« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

“新幹線の発祥地”記念碑

1150605491_2141
石和に行っていた19日、地元利用駅のJR東海道線・鴨宮駅南口ではこんな記念碑の公開セレモニーが行われていたようです。

以前、地元商店会や自治会などで寄付金の呼びかけが行われ、回覧板でも回ってきたのでデザインは分かっていたのですが、まさかこんなデカイものだとは思ってなかったのでビックリ。
永く保存したい記念碑なら、もう少し地味で落ち着いたモノの方が良い気もしますけど、まあこれも分かりやすいです(笑)

なんでこんな記念碑がというと、東京オリンピックに合わせて運営実用化を目指していた国鉄が、新幹線の試験走行を行っていたのが、高座郡綾瀬から小田原市鴨宮の試験区間。
その試験基地が鴨宮駅に隣接していました。
今でもその一部が東海道新幹線の線路として使用されているそうです。
それだけ、当時は田舎だったってことですな(笑)。

ともかく、地元の特に駅周辺商店街なんかはシンボルマークに新幹線イラストを使ったりしてますし、駅スタンプも“新幹線と飯泉観音(坂東5番札所)”というシュールな図柄(笑)だったりと、思い入れは少なくないようです。

実は「新幹線発祥地」の碑はすでにあるんですけどね。
駅から離れた軌道内にあるので、一般人はほとんど観る機会がない。
それに凄く地味です。

そんな記念すべき事を過去の事として忘れないように、と発起者が思ったのかどうかは定かではありませんが、イザお目見えしてみるととても自己主張溢れるモニュメントでありました(笑)
(もう国鉄の記念碑なんて頼らん!)とでも言いたいような気持が伝わって参ります。

台座には、もはや一方的とも思える程のさらなるこだわりが。
「新幹線発祥の地・鴨宮」なる歌詩のプレートが埋め込まれていました…。

ま…、良いんじゃないですかね…
どこから見ても新幹線と分かる(笑)記念碑です。
1150605491_921

| | コメント (0)

北条幻庵屋敷跡の堀?

24日付各新聞の地域版などでも紹介されたが、小田原市久野の個人宅新築工事に伴う発掘調査で空堀が発見され、陶磁器などの出土遺物から16世紀のもの、すなわち小田原北条時代の遺構である事が確認された。

場所は、久野小学校に隣接する住宅地。
(下の地図では久野小プールの南、小道を隔てた角地が発掘現場)
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&ll=35.272291,139.136943&spn=0.00097,0.002001&z=19
小田原北条氏一族・久野北条家初代の北条幻庵宗哲(早雲末子とされる)が屋敷を構えたと伝わる場所で、発掘現場の東100mには幻庵屋敷の一部とされる土塁や池庭、幻庵御霊屋(伝幻庵墳墓の覆屋)などがある。

1149861957_2151
確認された堀は上幅7.2m、深さ3.5m。
法面は荒れているがシャープな斜度は趣をよく残している。
堀は平底のいわゆる箱堀で、底部両端には深さ・幅ともに50㎝ほどの側溝を伴う。
排水路なのか用途は不明。
同軸上にある畑地も“堀跡”と伝わっており、ある程度の直線的な堀が埋蔵されているのはほぼ間違いないと思われる。

この時代の居館といえば、土塁と堀で四周を囲った方形居館が想定されるが、永禄2年の「北条氏所領役帳」に記載される最高の貫高を誇る北条幻庵である。
付属する曲輪や家臣屋敷を含めてかなり広い範囲に展開していたはずである。
伝承地名は、今回堀が見つかった場所や幻庵御霊屋や庭園跡・土塁残欠がある辺りを含む「中屋敷」を中心に、「七軒屋敷」「太鼓屋敷」「丹波屋敷」「物見」などがある。

場所は、箱根外輪山を越える街道に沿った緩やかな斜面。
今回出土した堀の場所は御霊屋や池庭跡よりも高位に存在するから、同じ曲輪に属するものではないかもしれない。

また、江戸時代の小田原藩主・稲葉氏の時代にここに屋敷を構えた家臣がいるので、池庭跡や土塁はその時代のものの可能性も捨て切れない(『新編相模国風土記稿』)。
保育園入口近くの土塁と云われている土盛りは、塚のようにも見える(久野は古墳遺跡が多い土地である)。

この堀が方形居館の堀なら、一辺約100mが平均的なサイズとして、居館は現在の久野小学校辺りから東泉院参道付近にかけてあったのかもしれない。
いずれにせよ、今の段階で幻庵屋敷の具体像を想定するのはまだ難しい状況だろう。

