“虹”を越えたら、次は…

遅ればせながら、UCep7のブルーレイを友人から借りて観賞。
群像劇でもあるだけに、終局的な切りすて感もあったけど、概ね満足。
楽しめました。心洗われました。寝不足なんてなんのその。
素敵過ぎる、宇宙(そら)飛ぶギガンなんてのも見れたし(笑)

まずは、毎度、大河ドラマ見終わったときの様な活力、若返りを感じさせてくれた事に感謝。

視聴者の多くはきっと、主人公よりも周りのオジサン達に近い年齢なハズ。
頑張って若気気張ってみてもたぶん絶対リディよりは戻れない(笑)
各話で色んなオジサン達に感情移入できたのが面白かった。

最終話では、まさかの「めぐりあい宇宙」の走馬灯。
地元の超混雑した映画館で床に座って二度見したのが小2か小3の春休み。
今の映像で見れた嬉しさもあるけど、“ガンダムと一緒に俺も年とったんだなあ”というのが実感(笑)
宇宙世紀大河を振り返るBGMにアレンジされた「めぐりあい」の音力が大きかったと思う。
ユニコーンは全作通じてサントラも各主題歌も最大効果(まさにNT-Dモード笑)発揮してたと思います。

そんな太陽みたいなジオングとの決戦は、“強大な敵vs無鉄砲な若者”というガンダムお約束。
つい『アリオン』のアポロンとの決闘~大団円シーンを連想してしまいました。

にしても、こんな大それた体験をしてしまったバナージ、今後、長く続く普通の人生に満足できるのだろうか…。

そして、私。来年には何を楽しみに待てばいいのか…
オリジンのキャスバル編、映像化は楽しみだけど、ユニコーンの直後なだけにまだ心配です。

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虫がえし

クマモンよりも天守のデザインに惹かれてつい買ってしまった、虫コナーズ。
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中の薬剤入りカートリッジ部が白いプラで、ちょうど漆喰の表現になっている。
で、外箱部分が黒いプラで、キャラや下見板。

企画者の思い入れなのか、版権側の注文なのか、下見板のモールドやシール点数なんかが意外に丁寧でした。
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しかし、せっかくの熊本城なのに、武者返しの石垣まで再現しなかったのは実に惜しい。

キャラグッズとしてなら、『ターミネーター』のT-800(シュワ氏が演じたやつ)型なんかも面白いと思うんだがなあ。

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日光一文字

九州まで出張ることなくこれらを見る機会が来るとは・・・。
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昨日は休みというともあり、始まったばかりの特別展『軍師・官兵衛』展を江戸東京博物館に観に行ってきました。もちろん、第一の目的は官兵衛さんではなく、北条家ゆかりの品々。
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福岡市博物館に収められている黒田家旧蔵の「太刀“日光一文字”」や「北条白貝」「琵琶“青山”」などが揃って関東へお出ましなのですから。

大河ドラマ『軍師・官兵衛』の第1話冒頭および本編後の紀行コーナーで紹介されたエピソードですが、これらは豊臣秀吉の小田原攻めの際に調停役として赴いた黒田官兵衛に北条方が礼として与えたと伝わっているもの。
実際には色んな人が籠城中の北条氏へ働きかけたでしょうし、官兵衛もドラマのようにあんな一人颯爽と城門前(井細田口でしょうか?)に立ったとは考えにくい。たぶん、後に氏直が投降する滝川雄利らと共にアポ入れて入城しているはず。
それでも、これら北条家累代の家宝が与えられるというのは、やはり相当な感心を起こさせる人物だったのでしょう。ただ、領国安堵と氏政・氏直父子の助命を確約した可能性を考えると、色々と複雑な思いになるのではありますが…。

展示構成は、①播磨時代(黒田職隆書状や織田信長黒印状、・安土出土遺物など)、②有岡城幽閉(秀吉書状、竹中重治書状、黒田家臣起請文、家臣像など)、③秀吉統一時代(明智光秀坐像、阿弥陀寺位牌拓本、本能寺跡出土遺物、“日光一文字”など)、④如水時代(肥前名護屋城図、白熊采配、水牛脇立兜(前後期入替)、黒田長政像など)、⑤文雅たしなみ(芦屋釜、利休書状、和歌短冊など)といった流れ。
黒田官兵衛の文書類は、テーマに合わせての10点ほどでしたでしょうか。
家臣関係では、東京巡回展では、母里友信関連のもの(槍“日本号”や甲冑、像)が少ないのがやや残念なところ。日本号は以前に国立博に来てた時に見た記憶がありますが、大分前の事ですし。

