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近江に行って参りました(その1)

先週の半ばだったかな。
突然、友人K氏から
「5日、彦根城に行きませんか?車で」
とお電話いただきました。

私もちょうどお休みになっていたので、特に断る理由もなかったのですが、懸念だったのが旅費。二人で高速道路だと、往復のガソリン代と道路通行料のワリカンは割安感が無いのですよね。今月後半には色々予定を控えているので、ちょっと出費は抑えようとしていた折りの連絡ではありました。

ですが、
「こちらからお誘いしてるので、お気持ちで良いですよ」
とのこと。
私もセコく
「う~ん、じゃあ5000円とかでもいいですか?」
と、冗談半分本気半分で(でも実際、万券の出費は辛かったのです)聞くと、
「良いですよ」
と快諾!気前が良すぎる!
悪いなとは思いつつ、そりゃ、行きたいですよ!国宝・彦根城。なんてったって5000円。なんてったって最近マジでマンネリな日常でしたし。

・・ということで、行ってまいりました(街かどテレビ)。


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小田原出発は払暁前の午前3時半。
この時間はさすがにチト寒いので、セーター着用。
大井松田から東名に乗り、一路近江へ。
折りしも今宵は満月。掛川を過ぎたあたりでは、右手の三角山の上に煌々と輝く詩景。
丸子は吐月峰よりの月見もかくありましょうか。
さらに、沈む月を追うように西へ。
(写真は三方ヶ原あたりにて。ぶれてますが、右の赤い球が月です)
小田原から約4時間の往路でしたが、K氏の70~80年代音楽集(アニメ主題歌やら歌謡曲やら)と、私の持参したカセット(サザンやピチカート5もあれば軍歌も・・)など聞きながら、色々と無駄口たたいていると、長くは感じませんでした。
日の出を迎えたのは、名古屋を過ぎた本郷のあたりだったかな。米原で高速を降りました。

彦根は午後ということで、その前に幾つか史跡探訪をしましょうということに。
私は、六波羅探題の北条仲時の墓がある蓮華寺に行きたいと思いましたが、まだこの時間では開門していないと思い、K氏お勧めの小谷城へ行くことに決定。高速を降りてしまったので、多少遠回りになったかもしれませんが、早朝だったのでかなりスムーズに行けました。

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途中、進む右手に写真のような綺麗なコスモス畑が。
背後の小山も秀麗でしたので、車を止めてもらい暫し眺めました。
犬の散歩をしているおばさんとすれ違う。
「おはようございます」
今日の第一滋賀県人と遭遇。
ふと足元を見ると、「埋塚遺跡」との標柱が立っています。
これを頼りに後ほど調べましたら、米原市顔戸(ごうと)のようで、背後の山は日撫山のようです。
その麓には、日撫神社があり、なかなか興味深い由緒の神社のよう。顔戸も神戸と同じ意味なのかも。
http://www.pref.shiga.jp/minwa/42/42-03.html
そういえば、この辺りは古代豪族・息長氏の割拠したというところ。道路沿いにも時おり、前方後円墳や円墳のようなマウンドが見られました。

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小谷城跡に着いたのは8時前くらいだったかな。
途中、鉄砲鍛冶で名高い国友や、古戦場の姉川などを通過しました。
写真は、最初に見学した清水谷。
奥の山が大嶽城跡。浅井亮政(長政祖父)が最初に築いた小谷城は、ここだったそうです。城主館もこの谷の奥にあったとか。
その右手の尾根が小谷城の本城域がある山。左手の尾根にも少数ながら遺構が点在しているとのこと。

手前の広場には変な門がありますが、小谷城大手門と書いてありました。小谷城が使用されていた時は、この辺りが大手門だったという標示なのか、はたまた何かイベントでもやるのやら。
ともかく、広い城域を持つ壮大な山城という気がしてきました。
それにしても、小谷城の名はこの谷(谷津)の城という意味なのでしょうかね。
今回私は怠惰に気分転換をしたかったので、実際ナンにも前勉強せず来てしまいました。まあ、彦根城以外はどこ行くかも決まってなかったんですけど。

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