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2014年5月に作成された記事

日光一文字

九州まで出張ることなくこれらを見る機会が来るとは・・・。
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昨日は休みというともあり、始まったばかりの特別展『軍師・官兵衛』展を江戸東京博物館に観に行ってきました。もちろん、第一の目的は官兵衛さんではなく、北条家ゆかりの品々。
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福岡市博物館に収められている黒田家旧蔵の「太刀“日光一文字”」や「北条白貝」「琵琶“青山”」などが揃って関東へお出ましなのですから。

大河ドラマ『軍師・官兵衛』の第1話冒頭および本編後の紀行コーナーで紹介されたエピソードですが、これらは豊臣秀吉の小田原攻めの際に調停役として赴いた黒田官兵衛に北条方が礼として与えたと伝わっているもの。
実際には色んな人が籠城中の北条氏へ働きかけたでしょうし、官兵衛もドラマのようにあんな一人颯爽と城門前(井細田口でしょうか?)に立ったとは考えにくい。たぶん、後に氏直が投降する滝川雄利らと共にアポ入れて入城しているはず。
それでも、これら北条家累代の家宝が与えられるというのは、やはり相当な感心を起こさせる人物だったのでしょう。ただ、領国安堵と氏政・氏直父子の助命を確約した可能性を考えると、色々と複雑な思いになるのではありますが…。

展示構成は、①播磨時代(黒田職隆書状や織田信長黒印状、・安土出土遺物など)、②有岡城幽閉(秀吉書状、竹中重治書状、黒田家臣起請文、家臣像など)、③秀吉統一時代(明智光秀坐像、阿弥陀寺位牌拓本、本能寺跡出土遺物、“日光一文字”など)、④如水時代(肥前名護屋城図、白熊采配、水牛脇立兜(前後期入替)、黒田長政像など)、⑤文雅たしなみ(芦屋釜、利休書状、和歌短冊など)といった流れ。
黒田官兵衛の文書類は、テーマに合わせての10点ほどでしたでしょうか。
家臣関係では、東京巡回展では、母里友信関連のもの(槍“日本号”や甲冑、像)が少ないのがやや残念なところ。日本号は以前に国立博に来てた時に見た記憶がありますが、大分前の事ですし。

今回、個人的に興味深かったのは・・・
【岐阜城出土の金箔押棟板瓦片】(信長が安土以前から瓦に金を使っていた事が分かった貴重な発見)、岐阜市教委。
【播磨三木合戦図】(別所氏菩提寺・法界寺で現在も追悼法要で絵解きに使われる絵の模写(江戸期)、威儀正しい別所氏や家臣らの合戦の模様や、痩せ衰え自害に及ぶまでドラマチック)、兵庫県歴博。
【明智光秀坐像】京都・慈眼寺。
【阿弥陀寺位牌拓本】(本能寺変で討死した信長信忠ほか家臣らの俗名と戒名を併記)同寺。
【羽柴秀吉大坂築城石持掟書】(石を運ぶものは、より重い石を持つものに道を譲れとか、喧嘩をふっかけるなとか、作業に細やかな指示)、兵庫県・光源寺。
【小田原陣之時街道筋諸城守衛図】(京から三島辺りに至るまで秀吉が泊した城や街道の景色などを描く図。富士山や箱根双子山、厳に柵廻らす山中城のほか、安土に立ち寄ったことなども記す、街道見聞絵図でもある)、山口県文書館。
…等々のあたりでしょうか。官兵衛や黒田家に直接関係のあるものではないですが。

黒田官兵衛関連のものとしては、やはり書状の類でしょうか。
本文の他に追筆が多かったり、歴史ある寺には丁寧な言葉を用いたりなど、配慮の細やかさを感じました。
まあ、今回出された書状の類は子息や家臣らに宛てたものが多いので、当然と言えばそうなのですが、当時も“委細は誰々(手紙を持参した使いの家臣)が…”と簡潔に締め括る文章が多かったでしょうし。
あと、人物像の作例も多い人なのですね。
ポスターにも使われている江戸後期の絵のほか、有名な脇息にもたれかかる絵も数種類あるようでした。これらは展示期間中に入れ替えられるようです。
一方、夫人(照福院)像(京都・報土寺蔵)は、7月1~13日のみの展示で、それ以外はパネル写真のようです。

私は北条氏ゆかりの品目的で観に行ったのですが、織田・豊臣関係の一つの通史展示としても楽しめるかと思います。お近くの方は足を運んでみては。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2014/05/index.html
6月18日には、斎藤慎一氏の講演「豊臣政権と小田原合戦」(要申し込み)もあるので、それに併せても良いかも。締め切りは5月30日、もう明日ですが。