今回、個人的に興味深かったのは・・・
【岐阜城出土の金箔押棟板瓦片】(信長が安土以前から瓦に金を使っていた事が分かった貴重な発見)、岐阜市教委。
【播磨三木合戦図】(別所氏菩提寺・法界寺で現在も追悼法要で絵解きに使われる絵の模写(江戸期)、威儀正しい別所氏や家臣らの合戦の模様や、痩せ衰え自害に及ぶまでドラマチック)、兵庫県歴博。
【明智光秀坐像】京都・慈眼寺。
【阿弥陀寺位牌拓本】(本能寺変で討死した信長信忠ほか家臣らの俗名と戒名を併記)同寺。
【羽柴秀吉大坂築城石持掟書】(石を運ぶものは、より重い石を持つものに道を譲れとか、喧嘩をふっかけるなとか、作業に細やかな指示)、兵庫県・光源寺。
【小田原陣之時街道筋諸城守衛図】(京から三島辺りに至るまで秀吉が泊した城や街道の景色などを描く図。富士山や箱根双子山、厳に柵廻らす山中城のほか、安土に立ち寄ったことなども記す、街道見聞絵図でもある)、山口県文書館。
…等々のあたりでしょうか。官兵衛や黒田家に直接関係のあるものではないですが。

黒田官兵衛関連のものとしては、やはり書状の類でしょうか。
本文の他に追筆が多かったり、歴史ある寺には丁寧な言葉を用いたりなど、配慮の細やかさを感じました。
まあ、今回出された書状の類は子息や家臣らに宛てたものが多いので、当然と言えばそうなのですが、当時も“委細は誰々(手紙を持参した使いの家臣)が…”と簡潔に締め括る文章が多かったでしょうし。
あと、人物像の作例も多い人なのですね。
ポスターにも使われている江戸後期の絵のほか、有名な脇息にもたれかかる絵も数種類あるようでした。これらは展示期間中に入れ替えられるようです。
一方、夫人(照福院)像(京都・報土寺蔵)は、7月1~13日のみの展示で、それ以外はパネル写真のようです。

私は北条氏ゆかりの品目的で観に行ったのですが、織田・豊臣関係の一つの通史展示としても楽しめるかと思います。お近くの方は足を運んでみては。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2014/05/index.html
6月18日には、斎藤慎一氏の講演「豊臣政権と小田原合戦」(要申し込み)もあるので、それに併せても良いかも。締め切りは5月30日、もう明日ですが。

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江戸博に来たのも久しぶりでした。前回は江戸城展あたりだったろうか。

両国駅もその時以来。
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駅頭は近辺の開発の歴史を如実に示す景色ですね。後ろに国技館の屋根とスカイツリー。
とても駅らしい駅舎で、地域に愛されてそうです。

あと、図録のほか、お土産に買った城郭用語クリアファイル(部分)。
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昨今、こんなのまで商品になるんですね。この頃は戦国時代関係の展示があると、公式グッズ以外の商品が充実していて驚かされます。
これも公式グッズではなく、もしかしたら小田原城の売店でも売ってるかもしれません(笑)

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後北条時代の城下屋敷

後北条時代の小田原城下の様子が少しづつ明らかになっています。
越前一乗谷とまではまだまだいきませんが、後北条時代の高位な人物の屋敷跡と思われる遺構です。
昨年の日記には書かなかったので、前回昨年3月(第Ⅵ地点)と今年の4月(第Ⅶ地点)に見学してきた「大久保弥六郎邸跡」の発掘調査現地見学会の様子をまとめて簡単にご報告。

場所は、小田原城址公園二の丸水堀と国道1号線に挟まれた旧三の丸エリア。
ちょうど東電小田原支社の真裏で、西側に小田原城天守が望めます。
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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
将来、小田原市民会館の再建予定地とされ確保されている土地で、それに伴う発掘調査が数年前から継続されています。

遺跡名は、江戸幕末の小田原城絵図「文久図」によると、同地は小田原藩大久保家・家老の一人、大久保弥六郎の邸跡だったところから。地元では“隅の大久保さん”で知られている屋敷地の一角でしょうか。

