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2007年9月

パンツまる見え

・・というほどではないが、帰宅してズボンの後が破れていたのに気がついた。

無論、フォークランド版の英軍ファッションではない。

長く酷使したために生地が破れやすくなっていた模様。
黒いトランクスだったから目立たなかったかもしれないが、プジョーみたいなライオンのマークが覗いていたのはやはり情けない(笑)。

それにしても、制服の学生諸君は男女ともにパンチラ(死後?)が流行しておるのだろうか?
男子のズボンは何だか江戸時代の長袴みたいなのだが、あれだけ下げていると便所とかで裾が汚れないものかと余計な心配をしたりしてしまう。
女子のスカートは相変わらずなのだが、自分の利用駅のように階段が多いところなどは、上りの男性諸君が皆下を向いて登っているのが何だか気の毒ではある。
まったく、大名行列か(笑)。
まあ、本とに土下座したら覗きになってしまうのだが。

だから、時々にアクシデントで男子のパンツが見えても文句言ってはならんのである。と言い訳しておく。

東スポみたいな見出しでお騒がせしました。

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金沢文庫展観と寺社旧跡めぐり(2)

さて展示のほぼ終わりまで見た頃、携帯に電話が。
征夷大将軍太郎さんからで、これから合流してくださるとの事。
称名寺の門前で待ち合わせることに。

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合流までまだ1時間以上かかると思われたので、称名寺の裏山を歩いてみることにしました。
登りはじめると、すぐ脇に「三重塔跡」の石碑が。
今は草の中に位置を示す碑があるだけですが、平坦にされた空間が建物の存在を偲ばせます。
鎌倉後期、最盛期と思われる称名寺のありし姿は、金沢文庫展示の模型や元亨三年(1323)の「称名寺絵図」で想像することが出来ますが、金堂の後ろにあった二階建ての講堂や、この三重塔もいつか復元されるのでしたら、とても楽しみな事です。
もちろん、浄土式庭園が再現された現在の状態だけでも、実際のスケールで当時の精神性に触れられる貴重なものなのですが。鎌倉の永福寺もはやく同様に整備されることを願っている人は相当多いのではないでしょうかね。

途中の百観音(お砂踏み?)を過ぎて、少し登るともう山頂でした。
が、この日は完全な夏日快晴でしたので、たっぷりと汗をかいてしまいました。
コンクリート製の八角堂があるこの広場は、称名寺三山の一つ、金沢山の頂で、大変眺望にすぐれています。
みなとみらいなども遠望できますが、それよりも海の景色。
野島を手前に、猿島や横須賀の沿岸を一望すると、何だか、昔の名勝とされた金沢八景の旧観が目に浮かぶようです。

そして、尾根を東に進むと稲荷山。
称名寺金堂の真裏にあたる山です。
「陰陽師×密教」の展示解説では、称名寺でダキニ法が修された可能性として稲荷山をあげていました。
「称名寺絵図」には稲荷社のような建物は描かれていませんが、あまり使われていないような道があって、寺の方から直接この辺りに登ってこられるようです。

さらに尾根を東に行くと、称名寺の前身である阿弥陀堂と金沢文庫を建立した、北条実時のお墓です。
境内では彼のお墓だけが宝篋印塔で、さすが金沢北条氏の初代の風格を感じました。

実時墓所の前の谷道を下っていくと、ほどなく称名寺です。
こちらの道は、さきほど三重塔跡から金沢山に登った道と異なり、雛壇状の平坦地が連続していて、何か建物か畑でもあったのではないかと思わせました。
三重塔横の道は旧来の道ではないのかもしれません。
「称名寺絵図」では、谷の入口に経蔵があって、その後方に堀のようなものが描かれています。
もしかしたら、と考えていましたが、やはり鎌倉の東勝寺のような防戦を意識した構造でもあったのでしょうか。

それにしても喉が乾きました。
もう汗だくだくでシャツは重いし、着心地悪いこと。
参道沿いの自販機でコーラを買って、赤門前で暫しボーッとしていると、
「こんにちは」
征夷大将軍太郎さんでした。
呼ばれるまで、全然気が付きませんでした。
久々の再会でしたのに、ハナっから情けない顔しててスイマセン。

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とりあえず、池をもう一度まわり、金堂と釈迦堂で手を合わせた後、文庫内の食堂で昼食。
カボチャサラダがついたカレーライスは500円。
ここで小1時間話して、午後の史跡めぐりへ。

