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2008年1月

初不動・火渡り行

20128_024128日の初不動には、関東三十六不動霊場の札所詣でに参ろうかと思いましたが、先日の甲子参りの折に都内の不動尊寺院もいくつか行きましたので、近所のお寺で不動尊詣でを致しました。

ウチの近所にある満福寺
ココでは毎年この日に、火伏せや無病息災を祈願する火渡り行が行われています。
市でも季節の観光行事の一つとして紹介されていますが、自分らにとっては小学生の行事でも参加したお馴染みのもの。
のぼり旗が立っているのを見て「あ~、明日は火渡りか」という感じでしたが、今年は久々に行ってみることにしました。

火渡り行が行われるのは、午後1時頃に始まる柴燈護摩の後半ですが、すでに11時半にはベストショットを狙うカメラマン達が場所取りを終えていました。

私は、本堂でご祈祷に参加してから外に出たのですが、もうその頃は斎庭は見物客でいっぱい。
とりあえず、人波の後方から手を上げてポチポチ撮っておきました。

20128_0391山伏問答や結界を張る祭文などを聞いていると、五大明王を配しているのでしょうか。
なかなか興味深い内容ですが、天台系の修験宗(本山派)である板橋の量覚院の山伏問答の方がやや長いような気がしました。
ま、両方出ておられる行者さんもいたような気もしたのですけど(笑)、今はあまり宗派を気にしないのかな?

宗派といえば、ここはウチのお寺と同じ宗派なので、どこかで見た方がいるな~と思ったら、菩提寺のご住職でした。
あと、中学の時の先輩も親父さんの跡を継いで参加されてました。

20128_0661柴木に火が点けられると、錫杖や読経が響くなか、参加者はそれぞれの願文を書いた護摩木を火炎に投げ込みます。
私は、家内安全と身体健全を祈願。
思い切り投げてしまったので、つい火を飛び越えて向こう側に行ってしまいましたが、きっと誰かが放ってくれたでしょう。

20128_0741_2

そして、行者たちの火渡りが行われると、水天の真言「おんばろだやそわか」の唱和のなか、一般者の参加に。

せっかくなので私も火渡りに参加してきました。
裸足で歩かないといけないのですが、一般者には火や灰をよけてくれるので熱さはまったくありません。
むしろ、地面が冷たいので、皆さん、トットコ渡って墓場で足を洗っていました(笑)。

私は家がすぐなので、帰宅してお湯で洗いましたが、わざわざ見に来られる方は足洗い用のタオルかウェットティッシュと収納用ビニール袋を持参した方が良いと思います。
あと、寒かったり、風が強いときは火の粉が飛んだりしますので、衣服にも気をつけた方がいいかも。

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初甲子・初天神

正月より節分までの余暇は、毎年ほぼ寺社めぐりに費やしておる私であります(笑)。

さて今年の正月25日、初天神はちょうど甲子(きのえね)の日にあたり、大黒さんの縁日でもありました。

特に今年は子年の初甲子ということもあって、福徳を願う人や大黒様ファンにおかれては、密かに(?)各大黒寺院を参拝された方々が多かった事と思います。

私はと言いますと、今年の正月に初めて七福神詣でをして以来、大黒さんのあのユニークで頼もしいお姿に惚れ惚れしてしまいまして(笑)。
また、同じような像容であっても、造立発願者の願意によって微妙に違っていたりするところなどが興味深いところです。

ともかく、12年に一度の初甲子。
私もいくつかの大黒サマの古刹を巡って、福徳を祈願してまいりました(笑)。

神道系の大国サマ(大国主命)である神田明神も含めますと、全部で七箇所に参拝。

20125_1831江戸三大黒の一つ、寛永寺の塔頭である護国院や、迫力ある三面大黒天で有名な入谷の英信寺なども礼拝できました。

そのほかにも、ほぼ偶然の縁で拝観する事が出来たのですが、吉原遊郭は「大黒楼」のシンボルであった金箔張りの大黒サマに出会えたのもまた嬉しい事件でした。

そのほか、ジンクスを担いで後北条氏にまつわる福徳スピリチュアル(?)スポットなども訪ねてみましたが、こういうお寺めぐりもなかなか楽しいものです。
特に下谷あたりのお寺さんは下町らしいアットホームなところが多くて、またお参りに行きたくなりました。あと、山内に植物が結構多いのですよね。

20125_2351帰りには湯島天神を通りかかり、初天神なので一応手を合わせて来ましたが、さすがに奉納絵馬の数がハンパじゃありませんでした。

20125_2421縁起モノの「うそ鳥」も授与されていまして、私もちょっと欲しくなりましたが、まあ今さっきに大黒サマ詣でを済ませてきたばかりですからね。
それらも「ウソ」にされてしまっては困りますので(笑)、眺めるだけにとどめました。

