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北条幻庵屋敷跡の堀?

24日付各新聞の地域版などでも紹介されたが、小田原市久野の個人宅新築工事に伴う発掘調査で空堀が発見され、陶磁器などの出土遺物から16世紀のもの、すなわち小田原北条時代の遺構である事が確認された。

場所は、久野小学校に隣接する住宅地。
(下の地図では久野小プールの南、小道を隔てた角地が発掘現場)
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&ll=35.272291,139.136943&spn=0.00097,0.002001&z=19
小田原北条氏一族・久野北条家初代の北条幻庵宗哲(早雲末子とされる)が屋敷を構えたと伝わる場所で、発掘現場の東100mには幻庵屋敷の一部とされる土塁や池庭、幻庵御霊屋(伝幻庵墳墓の覆屋)などがある。

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確認された堀は上幅7.2m、深さ3.5m。
法面は荒れているがシャープな斜度は趣をよく残している。
堀は平底のいわゆる箱堀で、底部両端には深さ・幅ともに50㎝ほどの側溝を伴う。
排水路なのか用途は不明。
同軸上にある畑地も“堀跡”と伝わっており、ある程度の直線的な堀が埋蔵されているのはほぼ間違いないと思われる。

この時代の居館といえば、土塁と堀で四周を囲った方形居館が想定されるが、永禄2年の「北条氏所領役帳」に記載される最高の貫高を誇る北条幻庵である。
付属する曲輪や家臣屋敷を含めてかなり広い範囲に展開していたはずである。
伝承地名は、今回堀が見つかった場所や幻庵御霊屋や庭園跡・土塁残欠がある辺りを含む「中屋敷」を中心に、「七軒屋敷」「太鼓屋敷」「丹波屋敷」「物見」などがある。

場所は、箱根外輪山を越える街道に沿った緩やかな斜面。
今回出土した堀の場所は御霊屋や池庭跡よりも高位に存在するから、同じ曲輪に属するものではないかもしれない。

また、江戸時代の小田原藩主・稲葉氏の時代にここに屋敷を構えた家臣がいるので、池庭跡や土塁はその時代のものの可能性も捨て切れない(『新編相模国風土記稿』)。
保育園入口近くの土塁と云われている土盛りは、塚のようにも見える(久野は古墳遺跡が多い土地である)。

この堀が方形居館の堀なら、一辺約100mが平均的なサイズとして、居館は現在の久野小学校辺りから東泉院参道付近にかけてあったのかもしれない。
いずれにせよ、今の段階で幻庵屋敷の具体像を想定するのはまだ難しい状況だろう。

出土したかわらけがどんなものだったかが気になる。
北条氏系の拠点城郭では、北条一族や重要人物が儀式の在地武士との差別化を図ったものと想定される、京系かわらけ(小田原に職人が居たと考えられている)の出土が一つの特徴でもあるが、今回出土のかわらけ片の類型はまだ発表されていない。
もし、そのようなものであれば、出土した空堀は居館主要部に隣接もしくは近い場所の可能性が高くなるだろう。

本遺跡に関しての報告は来年度の発表会(毎年10~12月頃に開催される)になるとの事。
遺構は今日より埋め戻される。
覆土が軟弱で崩壊の危険があるため、一般公開は行われなかった。

一般公開しなかったのはもったいない気もするが、実際足場が悪そうであったので仕方ないだろう。
私は報道の翌日現地(フェンス越しに)見学したが、すでに一部の覆土が崩れて堀底はほとんど隠れてしまっていた。

それでも、幻庵屋敷(の可能性がある)の生の姿に触れられたのは大きな興奮と収穫だった。


新聞記事は神奈川新聞および朝日・毎日の地方記事で見られる。(以下該当ページ)
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivapr0904647/
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000000904240003
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20090424ddlk14040221000c.html

また、市の発表記事ではクリアな現場写真が添えられている。
すでにトップからのリンクは削除されているので早めにご参照されたし。
http://www2.city.odawara.kanagawa.jp/press/detail.do?enterpriseNo=20090028

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