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北條氏政氏照墓前祭(平成22年)

例年通り行われました。

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昨年は天気に恵まれましたが、今年は墓前祭開始の頃からポツリポツリ。後半には本降りとなってしまい、流れ解散という形に。
焼香は今回は線香のみで、以前あったような抹香(つまむお香)はありませんでした。省略されたのでしょうか。

この墓前祭、時期的なものもあり、今までもしばしば雨や風に当たったように記憶します。
今年は選挙も重なってか、参列者の数が少ないように見受けられました。
見知った顔は1人くらい。もう少し誰かに会えると期待していたのですが。

天正18年(1590)7月11日に北條氏政・氏照両公が腹を召されて、420回目の忌日となる墓前祭でしたが、少し寂しいものでした。
あの雨は涙雨だったのでしょうか…

まあ、実際である旧暦7月11日は、セミの鳴く暑中だったでしょうから、小田原開城の虚脱感は太平洋戦争の敗戦に似た心地だったのではなかろうか、と想像してみたりもします。

翌12日は氏康室と氏政後室が没。自害とされています。
一応、無血開城とされる小田原籠城ですが、小田原周辺ではその折に殺害された村人や僧侶の供養碑が幾つか伝存していますし、北條方の武士が逃げ込んだ山の話なども土地の方から聞いた事があります。
いずれも永久に史実として取り上げられるものではないでしょうが、記憶しておきたいものです。

小田原城に籠った北條方の武士は、「北条家人数覚書」(毛利文書)によれば34350騎。
下山治久氏はこれに、徒歩侍や足軽等、さらに臨時に動員した領民兵などを勘案されて、およそ10万程が小田原に籠っていたと推定しています。
豊臣方の小田原包囲がなった頃には、村や他城から退避した人々を吸収してさらに増加した事と思われます。同じく、小田原から逃亡する人々も連日発生したでしょうが。

彼らのうち無事に故郷に戻れなかった人も少なからずいた事でしょう。
大名クラスでも壬生義雄のように病没してる方がいます。

仕方なく籠城したという家々・人々も少なくなかったと思いますし、籠城中に逃亡・翻意した人々もあったでしょう。
それでも、今も小田原に住む者として私は、戦の責を負って没した氏政・氏照両公だけでなく、その縁辺の人々、そして関東各地から参じて小田原に籠り守ってくれた全ての人々に感謝と哀悼の意を捧げたいと思います。
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その後、街中のギャラリー数館で行われていた『西さがみ街なみ・ふる里 再発見!』を展観。
地元のイラストレーター若林寧人さんの作品が主目的でしたが、他にも切絵や絵手紙の作品など楽しめました。

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