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9月9日午後(3)

暑かったので杉本寺まではバスで行こうかとも思った。
だが、ちょうどそんな話をしていた時、目の前を金沢八景行きのバスが通過してしまった。
まあ、とくに歩いていっても大してある訳でもなし。また、だらだらと歩を進めた。
金沢街道は車が煩い。関所橋を過ぎ、大御堂橋の交差点を右へ。ちなみにこの関所橋の名は小田原北条時代の関取場に由来する。道脇の旧石碑にも刻んであるが、荏柄天神の社頭修繕費として通行銭を取っていたらしい。社寺造営費として関銭を徴収し、手数料(と称したかは存ぜぬが)をピンハネするのは昔からよくあろう。それだけ、当時は一定の通行量があった道ということでもある。
信号から曲がるとすぐにその、大御堂橋があり滑川を渡る。
川向こうに文覚上人屋敷跡碑があるが、それに因んでこの辺りでは座禅川と呼ぶとか。
それと逆の道に行って、すぐ右の住宅地の奥に「勝長寿院跡」が設けられている。
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かつて源頼朝が父・義朝と郎党・鎌田正清を供養するために建立した寺院・勝長寿院があったところで、地名の大御堂谷もこの寺院からきている。今でこそ旧跡地にある礎石にしか寺を偲ぶことができないが、かつては北条政子の居もあり、源実朝の五仏堂、頼朝長女・大姫菩提の南山小御堂があった。そして政子も死後、ここに墳墓が設けられている。つまり頼朝一家(なんだか侠客のようだが)のプライベートな色彩の濃い氏寺地であった。
そういえば、確か静御前もここで舞を披露している。大姫がここで参篭していて、その明けに披露したというもので、共に念い人を殺された悲劇の女性として、その時どんな交流があったか思いを馳せる女性もあろうか。
永福寺跡に比べれば、発掘調査は遅々として進んでいない観があるが、それでも幾つかの礎石が集められ、近年、追善の五輪塔などが建てられたのは嬉しいものである。

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寺跡からもとの小道にもどり、また川沿いに進んでいく。
暫く行った辻に「上杉朝宗及氏憲邸址」旧跡碑がある。上杉禅秀の乱で有名な犬縣上杉氏憲(道号禅秀)の屋敷があった谷戸で、上杉四家の一つ犬縣の名は、この地の犬縣ヶ谷に拠る。
とはいえ、今は旧跡碑のほかは、滑川に掛かる犬縣橋の名前にしか目にすることはできない。

ともあれ、この辻から川の対岸の山すそを見ると、もう杉本寺の茅葺屋根が正面にある。背後の山が杉本城跡であろうか。

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