったので、駅西口にある市のレンタサイクル(1日200円)を利用しました。平地ばかりなので楽ちんでした。


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オリジナル色紙は500円、朱印代は各300円です。
当たり前ですが、どれも新調されたばかりの印なので綺麗に押せます。
朱肉は乗りと発色が良く、鮮やかでした。共通のものを使っているのかも。
朱印は通年対応のようです。

行程に決まりはありませんが、私は南側の寺社から右回りに巡拝する以下のコースを取りました。

平塚駅西口で自転車レンタル~(駅北口横の地下路で南口へ出)~善性寺(発願、福禄寿)~平塚三嶋神社(恵比寿神)~長楽寺(寿老人)~蓮光寺(布袋尊)~平塚八幡宮(弁財天)~春日神社(毘沙門天)~妙安寺(大黒天、満願)~自転車返却

ご神像拝観は、(葬儀などで立込んでさえ無ければ)普段もほぼ同様に大丈夫だと思いますが、八幡宮の弁財天は池中の小祠(たぶんご神体は幣かと)ですし、春日神社の毘沙門天は奇数月の初寅日のみご開帳です。

私は、須賀湊や浜辺、平塚宿の跡など色々と寄り道してしまったので、タイムは参考になりませんが、素直に巡拝だけするのなら、自転車なら1時間半位で回れるのではないでしょうか。

ひらつか七福神としての公式授与品・グッズは絵葉書(色紙やパンフに使用されているイラスト)とフレーム切手二種のみ。
http://www.jp-network.japanpost.jp/notification/pressrelease/2011/3001_05_04_511062301.html
また、七福神ではなく七夕の笹飾りですが、平塚八幡宮で祈祷されたもの(七つの願い星つき)が観光協会から販売されています。
http://www.scn-net.ne.jp/~hirakan/hphanbai/hanbai.html

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秋葉原でクラッと

先月の、というか正月期間の話なんだけどね、最近ようやく免疫ができつつあるようなので書いておく(笑)。


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日記には書きませんでしたが、今年の正月七福神めぐりは、江戸最古とされる谷中七福神に行ってきました。
その折、というかこちらの方が先の件だったのだけど、某鬼女史と久々の再開。
もう10年ぶりに近いような、まあそんくらいの超久々。
場所は日暮里は天王寺の毘沙門堂前。
「元気かい?」とかお決まりの言葉を交わす前に、いきなり仏像観察の見仏モードに入った我々でありました。
いや、このテンポ相変わらず。
ま、肉体は経年劣化してるけどね(笑)。お互い様。

その後、田原町あたりでPhallusもとい金勢和合稲荷を見物。
田舎に行くとよくあるけどね。
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浅草でこんなご立派なのに出会えるとは思ってませんでした。
遊郭にゆかりのもののようですけど。
空襲の被害にはあってるのかどうか、陰も陽もやや草臥れのご様子。

昼食は浅草・伝法院前のたぬき通りでカレー。
で、浅草寺参りしてから、秋葉原へ。

こちらはもっと久し振りの訪問。
21世紀に入って初めてというか、最後に行ったのは94年頃ではなかったかと思う。それも、電気屋にちょっと寄っただけ。
近年、テレビや雑誌で見る度、いったいどんな街になってるのか気にはなっていたのだけど、特に寄る用も無く。

そんなアキバ…。
こんな機会なので、その道の猛者である鬼女史に案内を請うたのでありました。
マンガ読むのは嫌いではないので、何か新しい発見でもあればなと。

行ったのは、名前も忘れましたが、駅近くのビル。
各階ごとに、漫画店、模型店、人形店などなど、圧倒される商品の豊富なこと。
が、アニメ・漫画ともに多分80年代末を境に殆ど接していなかった自分ですので、それらが一体どんなグッズなのかも分かりませんでしたが、全体的に子供向けではないような気がしました。値段とか。

実際、サラリーマンやOLの客が多く、グループでやたらウンチクを語っていたりとか、商品を見る目とか、なんか違う…。
唯一、居場所を見つけたように思えたのは、スコープドッグの模型があったトコと『人狼』の特機隊フィギュアを見かけた時ぐらいか(笑)。