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(平成25年3月 第Ⅵ地点)
発掘調査の結果からは、江戸中期の富士山宝永噴火による火山灰や焼土の処分穴、戦国期北条時代の屋敷に伴う井戸や半地下式倉庫、屋敷の区画や建物の方向軸を推定させる石組み水路や溝が確認されています。

遺跡名になっている江戸後期の遺構はあまり目立ちません。それは、この当時の屋敷が二の丸水堀側が表として建てられていたためであるようです。
江戸中期に火山灰や焼土の投棄穴が設けられたのも、同じく屋敷裏手の空閑地であったからだと推定されています。

火山灰の投棄穴の様子は昨年度にも見られましたが、これらは同屋敷地内に積もった火山灰を集めて捨てたものでしょう。この灰は捨て場所に大変困り、後々酒匂川の川床が上がって大水害を起こす原因にもなったものです。
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(平成25年3月 第Ⅵ地点)
焼土は、火山灰の下に堆積している状況が分かりますが、これは噴火の前年に起こった大地震に伴う火災の跡かもしれないとのこと。同覆土中からは被熱して溶けた陶磁器片なども出土しています。

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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
出土している陶磁器片は、肥前産の高級磁器が多く、鍋島も出ています。この事から、江戸中期も重臣クラスの屋敷地であった事がうかがえます。地震か噴火時に割れてしまったものでしょうか。もったいない…。

近世中期以降に反して、後北条時代の面では、最も濃密な遺構が検出されています。
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(平成25年3月 第Ⅵ地点)
東西に走る石組み水路、半地下式倉庫と思われる竪穴、大規模な石組み井戸、多量の柱穴群といったもので、複数の遺構からある程度のプランの規則を推測できるようになってきたようです。

遺物は、かわらけや茶碗、甕など国産陶磁器片、染付等の舶載磁器片などのほか、今回の第Ⅶ地点では、当時の鋤・鍬が出土しました。
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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
北条時代の地業道具は貴重な発見といえます。

石組み水路は、幅約50㎝で、大型の河原石(早川産)を最大4段まで積み上げたものが数条。東西に延びています。
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(ともに平成25年3月 第Ⅵ地点)
この北側に接する同遺跡第Ⅲ地点では、まっすぐ東西120mに渡る北条時代の砂利敷道路(幅4mで両側に石積側溝を伴う)が検出されており、これら石組み水路も同じ方向軸のもと設計されているものと見て間違いないようです。
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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
水路は溝状遺構を含めて、区画境を兼ねている可能性があります。
水路の一部には礫が敷き詰められているものがあり、これはろ過機能を期されたものかもしれないとのこと。
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(平成26年4月 第Ⅶ地点)

竪穴は、方形のもの・隅丸方形のもの・長方形などがあり、規格性が見られます。深さ0.5~1.5mほど。
半地下式の倉庫であったと考えられますが、用途は不明です。
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(平成25年3月 第Ⅵ地点)

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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
一部には壁面に石積が施されているものがあり、内壁の補強の為ではないかと推定しているようでした。

石組み井戸はいずれも大きく立派なもの。
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(平成25年3月 第Ⅵ地点)

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(平成26年4月 第Ⅶ地点)
井戸径は直径3.7mほどが一つの規格のようです。井戸端に敷石を伴うものもあり、とても丁寧に作られた井戸です。
深さも大分あります。4m以上の深さが見こまれるものも。

以上の事などから、戦国時代北條氏の小田原城下でも重臣クラスの高級宅地であった事が推定されます。
残念ながら、どんな人物が住んでいたかの伝承等は伝わっていませんが、江戸中期以降とは異なる屋並みプランであった事が分かってきました。
また、水路や土坑に使われる早川石の石積みは江戸時代にも継続された技法であり、その原型はすでに北条時代に整えられていた事も改めて目にする事になりました。
白系の石が多く用いられているように見えますが、見栄えの為なのか、石積み保持の為に石材を揃えたものなのか。

いずれにせよ、普段から適選ストックして、石積み普請を担った専門職の存在を思わせます。
居住場所から考えると、やはり石屋善左衛門でしょうか。

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第50回北條五代祭り

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今年は藤棚周辺も綺麗に整備され、イベント前にくつろぐ人も多く見られました。

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歴史やお城のブームは以前にくらべると落ち着いてきた感がありますが、事業整備の方はゆっくりと着実に進むものですので、一市民としても永きのご愛顧を願いたく思います。