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江戸博に来たのも久しぶりでした。前回は江戸城展あたりだったろうか。

両国駅もその時以来。
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駅頭は近辺の開発の歴史を如実に示す景色ですね。後ろに国技館の屋根とスカイツリー。
とても駅らしい駅舎で、地域に愛されてそうです。

あと、図録のほか、お土産に買った城郭用語クリアファイル(部分)。
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昨今、こんなのまで商品になるんですね。この頃は戦国時代関係の展示があると、公式グッズ以外の商品が充実していて驚かされます。
これも公式グッズではなく、もしかしたら小田原城の売店でも売ってるかもしれません(笑)

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後北条時代の城下屋敷

後北条時代の小田原城下の様子が少しづつ明らかになっています。
越前一乗谷とまではまだまだいきませんが、後北条時代の高位な人物の屋敷跡と思われる遺構です。
昨年の日記には書かなかったので、前回昨年3月(第Ⅵ地点)と今年の4月(第Ⅶ地点)に見学してきた「大久保弥六郎邸跡」の発掘調査現地見学会の様子をまとめて簡単にご報告。

場所は、小田原城址公園二の丸水堀と国道1号線に挟まれた旧三の丸エリア。
ちょうど東電小田原支社の真裏で、西側に小田原城天守が望めます。
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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
将来、小田原市民会館の再建予定地とされ確保されている土地で、それに伴う発掘調査が数年前から継続されています。

遺跡名は、江戸幕末の小田原城絵図「文久図」によると、同地は小田原藩大久保家・家老の一人、大久保弥六郎の邸跡だったところから。地元では“隅の大久保さん”で知られている屋敷地の一角でしょうか。

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(平成25年3月 第Ⅵ地点)
発掘調査の結果からは、江戸中期の富士山宝永噴火による火山灰や焼土の処分穴、戦国期北条時代の屋敷に伴う井戸や半地下式倉庫、屋敷の区画や建物の方向軸を推定させる石組み水路や溝が確認されています。

遺跡名になっている江戸後期の遺構はあまり目立ちません。それは、この当時の屋敷が二の丸水堀側が表として建てられていたためであるようです。
江戸中期に火山灰や焼土の投棄穴が設けられたのも、同じく屋敷裏手の空閑地であったからだと推定されています。

火山灰の投棄穴の様子は昨年度にも見られましたが、これらは同屋敷地内に積もった火山灰を集めて捨てたものでしょう。この灰は捨て場所に大変困り、後々酒匂川の川床が上がって大水害を起こす原因にもなったものです。
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(平成25年3月 第Ⅵ地点)
焼土は、火山灰の下に堆積している状況が分かりますが、これは噴火の前年に起こった大地震に伴う火災の跡かもしれないとのこと。同覆土中からは被熱して溶けた陶磁器片なども出土しています。

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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
出土している陶磁器片は、肥前産の高級磁器が多く、鍋島も出ています。この事から、江戸中期も重臣クラスの屋敷地であった事がうかがえます。地震か噴火時に割れてしまったものでしょうか。もったいない…。

近世中期以降に反して、後北条時代の面では、最も濃密な遺構が検出されています。
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(平成25年3月 第Ⅵ地点)
東西に走る石組み水路、半地下式倉庫と思われる竪穴、大規模な石組み井戸、多量の柱穴群といったもので、複数の遺構からある程度のプランの規則を推測できるようになってきたようです。

遺物は、かわらけや茶碗、甕など国産陶磁器片、染付等の舶載磁器片などのほか、今回の第Ⅶ地点では、当時の鋤・鍬が出土しました。
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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
北条時代の地業道具は貴重な発見といえます。

石組み水路は、幅約50㎝で、大型の河原石(早川産)を最大4段まで積み上げたものが数条。東西に延びています。
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(ともに平成25年3月 第Ⅵ地点)
この北側に接する同遺跡第Ⅲ地点では、まっすぐ東西120mに渡る北条時代の砂利敷道路(幅4mで両側に石積側溝を伴う)が検出されており、これら石組み水路も同じ方向軸のもと設計されているものと見て間違いないようです。
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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
水路は溝状遺構を含めて、区画境を兼ねている可能性があります。
水路の一部には礫が敷き詰められているものがあり、これはろ過機能を期されたものかもしれないとのこと。
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(平成26年4月 第Ⅶ地点)

竪穴は、方形のもの・隅丸方形のもの・長方形などがあり、規格性が見られます。深さ0.5~1.5mほど。
半地下式の倉庫であったと考えられますが、用途は不明です。
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(平成25年3月 第Ⅵ地点)