門前の道を六浦方面にまっすぐ下る。
右手に金沢八幡を過ごすと、町屋町。
目の前は、こっから金沢八景駅近くの瀬戸神社を経て十二所方面に向かう旧六浦道。
だけど、広い道路になってて、この辺りではあまり面影は感じられなかったかな。
いえ、道沿いには寺社が多かったし、地名も昔を語っているのが少なくないので、もう少し時間をかけて歩けばまた別だったでしょう。

町屋町では伝心寺(曹洞宗)の北条氏繁とその一族のお墓を拝観。
ここの開基は、鎌倉五代執権の北条時頼(大河ドラマ『北条時宗』で渡辺謙が演じていた方ですね)。
道元禅師が直接説法をされた由緒を持っています。
お墓(供養塔でしょう)が残る氏繁という方は、戦国時代の玉縄北条氏の二代目で、お寺にとっては中興開基にあたるようです。
開山上人は南足柄市の大雄山から来られた養拙宗牧。
ややこしいのですが、玉縄北条氏というのは、小田原北条氏の重臣で、今の大船駅近くにあった玉縄城の城主だった方でして、ルーツは異なる一族です。
彼のお墓といえば、同じく玉縄にある龍宝寺(氏繁の戒名)の裏山のが有名で、私も何度かお参りしていますけど、こちらは今回初めて知ったのでした。

あいにく、法事の最中でしたので、おだいこくさんにお墓の場所とお寺の由緒書なんかを頂きましたけど、慌しそうでなければ、氏繁とこのお寺の関係なんかも住職に聞いてみたかったです。
まあ、氏繁の時代の玉縄北条氏は三浦郡の支配や江戸湾の向こうにいる里見氏への睨みとなっていたから、港のあった六浦にも玉縄衆の拠点があったはずだとは思うんですけどね。
『城郭大系』にある「町屋陣屋」は江戸初期ってことになってますけど、玉縄衆以来のものが踏襲されていた可能性だってあるかもしれません。
でも、子孫のお墓は明らかに江戸時代だし・・・。
まあ、土地のことはその地の人に聞くのが一番。あとでの楽しみにしておきましょうか。

次に、洲崎町の龍華寺(真言宗御室派)。
こちらは縁起によれば、瀬戸神社の神宮寺として源頼朝によって六浦山中に創建された浄願寺が、15世紀末の兵火で焼け落ちた為、この地にあって同じく廃れていた光徳寺と併合されて興されたものだそうです。
江戸時代には20以上もあったという塔頭や子院も、明治に統廃合され、今ではそうした旧本尊や仏教遺物を多数蔵しています。
以前、金沢文庫の展示で公開された脱活乾漆の菩薩像も、このお寺の塔頭、福寿院の本尊だったものだそうです。

瀬戸神社へ着く手前には、瀬戸橋。
この辺に来ると、ようやくここが港の町だということを思い出しました。

最後に、瀬戸神社とその道路向いにある摂社・琵琶島弁財天社を参拝。
琵琶島弁財天は、源頼朝が伊豆の三島明神を勧請して瀬戸神社を創建したおり、妻・政子がこの人工の島に竹生島の弁天様を勧請したのだそうです。
収められている弁財天像は立像のため、立身弁財天として、出世や成功を祈る人も多かったとか。
弁天様は小さな社なので、道だけ見るとなんか、海に突出た瀬戸神社の参道のようにも見えます。

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あ、これが最後じゃなかった(笑)。
最後に行ったのは、上行寺東遺跡。
まあ、その実寸レプリカなのですけれど。
正しくは「上行寺東遺跡復元整備地」といいます。
金沢八景駅の裏山のマンション建設に際して発見された、中世のやぐらや建物跡などの遺跡です。
この遺跡の一部は、さきの龍華寺の前身でもある浄願寺である可能性もあるそうです。
結局、実物は破壊されてしまったけど、その現場近くに遺跡を型取りして樹脂で固めたレプリカが展示されてるとのことで、これも前から見たかったところではありました。
でも、最初にここに登る階段を見たときはドッと疲れがでましたよ。
急なコンクリの階段で、その高さはまるで池田屋の倍くらいはあるかと見えましたから(笑)

ここで、この日の史跡めぐりは終了。
夕食は藤沢のインド料理店で。
私ははじめてフィッシュティッカマサラを食べました。
魚肉は赤身と白身が入ってたみたい。

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金沢文庫展観と寺社旧跡めぐり(1)