それにしても、寒かった・・・・。
湯島天神の庭池なんかも凍っていましたよ。
私の鼻も真赤だったかも。


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初観音

もう今日は21日で初大師さんになっちゃってますが・・・。

01
18日の夕方、駆け込みで近所の“飯泉観音”こと勝福寺(坂東三十三観音・第五番札所)にお参りに行ってまいりました。

観光地だと、こういうご縁日はメチャ混みだったりしますが、地方の札所は歳の市でもない限り静かなものです。

といっても午前中はそれなりに巡礼者が来ていたようで、私が行った時は、観音堂で護摩壇の片付けや、庫裏で接待係のご婦人達のねぎらい会をしているようでした。

前回の札所が鎌倉の長谷寺(四番)だっただけに、ここでの静かな合掌のひとときに癒されました。

それにしてもこの日(も)、とても寒かった~。
一人だったから気にしませんでしたが、私も一ミリくらい鼻水たれてたと思います(笑)。

02
門前の布袋さんもウールの頭巾を着せてもらっていました。
丸ボウズでお腹出してちゃ寒いもんね。
心なしか嬉しそうな笑顔です。

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鎌倉みやげ

20113_2251昨日の鎌倉での参拝で、つい買ってしまった。


20113_2312・・・・・。

大仏さんって、グッズ化されやすいんだね。きっと。

以前も奈良のおみやげで「大仏さんの鼻くそ」というドデカイチョコボールをもらいましたし。
(征夷大将軍太郎さんありがとう)

江ノ電がソーダ味というのは分かるけど、大仏さんのコーラ味というのはいったい・・・。


もうひとつは、大仏さんのべっこう飴。

20113_2291汗汗汗。

気泡が汗みたいで面白い。

でも、ちょっと恐れ多くて、途中で噛めませんでした(笑)。
(グミは普通に食べました)

もちろん、家族にはちゃんとしたお土産、「権五郎力餅」を買って帰りましたよ。

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初虚空蔵その2

さて、鎌倉駅には戻らず、延命寺前の踏切りを渡って、若宮大路から海岸橋を経て長谷寺に。
20113_1201三橋の信号あたりに来ると、さすがに観光客でいっぱいです。
小町通りの次に観光地らしい賑わいがある場所なのでしょうかね。

実は私、ここに入るの初めてです。
マイナーな史跡を好んでいるわけではありませんが、いつも混んでるのでどうも敬遠してまして・・。
アジサイなら成就院でも良いし、眺望ならその裏山の霊仙山の方が優れているし。そして無料だし(笑)。
でも、坂東観音巡礼を始めてからは、いつか行かねばと思っていました。

受付で入山料を払って中へ。
さすがに広いです。
が、参拝者というか観光客もたくさん。

20113_1231観音堂へ行って、坂東観音四番目の観音様をお参りしましたが、さすがにこの混雑では看経(かんきん:お経の黙読)も邪魔にされてしまいますので、十句観音経だけ読ませて頂き、ご朱印を頂きました。
まあ、デカイ観音さんなので、遠くからでも拝めるのですけどね(笑)。
鈴杖を持った長谷寺スタイルが特徴的。

デカイといえば、隣の阿弥陀如来も大きいです。
こちらの阿弥陀さんは、廃寺になった他の寺院から運ばれたものだそうですが、由比ガ浜から見て西の山におわす現在のポジションはなかなか良いのではないでしょうかね。
観音像の実際の造立年代ははっきりしないとの事ですが、天平8年創建という寺伝は杉本寺に次ぐ古刹かと思います。
20113_1451海に臨む観音霊地ということで、熊野信仰なんかも後世に入っているのかな、などとも思うのですが。

阿弥陀堂と反対隣が、宝物館兼大黒堂。
大黒堂はもとは階段下にあったようですが、今は古い大黒像は宝物館入りし、鎌倉七福神には別の大黒天と三面大黒天、彩色された「なで大黒」などがありました。

宝物館は3月から有料制となるそうです。
いかほどの入場料になるのかは分かりませんが、大型の相模型板碑や大きな御正体などは県内でも珍しいし、三十三応現身像なんかは玉眼が入っていて、間近くで見ると結構なまなましかったり。

お堂の後方には展望台へと続く道。
昨年、景観条例だったか埋蔵文化財保護だったかの違反で色々報道されてましたね(笑)。
ここも、人がいっぱい。
虚空蔵堂のご祈祷ももうすぐだったので、このあたりで退出することにしました。

ほかにも、経蔵はマニ車みたく回して経を一読したことになる輪堂だったり、弁財天とその眷属十六童子を陽刻した洞窟「弁天窟」なんかもあってなかなか楽しめるお寺でした。
また、ゆっくり参拝に行こうかと思います。
ただし、混雑の少ない開門の頃に。


早足で虚空蔵堂へ。
御霊神社の前も七福神めぐりのお客さんで結構にぎわっています。
さきほど、若宮大路の渋滞にはまってる観光バスを見たら、「鎌倉七福神ウォーキングとイチゴ摘み」なんてツアー名が書いてありました。
それも一台や二台ではない。
結構人気あるのですね、鎌倉七福神。さすが観光地。
来年の候補に鎌倉七福神も考えていたのですが、こんなに混むなら正月以外にしようと思ったのでした。
ここは通年対応してるみたいだから・・・。

20113_1611虚空蔵堂にはご祈祷の10分ほど前に到着。
大して並ぶこともなく、お線香をあげ、参拝へ。
私は特にご祈祷を頼むことも無かったので、堂内には入らず外からご開帳の尊像を礼拝させて頂きました。
お顔は吊り下がった幕の影でよく分かりませんでしたが、お前立の像より華奢な感じ。
その後も参拝客があまり増えなかったので、しばらく外から拝ませてもらいました。

