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2014年4月に作成された記事

八王子城再訪③

今回の再訪で一番楽しみにしていたのが、ここ。
復元整備した御主殿エリア。
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本当なら“引き橋”から石垣積みの虎口を通って入れるのですが、橋が劣化して通行不可なため、滝側の通用路から。昔に比べると舗装された上に路幅が広げられていました。土塁が削られたんじゃないかと心配したのですが、報告書(平成14年)によれば、この辺りも発掘以前にかなり崩壊していたらしいので、復元土塁なのかもしれません。

そしてこちらは平成12年に初めて来た時の写真。まだ銀塩カメラでした。
この芝生広場でも結構感動したのに、14年であそこまで進むとは。
よく見ると、冠木門と板塀も建て直したみたいですね。
今後も期待してます。
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こちらは、上の復元建築の上から西南側をふり返ったところ。
ちょうどこのあたりが建物入口だったと考えられているようです。
上部構造物は不明なので床までの復元となっています。
南北6間×東西10軒の建物で、接待・饗宴などに使われた会所と推定されています。
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南面には、このように側溝を備えた敷石通路があり、奥の水路を跨いでさらに西奥の方へ続いていく様相を示しているようです。
また、中央奥の、芝生に標示石が置いてある場所は、大量の舶載磁器片が出土したところで、落城後程ない時期に、集められた皿類などを廃棄した場所であろうということでした。
出土例の少ない明代景徳鎮窯の瑠璃碗なども出ていますが、大量購入されたような日用陶磁器が大半のようです。滝山城から引っ越しで持ち込まれたものも含まれているでしょうか。

その左の、石敷きの無い道路遺構の方には、鍛冶関係の施設があった可能性があるとのこと。

同じく北西方面に向いたところ。
建物の北側には、枯山水庭園が設けられており、会所中央の間から見るのが正面景色であったようです。
ちなみに、ニュースにもなった、ベネチア産レースガラス器が出土したのはこのあたりです。
庭との間には砂利敷き通路があり、その下には礫を詰めた溝を設けて暗渠が備えられていました。州浜を意識しているのかもと思いました。
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建物の外側に面した礎石は形状を揃えて見栄えをよく仕上げているようです。

もう少し下がった位置から庭をみたところ。
右端の大石が、枯山水の“三尊石”の中央石であったのではと推定されているようです。半分くらい土中に埋もれた状態で保存してありました。
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こちらが主殿と思われる建物跡。
南北9間×東西15間で、御主殿エリアで最大の建物になります。
会所に比べると、間取りのプランも幾つか推定できるようですが、礎石の配置状態から、南東隅に玄関があった可能性もあるとか。
右側の一部土が露出しているところは、まだ発掘していない箇所。
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手前は、会所北側の砂利敷通路の続きです。
左の水路の突き当たりには、土塀跡(根石)とそれに併行する道路状遺構があり、主殿跡の北側未発掘エリアにはまだ別の建物跡が埋まっているのかもしれません。

興味深いのは天目茶碗の遺物です。
御主殿エリアを含めて広範域で出土しているようですが、碗内に線条痕(引っかいたような跡)が多く確認されているのです。
茶筅による傷とは考えられず、乳鉢(手持ちのすり潰し器)への転用(例えば、丸薬の製造や火薬の調合など)の可能性が考えられるとのこと。
今では格式ばった台付き茶器のイメージある天目碗ですが、当時は茶器利用を越えるほどの日用雑器だったのかもしれません。ただ、線条痕は天目以外の碗でも確認されているものがあります。緊迫状況を示す遺物の可能性もあるでしょうね。

御主殿虎口の階段を見下ろしたところ。
びっしりと石敷きが復元整備されていますが、発掘時、路面中央部の石はかなり流出していたようです。
土塁沿いの水路はすぐに埋もれてしまいますから、通路の中央に長年雨水が流れていたのでしょう。
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階段を下りて振り返ったところ。
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正面の踊り場に四脚門の礎石があり、櫓門かと考えられています。
石の被熱痕から焼けた事が分かっています。

虎口の“引き橋”付近。こちらは敷石されていない硬化面でした。
城山エリアに多数石垣が設けられていることを考えると、見映えに影響しないためというよりも、実用的な目的からなのかもしれません。
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ここの南側土塁にも階段跡が出ていますが、川沿いの遺構が形を留めていないので、用途は分かっていません。塀が巡っていたりすれば、より豪華な御主殿の想像ができるのですが…。

同じく、引き橋付近の土塁石垣。
ここは、立て札から右側部分(やや赤茶けている)がオリジナルの遺構で、復元石垣(左側)と組んで整備されています。こういうタイプの石垣に新規に積み足すのは色々課題も生じたのではないかと思いますが何かが上部に載るわけではないので、負担は少ないのかもしれません。
オリジナル石垣は復元に比べると材が小さいですが、やはり積み方に一定の法則があるように見受けられます。
中層に面を揃える平たい石を持ってくる事が多いような気がします。
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平成12年に行った時の引き橋。御主殿の対岸から。
もうこの頃から経年感あったかもしれません。
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(つづく)