50回記念の今回の目玉は、歴代当主役に小田原市ゆかりの芸能人・有名人にゲスト出演してもらうというものでした。
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初代・早雲役に阿藤快さん。阿藤さんはここ例年おなじみですが。
3代氏康役に柳沢慎吾さん。
4代氏政役に鎧塚俊彦さん。
5代氏直役に小宮孝泰さん。

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また、オープニングイベントに林英哲さん率いる“風雲の会”の和太鼓演奏がありました。
(2代氏綱役だけは例年通りの市議会議長でした)

皆さん、今までにTV等各種メディアで小田原出身やご当地名物などを紹介してくれたり、観光事業に携わってくれてる“小田原ふるさと大使”の方々。
今年から新たに加わってくれた、俳優・合田雅吏さん(小田高出身)もお披露目していました。
『水戸黄門』で格さん役をやっていた方ですので、今後も武将役で出てくれたら似合うのではないかと思います。

私は今年は観覧席の方から見てました。
毎年おなじみの猛馬飼育係さんが来る予定だったのですが、風邪で急きょ一人で見るハメに。
しかし、隣に座った写真趣味のオバちゃんグループ達と色々おしゃべりしたり、お菓子をもらったりして結構楽しく過ごせました。

行列よりもオープニングをメインに観に行ったのは久しぶりです。

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市民観客の多くも、今回はゲスト応援がメインだったのではないでしょうか。

出陣までの流れはほぼ例年通り。
色々とごあいさつの後、早馬が来て軍団出陣。
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住吉橋上での鉄砲衆空撃ちはありませんでした。
ここでの撮影を狙っていたのですが、いつからか変更になってしまったようですね。

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昨年に引き続き参加のコスプレ隊。
やや人数が増えたかな。
昨年初めて参加した人達は勇気が要ったと思いますが、イベントに新しい風を吹き込んでくれそうで楽しみな一団ではあります。

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スケキヨを発見した巡査…、ではありません。
風魔小太郎隊の忍者アクションの方。行列の所々で殺陣やアクションを披露しています。

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手作り甲冑隊。
手作り甲冑も複数の団体が参加してますが、作品に凝る人と、こうした揃いモノで軍団感を出そうとする方々と色々いますね。見ている側としてはどちらも楽しみです。
この“馬廻衆”の方々は、四半旗や歴代馬標を作ったりと思い入れを感じます。せっかくだから旗のポールも黒く塗るなり、竹で作るなりしたら良いのに。

こうしたコスプレ隊や忍者、手作り甲冑隊は、“さきがけ武者隊”として、北條軍団本隊とは少し間をあけて歩いているので、従来からの時代行列の雰囲気を損なう事のないよう配慮がされていると思います。

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北條早雲役・阿藤快さん。

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北條氏康役・柳沢慎吾さん。

せっかくの当主役なのに、大将の兜をかぶらないのは少し勿体ないですね。
しかし、ゲストの顔を観に来てるお客さんもいるわけで、その点、有名人さんをイベントの武将役に活用するところの難しさがあるかと思います。
まあ、それを言ったら、テレビや映画の戦国劇だって面頬付けてないから同じなんですが。

城址公園で見る場合のデメリットは、移動が難しいこと。
お城だから当たり前なんですが、出口が限られてる上にイベント時の通行制限もあるので、パレードを追っかけていくのは大変です。
一応、地元ならではでショートカットをしましたが、松原神社前では間に合わず、青物町商店街でようやく氏康隊後尾に追いつきました。

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この野郎頭兜に色々威の方、名前は存じませんが、印象的な方。大分前からから五代祭りに参加されてます。
背旗には小さく“獅子の会”。
以前は鉢形衆でお見かけしましたが、今回は川越藩火縄銃鉄砲保存会の方々と歩いておられました。
こういう本格的な方々は武者行列の中でも風格を感じさせます。

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黄梅院(4代氏政正室)の一行。
この日は午後になって風が強く吹いたので、笠や裾など気になって歩きにくそうでした。
毎年気になってるのは、各姫隊の中で白袴の役。よく見ると雪駄の鼻緒もこの人だけ白。
腹当とか太刀拵えが結構豪華なんですよ。
周りの侍女達より上役なのでしょうか。
それは別にして、姫は輿に乗せてあげたいですね。