これで今日の目的は達せられました。
これまで毎年、来ようと思って実現しなかった虚空蔵堂のご縁日参拝。
満足満足。
自分の干支の守り本尊ですからね♪

20113_2001その後、御霊神社を参拝してから帰宅。
境内には紅梅が咲いていました。

そして、ここでも福禄寿を拝観・・・。
結局、5箇所も鎌倉七福神に寄ってしまいました~。
ご朱印もらっとけば良かった・・・。
ま、いいか。
また出直しってことで。

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初虚空蔵その1

昨日今日と寒い日が続いていますね。

20113_0211そんな天気でしたが、13日は初虚空蔵ということで、年明け初の鎌倉へ行ってきました。

まずはともあれ八幡さまへお参りしまして、そのまま西御門へ。
今日は源頼朝の命日ですから、祭神である白旗神社(法華堂跡)の例祭だったのであります。

20113_0401着いたのは10時ころ。
ちょうど神事が始まろうというところでした。
参列者は県議や鎌倉市長、商工会の方々が来ていましたが、小じんまりとしたもの。
普通に地域のお祭という感じでしょうか。
私は別に氏子でも無いし玉串料も出していないので、玉垣の外から礼拝させて頂きました。

頼朝公のお墓にもお参した後、大町の坂東観音二番札所の安養院へ。
坂東観音巡礼の方はまだ全然回れて居ません・・・。
ということで、この日は初虚空蔵まいりをかねて、安養院と長谷寺へ行くつもりでした。
まだ初観音を過ぎていないけど、次はいつ来られるか分かりませんからね。

小町大路を通って行ったのですが、途中、宝戒寺や妙隆寺、夷堂などと鎌倉七福神をかなり通過しました。

入山有料の宝戒寺以外は寄り道して来ましたが、
20113_0551妙隆寺は蝋梅や椿が咲いていて初春の彩り鮮やかでした。
寿老人の像は石像と木像があって、特に木像の方は木目を衣のしわなどに見せていて味わいがあります。
全体的に粗削りなのも味わいなのでしょうが、そこが北海道みやげの木彫りを思わせ、なんとなく寿老人の顔がシャクシャインのように見えてしまいました。

20113_0801安養院は八幡宮や七福神の場所のような賑わいはなく、とても静か。
ここの観音像は千手観音ですから、子年の守護仏でもあります。
ここは、北条政子の木像と彼女の墓と伝えられる宝篋印塔があることでも有名で、奇しくも今日は頼朝と政子の墓をお参りすることになってしまいました(笑)。
木像の方は、本堂を開放していないので、玄関口から一部が見えたくらいでしたが。

安養寺を出て、次の長谷へと足を進めた約十秒後、ふと道路向こうを見ると「古都七福神」と手書かれたお寺。
20113_1131興味を持って行ってみると、上行寺という日蓮宗の寺院でした。
どうやら祖師堂に七福神を祀った、いわゆる一箇所七福神のようです。
祖師堂は正面からは入れないようでしたが、賽銭箱の上に七福神人形が置かれていたので外から手を合わせました。

その後、隣のお稲荷さんと鬼子母神を祀った堂内に行くと、「参拝ご自由に」とあったので上がらせてもらい、思いがけずお茶や茶菓子など頂いてしまいました。
実は朝から飲まず食わず。
冷えた体もお茶とストーブ温まり、大変ありがたい接待でした。

鬼子母神像はけっこう像高があり、迫力があります。
その前では、一心にお祈りしている30代くらいの女性がいて、その後はご住職が色々と相談に乗ったりしていました。
由緒は古いようですが、ここは観光よりも庶民信仰のお寺という感じでした。

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焼きそばン?

01昨日の夕飯は、富士宮焼きそばとイカ焼き(大阪のお好み焼き)。
近所のデパートで物産展やってたので買ってきた。

イカ焼きは一枚300円以下で結構美味い。
さすが、日本版ジャンクフード王国?!

で、焼きそばはというと・・・。
普通の焼きそばも売ってたんだけど、こんな感じの玉子が乗ったのを食べてみました。
02ナイフで麺まで切っちゃったので、あまり良い写真とは言えませんが。
見た感じは広島焼きっぽい。
でも、麺を玉で焼きしめてあるわけではなく、普通に焼きそばの上を玉子でカバーしたという感じです。
実は、どこが富士宮の個性なのかよく分かりませんでした。
美味しく頂きましたが、驚きを感じなかった分、勿体無かったなと(約750円)。

ま、ご当地モノはやっぱり現地で出来たてを食べにゃ。
でも、旅先で期待感も大きい分、当たりハズレも大きいのかも。 一時流行った、地ビールとかも。

以前、富士市に友人と行った時、焼きそばやを横目にタイ料理食べちゃったのが惜しい。

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あんこの引換券でパンツ

『墓場鬼太郎』の第一話面白かったな。ケケケ。

パンツと言うてもズボンのことです。カーゴパンツ。

裾直しを頼んでおいたので、昨日取りに行ったら、間違って餡子(あんこ)の引換券も一緒に出しちゃった。

・・と気がついたのは、お菓子屋の前に行ったときなんだけどね。
さっきまで裾直しの券と一緒に手にしてたのに無くなってた。

鏡開きの餅でお汁粉を食べるつもりだったので、服屋の後、予約していた和菓子屋に取りに行くつもりだったのだ。

まあ、餡子は券なくても出してくれたけど。
さっきの服屋の売り子がやけに微笑んでいたのは、その為だったのか。
教えてくれりゃー良いのに。レシートだと思ったのかな。
確かにあずき色っぽいパンツではあったけど。

