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近江に行って参りました(その2)小谷城

さて、小谷城です。
栄えある浅井長政の城として、またその妻小谷の方(お市の方)との悲劇の城として、なかなか世に知られた山城であります。遺構も素晴らしいものですから、地元の自治体はじめ、地域の城郭趣味の方々のサイトでも色々と紹介がなされているようです。

ですから、ここで私が城の概要をツラツラと述べるのは止めておきます。浅井氏が戦国大名になるまでの話も興味深いですが、これも省略。そうでないと、この後の城ネタでも書かなきゃいけなくなるのです(これが真意)。

ということで、小谷城。
ウェブアルバムにもアップしたので、これでも読むのが面倒な方はこちらをどうぞ。スライドショーがお勧めです。
http://lumixclub.jp/photo/Lci?mode=guest&album=EGNMWUEIR007hNQ17gsG
(パスワードはom20061105)

まず清水谷に行ったのですが、大手道跡はハイキングコースなので、尾根の反対側から林道で山上まで一息に。
朝早いためか、途中、キツネやリスが道路を横切って行きました。
林道の終わりに小さな駐車スペースがあり、そこから歩くと程なく小谷城の主な遺構群でした。主な曲輪(くるわ)には、名称や由来を示す石碑もしくは立札が立っています。

二つのハイキングコース(大手道と旧登城道らしい)が合流する「番所跡」を過ぎて、「御茶屋跡」「御馬屋跡」「桜馬場」を大手道の左横矢に見て進みます。この辺りは大手正面ということもあるのでしょうが、戦国時代らしい攻撃的な構造が良く分かり、なかなか楽しいところ。基本的には連郭式なのですが、清水谷側の斜面には帯曲輪が断続的に見え隠れしています。
桜馬場には、浅井家と家臣団の供養碑がありました。
昔からのものではないですが、この上にある本丸大広間へ上る前に手を合わせて挨拶としました。
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この脇に黒金門(くろがねもん)跡(※写真)があって、いよいよ本丸域。門跡は崩壊していますが、大きな石垣石が残っていて往時の重厚さを想像させます。

本丸大広間は約3000平方メートル。今は、桜の名所。
発掘調査では礎石が240余り出土して、大型建築物があったと推定されているようです。また、ここの井戸跡からは、茶器や陶磁器片、古銭などが見つかっています。
本丸の奥には、「鐘ヶ丸」という高台(櫓台)があって、現地の案内板ではこちらが本丸と紹介されていました。実際は、この高台と広間がセットで本丸なのでしょう。
ここには天守櫓が立っていたとも云われています。鐘楼を兼ねた遠見櫓のようなものだったのでしょうか。
ちなみに、彦根城西の丸三重櫓は小谷城天守を移築したものという伝説がありますが、これは近年の調査でほぼ否定されています。
また、小谷城落城に際しては本丸が炎上したとよく語られてきましたが、調査では火災痕は見つからなかったとか。

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本丸の裏には大きな掘切があって、そこから再び「中丸」「京極丸」「小丸」「山王丸」と段々に山上に続いていきます。
いずれも特徴的な曲輪ですが、山王丸の石垣(※写真)は大変良く残っていて感動モノでした。関東の城ばかり見ていると、石垣のある西国の城はほんと新鮮に見えます。
この山王丸が小谷城主要部のピークです。
ここからさらに、寺院跡の「六坊」を経て、小谷山最高峰の大嶽(おおずく)へと至ります。
ですが、今回の私たちはここで引き返すことにしました。

帰路に、本丸西側の「御局屋敷跡」と、桜馬場付近から東にある「赤尾屋敷跡」に寄りました。
前者は、小谷の方(お市の方)に関係あるかは全く不明なものの、若き彼女が夫の浅井長政と別れて城を退去した悲話を、何らかの形で残そうとしたものでしょうか。実際は狭長な帯曲輪でした。それでも、石碑の横には志納入れがあり、彼女を慕う想いの場所になっているようでした。
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後者は、赤尾美作守(清綱)の屋敷跡と伝わる場所で、奥には「浅井長政自刃の地」の碑(※写真)が立っていました。
天正元年(1574)8月、織田軍に城を半ば占拠され隠居の父・久政が自害した翌28日、長政は妻に子達を連れて城を退去するように命じ、自刃した(享年29)、その場所と伝えられています。こちらにも志納入れがあり、傍らにはまだ新しい花が添えられていました。

なんだか、行きに帰りに手を合わせることになってしまいましたが、それはそれで良い訪問であったのかも。
陥落後の小谷城は、手柄第一とされた木下(羽柴)秀吉に与えられたものの、交通の便が悪いとの理由で二年後今浜(長浜)に城を移し、小谷城は廃城となりました。

清水谷にあった寺院も、その南に賑わっていたという城下町も、殆どが長浜城下に移ってしまい、今の小谷周辺は、ただのどかな田んぼが広がるばかりです。

時間の都合で、全てを回ることはできませんでしたが、また来る理由ができました。

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