出土したかわらけがどんなものだったかが気になる。
北条氏系の拠点城郭では、北条一族や重要人物が儀式の在地武士との差別化を図ったものと想定される、京系かわらけ(小田原に職人が居たと考えられている)の出土が一つの特徴でもあるが、今回出土のかわらけ片の類型はまだ発表されていない。
もし、そのようなものであれば、出土した空堀は居館主要部に隣接もしくは近い場所の可能性が高くなるだろう。

本遺跡に関しての報告は来年度の発表会(毎年10~12月頃に開催される)になるとの事。
遺構は今日より埋め戻される。
覆土が軟弱で崩壊の危険があるため、一般公開は行われなかった。

一般公開しなかったのはもったいない気もするが、実際足場が悪そうであったので仕方ないだろう。
私は報道の翌日現地(フェンス越しに)見学したが、すでに一部の覆土が崩れて堀底はほとんど隠れてしまっていた。

それでも、幻庵屋敷(の可能性がある)の生の姿に触れられたのは大きな興奮と収穫だった。


新聞記事は神奈川新聞および朝日・毎日の地方記事で見られる。(以下該当ページ)
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivapr0904647/
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000000904240003
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20090424ddlk14040221000c.html

また、市の発表記事ではクリアな現場写真が添えられている。
すでにトップからのリンクは削除されているので早めにご参照されたし。
http://www2.city.odawara.kanagawa.jp/press/detail.do?enterpriseNo=20090028

| | コメント (0)

パパイヤ甘粕

NHKのスタパ見てたら、パパイヤ鈴木が今日のゲストでした。

本人曰く、体が小さいんです、との事。

大河で着ている甘粕の衣装は、パパイヤ氏と衣装担当さんで決めたのだとか。
イメージした甘粕のキャラと本人が好きな色なども考えたとかで、なるほど小道具にもそうした気遣いがあるんですね。

上田衆の俳優さん達はプライベートでも飲みに行くなど仲が宜しいそうで、やはり大河のように一年かけて密に仕事すると、特に同胞の役なんかは気心が知れて来るんでしょうね。
『新撰組!』の役者達もそんな感じがしましたが、ちょっと羨ましいですね。

ドラマとしての作品は相変わらずツッコミいれたくなる気がしますけど、真面目に制作に携わってる方を観ると、後ろめたいというか申し訳ない気がします。
ま、ネタにされてるのはキャストや裏方ではなく、主に脚本なのでしょうけど…

あ、ネタといえば、パパイヤの頭!
やはり番組でも話題にあがっていました(笑)
後半では甘粕の兜も登場するそうなので、それも期待して欲しいとの事。

あの頭にどんな兜が乗るんだ??!
シコロから毛がはみ出してそうな恐いもの見たさで…楽しみです♪

| | コメント (0)

平成21年 石和川中島合戦 小田原衆覚書

今年の小田原勢もとい不肖・蒼庚斎の出陣日誌は以下の様であります。


31091522_669977824
04:53発の小田急にて小田原を出発。
その前に毎年恒例としている、駅前の北条氏政・氏照両公の墓前にて出陣の挨拶。
31091522_1386818580
我が指物である提灯を墓前に置き、合掌読経。
そして、氏政公には武田家加勢の許可並びに北条家顕彰役の無事遂行、氏照公には八王子筋からの甲州入りとなる道中の安全と武運を祈る。
さらに本年の合戦祭は、北条三郎殿こと上杉景虎様の命日(旧3月24日)にあたるのも何やら奇しき日取り。
祭りの設定舞台は川中島合戦とはいえ、御館一乱遅きに失した北条勢の悔恨、そして三郎殿の無念を少しでも晴らして差し上げたい意を持って参じたのであった。


町田で横浜線に乗換え、八王子に着いたのが6:31。
特急あずさ始発が7:29のため、駅前のロッテリアで暫し時間を潰す。

あずさは時間通りの出発。
車内にはすでに石和へ赴く団体が数組乗車していた様で、早くも気持ち高ぶった声が時折聞こえた。

暫し桂川沿いの山林を過ぎ行けば、右手に岩殿山の鏡岩。
31091522_4108729283
見下ろすようなそれは、まさに郡内もとい甲斐の鉄門扉の如し。
さらに幾山過ぎると果樹園広がる国中盆地である。