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前後する日記となりますが、16日(日)、横浜市金沢区は称名寺となりにある県立金沢文庫に行って参りました。
今回は展観と史跡巡りを兼ねていたので、早めの朝9時前に現地到着。陽射しが厳しかったですけどね。
称名寺の池では消防団が放水訓練をしていました。

今回の展観は「陰陽道×(かける)密教」。
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiannai.htm

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日本にもたらされた陰陽道が密教に取り込まれ、宗教儀礼や学問に体系化。陰陽五行や天文、暦などが密教的にとりこまれて発展していく。
その実践は平安以降、権力者や武士などが怨敵調伏や栄華達成を祈願する修法をも発展させた。金沢北条氏を大檀越に持つ称名寺にも聖天法や、荼枳尼天を本尊に修するダキニ法の教本などが残されている。
展示物はそうした中世密教資料で、博物館の企画としてはなかなかマニアックな内容でした(笑)。
まあともかく、複雑怪奇。

こうした修法は中世後期から近世、さらに俗化・大衆化して、いわゆる禁厭(まじない)として今でも時々お見かけしますね。これらは、純粋な密教僧というよりも、近世以降の里修験だとか聖みたいな人々が大衆に広めたのでしょうか。

個人的には、このような左道密教が県内の各地でどのように受容されていったかも興味があったのだけれど、展示解説はあくまで資料に関連するものに限られていました。
ダキニ法といえば、立川流を連想しない訳にはいかないのですが、その流祖といわれる仁寛は晩年伊豆に配流されているのであって、すでに鎌倉末期には東国でかなり広まっていたとも云われます。
ならば、幕府とも強い関係を持った箱根・伊豆の山岳密教教団にも、そうした学問は伝わっていたはず。
箱根三所権現と伊豆走湯山二所権現の関係は金胎両部で、つまり陰と陽の関係と見なされていたと何かで読んだ記憶があるのだけど、そういう土地柄では立川流も学問として受け入れ易かったのだと想像するのです。
まあ、どちらも最盛期は平安から鎌倉だろうし、明治の廃仏を経て単なる土地の神社となってしまった今では、不明なことだらけなんだろうけど。

では、鎌倉ではどうだったのか。
豊川稲荷みたいに、荼枳尼天が稲荷神に同一視されて今でも残っている稲荷社があるかも。
鶴岡八幡宮の西側にある「志一稲荷」などは怪しいですよね。というか、そのものズバリのような気もするのだけど・・・(汗)。
ただ、ここの神社の「志一」が、『太平記』に出てくる仁和寺の外法成就の人「志一房」かどうかは自分も何も確認していないのですが。
そういえば、この近くには巨福呂坂の青梅聖天もある(笑)。
これらは二十五坊に関係する神仏だったのでしょうかね。
ダキニ法は21日間の修法だったり、豊川稲荷では21回真言を唱えるとかあるそうですが、さすがに21日参りは大変そうですので、志一稲荷で21回ご真言を唱えてみるのも面白いかもしれません。
ただ、ダキニ法は「頓成悉地法」など称するものがあるようにすぐに効果を現すのだけれど、栄華を極めたあとに急激な没落があったりするようですのでご注意(笑)。
有名な例では、平清盛や後醍醐天皇。今川義元も豊川稲荷の伽藍を整備したのでしたっけ。
まあ、なんでもかんでも悪く結びつけるのは良くないですが、やはり政権関係のお願いはしない方がいいのかも・・・?


ええと、展観の内容から大分横道それてしまいました・・。
遅くなったので、午後からのお寺見物などは、また明日にでも書きます。

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西湘バイパス復旧まだかかりそうですね

昨日、前倒しのお墓参りに行ってきました。
先に小田原のお墓、次に小磯のお墓に参ったのですが、その折西湘バイパスを利用してみました。
二宮まで上り一車線のみ開通したとのことでしたので。
国府津の料金所手前までは上り二車線そのまま利用できましたので、ほんと空き空き。
前後の車線に一台も見えない時もありました。いつも、これぐらい空いていると、海を観ながらのドライブが快適なのですが。

しかし、料金所を過ぎるとすぐに片側一車線のみに。
2、30分ほどでしたか、バイパスを降りるまで渋滞にはまってしまいました。
脇の下り車線ではまだまだ工事が続いておりまして、まだ一部道路は断絶したままです。二宮の立体交差のあたりですが、側壁といっしょに街灯も倒れたままでした。

そればかりか、上り二車線の中間に分離帯が新設されていたのが気にかかりました。
もしかして、これから暫くの間、二宮以西は上下一車線で通行させるのではなかろうかと思ったわけです。
となると、平塚方面への自動車通勤の方々は今暫く早出しなければならないようですね。