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ブッダガヤ

今朝は2ヶ月ぶりの坐禅会でした。
前々回は母がインフルエンザに罹っていたので(私も潜伏期間の可能性があったので自粛。深く呼吸をする場所ですからねw)、前回は年度末の多忙で欠席でした。
やはり仏堂での坐禅は良いものです。
皆で坐禅する緊張感と、静寂のなか打ちこまれる警策によるシャッキリ感は、自宅の単独禅では味わえません。
毎度そうなのですが、喜怒哀楽、己の心のありようは自分次第というのを改めて実感します。まあ、これが日常で保持できればいいのですが(苦笑)、安全運転とかには役立ってるかも知れません。


ところで昨日は、これまた久々に“くまもとらーめん ブッダガヤ”(市内中町)で食べてきました。
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“ブッダガヤラーメン”
いつもならこれにチャーシューと高菜が加わったスタミナラーメンを頼むのですが、麺とスープをより味わいたかったので。

硬め太麺と柔らかい豚角煮、キャベツが入った濃厚な熊本系とんこつスープ。
この一杯が時々無性に食べたくなります。

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八王子城再訪②

御主殿曲輪の整備と併せて建てられたガイダンス棟。後方は八王子城山(深沢山)。
どんなものができたのか、こちらも楽しみにしてました。
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なんだかウルトラセブンに出てきた宇宙人の宇宙船のような特徴的なシルエットですが、八王子の“八”に合わせた形(八芒星?)の屋根なのだとか。
八王子権現は方位除けの神としての性格ももっていましたから、まあ、デザインとしては悪くないかもしれません。

室内の展示は、北条氏や氏照、八王子城に関しての紹介パネルが中心。
出土遺物(陶磁器片)から再現された舶載の皿(のレプリカらしい)なども。

こちらは、八王子城山の立体模型。
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スクリーンになっていて、プロジェクターで往時の八王子城の姿を映し出します。

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落城する八王子城。暗闇に上がる炎が悲劇のドラマを演出します。
こういう立体スクリーンによる展示方法も面白いなと思いました。

吊るされていた手作り甲冑。来館者が着用できるのかも。
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まさかの、兜にカブトムシの立て物。
クワガタムシのバージョンもありました。

ガイダンス棟を後にすると、何やら法螺貝の音。
程なく、正面から甲冑武者隊が。
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どうやら、来週の八幡神社例祭に参加する武者行列のリハーサルだったようです。
それにしても、印判の軍旗とは。のぼり旗で“如意成就”の方がまださまになったような気もしますが…。山伏が行列に加わっているのが、高尾山のある八王子らしいですね。実際に山伏も籠城に加わっていたようですが。

上の写真後方に見える柵に囲まれたところは、近藤曲輪にあたるところ。
以前は東京造形大学のキャンパスがあり、幽霊の目撃で騒がれたそうですが、現在はエントランス広場という明るい芝生公園になっていました。

広場には八王子城と城下を表した立体模型があります。
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城を最奥に、谷戸に沿って作られた城下町なのが分かります。

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アシダ曲輪は、上下2~3段で構成される比較的広めの曲輪。
書籍によっては、こちらを「山下曲輪」と呼んでいる場合もあります。

アシダ曲輪の最下段土塁。
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一部だけ石垣が残っています。
土塁の草刈りを定期的にやってくれてるようで、ありがたい事です。

大手門跡。こちらも以前はブッシュが濃くて見難かったのですが。
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確認された礎石の状況から、この門は薬医門だったと考えられています。
また、堀を伴うものだったのが分かります。

見えてきた御主殿曲輪。大手門からの引き橋(平成2年復元)が経年劣化で通行不可になので、川沿いの林道から入っていく様になっています。
見えている石垣は全て復元ですが、虎口部分のだけやけに近世石垣っぽいのが違和感。
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この道は、江戸幕末に幕府の御用林として植林が進められた際に設けられたものと伝えられ、昭和40年代に東京営林署が大きく拡幅したもの。それによって御主殿の南側土塁の一部や川に面した多くの遺構が破壊されてしまっています。

御主殿の滝。
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投身自殺をした婦女や討死将兵らの血で城山川の水は赤く染まり、その下流の里人が米を炊くと赤い飯となったという伝説。それを偲んで落城日の6月23日には赤飯を炊く風習があるとか。今でもやってるのでしょうかね。

