早川 海蔵寺補足
そのときは角館城主・戸沢盛安の墓を探したものの見つからず、住職もおらずで大した成果も得られませんでした。
その後、3月に市教委から発行されたばかりの冊子『身近にある小田原の史跡 川西版』をぱらぱらと捲ってましたら興味深い点が書かれておりました。
どうやら盛安の墓は明治時代まであったようです。
そもそも中興開基になっているのは、堀秀政だけでなく盛安も中興とされているのでした(『新編相模国風土記稿』)。
慶長19年(1614)に大久保氏二代城主・忠隣が改易されてから阿部正次が上総大多喜から移封される元和元年(1619)までの第一期番城時代では、盛安の子である政盛も城代を務めていますから、その時に父を開基に寄進をしたのかもしれません。
堀秀政の墓碑(宝篋印塔)の方は、三十三回忌に建立されたものだそうです。
4基ある宝篋印塔のうち、秀政のものは解説板に一番近いものでした。
ちなみに江戸の戸沢家菩提寺は三田の常林寺。
地図で見たら、以前に御所サマと福島正則の墓を見にいった正覚院のすぐ近くでした。
また今度訪問してみるつもり。
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