湘南ひらつか七福神 写真 (中編)
須賀港を後にして、次は東海道線北側の寺社へ参ります。
途中までさっきと同じ道を戻り、平塚競輪場やオリンピック百貨店が並ぶ道から線路を越え、国道1号線へ。
「ひらつか七福神」は大きな道沿いの寺社ばかりなので、順路は非常に分かりやすいと言えます。
ただ、余り真っすぐな道ばかりは自動車みたいで面白くないので寄り道。
自転車の本領発揮です(笑)。この暑いなか、徒歩でしたら無駄な行動は控えてしまったでしょう。
まずは、せっかく海近くまで来たので浜まで。
観光協会の地図には「平塚砂丘」とあり、富士山も見えるとの事。
国道134号線を渡る横断歩道がチト遠かったのが予想外でしたが、確かに砂の豊富な浜でした。
しかし、これでも侵食などで大分減って来ているとの事。どこもそうなんですね。
あいにく富士山は見えませんでした。
(暑いと書きましたが、この日は天候が不安定で、晴ときどき雨という感じでした)
こんどは長楽寺の方へ戻って、門前の住宅地をポタリングしていると、小さなお稲荷さんが所々に。
小田原もそうですが、漁師町やその周辺てお稲荷さんが多い気がします。
その中でもインパクト大だったのが、こちら。
鳥居を覆うばかりの鬱蒼さに、つい自転車を止めて杜の中へ入ってしまいました。
外から見ると暗くて不気味でしたが、境内は掃き清められており、立派なお社でした。
ご神木のタブノキには平塚市保全樹木との標示があり、大事にされている森のようです。
鳥居横の掲示板には、「妙徳稲荷大神」とあり、相殿として「木曽御嶽大神」と「日月神道日津久宮」が祀られているとの事。
後者の“日月”の文字は象形文字風な字体で、いわゆる“神代文字”のような。大本教系の個人がお祭りされているお稲荷さんなのかもしれません。社務所らしき所も人の気配が無かったので、良く分からないままでした。
そろそろ七福神巡拝に戻って、今日の4番目の霊場。馬入橋にほど近い、蓮光寺(高野山真言宗)さん。
こちらは布袋尊の担当。
国道1号線を渡ると、築地風の立派な壁が見えてきますが、山門がまた風格漂ってます。
高野山東京別院の(前身である寺院の)旧山門を移築したのだとか。
江戸時代までは、後ほど向かう平塚八幡宮の供僧を務めた歴史もあるお寺です。
本堂は近代的なコンクリ建築。その前では、よく育ったサボテンが花を咲かせていました。
布袋さんは本堂斜め前、鎮守のお稲荷さんと地蔵さんに挟まれて立っていました。
まだ新参者という感じです(笑)。
七福神ののぼりが無いと、お地蔵さんの一体として勘違いされてしまうかも?スキンヘッドだし。
実は、お隣のお地蔵さんの方が、お寺の名物というか知られた存在なのです。
「持ち上げ地蔵」といって、願い事を心に念じながら持ち上げてみて、軽く感じたら願いが叶い、重かったら叶わない、という占い地蔵さん。関西では伏見稲荷の「おもかる石」や、高野山の「みろく石」など時々見かけたりしますね。
このお地蔵さんは、明治12年に東京上野の浄名院の住職が開眼した八万四千体のお地蔵さんのうちの1体だそうです。ということは、他に八万三千九百九十九体の地蔵ブラザーズが居られるわけです。彼らが今どうなってるのかも気になります(笑)
もとは近隣地区の個人宅で祭祀されていたものだそうです。
蓮光寺さんは高野山真言宗ですので、見立て「みろく石」地蔵さんとしてもピッタリな気がします。
ついでに布袋さんの本地というか、本家の唐土では弥勒菩薩の化身として崇められていますしね。
私も試しに抱えてみましたが、想像以上にかなりズッシリ(笑)
見かけの可愛さとは裏腹にヘビーなお地蔵です。
欲を張るんじゃないよ、との有り難い喝だったのでしょう…
まあ、覆堂の下のお地蔵さんを抱くにはかなり前傾姿勢でいかないと触れないので、力を入れにくいのもありますが。やはり、欲を出しちゃイカンのでしょうな…
ご朱印は庫裏で。
正午10分ほど前だったので悪いかなと思いましたが、おだいこくさんが快く対応してくれました。
蓮光寺の隣には、先ほどのお地蔵さんにちなむという力餅が名物の弘栄堂。外に貼られた「冷やしモカ大福」というのに袖引かれる思いがしたのですが、先ほど最中を食べたばかりなのでまた今度。
