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見仏・横須賀 浄楽寺(運慶仏五体)

20081019c
間が空きましたが、19日は仏像めぐりに行ってきました。

今月初めにたまたま、部屋にあった雑誌『週間 原寸大 日本の仏像』の40号「運慶仏めぐり」をパラパラ見てましたら、この日が横須賀市の浄楽寺というお寺で行われる年に二度の仏像公開日だと知りまして。

浄楽寺は、和田義盛が文治五年(1189)に建立した七阿弥陀堂の一つが前身とされる古刹。建永元年(1206)の風害に遭った後、鎌倉の大御堂(源頼朝が父・義朝の供養のために建立した勝長寿院)の建物一部を移築して再建したことから、院号を勝長寿院とした由来があります。

ここにある運慶仏は5体で、阿弥陀三尊および不動明王と毘沙門天。
いずれも国重文です。

江戸時代の地誌などでは、阿弥陀三尊は鎌倉の勝長寿院にあった本尊を移したものだと考えられていましたが、昭和34年(1959)、毘沙門天像から胎内銘板が発見されたのが契機になりました。
銘板には、文治五年(1189)、和田義盛夫妻を願主として運慶が小仏師10人を率いて造立したことが記されていたのです。

その後、昭和45年に不動明王像からも同じ内容の銘板が見つかり、阿弥陀三尊の胎内に記された墨書銘の書風(つまり筆跡鑑定ですな)もこれらと一致する事から、5体いずれもが運慶によるものだと判明したのでした。

そして文治五年といえば、寺伝で云われていた和田義盛の七阿弥陀堂の創建の年であることから、この像は当時の本尊であったと確信されたのだそうです。

さらに、この書風による鑑定で伊豆の願成就院の像(阿弥陀如来・不動および二童子・毘沙門の五体)も、浄楽寺の三年前の運慶作と断定されることになり、浄楽寺での発見は運慶研究を大いに進めるものとなったのでした。

まあ、上の多くは帰宅してから頂いた資料やら書籍やらで知ったのではありますが。
今、あらためて色々と本など見てみますと、よく写真で紹介されてる仏像だったのですね。


ところで今回の拝観、実は前日まで行くか行くまいか迷っていました。
が、当日になってみると朝早く目が覚めてしまい、もう行くしかないなと(笑)。まるで遠足を控えた小学生みたいです。


JR横須賀線の逗子駅からバスに乗って約25分。
途中、葉山御用邸前を過ぎて長者ヶ崎あたりに出ると、道は海沿いに。
秋らしい群雲が西の空に広がりつつありましたが、まだ湿度は感じられず、朝光爽やか。
ほぼ無風でしたので、海のにおいは薄っすらと。

バス停「浄楽寺」で降りると、お寺は目の前です。
門前には、“特別開扉”と書かれた立て看板。
しかし、そこには10時からとありました。
時計を見ると、まだ9時前。
不覚。
渋滞を避けるために早く来たのですが、開館時間の確認を完全に忘れていたのでした。

本堂の周りをうろついてみたりしましたが、世話人さん達も到着したばかりで、掃除や飾りつけなどでバタバタしています。
やはり、10時まで待つしかなさそうです。

時間を潰すため、少し道を戻り、途中のコンビニでおむすびとコンポタを買い、立石海岸に行ってみました。

20081019a
立石。
たしか浮世絵の画題にもなっていたはず。
相模湾向こうの伊豆や富士に陽が沈む夕景は、今でもカメラマンに人気の構図です。

沖ばかりでなく、海岸線もまた変化に富んで景色に優れています。
この辺りから長者までの岸壁沿いを「大崩」と呼ぶのだそうです。
かつて北条早雲の軍勢に追われた三浦道寸の軍が、抵抗をしつつ新井城へと後退していったのだとか。
地名の由来はやはり地形にあるのでしょうが、語り聞く悲話が結びついていったのでしょうか。

10時になったので、ちょうど通りかかったバスに飛び乗り浄楽寺へ。
拝観のお客が結構集まって来ていました。

少し早足に本堂本尊で拝礼、そして裏手の収蔵庫へ。 コンクリ造りのしっかりした建物です。
入口には沢山の履物。早くも拝観者でいっぱいでした。
開館してまだ5分程だというのにこれだけ来館しているというのは、意外と近所の方々が多いのかもしれません。
拝観料100円を払うと、お寺や仏像の説明を記したプリント2枚手渡してくれました。


館内は、中央に阿弥陀三尊。右手に不動明王。左手に毘沙門天の尊像。
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/bunkazai/kuni01.html
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/bunkazai/kuni04.html

阿弥陀如来は座像で、この三年前に建立された伊豆韮山の願成就院の阿弥陀像とよりやや低い像高。
保存状態は浄楽寺の方が優れているようです。
素人目には、金箔が落ちた状態の願成就院の阿弥陀様に比べ、(後補とはいえ)再貼しているこちら浄楽寺の阿弥陀様の方に、浄土曼陀羅の如き荘厳さをイメージし易く感じました。
厚めで男性的な安定感があるものの、顔は丸みを帯びて表情もやや和かく感じます。

脇侍の両菩薩も実に堂々としています。
それぞれ一体で安置しても、本尊としての存在感があるのではないでしょうか。
今のところ、確実な運慶作の菩薩像としては唯一の作例だそうです。


不動明王像は、への字に歯をくいしばり、片目をすがめた面相。
なかなか凄味のあるお顔です。
剣や索を握る両腕は、特に肘から前腕にかけて大きな力がみなぎっている緊張感を感じました。
心なしか玉眼が血走っているようにも見えます。


毘沙門天像もまた、眼光鋭く力強い動きを感じるお姿。
東国武士好みらしい逞しさとでもいえましょうか。
願成就院の毘沙門像は、ふくよかな顔と伸びやかな姿勢が安定感を感じましたが、こちらはより好戦的というか動きを感じます。

これら浄楽寺(の元の阿弥陀堂)の阿弥陀・不動・毘沙門の組合せは、願成就院と同じ構成。
一説には、三浦氏一門の和田義盛が北条氏に対抗して建立させたものだとも考えられてもいるようです。
不動尊に強烈な憤怒、毘沙門天に好戦的な感じを受けたのは、そのような背景があるからでしょうか。
それとも、私が北条贔屓な人間だからそのように感じたのでしょうか(笑)。

そのほか、不動明王像から出た銘札や北条政子が寄進したという銅製懸仏も展示されていました。
ただ、真贋が明らかではないようです。

収蔵庫内では、ご朱印も受付ていました。
不動尊と毘沙門天の判があるようで、これを目当てに訪問されている方々もいたようです。

退出する前、少し下がった位置で阿弥陀三尊を拝みましたが、先ほど間近で見上げたときより、阿弥陀の視線といい三尊のバランスといい、しっくりするものがありました。
本来の阿弥陀堂で祀られていた姿がどのようであったかは分かりませんが、そのぐらいの距離をおいて拝むよう配置されていたのでしょう。たぶん。

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