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今夜24:45

太歳(たいさい)ではありません、念のため(笑)。

さっき、眠気で忘れないよう、手にメモ。

20110_0041墓場鬼太郎』がアニメ化するというのは聞いていたけど、今夜から放送開始だって。


http://www.toei-anim.co.jp/tv/hakaba/


ところで今日、「ナンキンの大地」というお菓子をいただきましたが、美味しかったのでご紹介。

これ(↓)
20110_0021


砕いたピーナッツが入ったサブレーです。

アンデス橋本という、秦野のお菓子屋さんの商品のよう。

自分、やはりピーナッツが入った大磯の「花吹雪」とかも好きなのですけど、これもなかなか。

ただナッツ系のお菓子って、けっこう満腹感が出てしまうんですよねー。
お客さんが来たとき、食前の茶菓子に出すのは危険かも(笑)。

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七福神(おまけ)

参考までに今回の各七福神さんの住所、私の移動時間と費用をあげておきます。

ただし、移動時間はあくまで頭勘定です。

毘沙門天(潮音寺・曹洞宗)
小田原市久野511

小田急線(小田原駅から2分120円)足柄駅から徒歩4分
大雄山線(小田原駅から6分130円)五百羅漢駅から徒歩9分

満願弁財天(福泉寺・曹洞宗)
小田原市城山1-19-1

大雄山線(五百羅漢駅から5分130円)緑町駅から徒歩4分
JR・小田急線・小田原駅から徒歩5分

寿老人(鳳巣院・曹洞宗)
小田原市城山3-7-43

満願弁財天から徒歩10分
小田原駅西口から徒歩6分

大黒尊天(蓮船寺・日蓮宗)
小田原市城山3-31-15

鳳巣院から徒歩20分
小田原駅西口から徒歩25分くらい
同駅西口から箱根登山バス「城山四丁目」(5分180円)下車徒歩3分
同駅東口から箱根登山バス「城山四丁目」(8分180円)下車徒歩3分

恵比寿神(報身寺・浄土宗)
小田原市南町3-11-3

蓮船寺から徒歩30分
小田原駅から城山トンネル経由で徒歩25分くらい
小田原駅東口からバス(箱根登山・伊豆箱根)「早川口」(5分180円)下車徒歩9分くらい
小田急・箱根板橋駅(小田原から3分130円)からたぶん徒歩12分くらい

福禄寿(大蓮寺・浄土宗)
小田原市南町2-4-9

報身寺から徒歩3分
小田原駅東口から城址公園経由で徒歩20分くらい
小田原駅東口からバス(箱根登山・伊豆箱根)「箱根口」(4分160円)下車徒歩4分

布袋尊(圓福寺・東寺真言宗)
小田原市本町4-6-24

大蓮寺から徒歩2分
小田原駅東口からお堀端通り経由で徒歩20分くらい
小田原駅東口からバス(箱根登山・伊豆箱根)「御幸の浜」(3分160円)下車徒歩4分

☆絵入り色紙代500円
☆色紙ご朱印代300円(いずれも)

なるべく小銭(特に100円玉)を用意しておいた方がよいと思います。

もし本堂が開いてない場合、外に福神像(石像)があるのは、大黒尊天・恵比寿神・福禄寿・布袋尊の四箇所です。

それから・・、「小田原七福神」には入りませんが、弁才天像は〈七福神その2〉で紹介した小田原城址公園・北入口近くの蓮池弁財天、
2012_1741毘沙門天は圓福寺から東の御幸ノ浜通り沿いにある妙泉寺・毘沙門堂前にあります。(ちょっとレゴブロックの人形みたいですが、それもキャラ味ですな)

妙泉寺の毘沙門堂は最近建て直されたようですが、まわりに七福神ののぼり旗が立てられていたので、一箇所七福神のお堂になっているのかもしれません。
私は、七福神をコンプリートした後に立ち寄ったのですが、なんだか二度得したような気分になりました(笑)。
お庭には、ネズミや布袋尊の像があったし。
2012_1721
特に、お堂の前の水掛け毘沙門天がかっこいい!
けっこう珍しいのではないですかね?

2012_1821_2ここは、昔から「痔の神様」で有名なところなんですよ。
私の祖父も叔父さんもお参りにいってましたし。
寺伝では徳川五代将軍綱吉も祈願したとのことです。
ネット時代の今なら、情報調べて遠方から来る方もいるのではないでしょうかね。

(そういえば先日お参りした水之尾の毘沙門天も、勝運のほかに「いぼとり」で有名なところです。
毘沙門天って、腫れ物に効く神様なのでしょうか?)


となると、寿老人だけ外置きの石像が無い・・!惜しいです。
こうなったら、代わりに小田原駅前の北条早雲公像を見立ててしまうのもあり??
鹿ではなくて牛を連れていますけど(笑)。
小田原市民会館の近くにある食堂「だるま」の玄関にも、おかめ像とだるま像がありますので、それで納得するとか・・・。

そのほかにダブりますが、〈その5〉で紹介した伝肇寺の「六俵大黒天」と、"板橋のお地蔵さん”で有名な宗福院(小田原市板橋566)にも、木像の「福興大黒尊天」があります。
水之尾毘沙門天は、 毘沙門天に似た自然石(岩盤)をお祀りしているので一応石像になるのかもしれませんが、12年に一度のご開帳です。普段もお祭の時以外は開いてませんし、お像もありません。

今回の七福神詣ででちょっとハマってしまった感じです。
また地域の七福神の神々を見つけたらアップします。

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七福神(その7)