一年ぶりに下車した石和温泉駅。
駅前に祭参加の小集団が幾つも待ち合わせする光景も一年ぶり。

我が属する三浦部隊定宿の風林閣に着くと、ちょうど受付へ出発の折。
同じく定宿とする幕府軍はすでに出た後の様。
まさに戦場にて初間見える事となった。

着付けからリハに関してはほぼ例年通り。
違うのは、別働隊一手“火の隊”に属した事くらいか。

今年の我々は、鬼退治で名高い多田淡路守満頼の隊を担う事になった。
守りより攻め、槍働きも鬼の如く為すべしと期待されている(?)。

昼食休憩の時間、先日鮫ヶ尾城跡に行った同隊の京極殿に写真を見せてもらった。
予想以上に広かったそうである。
確かに写真から見る景色は遠くまで眺望が利きそうであった。
例の焼けたおにぎりも見てきたとの事。
私も一度は訪問せねばと常々思っている。

13時頃、最後の確認を終えると、着付け場所の北小より出陣。
出陣に際しては、箱根・伊豆山・鶴岡八幡宮を遥拝し、高野山高室院本尊・薬師如来と三浦隊馬標にも使われている不動尊のご真言を七編唱えるのも私の密かな慣習である。

天気明朗にして、将士の意気軒昂。
沿道の見物客が手を振り声をかけてくれる所は、惜しいけれども我が小田原より身近な温かさを感じる。


先に陣組を終えた越後勢を横に睨みつつ、我々も川中島へ。
上杉陣を見れば、そこには真新しい「愛」と「義」の旗が翻っているではないか!
武田陣でも(もしや?)と話をしていたが、今年の大河ドラマの主役・直江兼続と主・上杉景勝が特別設定として参陣していたのである。
これで私のターゲットは決まった(笑)。
(無論、御館の仇討ちじゃ!)

着陣が済むと我々は暫し待機。
祭りは関係者挨拶の後、故事再現ドラマや出陣の儀、砲術披露、演出隊による殺陣を経ていよいよ両軍合戦へと移る。
一般参加者には、その間が意外と長く感じられる。
今年も日差しが厳しかったので体調を崩した人も少なからずいた模様。
ただ、回を重ねて参加している隊も少なくないのがこの祭り。
そうした人々は飲料その他の装備や息の抜き時など心得ている。
回を重ねるたびに楽しみ方が広がってくるのも、このイベントの大きな魅力であろう。

ところで我々は別働隊である。
31091522_21917965881
(※この写真はみくりん殿撮影のもの)
主力が川中島で越後勢と槍合わせをしている時、我々は川下を迂回して上杉陣近くへ移動中。
移動の段取りがスムーズに行われたためか、余裕を持ち合戦後半まで体力を温存できたのである。
よって後半の合戦では、我ら“火の隊”は新手主力として越後勢に猛撃を加えた。

突撃する事三度。
一度目は本陣前の槍武者に阻まれたが、二度目は直江違いの実綱に一太刀。
三度目、駆けに駆け、ついに直江兼続を見つけるも、あと三・四歩ほどの所で上杉景勝と槍隊(上田衆かw)に阻まれ、刃を交えている内に後退されてしまった。
何ゆえ、主が家臣を守っていたかは定かではないが、前立て「愛」の破損を気にして合戦に及ばなかったのではなかろうかと一考している(笑)。
それとも、万一に備え、景勝が兼続の具足を着ていたのか?
(後刻、兼続が偽者であったという噂も流れた 笑)
ともかく、三鱗を背負い景勝と刃を交えた事で良しとすべきであろうか。

が、深入りし過ぎた。
その帰路、続々と帰陣する越後勢に退路を阻まれるうち、幕府軍の征夷大将軍太郎殿と遭遇してしまった。
不覚にも「この寝返り者め!」と捕縛されかけたが(笑)、劣勢の越後勢が退却する混乱に乗じて何とか本陣に戻ることができたのであった。

…ということで、今年も無事に合戦祭を戦うことができた。

少しは“小田原勢ここにあり”を示せたのならこれに過ぎる喜びはない。

風林閣で私も入湯させて頂き、暫し休憩。
ビールが美味い!

夕食は駅近くの「月のうさぎ」で、祭り後の小打ち上げ兼夕食。
吉田うどんか、ほうとうどちらを食べようか迷った挙句、ナン付きイエローカレーを注文(笑)。
早かったので缶詰か冷凍かと思うが、予想以上に辛味が効いていて美味かった。
話も今日の興奮から、鈴白殿の憑依霊騒動など、楽しい食の席であった。
私にとっても一年に一度しかお目にかからない方が多いから、なんだか連休前に行楽のメインを食べてしまったような心地である。
ビールも馬刺しも美味かった♪

次の再開を約して、20時頃に解散。
私は当初電車で帰るつもりだったが、征夷大将軍太郎殿(御所様)の車は☆☆けん☆☆殿だけ乗車という事なので、今年もお世話に成る事に。

藤沢辻堂まで乗せて頂き、小田原の自宅へ着いたのは丁度24時頃であったろうか。

神仏及び北条家御霊、幹事の三浦介星友殿、その他この日お会いできた方々、声援を送ってくれた方々、皆様に深く感謝申し上げます。m(_ _)m

また来年も宜しくお願い致します。

| | コメント (0)

最後におむすびでも食わせてやれ!