あと、レンタルロッカーて言うんですかね。
駅のコインロッカーサイズの透明ケースに各自のコレクションというか、販売品を置いて売買できるようになってるやつ。
田舎の無人野菜販売の会員制みたいなのでしょうか。
なかなか良いアイデアだと思いました。

アキバ滞在時間はそれほど長くなかったはずですが、正直疲れました(笑)。なんか気圧が違う世界な感じ。
ビルの中はどこも狭いし、品が多すぎて目が疲れる。
たぶん、色んなフォント(とか絵文字とか)が氾濫してるせいかも(笑)。
普通に書店で背表紙見てるだけなら、あんなに疲れないと思う。

茶店で鬼女史から、
「アンタ、上野とか浅草では元気いっぱいだったのに、秋葉原で10年くらい老けこんだんじゃない」
と言われたが、まさにそんな感じでグロッキー。

秋葉原駅で女史と別れた後に、もう一度気を取り直して街探検に出たけど、どこがさっき行った店かも分からなくなっていた。
あるビルに、成人向け同人誌コーナー(しっかり男女別にフロア分けされていた)というのがあったので、エロコーナーでも眺めれば元気(爆)が湧くかなと思ったのだけど、甘かった…。
男女とも客多いし、通路狭いし、商品みんなビニ本(死語)状態だし。
何というか、上野や浅草の怪しいグッズ店にいるみたいなワクワク感とは違うんですね。
(店番にお爺ちゃんやお婆ちゃんが居ないからかな?)

結局、蒼庚斎の第一次秋葉原探検隊は目的(今の自分でも楽しめそうなマンガ探しw)を果たせず撤収したのであります。

もう自分で探すのは諦めよう(笑)。

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七福神(おまけ)

参考までに今回の各七福神さんの住所、私の移動時間と費用をあげておきます。

ただし、移動時間はあくまで頭勘定です。

毘沙門天(潮音寺・曹洞宗)
小田原市久野511

小田急線(小田原駅から2分120円)足柄駅から徒歩4分
大雄山線(小田原駅から6分130円)五百羅漢駅から徒歩9分

満願弁財天(福泉寺・曹洞宗)
小田原市城山1-19-1

大雄山線(五百羅漢駅から5分130円)緑町駅から徒歩4分
JR・小田急線・小田原駅から徒歩5分

寿老人(鳳巣院・曹洞宗)
小田原市城山3-7-43

満願弁財天から徒歩10分
小田原駅西口から徒歩6分

大黒尊天(蓮船寺・日蓮宗)
小田原市城山3-31-15

鳳巣院から徒歩20分
小田原駅西口から徒歩25分くらい
同駅西口から箱根登山バス「城山四丁目」(5分180円)下車徒歩3分
同駅東口から箱根登山バス「城山四丁目」(8分180円)下車徒歩3分

恵比寿神(報身寺・浄土宗)
小田原市南町3-11-3

蓮船寺から徒歩30分
小田原駅から城山トンネル経由で徒歩25分くらい
小田原駅東口からバス(箱根登山・伊豆箱根)「早川口」(5分180円)下車徒歩9分くらい
小田急・箱根板橋駅(小田原から3分130円)からたぶん徒歩12分くらい

福禄寿(大蓮寺・浄土宗)
小田原市南町2-4-9

報身寺から徒歩3分
小田原駅東口から城址公園経由で徒歩20分くらい
小田原駅東口からバス(箱根登山・伊豆箱根)「箱根口」(4分160円)下車徒歩4分

布袋尊(圓福寺・東寺真言宗)
小田原市本町4-6-24

大蓮寺から徒歩2分
小田原駅東口からお堀端通り経由で徒歩20分くらい
小田原駅東口からバス(箱根登山・伊豆箱根)「御幸の浜」(3分160円)下車徒歩4分

☆絵入り色紙代500円
☆色紙ご朱印代300円(いずれも)

なるべく小銭(特に100円玉)を用意しておいた方がよいと思います。

もし本堂が開いてない場合、外に福神像(石像)があるのは、大黒尊天・恵比寿神・福禄寿・布袋尊の四箇所です。

それから・・、「小田原七福神」には入りませんが、弁才天像は〈七福神その2〉で紹介した小田原城址公園・北入口近くの蓮池弁財天、
2012_1741毘沙門天は圓福寺から東の御幸ノ浜通り沿いにある妙泉寺・毘沙門堂前にあります。(ちょっとレゴブロックの人形みたいですが、それもキャラ味ですな)

妙泉寺の毘沙門堂は最近建て直されたようですが、まわりに七福神ののぼり旗が立てられていたので、一箇所七福神のお堂になっているのかもしれません。
私は、七福神をコンプリートした後に立ち寄ったのですが、なんだか二度得したような気分になりました(笑)。
お庭には、ネズミや布袋尊の像があったし。
2012_1721
特に、お堂の前の水掛け毘沙門天がかっこいい!
けっこう珍しいのではないですかね?

