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サントリー美術館「天地人」展 展観 ほか

とりあえず覚書程度に。
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午前10時のサントリー美術館開館に合わせてエントランスで待ち合わせ。
この日、お出で下さったのは、桜町中将さん・志摩の守さん・御所様・桜風東行さん・ナカジさん・猛馬飼育係さん。
猛馬さんとナカジさんに会うのは久しぶり。
特にナカジさんとは、ここ2年ほどメールでたまにやりとりする程度だったように思うが、特にお変わりはない模様。
私を含めて7人と展観にはやや大所帯だが、以前にも上洛オフで一緒になってる方々ばかり。
気楽にそれぞれ三々五々と展観した。

展示は大河ドラマに合わせた企画ではあるものの、内容は殆ど別のものと言っていい。
唯一ドラマ関係で来ていたのは、展示室入口に置いてあった撮影に使用された「愛」前立ての兜くらいか。

構成は、第1部「直江兼続の生涯」と第2部「直江兼続の時代と文化」に大別される。
前半では、上杉家や兼続及び関わった人物の甲冑や刀剣類、書状、人物画像、出土遺物など。
後半は、洛中洛外図や職人尽といった屏風絵、典籍、能衣装、工芸、茶道具など。
前期と後期で入れ替えがあって、それぞれ約200点ほどの展示となるようだ。

また、展示リストを見るに、サントリーの後に新潟県立歴史博物館で展示がされるようだが、新潟会場でしか展示しないものが20点ほどある。
都合の合う人は、そちらで見たほうが空いてるだろうし、お得かもしれない。

少々気になったのは、解説文が少ない点か。
上杉家はさっぱりな自分なのである。
幸い、桜風さんや猛馬さんが人物や出来事の背景、志摩の守さんが甲冑の見所、桜町中将さんが当時の北関東情勢との関わりなどを適時に教えてくれたので、かなり目敏く展示を堪能できたかと思う。
一人で来ていたら気がつかなかった点ばかりなので、やはりお誘いしてよかった。

個人的に見入ったのは、最近はあまり興味が無かった甲冑類。
長谷堂合戦で兼続が着用したという「浅葱糸威錆色塗切付札二枚胴具足」は、名前の通り錆地の浅葱糸が映えていた。
筋の多い兜鉢に、梵字(アン?普賢菩薩?)と縦長の鍬形が合っている。
上杉景勝所用と伝わる「鉄黒漆塗紺糸威異製最上胴具足」は、上杉家に特徴的な二段シコロの兜で、猪と日輪(卍)の前立て(どちらも摩利支天のシンボル)。
こちらでサンプル画像が見れます(同美術館サイト)
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/09vol03/program.html

名高い「三宝荒神形兜」も初めて見た。
断末魔の谷隼人みたいな顔、アートだ。

江戸時代のだけど、早世した兼続の子の肖像なんてのもあった。
北条氏に関わるものとしては、『山上宗二記』(板部岡江雪斎に与えられた写本)も。

狩野永徳筆の「上杉本洛中洛外図屏風」は、残念ながら後期から。
ただ、名古屋市博物館から来ていた「豊国祭礼・祇園観桜図屏風」も楽しめた。
祇園社や豊国社の祭風俗を描いた屏風絵作品の一つでポピュラーな画題の一つ。こちらは17世紀のものだが、今回じっくりと見たおかげで、タケノコの着ぐるみを着た人の描写など、興味深い点に色々気がついた。

このタケノコの人物は、同様の屏風絵には大方描かれているようで、どうやら「風流おどり」のワンシーンとセットのようだ。
何かの物語の役なのだろうか。
それにしても、インパクトのある衣装ではある。
(同作品は、名古屋市博物館の旧サイトで見れる。サイズが小さいけど該当ページ↓ちょうど真ん中の下の方にタケノコ君がいる)
http://www.mms-net.com/ncm/object100/art/236_a.html

当時、現場で目撃した人にもインパクト大だったんだと思う。


昨年話題になった、鮫ヶ尾城出土の焼けたおにぎりの展示は、最初気がつかないで過ぎ去ってしまった。
展示の終わり頃に指摘され、急いで戻って見て来た。
あの考古コーナーはちょっと地味なので、画像や文書に目が奪われてると気がつかないかもしれない。

上杉景虎書状は、こちらも後期の展示なので拝観できず、残念。
景勝の感状などは翌日までの展示だったので、行って損は無かったと思うが、後期も行ってみようかと考えている。


展観の後は、六本木駅近くのインド料理「モティ」で昼食。
ここのメニューには嬉しいことにチキン・ヴィンダルーがあったので、それをバスマティ米で食べた。
辛さは、英国で食べ慣れたものに比べると大分マイルドだったが、久しぶりに独特の酸味あるカレーが食べれたので満足。
お腹が空いていたので、今回は写真を撮るのも忘れてしまった。

さすがにパール(Pharl?)は無かったようだ。
これはさらに輪をかけて凶悪な辛さ、というか苦いし、痛いカレー(笑)。
お口で痛み、胃で痛み、翌日のトイレまで、まるで体の芯が火傷したようなヒリヒリ感が味わえる。
正直、あっても、食べるか迷うけど(汗)。
私も三度くらいしか食べてないし、その内二度は挫けて完食できなかった。
何人かでシェアして食べるなら良いかもしれないが。
(嗚呼、思い出しただけで汗が出てきた・・・)


ナカジさんは午後から仕事とのことで、後は男6人で史跡散策。
今井城址(伝・今井兼平城跡)と伝わる赤坂氷川神社。
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想像してたより広い境内で緑も豊富。
おかげで一人短パンだった自分は蚊に喰われまくり。
小田原の蚊より凶暴なんじゃないの(笑)

大使館が多いだけに、周囲も落ち着いた雰囲気。
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末社の稲荷さんの狐さんは育ちが良さそうな端正な顔でした。

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小田原から江戸に移った本光院(北条氏康の弟・為昌の菩提寺)の後身、種徳寺(しゅうとくじ)。
普段は無住のようで。
小田原から江戸に移った北条氏ゆかりの寺もけっこうある。


そして、北条氏綱が江戸城を奪ったおりに、首実検と勝どきの場となったという「一ツ木」。
きっと陣を張れるような見晴らし良い丘だったのだろうが、今では地名が残るのみ。それだけでも嬉しい。
『小田原衆所領役帳』(永禄二年北条氏役帳)では、太田大膳亮の知行地として「一木貝塚」が記されている。
『江戸名所図絵』では、「昔は」赤坂から四谷あたりまでを一木原と称したというから、上記の貝塚はそのなかの一部を指しているのだろう。現在地の麹町に相当するようである。ちなみに、ここは増上寺の旧地でもあるから、古くからの寺院や葬祭の場所であったのかと想像する。
検分されて用無しになった首の多くも、このような念仏寺院で供養されたのだろうか。


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ここで、桜町中将さんの新作『戦国奇譚・首』出版を祝って、本で「首」実検を行った。

三鱗も用意してきたのだが、こうして見ると、確かに桜風さんが言うように、北条方の首のようにも見える(苦笑)。

と、そんな辺りをぶらり回ってみた。
その後、「時代屋」の喫茶コーナーで戦国談義をと思ったが、混んでいたので近くのファミレスへ。
あまり歴史の話は出ず、ほかの話題で盛り上がってたような気がする(笑)

店外へ出ると小雨。
傘をさして、太田姫稲荷とニコライ堂を見物して、御茶ノ水駅で解散となった。

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