大河【天地人】今日で御館の乱シリーズも終了か。
一番最後に一番見たくなかった終わり方(演出)…。

御館で景虎妻の最期を遂げさせたという遠山直次に関しては、まあ不明な点があるし、極力脇キャラを登場させないのが今回のドラマの描き方みたいだから妥協するとしても、親父の康光は景虎と自害したはずだろ!
逃亡させちゃうなんて、いくらドラマでも本人に失礼だろ。

炭化した握り飯が出土したニュースはまだ耳新しいニュースだから、実際の撮影には間に合わなかったのかもしれないが、できれば、あんな茶番の仲直り見せるより、このネタを生かして欲しかった。

最後に差し出された握り飯を、たとえば「…美味いな…。だが一口で満足だ。腹から米が出てくる最後なぞ見せたくないからのう」とか言わせて炎と煙にフェードアウトしていくとかでもした方が、武将らしくてよいではないか。

あんな中途半端な最期なんてなぁ。


ま、一度墓参というか、鮫ヶ尾城跡には足を運びたい…。


そういえば、景虎自害の3月24日って、新暦だと今年は4月19日か!

| | コメント (0)

特別展「海賊 -室町・戦国時代の東京湾と横浜-」

2009040701_3
特別展「海賊 -室町・戦国時代の東京湾と横浜-」は、予想していた以上に展示が多く、また解説も親切な内容だった。
海賊の発祥から中世の東京湾、とくに横浜市域と八丈島支配、里見氏に関する資料は文書だけでなく、所伝品や考古遺物などもありなかなかバラエティに富んでいた。
八王子信松院の軍船模型も同寺で見たとき以来だが、付属の伝来資料(図画資料など)は初めての拝見。

失笑してしまったのは、里見氏がどこかの神社(鶴谷八幡宮?)を寄進造営した時の棟札の内容で、そこには主たる古河公方の武運長久を祈願する旨記されているが、ちゃっかり自分の名前の上に“副将軍”と書いてあったりした。
棟札の祈願文の内容に関してまでは、解説文が置かれていなかったので、どういう趣旨のものかは不明のままだが、意気が現れていて面白い。

できれば、港湾都市における海運と河川水運の引き継ぎや、寺社との係り合い、当時の海戦の実際などにも触れてくれれば、もう少し理解や興味も深まったと思う。
特に、海戦に関してはまだまだ陸戦ほど様子が明らかになっていないのかもしれないが、色々と比較資料を提示することでヒントには為し得たと思う。
その点では、海士役やかつぎ衆の方面も紹介することで、港町だけでなく、漁村など海浜の村の戦国時代を多角的に紹介することも面白そうではある。

とはいえ個人的には、自分にとって遠縁の一族にあたる久良岐郡富岡村の柳下豊後守の関係資料が実見できたのは感激モノであった。長昌寺の伝承は聞いていたものの、槍などが実際にまだ残っているとは思わなかった。

都合が合えばもう一度見に行きたい。

常設なども少し見てから、三ツ沢上町へ。
2009040703_3
ここには北条家臣・多目氏の菩提寺、豊顕寺がある。
その背後の山は江戸時代から桜で親しまれているということで、一度満開の頃に来て見たかった。
2009040702_3
実際行ってみると、それほど爛漫としてはいなかったのだが、静かな山裾の森にひらひらと花びらが散る景色は、横浜駅の近くとも思えぬほど穏やかなものだった。

| | コメント (0)

小机城址まつり

2009040702
久方ぶりに小机城址へ。
4月第一日曜は「小机城址まつり」が開催されているが、今回は横浜市歴史博物館の展観を兼ねて見物することにした。
展示は「海賊 -室町・戦国時代の東京湾と横浜-」。

かなり前から楽しみにしていた特別展だが、出かける数日前になって展観予定日が小机城址まつりに重なる事に気がついた。


小机の駅に着いたのは10時過ぎ。
前回、小机に来たのは、小笠原殿(猛馬飼育係殿)がこの駅近くのアパートに居た頃だから、もうずいぶん経つような気もする。だが、駅前の商店街の雰囲気はそのままで、それほど馴染みのある街ではないが、懐かしく感じた。