奥野さんから指摘され、滝から少し脇に目を転じると、石垣が良く残る台状遺構がありました。
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中央下段の大きな三角形(台形か)の石を基点に落とし積みした野面石垣の状況。真上に立ってみると奥にもぎっしり礫が詰まっている感触がありました。

林道工事によって破壊された御主殿南側の遺構の一部のようです。御主殿から滝へ下る通路だった可能性もあるでしょうか。次の写真の遺構とともに水汲み場を構成していたと考える人もいるようです。

“水汲み場”
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滝の落ち口の岩を桝状に削ったもののように見えます。
そうだとするなら、滝の水量はそれ程変わっていないのかもしれません。

(つづく)

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八王子城再訪①

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八王子市のマンホール蓋。無形文化財の車人形だそうです。

12日の日曜、八王子城跡に行ってきました。前回行ったのはたぶん平成14・5年頃だから、実に10数年ぶり。天候にも恵まれ、久々の石垣遺構を堪能して来ました。近年整備された御主殿曲輪もじっくり見れて大満足でした。

案内してくれたのは、もう20回以上も八王子城踏査を重ねている奥野さん。
何度も足を運んでいるにも関わらず、急く事も無く、こちらのリクエストにも沿って丁寧に回ってくれました。また各所遺構の見学ポイントなども惜しみなく教示してくれて、大いに刺激を受けました。
まずは、感謝の一文をば。

思えば、私がネットで知り合った人と実際に外で会う“初オフ会”体験になったのが、平成12年暮頃、奥野さんとの八王子城探訪でした。この時、一行に加わってくれたのが宮下さんと猛馬飼育係さん。このお二人も今に至るまでお付き合いが続いてるのを思えば、私の交流の一端における大きな契機でありました。実際にこの後に色々な人達と知り合いになりましたから。

午前9時にJR高尾駅で待ち合わせ。実は2月に声をかけて頂いていたのですが、こちらの都合が合わず、桜散る頃となってしまったのでした。しかしまあ、結果良かったのかも。2月は積雪が多かったらしいし、山の桜はまだ楽しめる程に花が残っていたから…。

それにしても、高尾駅、賑やかになりました。駅もバス停も行楽客でいっぱい。
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駅舎にはこんなお面が。前からあったっけ?
小田原市民の私は大雄山線の改札口の天狗面(道了尊)をすぐ連想してしまいます。
こちら高尾山は飯綱権現が有名なところ。天狗のお山というと、大体はこの手の赤い面が縁起物になっていますね。
それにしても、ワラの髪がナマハゲを思わせるお面です。

駅前で昼食を買って“八王子城跡行き”バスへ。ほぼ満席。高尾山人気と共に八王子城跡も有力な観光資源として認知されているようです。電車の中で隣に座っていた女性ハイカー達も八王子城に行こうかという話をしていました。心霊スポットという暗いイメージも薄れてきつつあるのかもしれません。

廿里山を左手に見て、“宮の前”で下車。まずはこの八幡神社へ参ろうということに。
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齢重ねた桜並木の参道に朱の鳥居がよく映えていました。
ちなみに、後で本(『北条氏照とその周辺』北島藤次郎)を読んで知ったことですが、この“郷社八幡神社”の標柱の土台石は、「出羽屋敷」の庭石であったものと伝わるとか。地図を見るに、どうやら、この東にある出羽山公園のあたりのようです。その中で著者の北島氏は、これは近藤出羽守ではなく、布施出羽守の屋敷地ではと推測していました。

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これは、“梶原杉”という、かつてのご神木。
境内に掲示されていた由緒によれば、付近はかつて鎌倉時代の御家人・梶原景時の所領で、八幡神社も、建久2年(1191)6月、鶴岡八幡宮から勧請されたものが創始とのこと。
梶原杉は八幡社勧請の時に植えられたものと伝わり、昭和47年に枯れて伐採されるまでは都内随一の大杉だったそうです。高さ30m、幹回り12mもあったとのことで、ビルも無かった昔は地域のシンボルであり自慢でもあったのではないでしょうか。

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こちらは白くて花弁の大きな大島桜(だと思います)。
海沿いの小田原や伊豆を思わせますが、もちろんそんなに古い樹ではありません。でも、内陸部では珍しいのでは。
神社のあるマウンドは、一瞬、墳丘を思わせましたが、梶原屋敷という伝承があるとか。一応、都教委の遺跡地図情報のページを見てみましたら、縄文から近世に至るまでの遺跡包蔵地ではあるようです。

境内ではお祭に向けた清掃・飾り付けの作業中。
まずは神社にお参りしようとすると、一人の方が話しかけてくれました。今年の祭から神輿巡行に加えて、八王子城から甲冑隊が神社まで武者行列を披露するのだそうです。その嬉しそうな顔が印象的でした。

