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夏越大祓 軽サイク

今年も後半戦に突入です。こんばんは。

各地の海開き・山開きはあいにくの雨天となってしまいましたが、どっちもまだ実際に適したシーズンとは言えないようですね。
富士山なんかは残雪でどの登山道も7合目途中までがせいぜいのようだし、海にはまだ薄ら寒いかも。

さておき、昨日の6月30日は夏越大祓ということで、午後から手近な浜へ禊ぎのサイクリング。
近くもないけど、20分くらいです。

最短で行ってはつまらないので、家の近所の川になるべく沿って、その河口に近い神社に寄ってきました。
家から近い川は二つ。

一つは、菊川。
大井・松田あたりの山から発し、酒匂川の河口すぐ手前で合流します。
国道1号線で東京から小田原方面に向かうと、酒匂橋を渡る手前に「連歌橋」という交差点があるのですが、その下を流れるのが菊川です。
西湘バイパスの酒匂IC(入口のみ)の交差点と言ったほうが分かりやすいでしょうか。
ちなみに、連歌橋の名の由来は、源頼朝と梶原景時の歌にちなむと伝わっています。

もう一つが、酒匂堰(さかわせき)。
名前の通り、実は用水路なのですが、菊川より幅が広く規模も大きなものです。
江戸初期の小田原藩主・大久保忠世が、渇水がちだった酒匂川東岸地区の農地を潤すため、酒匂川上流部(今の足柄大橋付近より)から取水し、そこから酒匂と国府津の間にある小八幡村へかけて流しました。
この工事によって、23ヶ村を灌漑したので収穫も増え、当時は"二万石用水”などと呼ばれたようです。
酒匂堰も最下流で、国府津の森戸川に合流しています。
こちらも国道1号線の親木橋交差点付近で合流しているのが見られます。
西湘バイパス国府津IC下った所の交差点が親木橋交差点です。
ちなみに、親木橋の名前は、昔、橋の近くに2本の大松があって、漁師の目印として親しまれていたからだとか。もしかしたら、"親子木”が略されたのかも。


まずは、菊川を下って、酒匂神社へ。
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海近い神社らしく、社叢は松や楠が目立ちます。

先ほどの連歌橋もそうですが、この辺りは鎌倉将軍家に関係の深いところでもあります。
酒匂神社の付近は、字(あざ)瓦屋敷という地名があるのですが、この辺り一帯が、鎌倉将軍家による箱根権現・伊豆山権現への二所参詣の折、宿泊や休憩に使われた“浜辺御所(はんべごしょ)”があったとされる伝承地です。
近年の発掘調査では、中世最古期の可能性がある溝状遺構が出土しており、その関連性が注目されています。

酒匂神社は、明治になって村内近隣の神社を集めて合祀したものですが、もとは箱根権現(現・箱根神社)を勧請した駒形権現社でした。
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神社の立つ地そのものは、建久2年成立の『箱根山縁起並序』(箱根神社)によれば、鳥羽上皇が酒匂郷を箱根権現に寄進したとされています。

『吾妻鏡』では、“浜辺”に泊まったとしっかりした記載がある将軍は、実朝・頼経・宗尊ではありますが、二所詣でのおり酒匂に宿泊した記述は頼朝の頃からあるので、早期からあったものと思われます。
ただ、宗尊将軍が鎌倉下向の折に宿泊した時は、供の衆は付近の寺などに泊まったとあるので、小規模な施設だったようです。

また、浜辺御所に関する記載で興味深いのは、源義経と平宗盛でしょうか。
平家を討った後、京から宗盛を連行した源義経一行が鎌倉入りを沙汰されず、酒匂に留め置かれた(宗盛は北条時政に引き渡される)との記載があります。
つまり、名高い腰越状に至る直前ですが、義経の酒匂逗留と平宗盛引き渡しの場も、やはり浜辺御所で行われたと考えるのが一番妥当なように思います。

菊川河口あたりの浜へは、西湘バイパス入口の道路を少し入って横切らねばならないので止めておきました。
浜まで下ってしまえば、地元ではバーベキューする浜としてポピュラーな場所なのではありますが。
自転車で一人行っても、楽しくない(笑)。

国道1号線に沿って、国府津方面へ。
東海道松並木の生き残りも大分減ってきた気がします。
昭和38年の映画『天国と地獄』(黒澤明)では、まだ大磯のような美しい松並木が映っているのですが、今は寂しい限りです。
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沿線住民には台風や大風のたびに枝や幹が心配なのは分かるのですが、何とかならないものでしょうかね。

そして、こちらが酒匂堰河口近くの神社、小八幡の八幡神社。
境内の裏を酒匂堰が流れています。
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国道1号線沿いのお寺、八幡山三宝寺(旧別当寺)横の小路を入って行くと、参道に突き当ります。
ちなみに手前右手の工事中物件は、東電の国府津住宅。現在リニューアル工事中です。

名前通り、旧村社。というか、村がこの社のまわりに発展したのかもしれません。
こちらも歴史が古く、律令時代の古東海道の駅家、「小総駅(おぶさのうまや)」の鎮守社に由来すると境内の由緒書にあります。
また、この八幡社の宗社は、山を越えた向こうの中井町にある五所八幡宮であり、慶長17年まで神輿を同八幡宮祭礼まで参加させていたとの事。こりゃすごい。

実際のところ小総駅に関してはまだ不明な事が多く、直接この神社がそれに由来するかは分かりません。
それよりも、五所八幡と深い関わりを持っている事の方が興味をそそられます。
中井町の五所八幡は、平安末期の武士、中村氏がその本拠である中村荘の総鎮守として崇敬していたとされる神社なのです。
一方、小八幡の地は、鎌倉党の柳下(八木下)氏の本拠、柳下郷に含まれていた可能性もあります。
このあたり、何らかの歴史が隠されているような気もして、興味深い所であります。

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茅の輪はないものの、八幡社では夏越を境内清掃の日としているようで、境内はきれいに掃き清められています。
社務所ではすでに直会が。ビールが実に美味そう。

国道に再び出て、親木橋付近から西湘バイパス高架をくぐって浜へ。
ここが、酒匂堰も合流した森戸川の河口です。
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国府津ICの真下になるので、非常に殺風景(笑)

しかし、道路上の小田原PA(通路で入れます)から見ると、そう悪くもない感じ。
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ともかく、渚に下りて潮風に吹かれよう。
こちらの浜は、数人の釣り人や夕涼みのおっちゃんくらいしかいないので気楽。
曇ってるので、今日は展望利かないだろうと思っていましたが、意外と江の島・三浦方面まで見渡せました。
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小田原市の浜は、石ころの浜が多いです。
昔は砂浜も多かったようですが、ダムで川の流れをせき止めたり、セメント用に細かな川砂利を浚ってしまったりしたので、こんなになってしまったのだとか。
まあ、仙洞御所の庭園池の州浜に小田原や吉浜の石が使われているのがあるから(大久保の殿さまが献上したらしい)、もとから石が多い浜ではあったのだろう。

西湘バイパスも運転してる時は景色良く爽快なのですが、浜に下りると高架道の日陰が多くて複雑な気分(苦笑)

最後にもう一社。国府津の菅原神社。
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ここの境内摂社の諏訪神社の参道入口に、茅の輪があります。
まあ、江の島みたいに一年中常設なんですが(笑)
気持は清々しくなったけど、やっぱり輪くぐりしたかったのさ。

ということで、今年後半も宜しくお願い致します。

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