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開成町で『小田原大海嘯全図』を見る

今日は開成町の町民センター(町役場のとなり)に行ってきました。
紫陽花ではなく、歴史イベントの展観です。
(ちなみに後ほど田んぼの方を歩いてみましたが、咲き始めているものが幾つかありました)

県西部の6つの歴史愛好・研究グループによる合同開催展示会でした。
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会場では各グループの会報即売のほか、最近の研究・活動の発表などが所狭しと並べられていました。


そのなかで最も関心を集めていたものの一つが、『小田原大海嘯全図』22枚の展示だったろうと思います。
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東日本大震災からまだ一年弱しか経っていないだけに、生々しい迫力が感じられました。
一部撮影させて頂きました。が、昔のコンデジなだけにブレたものばかり・・・
ブログでは少し見やすいように、コントラストをやや高めにしてあります。

小田原大海嘯(かいしょう)とは、明治35(1902)年9月28日に県西部沿岸をおそった高潮と風雨による海水害で、当時の小田原町では死傷者195人(うち死者11人)。多くの家屋が被害に遭いました。
この記録絵は、自身も被災した住民によるもので、現在では貴重な災害史史料となっています。
(できれば、郷土の学習本として本にして販売してもらいたいものです。)

『全図』では、作者が住んでいた山王地区の風水害の惨状が描かれ、新玉・万年などの近隣区が冠水している様子、救護物資が届き配布されるまでの光景がつぶさに記録されています。
また、今は失われた小田原の街の景色の一端も描かれている点なども貴重かと思います。

これは、七枚橋の旧護摩堂川が溢れて冠水している新玉の蓮上院(左の黒屋根)門前の救出風景。
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右二軒の建物も同じく寺で、善照寺と三乗寺。
三乗寺は現在は廃され、旧地に跡碑があるだけです。
蓮上院後方の高台は小田原城総構の土塁かと思われます。
同土塁は現在も住宅に埋もれるように一部残存していますが、この時は格好の避難場所であったかもしれません。

こちらもその近く、本源寺向かいの道沿い(牢屋町)にあった監獄での冠水。
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この絵を見ると、囚人の服は江戸時代と同じ柿渋染であった事が分かります。
いつ頃までこんな服を着せていたのでしょうか。

山王原での犠牲者合同葬儀の様子。
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下の図は、松原神社と新善光寺に集積された救護物資。
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上の葬儀の幕にある寺紋は新善光寺のものでしょうか。
この水害の対策では、同寺が大きな役割を果たしていたように見受けられます。
その後の小田原善光寺講との関わりなど、どうなのでしょうか。少し興味を持ちました。

この『小田原大海嘯全図』、一部は昔学校で使った郷土学習本等で見た記憶がありましたが、全ての絵を目にするのは今回が初めてでした。
もしかしたら、このように広く公開したのは初めてではないでしょうか。
これを見れただけでも、今日開成町まで行った甲斐がありました。
企画・実行をなされた方々、ありがとうございました。


おまけ。
この展示をやっていた町民センター隣りの開成町役場。
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「由芽市」??ゆめし?
なんだと思ったら、TVドラマのロケに使われていたようでした。
何のドラマかは分かりませんでしたが、俳優の岸辺一徳さんや小泉光太郎さんがリハをやってるのが遠目に見えました。

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