境内で目に留まったのがコレ。
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赤錆が年代を感じさせるバケツ。たぶん消火用のもので、神社備え付けのものなんでしょう。この位の大きさの方がリレーしやすそうだし、なにより的確に水をかけれそう。水かけ以外の用途には向いてなさそうだけど。

神社を後にしていよいよ根小屋域へ。
石屋が並ぶ道は前と同じ。
「じゅうれんじ山」の尾根などを左に見て、あの山の裏から敵はやって来たのか、と思いながら歩いていると、程なく「横地堤(よこちづつみ)」。
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見ての通り、かつての見附の役割をしていた土塁で、ここからが本格的な根小屋域。名前の由来は、城代・横地吉信が工事を行ったことからとされています。

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その道路向かいにも、このように明らかな段差。カーブミラーの下に立つのは庚申塔。この手の石仏石塔は、村や集落の境に建てられる例が多いのですが、これが昔のままなら、やはり一つの境界としての意識が残っているのでしょう。
ついでに、その下に寄せ集められたような石も気になります。根小屋の家臣団屋敷での石垣利用はどうだったのでしょうか。

こちらは後で見学した八王子城立体模型の横地堤の部分。
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宗閑寺のあるところがそうですが、道のありようを見るに、ここは食い違いの見附(土塁)だったんでしょうかね。
川側の方に虎口が開いていた可能性もあるとは思いますが。
どちらにせよ、手前で右折していく今の道路は、当初、堀であったのか…。
また、横地堤の一部は、右側の尾根を削り残した土塁であるかも。
…と早くも想像が膨らんでいきます。大した根拠もないのですが、そうした空想遊びも遺跡訪問の楽しみの一つであります。

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横地堤の上に建つ朝遊山宗閑寺(曹洞宗)。
氏照の冥福を祈るために建立された寺ですが、もとはこの上の氏照墓所がある付近にありました。ここに移転したのは明治になってから。
鐘楼には中興開基の中山備中守信治が寄進した鐘がかかっており、近くに寄って見たかったのですが、ちょうど庭の砂利を敷き直している最中だったので、遠慮しておきました。
中山信治は、天正18年の八王子落城時に討死した中山勘解由家範の孫にあたり、水戸藩で家老を務めた人物です。
開山導師の卜山禅師もなかなか興味深そうなお方です。

左後方のお堂は、氏照正室の比左(ひさ)御寮人の持仏であった観音像が祀られている観音堂。
こちらには、相武御府会連盟の皆さん、こたつ城主さん、梵天丸さん、うーろんさん各ご夫婦方々と大雨の中、お参りしたのが懐かしいです。昨日、写真のネガを確認したら平成14年でした。

氏照墓所は、ここからもう少し城方へ向かった道外れの高所にあります。
途中、以前に私設郷土資料館を営んでられたお宅前を通りましたが、今はやっていない模様。
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北条氏照(中央)および、家臣の中山家範(右)とその孫(前述)の中山信治(左)の墓石。五輪塔は不明ながら家臣の金子家重の墓とも。
ここが、先ほどの観音堂旧地で、宗閑寺はこの下にあったようです。
かつては観音堂の後ろに墓碑が並ぶ光景だったのでしょうか。
一応、伝承では、こちらの氏照墓所に首級が、小田原の墓所には胴が眠っている事になっています。

平成12年に初めて来た時は、小田原の酒と菓子(ういろう)をお供えしたっけ。今回は何にも持参せずゴメンナサイ。

(つづく)

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桜花巡覧 地元でぶらり定番どころ

毎度の事ながら今更ってな日記です。
今ごろになって気付くのもなんだけど、自分はたぶん、タイムリーなネタを逐次書き連ねていくSNSやツイッターよりも、ブログとか手作りサイトの方が性にあっていると思う。まあ、両方やっていければ良いのだけれど。
サイトの方も、前々から再開をと思っているのだけど、ほったらかしのまま幾年…
まあいいや、趣味なんだから気ままにやれば。

ということで、サイクリングや散策で撮った市内の桜景色です。
(去年買った、GX7の練習も兼ねて。ブログでは画像軽くするので大分ディティールがつぶれてますが、実際の写りには結構満足しています^^)

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春光院(市内矢作)の枝垂れ桜。

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猪駒塚と工場土手の桜並木(市内成田)。
猪駒(いこま=生駒?)という源頼朝の馬が葬られたという伝説がある。

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酒匂川土手と富士箱根(小田原市桑原)。

以下は、日本新薬工場近くの桜農道(桑原)。
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花咲翁さんの像

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樹根の小さな桜花

以下は、小田原城址公園。
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天守閣

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天守と馬出門

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馬出門枡形の枝垂れ桜

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二の丸平櫓
複数の桜枝が被る定番の撮影スポット。

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馬出門から見るお濠端通り。

お濠端通り
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馬屋曲輪

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同上。すでに葉桜。
今年も観れたことに感謝。

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