大蓮寺の門を出ると、国道の方にはもう結構な人だかり。
ヘリの音も近づいて参りました。
そして、私の七福神詣でもいよいよクライマックスです。

また海沿いの道を進んでいきます。
城の外郭に沿っているだけあり、左手には寺が多く並んでいます。
右手は住宅ですが、途中に伊藤博文の別荘「滄浪閣」跡があって、個人宅内に伊藤博文の胸像が立てられています。道からも分かります。
きょう日はお正月ですからお邪魔はしませんでした。

そこを過ぎると左の道に「小田原七福神」の旗が立っています。
いよいよ最後の巡拝地、圓福寺布袋尊)です。
向かいの正恩寺は大久保氏のお寺で、鐘楼門(市指定文化財)が特徴的。
しかし、特徴的といえばこちら圓福寺もなかなか。

2012_1611本堂横に、外観三層の建物。庫裏なのかな??
本堂屋根の破風下はガラス窓になってたり、工夫してるなーと思いました。
明かり取りだと思いますが、護摩の後の換気にも使えそう。

先ほどのご夫婦はすでにご朱印を受け取っている所で、ここでご挨拶してお別れ。
私も同じくご朱印をお願いして本堂へお参りさせて頂きました。

ここはウチの宗派の東寺真言宗。
とりあえず最初にご本尊の不動明王にお参りです。
そして、目的の布袋尊像に・・・
「あれ、布袋さんは?」
脇でご朱印していたおだいこくさんに聞いたら、外にあるとの事。
堂外に出たら、上がり口のすぐ横に小堂がありました。
ご夫婦に挨拶してたので気がつきませんでした。

2012_1621ここの布袋尊のお参りの仕方はちょっと面白いです。
まず柄杓で水をかけて、横に立てかけてある錫杖を振って、ご真言を唱えるというもの。
布袋は弥勒菩薩の化身仏ということで、真言は同じ「おん・まいたれいや・そわか」です。

こういうミニ体験は面白いですね。
誰かが、「お寺はテーマパーク」と言っていたような気がしますが、確かに京都や江戸のお寺はそんな感じで昔から親しまれている所が多いかも。
お地蔵さんなんて、水かけとか縛られとかあるし。
「一箇所お砂踏み」なんかも人それぞれかと思うけど、もとは遍路旅の代わりですよね。

日本人の旅は修行者の入峰とかから、近世庶民の「信仰・成人儀礼・遊興」セットに至るような感じで発展してきたように思いますが、今でも百名山とかにこだわるのは札所巡りみたいな感覚なのでしょうかね。
まあ、目標が定まっている方が何かと気持ちも前向きになるというものです。

世界遺産もスタンプラリーでも企画したら日本人観光客が増えるんじゃなかろうか(笑)。
世界の聖地めぐりとか(一神教のトコは参加しないだろうな~)。
陸地は全て托鉢と行脚で完遂したら何か悟れるかも。

帰り際、朱印といっしょミカンを頂きました。
ごちそうさまでした。
門外に出ると、旗を持って歩いてくる人がチラホラ。
あらら。
駅伝走者達は過ぎ去ってしまったようでした。

天気もよかったので、応援の後、浜(御幸の浜)へ出てお弁当を広げる人たちもいます。
2012_1691
私も浜で深呼吸。

潮の香りとともに、七福神詣でのコンプリート感で胸を満たしました。

時間は12時半。
9時過ぎに足柄駅からスタートした今日の七福神は、3時間半で終了しました。
最初の毘沙門天以外は徒歩で回れました。
他のお寺や史跡を見たり、途中で引き返したりと時間を費やしたつもりでしたが、結構スムーズに終わりました。
いずれもお堂の中を拝観できましたし、対応も良かったです。
また、お手軽なのに一日で札所めぐりを満願できるような、そんな満足感が良いですね。

小田原の七福神、当初の期待以上でした。
新しいオリジナル色紙も出たし、コースの途中に史跡も多いです。
時間はかかりますが、潮音寺(毘沙門天)と鳳巣院(寿老人)を先に参拝すれば、満願弁才天からぐるりと小田原城の大外郭沿いに圓福寺まで行くのも面白いかもしれません。
冬なので土塁や堀跡も見やすいですからね。

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七福神(その6)

報身寺を出て、海沿いの道を東へ。

このあたりは海沿いの閑静な住宅街という感じ。
西湘バイパスさえなければ、と思う人は少なくないのではないでしょうか。
まあ、バイパスできる前も北条氏以来の大外郭土塁で、眺望はなかったみたいではありますが。
それでも、車の音が有る無しでは違うでしょうね。

細い路地の右手には水路が流れています。
小田原用水からの分水でしょうか。
駅伝の走者を見に行く親子連れが、楽しそうに競争しながら前を走っていきます。
もうそろそろ来るのかな。

私の七福神詣でももうすぐ完遂です。

2012_1591用水が暗渠になる曲がり角を出ると、五番目の巡拝地、大蓮寺福禄寿)。
創建は大森時代とも云いますが、北条氏重臣の大道寺駿河守の母・蓮馨尼(れんけいに)が再興したお寺で、寺号も彼女の法名に因むということです。
大道寺氏が代々城将を務めていた川越城下にも同名のお寺があり、そこも蓮馨尼の開基となっています。

この大蓮寺の向かいにもとあったのが、先ほどの伝肇寺。
そう考えると、海沿いは浄土宗の古刹が並んでいたのですね。さっきの報身寺も浄土宗だったし。
伝肇寺のお隣には、北条氏照(うじてる)の屋敷があったようです。
天正十二年(1584)の印判状に、伝肇寺の寺地を氏照屋敷に割譲するよう指示したものがあるのですが、何やら屋敷の堀などを広げていた様に見受けられます。
当然、お寺の方は苦情を訴える訳で、天正十六年にようやく北条家臣・朝倉政元の土地を得て移転するに至っています。
それが今の城山の場所。
裁決までの四年間いろいろ揉めたのでしょうね。土地問題は難しい・・・。

ちなみに、大蓮寺が面する通りは「安斎小路(あんざいこうじ)」といって、北条時代に京下りの医師、田村安斎(安栖)軒の屋敷があった事に由来しています。
氏政・氏照兄弟が腹を切ったのがこの邸内でした。

まずご朱印を庫裏にお頼みして、本堂へ。
福禄寿は本堂内、ご本尊の前に置かれていました。

2012_1551彩色された木像で、なかなかカッコイイです。杖の先に下がっている巻物は何なのか気になります。

福禄寿をお参りするのは京都の赤山禅院以来だから、実に14年ぶり。
いやはや、じっくりお参りさせてもらいました。
本尊の阿弥陀さんも大きいですね。天井には四天王とか釈迦三尊が鎮座していました。

先ほど報身寺ですれ違ったご夫婦ともここでまたご一緒しました。
旦那さんは仏像とかが好きそうで、奥さんは朱印集めを楽しんでいるといった感じ。
良いコンビですね。

後で気がつきましたけど、福禄寿って七福神で一番良い名前の神様ですね。
ご利益も分かりやすいし(笑)。
北条家の虎印判「禄寿応穏」の願いにもつながるので、親しみも感じます。

2012_1461
外の墓地の方にも福禄寿の石像があります。

微妙に持ち物が違います。
堂内の木像は左手で杖(巻物つき)を持って右手はあごひげを撫でてましたが、外の石像は左手に宝珠で右手に杖でした。
あと、石像の寿老人の方が頭が短かったり。ついでにヒゲも。

こちらの方がヤングなのかもしれません(笑)。

ミカンを頂きました。ごちそうさまでした。

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七福神(その5)

空堀の遊歩道が終ると、蓮船寺からの道と合流して十字路に出ます。

次の巡拝地、荒久の報身寺恵比須神)は真ん中の道を下っていきます。
ちなみに左が小田原駅や城址公園、右が風祭や小田原厚木道路へと続く道です。

2012_1151このあたりは市内でも景色の良いところ。
箱根の二子山から相模湾に突き出す真鶴半島まで一望できます。
この時は陽射しの角度も良かったので、真鶴半島先端の「三ツ石」がよく見えました。
さっき食いそびれたサンドイッチもここらで片付けました。

十字路から真ん中の道をまっすぐ下っていき、「鉄砲矢場」の町名碑を過ぎると、北原白秋ゆかりの伝肇寺(でんじょうじ)が左手に。
ほかにも、感誉存貞上人ゆかりのお寺とか、北条氏照邸の工事でひと悶着して移動してきたお寺だとか、興味深いところ。

そんな伝肇寺をふと眺めると・・・
大きな大黒さまが!

今しがた大黒天のおだいこくさんに送られて来たところですが、直後にまたビッグな大黒さまとは(笑)。

少々寄り道になりましたが、中にお邪魔してみると、「六俵大黒天」という名前がありました。
お寺のご婦人、というかここの幼稚園の園長先生によると、俵を六つも足元に積んでいる大黒さんは珍しいのだそうです。
足元の俵の数なんて気にしたこと無かったのですが、確かに多いかも。袴も模様入りだし。
立っている大黒さんは、ももをグーンとあげて山の頂上に立ってるような雰囲気。
2012_1211
「大豊作じゃ!どうだ、まいったか!」って感じでしょうか。

ただ、目の前で見上げると、目じりが下がりすぎてて、私は逆に・・・、なんというか『ゴーストバスターズ』に出たマシュマロマンのような恐い雰囲気って分かるでしょうかね(苦笑)??
お墓の向うから見下ろした時は、素敵な笑顔だと思ったんですが・・・。

聞いたところ、あの大黒石像は寺にあった木像をもとに作らせたのだということでした。
そのまんまスケールアップしたので顔がかなり上向きになっちゃった、というような事もあるのかなあ。

ともかく大変おめでたい尊像ではあるので、歩きで七福神詣でをされる方はお見逃し無く。

さらに下って国道1号線。
沿道にはランナー達を待つ人たちがちらほらと。

横断歩道を渡って、左へ。
そして、歩道橋の階段下にある「軽便鉄道 小田原駅跡」碑を過ぎたら右折。
御厩小路のまっすぐな道を早川橋方面へ。
そして、西湘バイパスガード下の信号機手前にある左手の小道に入れば、すぐに報身寺恵比寿神)の参道が現れます。
七福神の旗は本堂の前にしか立てられていないので、人によってはちょっと分かりにくいかも。

2012_1341参道の松の木が海のお寺という感じです。
本堂前に恵比須神の石像があり、まずはこちらに手を合わせました。そして、庫裏にご挨拶して本堂へお参り。

「扉が重いですよ」
と言われたのだけど、ホントにガッシリした扉です。
恵比須さんは本堂に入って右手。
2012_1411木造の新しい恵比須神像が正面に、その隣に赤茶けて古びた石の恵比須神がおわしました。
後者は浜辺より出土の漂着仏だとか。
まさに恵比須さんじゃないですか。
荒久の浜に面したお寺にぴったりという感じ。

正面のネズミの切り絵も良いですよね。
バスツアーに参加するとゲットできるらしいんですが、やっぱり私は一人もしくは少数で参拝の方がいいかな。

庫裏に戻ると、70代くらいのご夫婦が御朱印を受けていました。
お車で周っておられるようです。
おだいこくさんからは、御朱印といっしょにお酒ワンカップをお土産に頂きました。

さて、こっから先のお寺は同じ海沿いの道にあります。
満願(というのかな、七福神の場合?)までもう少し。

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七福神(その4)

後延ばししてしまいましたが、2日の七福神めぐりの続きです。

・・次の大黒天は小峰の蓮船寺(日蓮宗)へお参り。

城山公園の戦没者慰霊塔を左手に過ぎると、その後に大土塁と空堀が出現。

説明板にもありますが、北条時代最末期の小田原城遺構の一部です。
豊臣秀吉との決戦に備え、城と城下町や寺などをこのような塁線でぐるり囲ったもの。
平地部は僅かばかりしか残っていませんが、丘陵部にはかなり残っています。
その中で広く一般に公開出来る状態のものが、ここ「小峰お鐘の台大掘切・東堀」。

2012_0801今まで、堀内には暫く立ち入り禁止になっていましたが、昨年暮れ辺りから遊歩道となりました。
自分らが少年の頃は立ち入り禁止云々も無かったような気もします。
一体、今までの立ち入り禁止は何が目的だったのか(笑)。
遺構の保護といっても、実際の遺構面は土の下だし、堀底道として使われていた時期もあったし・・・。

ともかく、新しく公開されたこちらの堀底遊歩道を通って、蓮船寺に向かいます。
このあたりはシャガの頃がきれいですよ。ただし、道もそれなりに湿気てるかもしれませんが。

お寺は、この堀が屈曲した箇所の右手に竹薮の小道があって、そこを上がると寺の門になります。
この屈曲部ほかでは以前に調査がなされ、実際の規模などが確認されました。

堀に入らないでも、城山公園からの道の突き当りを左折し、城南中学グラウンドでまた左折すれば蓮船寺はすぐです。
というか、そちらが真っ当なルートです。

小田原駅からバスで直接来る場合は、同駅西口から箱根登山バス「水之尾」もしくは「いこいの森」行きで、「城山四丁目」バス停(旧「アジアセンター」)で下車、右手に空堀の説明板や大黒さんの旗が立っているので、そちらの道沿いに。

小さな山寺という感じですが、もとは市内板橋にあったお寺。
小田原北条家臣・井出氏の菩提寺で、北条氏滅亡後に創建されたようです。
「小田原七福神 大黒天」と検索すると、お寺さんのサイトが分かりますので、詳しくはそちらをどうぞ。
地形図で上から見ると、大掘切の西側にある小郭がそのまま寺地になっているような感じです。

門内に入ると、傍らから黒い子猫がこちらをうかがっています。

2015_0941可愛いお庭番です。
後で聞きましたら、ミーアちゃんというのだそう。
去年生まれたばかりだとか。

写真を撮ろうかと思いましたが、足元をすりすり動くので諦めました(笑)。
後日こちらの前を通った折、お堂に手を合わせに行きましたら、今度はおとなしく写ってくれましたのがこの写真。
後の柴は、ヒメコちゃん。
こちらもまだ若い姫様のようです。


2012_0971さて、お堂の前。
大黒さんの石像があります。
前回、立ち寄ったときは見なかったような気がするので、新造なされたのかもしれません。

そして堂内へ。
いよいよ、今日の主役です(笑)。
別に大黒さまのファンではないのですが、今年は子年ということで、大国主命か大黒天を松の内にお参りしたかったのでした。
今回、七福神詣でのきっかけの一つでもあります。

まず、ご本尊の前にお線香を上げ、ご挨拶。
大黒さまは右手に。
厨子に収まった大黒天の小像が二体。それと掛け絵の大黒天。
2012_0931中央が普通の大黒天のお姿で、右隣に三面六臂の三面大黒天が祀られています。
以前、なんの縁日でもない時にお参りしたときは見てなかったかも。
手前に木彫りの新しい三面大黒天があるので、普段はこちらお前立のみの公開なのかもしれません。

ニ像の大黒さんは、小さいながらも黒光りが大きな存在感を放っています。
お堂に置いてあったご由緒のプリントによれば、もと京都の松ヶ崎大黒(妙円寺)にあったお像ということ。
浴油などのご祈祷がされていたものなのかもしれません。
やはり一人でしたので心行くまで手を合わせ、お姿も近くで拝見する事が出来ました。

2012_1001お堂から出て、由緒の書かれた石碑などを見ていると、家族連れの参拝客が。
今日初めてすれ違った七福神詣での方達でした。
時間は11時少し前。
そろそろバスツアーで来る参拝客グループともすれ違うかもしれないなと思ったら、ツアーは翌日3日からとポスターに書いてありました。
どうりで空いているはず(笑)。
箱根駅伝による交通規制を避けるための日程なのかな。

御朱印に対応下さったのは年配のご婦人。
2012_1011この時は、庫裏の玄関にヒメコちゃんがいました。
おばあちゃんが近くにいたからでしょうか、外にいる時の数十倍くらい人懐こかったです。

そしてまた空堀道を下って、次の目的地は報身寺の恵比須さん。
パンフレットにある七福神めぐりの順番を徒歩で行く場合、電車で行ける潮音寺・毘沙門天を除けば、この区間が一番長いです。


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毘沙門天まいり

まだ七福神めぐりの部分が途中ですが、先に今日の日記を。
と言っても、また毘沙門さまなのですが(笑)。

2015_1721
今日(6日)と昨日は、市内水之尾にある毘沙門天のご祈祷の日でして、昨年までのお札を持って、お参りに行ってまいりました。

本来、毘沙門天は初寅の日が新春縁日で、こちらも元はそうだったのですが、最近は世話人の都合が合う年明け最初の土日に斎行されています。

勝負の神さまということで、昔は小田原で毘沙門天といえばここと言うくらい参拝客で賑わったそうですが、今はひっそりとした村落の鎮守様という感じ。
でも、地元企業や政治家の人、遠方から講を作って今でも参拝される方がいるそうです。

私は学生の頃このあたりで平日の毎日、部活のランニングをしてまして、参道の石段を登って筋トレした後は一応おじぎやお賽銭をしていました。
もちろん、時々お願い事なんかもしてましたけど(笑)。
しっかり叶えてもらいましたヨ。
まあ、見方を変えれば、日参していたことにもなるのかな。

ともかく、そんな感じでとても親しんでいたので、今でも懐かしいのと御礼参りで初寅祭典には参っています。
2015_2001
今まで喪中が続いたので、今回はちょっと久しぶりでした。

おんべいしらまんだやそわか

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七福神(その3)

小田原駅西口(通称・裏駅)前を通って、次の巡拝地、入谷津の鳳巣院寿老人・曹洞宗)へ。

駅前ターミナルには、小田原北条氏の初祖となった北條早雲(伊勢新九郎盛時)公像が立っています。
背中しか見えませんが、この方も年男(子年生まれ)であられます。
そして、早雲が伊豆の三嶋大明神に参篭後、「一匹のねずみが二本の大杉を食い倒す」という夢をみて、志を強くしたという伝説があるんですね。
江戸初期の『北条記』や『北条五代記』に出ている話なので、もしかしたら北条氏滅亡前から流布されていた話なのかもしれません。

早雲といえば、ミク友さんになって下さっている竜子様からは先日、早雲のイラスト年賀状を頂いたのでした。
かなり嬉しかった(笑)。

西口から城山競技場方面の道を進むと、谷状の道になっていきます。
このような尾根が大稲荷さんの方まで延びて、全体で谷津という地名になっているのでしょうか。

程無く鳳巣院の参道階段に。
門前には高札が立てられていました。
どうやら、昨年に山主様が示寂なされたようです。
一瞬、参拝をしようかどうか迷ったのですが、檀家でもない自分が気を遣うのも逆に変かと思い、参拝させていただきました。

2012_0561なぜか、本堂前には和合の朱下駄が・・・。道了さんならたくさん見ますけど。

2012_0552寿老人は堂内左手にあります。
御像は、無彩色のスラッとした木像でした。
樹木のような生命力を授けるという意味で、音の通じる“樹”老人と書かれることもあるそうな。

先年お亡くなりになられたご住職の御位牌を背後に、福徳の健康長寿をお祈りするというのは、なんとも複雑な気持ちではありました。
が、「寿老人は命を司る南極星の化身」という性格を考えた時、今を生きているという有り難さと不思議をしみじみと感じたのでありました。

隣の庫裏でご朱印を頂きました。
やはりこういう時は遠慮するべきなのかな、と思いつつ尋ねましたら、対応してくれたご婦人は
「ぜーんぜん気にしなくていいんですよ~」
合掌。であります。


ここで、小銭が殆ど残っていないことに気がつきました。
しかも、千円札もありません。
次の蓮船寺(大黒天)は山の上。
近くに両替できるような場所も無いので、一度駅の方へ戻り、城山郵便局となりのコンビニで朝食代わりのサンドイッチとチョコバーを購入しました。

再び鳳巣院前を過ぎて、次の巡拝地である蓮船寺へ。

途中、すれ違った人は、これから国道へ出て駅伝の誘導係をするのだとか言っていました。
市体育教会のボランティアの方でしょうか。
このぶんなら、七福神参拝の終わり頃に駅伝走者が応援できそうです。


2012_0581そういえば、鳳巣院は実平山と号し、土肥実平の開基という寺伝があります。
開山上人の没年が戦国時代と明らかに時代が異なる為、誤伝ではないかとされているのですが、土肥実平の縁者子孫が先祖顕彰のために、実平の開基としたのかもしれませんし、何とも分かりません。

他にも、この道沿いにはお寺が多いです。
近代に移動してきたものもありますが、全体的に武家に関係した寺院が多いかと。
観光地化されていないので、門前に由緒書などを掲示しているのは僅かですが。

少し道を外れるところになりますが、やはり北条家の姫、香沼姫の墓なども彼女の屋敷跡近くにあります。
香沼姫は、さきほど(七福神その2)の高長寺のところで触れた崎姫(氏綱の娘)の娘で、世田谷城主・吉良頼康の養子となった吉良氏朝の妹にあたります。

入谷津の突き当たりにある慈眼寺は黄檗宗のお寺で、普茶