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特別展『戦国大名北条氏とその文書』展観

20081126
開催前から楽しみにしていた展示のくせに、会期終了間際の展観。
残す所あと2日だった。

午前10時前、みなとみらい線にて県立博物館へ。
入口近くで特別展ポスターを写真に撮っていると、老齢そうな警備員さんが
「もしこの展示を見るなら…」
と、入場券を譲ってくれた。
余分にもらっていたのだろうか。会期も終わりに近いのでくれたのかもしれないが、嬉しかった。


展覧の内容は、表題の通り、戦国大名北条氏ゆかりの文書を博物館蔵品を中心に構成。
副題に「文書が教えてくれるさまざまなこと」とあるように、北条氏文書に用いられた紙・折・封の形式の使い分けなども、実物やレプリカ品を使って分かりやすい説明がなされている。
加えて、文書の時代背景をビジュアル的に紹介するものとして、歴代当主画像やゆかりの工芸品、伝来品、考古遺物などが展示されていた。 

展示構成は以下の通り(図録に拠る)。
Ⅰ、戦国大名北条氏とは
Ⅱ、博物館所蔵の北条氏関係文書
Ⅲ、文書の作成とその作法
Ⅳ、文書からうかがう戦国大名のくらし
Ⅴ、戦国大名北条氏の滅亡とその後


すでに終了した展示なのでいちいち具体的に紹介しないが、内容で興味深かったのはⅢ・Ⅳで、竪紙・折紙・切紙といった異なる形式文書を並列して見れたのは実物ならではの分かりやすさであった。
今後も北条氏に関する展示は文書がメインになるのであろうから、これは大変良い勉強になった。

学芸員・鳥居氏による図録序文には、北条家の公印として最も代表的な、虎の朱印「禄壽應穏」について、次のように書いている。
「虎の朱印は、天正18年(1590)の北条氏の滅亡まで、72年に渡り当主の印として使用された。(中略)この印の使用には早雲(宗瑞)から氏綱への代替わりとの関連が指摘される。つまり、家督の継承を控えた早雲は、それまでの花押を据えた文書を介した当主と家臣の個人的ともいえる繋がりを断ち、印を使用することにより『北条家』と家臣という新しい主従の構造に置き換え、代替わりに伴う混乱を避け家督の移譲を円滑に行えるよう意図したのであろう」


こうした公印は、当主の花押を書く手間を省く意図もあり、伝馬手形に使用された「常調」の馬印や、戦陣からの後退を許可する「通過」印がある。

応仁の乱や今川家の家督争いを見てきた早雲。
初期からの家臣には、早雲と同じく幕府に仕えていた人物もいたようである。
内務に長けた人物もいたに違いない。
依然として当主の私印たる花押が重要視されたとはいえ、戦国大名北条家歴代を通じて同様の公文書発給制度が維持されていたというのは、やはりそれだけ優れたシステムだったのだろう。
こうした「公なる家」を維持する運命共同体意識が、いつからか「国」意識へとなっていったのだろうか。


県立博サイトのデジタルミュージアムのコンテンツ内「後北条氏関係文書」では、館蔵の後北条氏文書や印判、文書の形式などが紹介されている。
今回の展示内容にも重なる箇所が幾つかある。
http://ch.kanagawa-museum.jp/dm/dm_index.html


文書以外で興味深かったものは、次の三点。

宝泉寺から展示された「北条時長像」。
時長は、同寺開基の宝泉寺殿の実名と伝えられ、北条幻庵長子で小机城主だった三郎と同一人物の可能性が高いそうである。
この時長像は、早雲寺の北条氏康画像の影響を受けた画風との事だが、後北条氏の歴代当主以外の画像としてなかなか興味深い。
今まであまり展示される機会はなかったのではないかと思う。
宝泉寺は小田原市内なので何度か訪れた事があるが、時長像は今回初見であった。
非公開のようだが、同寺には幻庵作の庭があるとも聞く。
一度、小規模でも地元で公開の機会があればと思う。

そして、島根県と新潟県で発見(出土?)された経筒。
いわゆる六十六部信仰で、巡礼者に全国六十六ヵ国へ埋納させた写経(法華経一部八巻)筒の一部。
経筒に刻まれた内容から、これらは北条氏綱が大永七年(1527)に没した妻の一周忌供養のため、その翌年に埋納させたものであると分かったものである。
氏綱の誠心や当時の上流武家における信仰のあり方が感じられる展示品であった。

もう一つは、「我等はしりめくり之覚」(桜井武兵衛覚書)。
文書ではあるが、書状ではなく武兵衛自身による自伝的武功書である。
北条氏に仕えた桜井武兵衛は、後に結城秀康・松平忠直に仕えているが、その生涯における武功を書き記している。
武兵衛は、松田(笠原)新六郎が武田氏に寝返った時、沼津の泉頭城々衆だったらしく、その折の槍働きなども記されている。
また、山上郷右衛門や中山勘解由など、北条家では有名な武士の名も見え、後世の軍記物等で記される武者等が当時も高名だったことが察せられて楽しい。


残念だったのは、北条氏繁筆の鷹図が写真展示であったり、江島神社の八臂弁才天坐像がすでに出陳期間を終了して(写真展示であった)お帰りになっていた事だろうか。

それでも、全体としては文書が中心という一見地味な企画を、大変分かりやすく展示解説してくれたのは有難い試みだった。
実物の古文書を見る楽しさとでも言おうか、そんなヒントが満載であったと思う。

帰宅して、本展示の図録を見ていたら、『戦国のコミュニケーション』(山田邦明、吉川弘文館、2002)をもう一度読み返したくなった。


展示室を一巡した後、常設展示を見ていたら、偶然にも桜町中将様にお会いした。
ご子息様とお出でになっていたので、少々お邪魔してしまった形ではあるが、展示を改めて見、歴史談義を交えることができた。
現在、初期作品のリライト中との事。
なかなか大変な作業が察せられる。

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