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祝・開門式

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かねてより復元工事が行われていた史跡・小田原城の馬出門。
大手筋の三の丸から二の丸の間に位置する馬屋曲輪の入口に当たる門です。

このほど仕上げも無事終わり、3月29日日曜日に開門式が行われました。
連日の冷えのせいで桜の開花には少々早くなってしまいましたが、観光客やこの日を待ち遠しくしていた市民ら大勢の人々に見守られ、華々しい式典となりました。

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式典には市長はじめ市行政や文化庁、そして史跡小田原城調査・整備委員会委員長の小和田哲男静岡大学教授が参列。
同教授による馬出門の役割、また今回の整備により新たに大手ルートが整備された意義などが紹介され、来賓代表によるテープカットがなされました。

その後、手作り甲冑隊のほら貝の音と共に開門。
関係者、一般見学者と続いて、無垢な白漆喰が鮮やかな門を次々に通り抜けました。

馬出門内は枡形(ますがた)と言って、勢溜りと防御を兼ねた四角い密閉空間になっています。
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馬屋曲輪へ入るには、馬出門を入り左に直角に折れ、もう一つの門・内冠木門をくぐらなければ入れません。
江戸時代以降の日本の城で多用された門のスタイルです。
門の形式は、馬出門・内冠木門ともに高麗門(こうらいもん)。控柱にも屋根があるのが特徴です。

小田原城の馬出門は、絵図によれば江戸初期から同地にあったことが分かっています。
現在の姿(今回復元された姿)になったのは寛文12年(1672)に改修された後。この状態で幕末を迎えました。

水堀の向こうには平成9年に復元された銅門(あかがねもん)が見えます。
そして、その背後の小丘の上に本丸の常盤木門(ときわぎもん)と天守閣(ともに復興)の姿が松の木の間からわずかに。
この角度からのアングルは平成17年からの復元工事が始まってから久しく見れなかった事もあり、見学者は門越しに見る銅門や本丸の景色を楽しんでいました。

今年の北條五代祭りは、この門の完成を記念して、〈二の丸広場~銅門~馬屋曲輪~馬出門~お堀端通り〉のルートで武者行列が行われるとの事です。
このコースのパレードは、銅門が復元された平成9年から数年ほど実施されていましたが、ここ最近はまた二の丸広場から学橋(まなびばし)を渡ってお堀端通りへと進むコースで行われていました。


開門式でお会いした人々で、話題は早くも、馬出門や馬屋曲輪から本丸への展望に移りました。
本丸の樹木が育ちすぎて天守閣が見えないのですよね。それを今後、適選伐採していかねばと。

公園が史跡だけでなく、市民や観光客の憩いの場所だという事も分ります。
ですが、植物の根が伸びすぎると石垣への負担になりますし、城遺構の姿を後世に正しく伝えていくのも大切な事です。
今回の馬出門整備にあたっても幾つかの樹木を伐採しなければならず、少なからぬ反対がありました。
本丸周辺でもそういう声が出るとは予想していますが、小田原駅や八幡山から見えても、大手筋にはほとんど遮蔽されている現状はそのままにはできないと思います。
でも一度、水堀の隅櫓や馬出門を手前に、天守閣が背後にそびえる重層的な光景を多くの人が見れば納得してもらえるはず。

さらに先の話になりますが、この景観を国道1号線から見えるような街づくりをしていくのも大切です。
小田原は、城址公園のすぐ近くを国道が走っているにもかかわらず、中小のビルが建って天守閣がほとんど見えません。
箱根駅伝の中継でも、わざわざランナーと城を同一フレームに映すためにヘリを飛ばしています。
おかげで「ういろう」の店舗が城かと間違われると言うジョークもあるくらい。

箱根や湯河原方面に向かう車も、この国道を通ります。
歴史に大して興味がない人でも、車窓から天守の姿が見えれば、ここが城下町だと分ってもらえるでしょうし、ついでに立ち寄る人も増えるかもしれません。

そのようなプロセスを築いてゆく為にも、本丸樹木の間伐は早期実現が望まれます。
先月も間伐は幾らか行われましたので、市のほうでもその点は認識しているものと思われます。

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