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北條氏政役の鎧塚俊彦さん。
京都出身の方ですが、市内の石垣山一夜城址にお店を経営しております。
ミニトークでは、阿藤さん達から「お前は上方の人間だろう」てなツッコミされていました(笑)。
ただ、ゲストでしっかり兜を被っていたのは鎧塚さんだけで、一番大名ぽかったかも。

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北條氏邦演じるこの方はノリがよかったです。
「我こそは北條安房守氏邦なり~!」と、采配振り上げて観客のカメラに応えていました。
やっぱり、軍団全体としても、ある程度演出指導があると士気というか雰囲気盛りあがりますね。
(兜の阿弥陀かぶりなんかもね…。映画やドラマだったら絶対NGでしょう)

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5代氏直役の小宮孝泰さん。
「元コント赤信号と言われることありますが、まだ解散してませんから!」
ナベさん、ラサールさんとともに自転車でぶらりする企画がひかえているそうです。

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北條軍団最後尾を飾ったのが、こちら北條氏規隊。
今回、一番武将らしい威厳を感じたのですが、なんと小田原警察署長と署員の方々でした。
署長というともっと年配の方かと思ったのですが、意外と凛々しく。
傍らで交通整備をしていたお巡りさんは敬礼してたのでしょうか?

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さすが警察。標語は欠かせません(笑)
しかし、いい面構え。
足軽のエキストラさんには最適な方々かもしれません。

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そして、神輿パレードも一年ぶり。
やはり、居神神社の神輿はカッコいい。
江戸城普請や相模の寺社にも携わった、愛甲郡半原大工の職人さんが手がけたものです。
荒ぶる担ぎ方も見どころです。

五代祭りの周辺風景。

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天守閣入口。音楽隊が参加しているので、陸自の制服姿もちらほら。

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手裏剣投げや吹矢の的当てコーナーなんてのも開いてました。
しかし、北條家の三鱗紋を的にするのはどうかと…

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露店はどこも行列が。
ご当地グルメの類も参加する地域が増えて来たようです。
首都圏から安近短というのは必ずあるでしょうが、こうした時代イベントとしては、他の大河ドラマ開催地よりも継続的集客力があるのではないかと思います。

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家族連れ等でごったがえす駅舎。
乗車カードのチャージや切符購入に長い行列ができていました。
地方は券売機の数も限られていますので、イベント時はこの点留意しておいた方がいいです。

私はというと、猛馬さんがいない今回はビール飲むわけでもなく。
この日限りの北條五代スタンプラリーなんてのがあったので、とりあえずコンプしておきました。

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ドヤ顔の早雲・氏康に、四角四面な氏政、ぼっちゃん顔の氏直と、なかなか個性あるキャラ顔。
よくできているので、もっと使っていいのではないかと。

寺社のご朱印もあれだけ人気が出ているのを思うと、スタンプラリーのイベントもそれなりに効果を期待できるのではないかと思います。
例えば、小田原城総構えのウォーキングイベントとか。
対して、包囲側の豊臣陣のスタンプラリーとか。
北條五代観光協議会の各地(八王子、寄居、三島とか)で共催の朱印(禄寿応穏、如意成就などなど)スタンプラリーとか。色々。

毎年見ていますが、この頃の企画側の思いは感じています。
今後も頑張って欲しいと思います。

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八王子城再訪③

今回の再訪で一番楽しみにしていたのが、ここ。
復元整備した御主殿エリア。
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本当なら“引き橋”から石垣積みの虎口を通って入れるのですが、橋が劣化して通行不可なため、滝側の通用路から。昔に比べると舗装された上に路幅が広げられていました。土塁が削られたんじゃないかと心配したのですが、報告書(平成14年)によれば、この辺りも発掘以前にかなり崩壊していたらしいので、復元土塁なのかもしれません。

そしてこちらは平成12年に初めて来た時の写真。まだ銀塩カメラでした。
この芝生広場でも結構感動したのに、14年であそこまで進むとは。
よく見ると、冠木門と板塀も建て直したみたいですね。
今後も期待してます。
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こちらは、上の復元建築の上から西南側をふり返ったところ。
ちょうどこのあたりが建物入口だったと考えられているようです。
上部構造物は不明なので床までの復元となっています。
南北6間×東西10軒の建物で、接待・饗宴などに使われた会所と推定されています。
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南面には、このように側溝を備えた敷石通路があり、奥の水路を跨いでさらに西奥の方へ続いていく様相を示しているようです。
また、中央奥の、芝生に標示石が置いてある場所は、大量の舶載磁器片が出土したところで、落城後程ない時期に、集められた皿類などを廃棄した場所であろうということでした。
出土例の少ない明代景徳鎮窯の瑠璃碗なども出ていますが、大量購入されたような日用陶磁器が大半のようです。滝山城から引っ越しで持ち込まれたものも含まれているでしょうか。

