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八王子城再訪③

今回の再訪で一番楽しみにしていたのが、ここ。
復元整備した御主殿エリア。
P1050705

本当なら“引き橋”から石垣積みの虎口を通って入れるのですが、橋が劣化して通行不可なため、滝側の通用路から。昔に比べると舗装された上に路幅が広げられていました。土塁が削られたんじゃないかと心配したのですが、報告書(平成14年)によれば、この辺りも発掘以前にかなり崩壊していたらしいので、復元土塁なのかもしれません。

そしてこちらは平成12年に初めて来た時の写真。まだ銀塩カメラでした。
この芝生広場でも結構感動したのに、14年であそこまで進むとは。
よく見ると、冠木門と板塀も建て直したみたいですね。
今後も期待してます。
Img_0003

こちらは、上の復元建築の上から西南側をふり返ったところ。
ちょうどこのあたりが建物入口だったと考えられているようです。
上部構造物は不明なので床までの復元となっています。
南北6間×東西10軒の建物で、接待・饗宴などに使われた会所と推定されています。
P1050701
南面には、このように側溝を備えた敷石通路があり、奥の水路を跨いでさらに西奥の方へ続いていく様相を示しているようです。
また、中央奥の、芝生に標示石が置いてある場所は、大量の舶載磁器片が出土したところで、落城後程ない時期に、集められた皿類などを廃棄した場所であろうということでした。
出土例の少ない明代景徳鎮窯の瑠璃碗なども出ていますが、大量購入されたような日用陶磁器が大半のようです。滝山城から引っ越しで持ち込まれたものも含まれているでしょうか。

その左の、石敷きの無い道路遺構の方には、鍛冶関係の施設があった可能性があるとのこと。

同じく北西方面に向いたところ。
建物の北側には、枯山水庭園が設けられており、会所中央の間から見るのが正面景色であったようです。
ちなみに、ニュースにもなった、ベネチア産レースガラス器が出土したのはこのあたりです。
庭との間には砂利敷き通路があり、その下には礫を詰めた溝を設けて暗渠が備えられていました。州浜を意識しているのかもと思いました。
P1050718
建物の外側に面した礎石は形状を揃えて見栄えをよく仕上げているようです。

もう少し下がった位置から庭をみたところ。
右端の大石が、枯山水の“三尊石”の中央石であったのではと推定されているようです。半分くらい土中に埋もれた状態で保存してありました。
P1050715


こちらが主殿と思われる建物跡。
南北9間×東西15間で、御主殿エリアで最大の建物になります。
会所に比べると、間取りのプランも幾つか推定できるようですが、礎石の配置状態から、南東隅に玄関があった可能性もあるとか。
右側の一部土が露出しているところは、まだ発掘していない箇所。
P1050724
手前は、会所北側の砂利敷通路の続きです。
左の水路の突き当たりには、土塀跡(根石)とそれに併行する道路状遺構があり、主殿跡の北側未発掘エリアにはまだ別の建物跡が埋まっているのかもしれません。

興味深いのは天目茶碗の遺物です。
御主殿エリアを含めて広範域で出土しているようですが、碗内に線条痕(引っかいたような跡)が多く確認されているのです。
茶筅による傷とは考えられず、乳鉢(手持ちのすり潰し器)への転用(例えば、丸薬の製造や火薬の調合など)の可能性が考えられるとのこと。
今では格式ばった台付き茶器のイメージある天目碗ですが、当時は茶器利用を越えるほどの日用雑器だったのかもしれません。ただ、線条痕は天目以外の碗でも確認されているものがあります。緊迫状況を示す遺物の可能性もあるでしょうね。

御主殿虎口の階段を見下ろしたところ。
びっしりと石敷きが復元整備されていますが、発掘時、路面中央部の石はかなり流出していたようです。
土塁沿いの水路はすぐに埋もれてしまいますから、通路の中央に長年雨水が流れていたのでしょう。
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階段を下りて振り返ったところ。
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正面の踊り場に四脚門の礎石があり、櫓門かと考えられています。
石の被熱痕から焼けた事が分かっています。

虎口の“引き橋”付近。こちらは敷石されていない硬化面でした。
城山エリアに多数石垣が設けられていることを考えると、見映えに影響しないためというよりも、実用的な目的からなのかもしれません。
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ここの南側土塁にも階段跡が出ていますが、川沿いの遺構が形を留めていないので、用途は分かっていません。塀が巡っていたりすれば、より豪華な御主殿の想像ができるのですが…。

同じく、引き橋付近の土塁石垣。
ここは、立て札から右側部分(やや赤茶けている)がオリジナルの遺構で、復元石垣(左側)と組んで整備されています。こういうタイプの石垣に新規に積み足すのは色々課題も生じたのではないかと思いますが何かが上部に載るわけではないので、負担は少ないのかもしれません。
オリジナル石垣は復元に比べると材が小さいですが、やはり積み方に一定の法則があるように見受けられます。
中層に面を揃える平たい石を持ってくる事が多いような気がします。
P1050743

平成12年に行った時の引き橋。御主殿の対岸から。
もうこの頃から経年感あったかもしれません。
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(つづく)

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