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お礼参り&プチ史跡めぐり(近代編) 後編

山角天神の前を東に暫く歩き、国道1号線をまたいで南側の住宅地へ。

こちらも別荘地として利用された地域で、小田原文学館(旧田中光顕邸)のある西海子(さいかち)小路周辺は、まだ高級住宅地の面影がある。
この辺りは政治家というよりも、斎藤緑雨、谷崎潤一郎、村井弦斉など文筆家が一時住んだ場所として知られ、また観光にもPRされている。
ただ、昭和の戦前などは軍人や企業家の宅地というイメージが濃かったようであるが。
さかのぼって戦国時代は、北条家重臣・松田氏や侍医・田村安栖軒の屋敷があったとも伝わる。

小田原文学館は、西海子小路に面してはスパニッシュ様式の洋風な姿を見せているが、裏にあたる南門に回ると、純和風の門構え。
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和館は、旧田中光顕別邸から他の所有者を経て今では小田原文学館別館「白秋童謡館」となっている。
昭和初期の頃まで流行った、このように敷地内に洋館と和館を設けるスタイルでは、公邸と私邸という性格づけされていた事が多かったようである。
建設当時の趣がどれだけ残っているのかは知る由もないのだが、ここのエントランスの場合、私は和館入口の方が好みだ。
桜並木が続く西海子小路側も、玄関前に車入れの小さなロータリーがあったりして格好良いのだが、南門の方が土手越しに松や竹など樹木が覗いて、いかにも海沿いの邸宅らしさがある。
また、ここからは、箱根の最高峰・神山と豊臣秀吉が陣城を築いた石垣山が一直線に見えて、山並みの奥行きが楽しめるのも良い。
開いていれば、庭でも見て行こうかと思ったが、すでに年末休館に入ってしまっていた。


伊藤博文の別荘「滄浪閣」は、ここよりもう少し東で、海の間近にあった。
今の小田原海岸は西湘バイパスが眺望を遮って大変せわしない光景だが、昔は名の通り、目前に蒼き波寄せる風情があったのだろう。
(交通に便利ではあるが、大磯から西湘地域の海岸はコレのせいで風情がまるで台無し)
伊藤の小田原別荘はこれよりさき、小田原の上幸田に設けた、父・重蔵の別荘があった。
小田原における明治の別荘ブーム先駆けの一人とも言える。
とはいえ、1890年に建った小田原滄浪閣の寿命は短く、結局、7年後に小田原沿岸を襲った大海嘯で被害を受けてしまう。以後は大磯にも併設していた滄浪閣に移転した。
現在「滄浪閣」として有名なのはこちらの方だ。
隣接する別荘群もまだ健在というか、よく残っている。殆どが非公開なのが残念ではあるが。


閑院宮や山縣有朋、三井物産の益田孝(鈍翁)らが小田原に移り住んだのは、日露戦争後である。
これら第二次別荘ラッシュも関東大震災で再び停滞し、以後の小田原は政界よりも財界や文人らの保養地・別荘地という顔の方が濃くなった。

関東大震災以前の小田原の別荘建築で残っているものは殆ど無いのではなかろうか。
だが、有名な物件の一部は移築され、今でも見ることができる。
例としては、小田原城二の丸跡にあった御用邸の御座所が横浜市の光明寺に移築されており、
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=86927
また、山縣有朋の古稀庵は洋館が栃木県の有朋記念館に移築され
http://general-yamagata-foundation.or.jp/
和館の一部は、箱根湯本ホテルの「暁邸」として、豆腐懐石の席に供されて今も使用されている。
http://www.hakone-yumotohotel.com/bakery/tei_index.html

古稀庵の土地そのものは、あいおい保険の小田原研修所に使用されている。ここは日曜に限って一般拝観も受け付けている。


話が逸れてしまった。
さて、小田原滄浪閣を偲ばせるものは、民家の庭先に残された伊藤博文の胸像と、記念碑のみとなっている。
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ただ、胸像の足元には、 李垠(イ・ウン)大韓帝国皇太子の子・李玖(リ・グ)や、 戦後皇籍離脱した賀陽宮文憲王の記念碑なども残っており、 なんだかここだけ戦前から時代が止まっているような気にもなる。

ついでながら、この記念碑が立つマウンドは、戦国小田原城総構の海岸土塁の残欠である。
一部の寺院境内を除けば、宅地化した周囲には殆ど海岸土塁は残っておらず、偶然ながら、伊藤博文の記念碑が立っていたせいで残されたのだろう。
地元では良く知られている場所ではあるが、民家の一角なので留意されたい。

寺の塀が続く通りを進んでいくと、右手に海岸に降りる道が開ける。
砂と石混じりのひなびた浜だが、これが小田原の海水浴場である。
海水浴場といっても、すぐに深くなる、いわゆるドボン。
海に慣れない土地からのお客さんにはとても勧められないものだが、「御幸の浜」と親しまれている。
これは、1873年の夏に箱根離宮に避暑する途中の明治天皇夫妻が、小田原で一泊し、その折、ここで漁師の地引網を高覧賜った事を記念して名付けられたものである。
海岸が痩せて、今ではかなり名前負けしている。
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それにしても、この時期の浜はことに線香くさい。
風向きによっては、結構の墓参の煙が流れてくる。
総構の内外に沿って寺院が設けられる事は、近世城下町の特徴の一つでもあるが、小田原の場合は南を海岸に接している為、砂浜から浜土手を超えると内側はほとんど寺域、すなわち墓地なのであった。
現在は寺よりも住宅が多いが、住んでいる家々でも結構線香の匂いがきつい時があるのではないかと察する。

御幸の浜入口から再び国道方面へ戻り、途中右に曲がる。
蒲鉾や干物、鰹節の工場や店が立ち並んでいる。
この辺りは古くからの漁師町で、旧町名で千度小路という。
由来は、船頭が多くいたからとか、松原神社の門前地にもあたる事から「百度参り」や「千度参り」に因むのだとかいうが、確認した事が無い。
途中、小田原の蒲鉾屋でも有名ところの一つ、「籠清(かごせい)」本店がある。
関東大震災後に再建された頑丈そうな木造建築で、店の看板「加古淸」の字は、さきにも触れた益田孝の筆によるものだ。

どうでもいい事だが、我が家は蒲鉾・おでんの種はいつも籠清で買っている。
せっかく色んなメーカーがあるのだからと、たまに他店のを買ってくるが、やはり慣れた味に戻ってしまう。
さつま揚げだけは大磯の井上が極上と勝手に思っているが。

店先を過ぎると、松原神社はもうすぐ近く。
境内は参拝客は他には無く、静かに今年のお礼参りを果たした。

ここの祭礼はかつては正月15日だったが、変遷もあり、現在は5月連休の「北條五代祭り(3日)」翌日の4・5日に行われている。
また3日のパレードにも参加しているので、神輿は見る事が出来る。
漁師町らしい独特の神輿かつぎなので、観光で訪問される方には、行列だけでなく是非ともこちらも見ていってもらいたいもの。

これにて、お礼参りを兼ねた歴史散歩は終了。
祖父の墓参りと近くの不動尊に参拝して、家路に就いた。

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