駅構内で実行委員の方にイベントのプログラムを頂く。
前回の時は白黒の面白みのない予定表だった気がするが、今回のものは小机城イラストや略年表、写真などが掲載された立派なカラー印刷。今回で第17回ということだが、大分こなれてきたようだ。
小さなことだが、プログラムやポスターがカラー印刷で体裁整っていると、よりしっかりした観光イベントに見えてくる。
プログラムを配っていたのは70代位の男性だった。
自作らしい郷土史冊子を「私が作ったんですけどね」とまるで農夫が自作の野菜を客に配るように、一冊一冊手渡ししていた。
自治体・行政単位では横浜市港北区だが、こういう昔から住んでいる人にとっては“小机”と呼ぶのが自分の故郷なのだろう。

パレードにはやや早かったので、我々は、北条時代の小机城代・笠原越前守一族の菩提寺である雲松院に墓参。
その後、城址でパレード到着を待つことにした。
小机城址は、小机駅から徒歩10分ほどの距離だが、雲松院は駅舎を挟んでほぼ対岸の尾根に沿った場所に位置している。
どうやら門前の小さな社(稲荷・白山)の裏道から尾根伝いに小机城址へ歩けるようだったが、今は逆に時間がかかりそうなので、駅前に戻り道伝いに向かった。
尾根伝いに城と城主の寺が連結していることは珍しいものではない。
ここはさらに同じ尾根上に別の砦跡の伝承地もあるので、地図上でそれら諸要素を旧道などと併せて展開してみるとまた興味深いものが見えてくるかもしれない。


イベントそのものは地方によくある小規模な武者まつりで、高津の貸甲冑を着た武者と足軽隊、そして姫と女武者隊。
2009040701_2
背中の指物や旗は笠原家の家紋。
2009040703
一応、三献の儀や出陣式(伝令~出陣の下知~鉄砲~ときの声)などがある。
ただ、皆なんとなくこっ恥ずかしそう(笑)。

子供武者隊が結構多い。
見学者の中にはその父母・祖父母らもかなり来場しているようで、子供武者が会場内を歩いているときは、カメラを持った母親達がぞろぞろと移動していた。
一見、運動会の光景のようでもある。

それに、ペリー提督や外交使節のような一団が加わるあたりが横浜市のイベントらしい所だろうか。

大河に便乗して、ホンの一時だけど城主だった三郎も出しちゃえば良かったのに(笑)。

| | コメント (0)

クローン桜

わが地元でもついにクローンの話題が出ることになった(笑)。

「かながわの名木100選」に選ばれ、「長興山のシダレザクラ」で親しまれている、長興山紹太寺(小田原市入生田)の老枝垂れ桜(アズマヒガン 樹齢約330年)のクローン増殖が成功したそうである。
手がけたのは住友林業で、3年後に一番花が開花する見こみ。

2009040601
この桜、紹太寺を菩提寺として創建した小田原藩主・稲葉正則の頃(17世紀後半)に植えられたもので、もとは稲葉家墓地入口の階段下あたりにあったらしい。現在でもその地には、この枝垂れ桜の名前「瓔珞桜」と刻まれた石が立っている。
今の場所に移されたのは、ある程度育ってからのようだ。
今回増殖が成功したこのクローンも、順調に成長すれば将来は現在のものと同じ大きさにまで育つ可能性が高いという。

住友林業によるサクラのクローン増殖成功は、京都・醍醐寺の太閤ザクラ(樹齢150年)が最初で、今回が二例目。
クローンなだけに、培養さえすれば同種のものが何本でも育成できる。
今後もこうした例は増えていくことと思うが、少々寂しくもある。
どうせ増やすなら、マツタケとかできないものだろうか…(汗)。

| | コメント (0)

はなさかのじじい

2009040301
ようやく暖かくなって、桜も急速に開花しているようです。
やはり観桜のピークは今週末でしょうか。
とはいえ、明日はなんだか午後から天気が下り坂のようですが…。

2009040302
近所の桜がどうなっているか昼の間に見てきました。
おお!咲いてる♪咲いてる♪
桜と菜の花が田んぼの用水路沿いに鮮やかに9分咲き。
田んぼにはレンゲ。
ミツバチやモンシロチョウも忙しそう。
よくある光景ですが、やはり良いものです。

そんな中、こんな像が鎮座しておりました。
2009040303
どう見ても、花咲かの翁(おきな)…(汗)。
オフシーズンは寂しそうです。

| | コメント (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »