« 西湘バイパス復旧まだかかりそうですね | トップページ | 金沢文庫展観と寺社旧跡めぐり(2) »

金沢文庫展観と寺社旧跡めぐり(1)

19_0271
前後する日記となりますが、16日(日)、横浜市金沢区は称名寺となりにある県立金沢文庫に行って参りました。
今回は展観と史跡巡りを兼ねていたので、早めの朝9時前に現地到着。陽射しが厳しかったですけどね。
称名寺の池では消防団が放水訓練をしていました。

今回の展観は「陰陽道×(かける)密教」。
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiannai.htm

19_1151
日本にもたらされた陰陽道が密教に取り込まれ、宗教儀礼や学問に体系化。陰陽五行や天文、暦などが密教的にとりこまれて発展していく。
その実践は平安以降、権力者や武士などが怨敵調伏や栄華達成を祈願する修法をも発展させた。金沢北条氏を大檀越に持つ称名寺にも聖天法や、荼枳尼天を本尊に修するダキニ法の教本などが残されている。
展示物はそうした中世密教資料で、博物館の企画としてはなかなかマニアックな内容でした(笑)。
まあともかく、複雑怪奇。

こうした修法は中世後期から近世、さらに俗化・大衆化して、いわゆる禁厭(まじない)として今でも時々お見かけしますね。これらは、純粋な密教僧というよりも、近世以降の里修験だとか聖みたいな人々が大衆に広めたのでしょうか。

個人的には、このような左道密教が県内の各地でどのように受容されていったかも興味があったのだけれど、展示解説はあくまで資料に関連するものに限られていました。
ダキニ法といえば、立川流を連想しない訳にはいかないのですが、その流祖といわれる仁寛は晩年伊豆に配流されているのであって、すでに鎌倉末期には東国でかなり広まっていたとも云われます。
ならば、幕府とも強い関係を持った箱根・伊豆の山岳密教教団にも、そうした学問は伝わっていたはず。
箱根三所権現と伊豆走湯山二所権現の関係は金胎両部で、つまり陰と陽の関係と見なされていたと何かで読んだ記憶があるのだけど、そういう土地柄では立川流も学問として受け入れ易かったのだと想像するのです。
まあ、どちらも最盛期は平安から鎌倉だろうし、明治の廃仏を経て単なる土地の神社となってしまった今では、不明なことだらけなんだろうけど。

では、鎌倉ではどうだったのか。
豊川稲荷みたいに、荼枳尼天が稲荷神に同一視されて今でも残っている稲荷社があるかも。
鶴岡八幡宮の西側にある「志一稲荷」などは怪しいですよね。というか、そのものズバリのような気もするのだけど・・・(汗)。
ただ、ここの神社の「志一」が、『太平記』に出てくる仁和寺の外法成就の人「志一房」かどうかは自分も何も確認していないのですが。
そういえば、この近くには巨福呂坂の青梅聖天もある(笑)。
これらは二十五坊に関係する神仏だったのでしょうかね。
ダキニ法は21日間の修法だったり、豊川稲荷では21回真言を唱えるとかあるそうですが、さすがに21日参りは大変そうですので、志一稲荷で21回ご真言を唱えてみるのも面白いかもしれません。
ただ、ダキニ法は「頓成悉地法」など称するものがあるようにすぐに効果を現すのだけれど、栄華を極めたあとに急激な没落があったりするようですのでご注意(笑)。
有名な例では、平清盛や後醍醐天皇。今川義元も豊川稲荷の伽藍を整備したのでしたっけ。
まあ、なんでもかんでも悪く結びつけるのは良くないですが、やはり政権関係のお願いはしない方がいいのかも・・・?


ええと、展観の内容から大分横道それてしまいました・・。
遅くなったので、午後からのお寺見物などは、また明日にでも書きます。

|

« 西湘バイパス復旧まだかかりそうですね | トップページ | 金沢文庫展観と寺社旧跡めぐり(2) »

博物館・美術館 展観」カテゴリの記事

ホラー・不思議・神秘的」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 西湘バイパス復旧まだかかりそうですね | トップページ | 金沢文庫展観と寺社旧跡めぐり(2) »