工事中にまた台風直撃コースで来なければ良いのですが・・。
バイパス以外にも色々、前回ので弱まっていそうなので、次の方が恐い。

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天国と地獄

この作品、黒澤作品の中でも最も好きな作品の一つである。

今回のテレビドラマ化は、期待と不安半々だったのだけれど、まあテレビにしては期待以上の出来だったのでは。
本作が初めての「天国と地獄」であるなら、結構楽しめたのではあるまいか。

オマージュ作品との事だが、舞台が神奈川県から北海道に変わった以外は、セリフも内容もホントにほぼ同じ。脚色というよりも、脚本のオーバーホールといったところか。あとは誘拐犯人が携帯電話で身代金要求をしてくる点や、女性刑事が混ざっている点などの時代描写のみか。撮影もオマージュ的な撮り方が幾つか散見された。

ただ一つ、物語の再現を重視しているのは良いとして、黒澤作品の味でもある辛口ギャグや、脇役の掛け合いなどが省略された点がやや残念で、それに代るリアリティ演出があまり感じられなかったか。
それには、現代の格差社会や企業腐敗などをあてはめたりする手もあったとは思うが、その点、余りメッセージ性の強いモノを作る気は無かったのかもしれない。

あと、事件後に権藤(佐藤浩市)と竹内(妻夫木聡)が拘置所で面会するシーンもほぼ同様だったが、最後に面会窓にシャッターが下りなかった点も、残念と言えば残念。
あの演出は、犯罪者になっていく弱者への同情よりも凶悪犯罪者への全否定を表したともとれるだけに、やはりメッセージ性が薄くなった感は拭えなかろう。

配役は、戸倉警部役の阿部寛が一番しっくりしていた、自分としては。今更遅いが、『椿三十郎』リメイクするなら彼の方が合うのではなかろうか。
あ、オマージュならいっそ、本部長役を加藤武か山崎勉とかだったというのも面白かったかも(笑)。

うーん、シンプルに面白かったと書こうと思ったのに、結局、映画版と比較する内容になってしまった・・・。
作品は楽しかったのですよ。
明日は『生きる』が放送ですな。

もしまた黒澤作品のテレビドラマ化があるのなら、『悪い奴ほどよく眠る』でもやってもらいたい。

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まあ、よく吹き荒れましたね

近年珍しく直接関東から本土上陸コースとなった台風9号。
ゴジラ(ゴジラ対ビオランテ)じゃないけど、午前2時過ぎ、関東は小田原あたりより上陸したとのこと。
自分は蒸し暑くって、11時半には早々に寝てしまっていたのですが、市の防災放送が何度か鳴り響いていました。

朝起きて見れば静かなもの。
ポリバケツの蓋が庭木に引っかかっておりました。

ニュースを聞けば、松田の十文字橋が落ちたとの事。
後で映像で確認しましたら、旧十文字橋の方ですね。
http://town.matsuda.kanagawa.jp/news/taifu9.html
狭いしかなり老朽化していた覚えがありますが、これより全国の橋梁点検に入る前に落っこちちゃったのはある意味ラッキーだったのでは・・(国や県は、地方の整備はいつも後回し。ゴミ処理場とかはサッサと押し付けますがね)。被害者も無かったようですし。
でも、新十文字橋がすぐ上手にあるので、「暫くそれで我慢しろ」とかいうことになってしまったりして。
御殿場線松田駅利用者や駅前商店街の方々は、渡河が暫く面倒そうです。

また、朝から救急のサイレンがひっきりなしに聞こえてきましたが、何かあったんでしょうかね。防災ヘリも飛んでたし。

午後には陽射しが強くなって久々の夏日でしたが、今度は西湘バイパスの一部で路肩が崩落したというニュースが。
帰宅して調べてみたら、18日まで復旧工事で通行止めになるとのこと。
NEXCO中日本のお知らせページに写真が公開されています(↓)
http://www.c-nexco.co.jp/info/others/070907134936_2.html
崩壊は路肩がメインのようですが、良く見ると舗装面下もけっこうえぐられているようですね。
国府津・大磯間は結構、海岸侵食が進んでいる箇所が多く、場所によってはほぼテトラポットだけの所があります。
温暖化や海面上昇の事を考えると、今後も同様な被害を受ける可能性は無いとは言えないでしょう。
土砂災害や河川水害も心配ですが、今後は波浪被害も結構重視が必要ですな。

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