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一周忌とその折、考えたことなど

11日、祖父の一周忌を行なった。
実際の命日は17日なのだが、参加者の都合等でこの日に斎されることになった。
朝降っていた雨も寺の読経が終る頃には止み、傘無しで墓前に線香を上げる事が出来た。心配されたステンレスの線香皿も花受けも盗難されておらず、一安心。

会食は城山にある母の知人の店で小懐石。
法事の会食でも最近は完全に精進料理というわけではないらしい。
食事は美味しかったが、周りの席の顔ぶれはよく会う親類ばかり。献杯の時以外は法事の延長という気が余りしなかった。
祖父の思い出話もこの時に改まってする面々でもないので、本当に普通の会食という感じだった。
今は、思い出話をするとかよりも、祖父と一緒に行った場所へ一人で行くなどした方が、自然と心が近いところへ向くような気がする。

私と従兄弟、叔父や叔母などはタクシーに乗らずに歩いて帰路に。アジアセンターの前から小田原高校脇を経て、裏駅へ。
そこから構内を抜けて祖母の家に戻った。

以後はその折、考えた事など少しばかり―

MRAアジアセンターは昨年営業を辞めて、現在は市が管理している。どういう状況になっているのかは知らないが、小田原城大外郭の一部に当たる為、まずは発掘調査が行なわれるのだろう。すでに実施されているかもしれないが、場所的に上二重外張に近接しているので成果が期待される。
後々は、遺跡を生かした展望公園にでもなるのだろうか。
あまり観光には情報提供されていないが、ここにはなかなか見応えのある枝垂れ桜がある。
以前、アジアセンターの館長から聞いた話では、これは閑院宮邸が建っていた時の庭木であるとのこと。
これは是非生かしておいてもらいたいものである。

県立小田原高校は、旧グラウンドに新校舎が建設中。
グラウンドと裏のテニスコートの間の道が新校舎の影で狭暗く感じられた。
桜の蕾は膨らみつつあるが、開花はまだもう少し先か。

さて、同地では数年前、校舎老朽化と他校(城内高校)との統合に併せて校舎の建て替えが計画され、先だって発掘調査が実施された。
予想されていた事ではあったが、発掘調査で大規模な堀や虎口、井戸、また古墳時代の住居跡などが出土。文化的な重要性が改めて注目される事になった。
これを契機に校舎の移転か遺跡の埋没かを問う声が双方高まった。が、昭和50年代だかにすでに市の文化財関係者からは史跡指定を県から国(文化庁)に頼むよう、市に提言しており、実は今に始まった問題ではなかった。
まあ、詳細は控えたいが政治的な解決のもよう。
ともかく、埋蔵のままとはいえ貴重な遺跡が残されたのは喜ばしいと思う。
結局は《校舎移転や遺跡の完全復元などは行なわないが、新校舎は地下遺構に影響しない設計をすること、現地には説明板を設けて一般に公開すること、新校舎完成後に同地を国史跡に申請すること》ということになったらしい。
新校舎を立てた後に史蹟というのは分かりにくいが、要は今回の新校舎は建てるが次に老朽化した時は、遺跡のあり方も検討するという、ひとつの妥協ではなかろうか。

城のような大型文化財を復原するには、大変時間がかかる。
土地取得もその一つだ。
まあ、戦国城郭などは近世城郭にくらべれば、基本的に土木だけで復原再現はできるが、それ以前の調査が時間かかるので、結局、そうした歴史公園のプランから予算計上までに時間が必要になるだろう。
ともかく小田原城はデカイ。現在でも城遺跡の復原や再現のあり方には色々な意見が出てまとまっていない。100年先延ばしにしたとしても、遺跡そのものが無事ならあせることは無いと思う。
まあ、八幡山は城があった山だけあって、見晴らしが良いのは確かであるから、小さな展望公園くらいは付近に期待したい。展望なら小田原高校よりも、もう少し南側の住宅地の方が視野に優れているし、八幡山本丸とされているのもこの辺りだ。史跡範囲を広げて、ちまちまと時間をかけて用地取得を狙って貰いたいものである。

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