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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
一部には壁面に石積が施されているものがあり、内壁の補強の為ではないかと推定しているようでした。

石組み井戸はいずれも大きく立派なもの。
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(平成25年3月 第Ⅵ地点)

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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
井戸径は直径3.7mほどが一つの規格のようです。井戸端に敷石を伴うものもあり、とても丁寧に作られた井戸です。
深さも大分あります。4m以上の深さが見こまれるものも。

以上の事などから、戦国時代北條氏の小田原城下でも重臣クラスの高級宅地であった事が推定されます。
残念ながら、どんな人物が住んでいたかの伝承等は伝わっていませんが、江戸中期以降とは異なる屋並みプランであった事が分かってきました。
また、水路や土坑に使われる早川石の石積みは江戸時代にも継続された技法であり、その原型はすでに北条時代に整えられていた事も改めて目にする事になりました。
白系の石が多く用いられているように見えますが、見栄えの為なのか、石積み保持の為に石材を揃えたものなのか。

いずれにせよ、普段から適選ストックして、石積み普請を担った専門職の存在を思わせます。
居住場所から考えると、やはり石屋善左衛門でしょうか。

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第50回北條五代祭り

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今年は藤棚周辺も綺麗に整備され、イベント前にくつろぐ人も多く見られました。

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歴史やお城のブームは以前にくらべると落ち着いてきた感がありますが、事業整備の方はゆっくりと着実に進むものですので、一市民としても永きのご愛顧を願いたく思います。

50回記念の今回の目玉は、歴代当主役に小田原市ゆかりの芸能人・有名人にゲスト出演してもらうというものでした。
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初代・早雲役に阿藤快さん。阿藤さんはここ例年おなじみですが。
3代氏康役に柳沢慎吾さん。
4代氏政役に鎧塚俊彦さん。
5代氏直役に小宮孝泰さん。

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また、オープニングイベントに林英哲さん率いる“風雲の会”の和太鼓演奏がありました。
(2代氏綱役だけは例年通りの市議会議長でした)

皆さん、今までにTV等各種メディアで小田原出身やご当地名物などを紹介してくれたり、観光事業に携わってくれてる“小田原ふるさと大使”の方々。
今年から新たに加わってくれた、俳優・合田雅吏さん(小田高出身)もお披露目していました。
『水戸黄門』で格さん役をやっていた方ですので、今後も武将役で出てくれたら似合うのではないかと思います。

私は今年は観覧席の方から見てました。
毎年おなじみの猛馬飼育係さんが来る予定だったのですが、風邪で急きょ一人で見るハメに。
しかし、隣に座った写真趣味のオバちゃんグループ達と色々おしゃべりしたり、お菓子をもらったりして結構楽しく過ごせました。

行列よりもオープニングをメインに観に行ったのは久しぶりです。

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市民観客の多くも、今回はゲスト応援がメインだったのではないでしょうか。

出陣までの流れはほぼ例年通り。
色々とごあいさつの後、早馬が来て軍団出陣。
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住吉橋上での鉄砲衆空撃ちはありませんでした。
ここでの撮影を狙っていたのですが、いつからか変更になってしまったようですね。

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昨年に引き続き参加のコスプレ隊。
やや人数が増えたかな。
昨年初めて参加した人達は勇気が要ったと思いますが、イベントに新しい風を吹き込んでくれそうで楽しみな一団ではあります。

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スケキヨを発見した巡査…、ではありません。
風魔小太郎隊の忍者アクションの方。行列の所々で殺陣やアクションを披露しています。

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手作り甲冑隊。
手作り甲冑も複数の団体が参加してますが、作品に凝る人と、こうした揃いモノで軍団感を出そうとする方々と色々いますね。見ている側としてはどちらも楽しみです。
この“馬廻衆”の方々は、四半旗や歴代馬標を作ったりと思い入れを感じます。せっかくだから旗のポールも黒く塗るなり、竹で作るなりしたら良いのに。

こうしたコスプレ隊や忍者、手作り甲冑隊は、“さきがけ武者隊”として、北條軍団本隊とは少し間をあけて歩いているので、従来からの時代行列の雰囲気を損なう事のないよう配慮がされていると思います。

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北條早雲役・阿藤快さん。

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北條氏康役・柳沢慎吾さん。

せっかくの当主役なのに、大将の兜をかぶらないのは少し勿体ないですね。
しかし、ゲストの顔を観に来てるお客さんもいるわけで、その点、有名人さんをイベントの武将役に活用するところの難しさがあるかと思います。
まあ、それを言ったら、テレビや映画の戦国劇だって面頬付けてないから同じなんですが。