次の平塚八幡宮へは、国道1号線をこのまま西へ。
ここの国道はかつての東海道ではなく、戦後の区画整理で設けられた新道のようです。自動車の交通に適した広く真っすぐな道は、徒歩や自転車には少々退屈かも。
八幡宮を目の前にした「宮の前」交差点では、横断歩道が無く歩道橋オンリーだったのが困りました。市役所近くの交差点まで行く遠回りに。
私と同じく自転車で同コース巡る方、蓮光寺参拝後は「馬入交差点」で左の旧道、つまり旧東海道を進んだ方が良いと思います。新道にくらべると歩道も狭いですが、等身大の人間としてはこのスケールくらいの方が落ちつくように感じます。
平塚八幡宮の鳥居には五色の七夕飾り。
しかも、よく見ると七福神バージョンの飾りです。左右に社紋の鶴丸。中央に宝船。そして担当の弁財天が。
まさに七夕ならではですが、この時期に限ってはここをスタートかゴールに定めて巡るのも良いかもしれません。特にグループで回られる場合は、全員の記念撮影にぴったりかと。
弁天さまは、鳥居をくぐって左手、池中の島に鎮座されておりました。
鶴岡八幡宮の旗上弁天社とは逆の場所ですね。
緑に朱い鳥居と祠が映えています。お像は無いようです。もしかしたら、祠の中に宇賀さん(人頭蛇身)の石像?とも思いましたが、祭神は市杵島姫命。ご神体はオーソドクスに御幣なのかも。
『新編相模国風土記稿』を見ると、江戸時代には境内に弁才天が祀られていたと記されていますが、やはりこちらは廃仏されてしまったのかもしれません。
この弁天さまは、同市岡崎の駒形神社末社・弁天社から新たに勧請されたとのことです。
池に鳥居立てるの、ご苦労だったでしょうね。
まだ寂しげな、というか、八幡さんの参道から目立たない感じですので、もう少し賑やかになって欲しいなあ、という気もします。
ま、その辺、ごちゃごちゃして霊域を損ねないように、兼ね合いなど難しい点あるのかもしれませんが。
続いて八幡さまにお参り。
今年は夏越大祓に神社参拝できなかったので、茅の輪くぐりできたのは幸いでした。
平塚八幡宮は私の初宮まいりの場所であり、何となく特別な思い入れがあります。生まれも育ちも小田原の私ですが、父の仕事の都合で、乳児の一時期平塚に住んでいました。
ここは、おみくじの種類が豊富でした。
こども用、七福神、縁起もの、勾玉、などなど何でもござれ。社務所の前には、男みくじ・女みくじなんてのも。
私はもちろん、「七福神みくじ」!
小吉で毘沙門さまでした。
そろそろお腹も空いてきましたが、残り2社寺ですので続けて行きます。
国道に戻り横断歩道を渡ると、豊川寺なるお寺が。
曹洞宗とあるので、豊川稲荷の支院的なものかと思い足を止めると、門前の再建由来碑には、戦前に豊川稲荷の分霊を勧請したお寺とありました。戦後の火災で焼失してからは、普通のお寺のようです。
ここもまた後日改めて参拝してみたいと思いました。
春日神社に向かう途中、平塚2丁目の大鳥神社へ寄り道。
この辺りは戦後しばらくまで遊郭があった場所と聞いていましたが、昔を偲ばせる建物などは見かけることはできませんでした。バス停に「桧扇町」というのがありましたが、これなどは当時に因む地名なのでしょうか。
大鳥神社といえば、江戸の新吉原にも鷲(おおとり)神社がありますね。それに倣ったのでしょうか。
お社の後ろには、関東大震災の遭難者供養碑と、地蔵・馬頭観音など石仏が集められていました。石仏の多くは近代以降のもののようで、なかには「玉の霊」と刻まれているものも。飼い猫でしょうかね。
平塚2丁目から4丁目にかけては住宅街に緑地公園が点在していました。
そのなかに、“鏡山お初”の墓や、地名由来伝説に語られている“平塚の塚”などもあって、歴史を感じさせる場所です。
平塚宿の北外れにあたるこの辺り、お寺が多い場所だったのかもしれません。
この後に参拝した春日神社で聞いたところによると、神社向かいの公園は、旧別当寺の広蔵寺があった場所だそうです。
(つづく)
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