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仲秋名月也

(良景乃覚書)
生憎六日の十五夜名月は雨天にして観望叶わなかったが、昨晩満月の輝きはそれに代る見事なものであったと思う。
夕六時半頃であったか、巡礼街道を西に向かう折、軽く見上げると、ケヤキ並木の枝端がちょうど触れ合う間に浮かんでいた。
そこから中里へ向かい、街灯のない畑道で暫く観月す。
その頃遥か曽我弁天山の上に昇り切り、二三の小雲、月光に透く。家路の人々も暫し足止めて観る。
 月陰の峯の松原雲かざし

小田原ならば、小峰から水之尾口に至る途路より観る海上の月が好きである。真鶴岬が隠れない程の合間が良い。波浦に映る満月は浜から見るのも良いが、あまり明る過ぎると少し恐い。
また、高みから見る程に、輝る海面と岬の黒さが、手頃な額に収まったような景色にしてくれる。それでも野畑から見る月とは、風雅の程比べ物にならない。

北条氏の頃が偲ばれる。
八幡本曲輪の東端あたりからは、真鶴や伊豆はもとより、東方の沿岸、高麗山はもとより江ノ島辺りまでの浜も存分に望見できるに違いない。
そして、足下の小田原城下は板葺き、茅葺の家が建ち、海岸には松原が点在していた。
この恐らく小田原で最絶景の(街の景色が違っているとはいえ)、左右弓形に相模湾が広がるのを望める地が、住宅地とし化しているのは甚だ残念ではある。
それも、分譲されて家々が建ち並んでいるため、住民でも恐らくこの大パノラマを一望した人は居ないのではあるまいか。
分譲前もさに非ず。一帯は江戸時代の禁足地を通じて繁茂した樹木で鬱蒼としていたはずである。
結局、小田原古城の山城が機能していた北条時代の“王座の景色”だったのかもしれぬ。

この八幡山から望んだ景色かどうかは分からぬが、天文3年(1534)12月12日、小田原の北条氏綱を訪遊中の冷泉為和が詠んだ一首にこのようなものがある(『為和集』)。

沖津浪よるさへ月に伊豆て舟の ほかけも白き雪の遠島

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