2012_1821_2ここは、昔から「痔の神様」で有名なところなんですよ。
私の祖父も叔父さんもお参りにいってましたし。
寺伝では徳川五代将軍綱吉も祈願したとのことです。
ネット時代の今なら、情報調べて遠方から来る方もいるのではないでしょうかね。

(そういえば先日お参りした水之尾の毘沙門天も、勝運のほかに「いぼとり」で有名なところです。
毘沙門天って、腫れ物に効く神様なのでしょうか?)


となると、寿老人だけ外置きの石像が無い・・!惜しいです。
こうなったら、代わりに小田原駅前の北条早雲公像を見立ててしまうのもあり??
鹿ではなくて牛を連れていますけど(笑)。
小田原市民会館の近くにある食堂「だるま」の玄関にも、おかめ像とだるま像がありますので、それで納得するとか・・・。

そのほかにダブりますが、〈その5〉で紹介した伝肇寺の「六俵大黒天」と、"板橋のお地蔵さん”で有名な宗福院(小田原市板橋566)にも、木像の「福興大黒尊天」があります。
水之尾毘沙門天は、 毘沙門天に似た自然石(岩盤)をお祀りしているので一応石像になるのかもしれませんが、12年に一度のご開帳です。普段もお祭の時以外は開いてませんし、お像もありません。

今回の七福神詣ででちょっとハマってしまった感じです。
また地域の七福神の神々を見つけたらアップします。

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七福神(その1)

2013_0041恵方詣でに続き、今年の正月2日は七福神めぐりをしてまいりました。
地元、小田原の七福神です。
いずれのお寺も過去に行ったことあるのですが、七福神詣でそのものが初めて。

ま、仏滅でしたが、七人もの福神をお参りするのですから、そんなの関係ね~、と(笑)。

やや寒い朝でしたが、午前8時に家を出て、まず最初の巡拝地、久野の潮音寺毘沙門天)へ。
七福神で一番遠い場所にあるお寺なので、小田急線で参ります。

と、ここで最初のミス。
各停に乗らねばならないのに、つい確認せずホームに来ていた電車に乗ったら、あ~っと快速(涙)!
みるみる、目的の駅が遠くなっていく・・・。
そして、新松田駅まで来てしまった。
復元中の新十文字橋が途中で確認できました。

新松田で乗りなおして、ようやく目的の足柄駅へ。
むうぅ、小田原駅の隣駅に行くのに20分以上もかかってしまった。

潮音寺に着いたのが9時過ぎ。
休日の朝という感じで、車の通りも少なく静か。
2012_0091箱根の山を見ながら吸い込む空気も冷たくていい気分です。

毘沙門堂の扉はすでに開けてあって、軒先から拝観できるようになっていました。
真近くまで行けないのが残念ですが、そこそこ像高があるので良く見えました。
2012_0131両脇には、毘沙門天の妃神とされる吉祥天、そして彼らの子(五太子)の代表である善膩師童子(ぜんにしどうじ)が。
後から加えた像なのでしょうが、なんかご利益パワーも強化されそうです(笑)。

庫裏で色紙と御朱印をいただきます。
色紙は小田原七福神会のオリジナル絵入り色紙で、昨年から小田原城天守&七福神の図柄になりました。
小田原オリジナルって感じで、なかなか嬉しいです。
頒布モノも土地柄出てる方がオリジナル度高いし、参拝の意欲が増すというもの。

帰路は、大雄山線の五百羅漢駅から。
足柄駅から徒歩4・5分ほどでしょうか。
途中、五百羅漢の玉宝寺に寄ろうかと思いましたが、まだ始めたばかりに寄り道するのもと思いやめておきました。

次の順拝地は、谷津の福泉寺弁天堂です。
小田原駅の一つ手前、無人の緑町駅で下車します。

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