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アキバの神様

タイトルはシャレです。
とはいえ、間違ってるようで完全に間違ってる訳ではないと思います。

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今日は小田原市板橋にある本山修験のお寺、量覚院の大祭でした。
火伏(ひぶせ)の神として、かつては江戸や各地で大いに信仰された秋葉権現のお祭りで、毎年12月6日の夜に各地から修験者が集まって火渡りを修します。

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小田原市中里の満福寺で行われる火渡り(毎1月28日)も共に無形文化財にしていされていますが、あちらは昼間の火渡り、こちらは夜の火渡りで、絵的には後者の方が神秘的です。
また、前者は当山派(真言系)、後者は本山派(天台系)ですので、作法もところどころ違ったり。

相模で山伏というと、江戸もとい東京では大山なんかが有名かもしれませんが、小田原も江戸時代までは玉龍坊という修験寺がありまして、この量覚院と道了尊(南足柄市)も併せて、結構山伏の活発な地域だったのであります。特に玉龍坊は戦国時代の小田原北条氏に大いに保護され、同氏領国の伊豆・相模・武蔵南部において、多くの修験寺・山伏集団が玉龍坊の下に置かれていました。

量覚院は、北条氏滅亡後に小田原城主になった大久保忠世が創建、境内に遠州秋葉山から秋葉三尺坊権現を勧請し、その別当寺としたものです。

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こうしたナントカ権現といった様な神仏習合の神は、明治の神仏分離において廃止され、修験も宗教として不認可となってしまいました。近隣では箱根権現は箱根神社に、伊豆山権現も伊豆山神社に、大山は山頂の石尊権現社が阿夫利神社上社に、大山寺が縮小移転され替わりに阿夫利神社下社が建立されました。小田原においては、玉龍坊は廃寺、道了権現は本堂など一連の伽藍と分けた神社形式にして一時期を乗り越えました。

その頃、ここ量覚院の秋葉権現がどうやって護持されてきたのかは分かりません。今のところ不勉強。
しかし、本山であり勧請元でもある静岡県の秋葉権現が、新設された秋葉神社と袋井市の可睡斎に分離されてしまったのに比べると、量覚院の秋葉権現は信仰形態をよく保っているように思います。

今日は昼時間、祭事の準備中のお寺にお参りして来ました。
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参拝後は、地元板橋の和菓子屋・盛月さんの露店でお土産購入。
まあ、コレが本当の目的であったと白状致します(苦笑)
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大祭の日だけ販売される「山伏問答」というお菓子。
小麦とソバと水飴でこねられた素朴な味ですが、こういうシンプルなのは好きです。
片方は天狗の団扇、菊は本山派修験の宗紋でしょうか。

これと豆大福を買って足早に山内を辞してきました。寒かったし。
今夜はあいにくの雨でしたが、火渡りはどうだったのでしょうか。

ちなみに、こちらは過去の火防祭のニュース映像。
松明で夜闇に梵字を描く動きなど、とても神秘的ですよ。
http://www.news24.jp/articles/2009/12/07/07149227.html#

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