« ご無沙汰しました | トップページ | 虎御石 »

大磯再訪

なんかまた暫く書かなかったなあ。
日記と同じく、やっぱ習慣づかなくなると筆不精になるね、ネットといえども。

01_2
そんなんで突然のネタ登場なんですが、このところ、大磯に続けて出かけて調べものなどしています。
きっかけは、5月21日に父方祖父の墓参り(去年で7回忌)に行ったとき。
この日、ちょうど東海道・旧大磯宿の旧跡やら、宿場内の延台寺の祭事「虎御石まつり」などを見る機会がありました。後者はいわゆる「曽我もの」で名高い、虎御前(曽我十郎の愛妾)伝説に因むもので、大磯宿の名物でもあったものです。
大磯という町は小さいながらも、エリアごとに特色があってなかなか面白い。
駅周辺の大磯地区は、旧大磯宿。
その西の小磯地区は、明治から戦前・戦後までの財界人らの別荘が多く建てられ、現存するものも少なくない。なんとなく戦前の古き良き湘南を止めているのだ。
また、やや郊外の高麗地区や国府新宿地区なども、それぞれ古代から中世にかけて興味深い社寺の歴史がある。

まあ、それだけではないのだけれど、21日に観光協会のお知らせで、翌週日曜の28日には旧安田財閥の総裁、安田善次郎の別荘“楽寿庵”(現在、安田不動産大磯寮)が一般公開されると知ったので、また行ってみたわけ。

021
当日は、楽寿庵の建物内は残念ながら公開されなかったが、庭園や安田翁の供養のために建立された持仏堂や経蔵などのほか、国重要美術品の石造十三重塔などの観覧を楽しんだ。
その後は例によって、あてもなく路傍の石碑や社寺を見ながらブラブラ旧街道沿いに歩き、気がついたら平塚まで来てしまった。

で、もう一度大磯に戻って、小さな中世山城遺構などを観察。
ちょっとだけ見るつもりが、予想以上に遺構があったため、どんどん草むらの奥へ(笑)。
一応、簡単な見取り図程度をメモする成果はあった。
ここは小さな城址だが、詳細は殆ど知られていない。というか伝えられていない。
だが、立地と曲輪(くるわ)の構成などを色々調べていくと、なんとなく実態は見えてくるものである。
詳細に関しては、もしかすると他の媒体で書く可能性もあるので、ここではこれまで。

そのほか旧道で出会ったお年寄りの話など、傍から見たら単なる思い出話に過ぎないものにも、幾つか得るものあり。この点、大磯町教委では、すでに何度か民俗・伝承など聞き取り調査の報告書類も出ているので、それらと併せて検討することで、とても勉強になりそう。

01_1
ところで、江戸時代の東海道は2001年の江戸開府400年を境に、中高年らに人気のあるウォーキングコースとななってきている。
時おり見つける路傍の石標や広重の「東海道伍拾三次」に描かれた場所、良く知る地名の由来などに出合ったりするのは、年寄りでなくてもなかなか新鮮ではある。
実は私もとりあえず、日本橋から箱根くらいまでは歩いてみようかと考えているのだが、他人と同じではつまらない。そこで、戦国時代の東海道でも通って行こうかなとも考えている。でも、そうなると江戸発ではなく、鎌倉発とか、武蔵府中発とかになってしまう・・・。ということで、徳川氏入国以前の江戸城~小田原城間の官道(つまり北条氏による伝馬道)にしようかとも考え中。

ちなみに写真は上から、「大磯・愛宕神社の参道」「旧安田邸庭園」「錦絵に描かれた大磯と虎御石」。
最後の、この虎御石については別枠でまた。

|

« ご無沙汰しました | トップページ | 虎御石 »

旅行・地域」カテゴリの記事

城跡・史跡探訪」カテゴリの記事

古建築」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大磯再訪:

« ご無沙汰しました | トップページ | 虎御石 »