城址公園で見る場合のデメリットは、移動が難しいこと。
お城だから当たり前なんですが、出口が限られてる上にイベント時の通行制限もあるので、パレードを追っかけていくのは大変です。
一応、地元ならではでショートカットをしましたが、松原神社前では間に合わず、青物町商店街でようやく氏康隊後尾に追いつきました。

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この野郎頭兜に色々威の方、名前は存じませんが、印象的な方。大分前からから五代祭りに参加されてます。
背旗には小さく“獅子の会”。
以前は鉢形衆でお見かけしましたが、今回は川越藩火縄銃鉄砲保存会の方々と歩いておられました。
こういう本格的な方々は武者行列の中でも風格を感じさせます。

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黄梅院(4代氏政正室)の一行。
この日は午後になって風が強く吹いたので、笠や裾など気になって歩きにくそうでした。
毎年気になってるのは、各姫隊の中で白袴の役。よく見ると雪駄の鼻緒もこの人だけ白。
腹当とか太刀拵えが結構豪華なんですよ。
周りの侍女達より上役なのでしょうか。
それは別にして、姫は輿に乗せてあげたいですね。

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北條氏政役の鎧塚俊彦さん。
京都出身の方ですが、市内の石垣山一夜城址にお店を経営しております。
ミニトークでは、阿藤さん達から「お前は上方の人間だろう」てなツッコミされていました(笑)。
ただ、ゲストでしっかり兜を被っていたのは鎧塚さんだけで、一番大名ぽかったかも。

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北條氏邦演じるこの方はノリがよかったです。
「我こそは北條安房守氏邦なり~!」と、采配振り上げて観客のカメラに応えていました。
やっぱり、軍団全体としても、ある程度演出指導があると士気というか雰囲気盛りあがりますね。
(兜の阿弥陀かぶりなんかもね…。映画やドラマだったら絶対NGでしょう)

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5代氏直役の小宮孝泰さん。
「元コント赤信号と言われることありますが、まだ解散してませんから!」
ナベさん、ラサールさんとともに自転車でぶらりする企画がひかえているそうです。

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北條軍団最後尾を飾ったのが、こちら北條氏規隊。
今回、一番武将らしい威厳を感じたのですが、なんと小田原警察署長と署員の方々でした。
署長というともっと年配の方かと思ったのですが、意外と凛々しく。
傍らで交通整備をしていたお巡りさんは敬礼してたのでしょうか?

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さすが警察。標語は欠かせません(笑)
しかし、いい面構え。
足軽のエキストラさんには最適な方々かもしれません。

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そして、神輿パレードも一年ぶり。
やはり、居神神社の神輿はカッコいい。
江戸城普請や相模の寺社にも携わった、愛甲郡半原大工の職人さんが手がけたものです。
荒ぶる担ぎ方も見どころです。

五代祭りの周辺風景。

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天守閣入口。音楽隊が参加しているので、陸自の制服姿もちらほら。

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手裏剣投げや吹矢の的当てコーナーなんてのも開いてました。
しかし、北條家の三鱗紋を的にするのはどうかと…

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露店はどこも行列が。
ご当地グルメの類も参加する地域が増えて来たようです。
首都圏から安近短というのは必ずあるでしょうが、こうした時代イベントとしては、他の大河ドラマ開催地よりも継続的集客力があるのではないかと思います。

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家族連れ等でごったがえす駅舎。
乗車カードのチャージや切符購入に長い行列ができていました。
地方は券売機の数も限られていますので、イベント時はこの点留意しておいた方がいいです。

私はというと、猛馬さんがいない今回はビール飲むわけでもなく。
この日限りの北條五代スタンプラリーなんてのがあったので、とりあえずコンプしておきました。

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ドヤ顔の早雲・氏康に、四角四面な氏政、ぼっちゃん顔の氏直と、なかなか個性あるキャラ顔。
よくできているので、もっと使っていいのではないかと。

寺社のご朱印もあれだけ人気が出ているのを思うと、スタンプラリーのイベントもそれなりに効果を期待できるのではないかと思います。
例えば、小田原城総構えのウォーキングイベントとか。
対して、包囲側の豊臣陣のスタンプラリーとか。
北條五代観光協議会の各地(八王子、寄居、三島とか)で共催の朱印(禄寿応穏、如意成就などなど)スタンプラリーとか。色々。

毎年見ていますが、この頃の企画側の思いは感じています。
今後も頑張って欲しいと思います。

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