その左の、石敷きの無い道路遺構の方には、鍛冶関係の施設があった可能性があるとのこと。

同じく北西方面に向いたところ。
建物の北側には、枯山水庭園が設けられており、会所中央の間から見るのが正面景色であったようです。
ちなみに、ニュースにもなった、ベネチア産レースガラス器が出土したのはこのあたりです。
庭との間には砂利敷き通路があり、その下には礫を詰めた溝を設けて暗渠が備えられていました。州浜を意識しているのかもと思いました。
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建物の外側に面した礎石は形状を揃えて見栄えをよく仕上げているようです。

もう少し下がった位置から庭をみたところ。
右端の大石が、枯山水の“三尊石”の中央石であったのではと推定されているようです。半分くらい土中に埋もれた状態で保存してありました。
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こちらが主殿と思われる建物跡。
南北9間×東西15間で、御主殿エリアで最大の建物になります。
会所に比べると、間取りのプランも幾つか推定できるようですが、礎石の配置状態から、南東隅に玄関があった可能性もあるとか。
右側の一部土が露出しているところは、まだ発掘していない箇所。
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手前は、会所北側の砂利敷通路の続きです。
左の水路の突き当たりには、土塀跡(根石)とそれに併行する道路状遺構があり、主殿跡の北側未発掘エリアにはまだ別の建物跡が埋まっているのかもしれません。

興味深いのは天目茶碗の遺物です。
御主殿エリアを含めて広範域で出土しているようですが、碗内に線条痕(引っかいたような跡)が多く確認されているのです。
茶筅による傷とは考えられず、乳鉢(手持ちのすり潰し器)への転用(例えば、丸薬の製造や火薬の調合など)の可能性が考えられるとのこと。
今では格式ばった台付き茶器のイメージある天目碗ですが、当時は茶器利用を越えるほどの日用雑器だったのかもしれません。ただ、線条痕は天目以外の碗でも確認されているものがあります。緊迫状況を示す遺物の可能性もあるでしょうね。

御主殿虎口の階段を見下ろしたところ。
びっしりと石敷きが復元整備されていますが、発掘時、路面中央部の石はかなり流出していたようです。
土塁沿いの水路はすぐに埋もれてしまいますから、通路の中央に長年雨水が流れていたのでしょう。
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階段を下りて振り返ったところ。
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正面の踊り場に四脚門の礎石があり、櫓門かと考えられています。
石の被熱痕から焼けた事が分かっています。

虎口の“引き橋”付近。こちらは敷石されていない硬化面でした。
城山エリアに多数石垣が設けられていることを考えると、見映えに影響しないためというよりも、実用的な目的からなのかもしれません。
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ここの南側土塁にも階段跡が出ていますが、川沿いの遺構が形を留めていないので、用途は分かっていません。塀が巡っていたりすれば、より豪華な御主殿の想像ができるのですが…。

同じく、引き橋付近の土塁石垣。
ここは、立て札から右側部分(やや赤茶けている)がオリジナルの遺構で、復元石垣(左側)と組んで整備されています。こういうタイプの石垣に新規に積み足すのは色々課題も生じたのではないかと思いますが何かが上部に載るわけではないので、負担は少ないのかもしれません。
オリジナル石垣は復元に比べると材が小さいですが、やはり積み方に一定の法則があるように見受けられます。
中層に面を揃える平たい石を持ってくる事が多いような気がします。
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平成12年に行った時の引き橋。御主殿の対岸から。
もうこの頃から経年感あったかもしれません。
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(つづく)

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ブッダガヤ

今朝は2ヶ月ぶりの坐禅会でした。
前々回は母がインフルエンザに罹っていたので(私も潜伏期間の可能性があったので自粛。深く呼吸をする場所ですからねw)、前回は年度末の多忙で欠席でした。
やはり仏堂での坐禅は良いものです。
皆で坐禅する緊張感と、静寂のなか打ちこまれる警策によるシャッキリ感は、自宅の単独禅では味わえません。
毎度そうなのですが、喜怒哀楽、己の心のありようは自分次第というのを改めて実感します。まあ、これが日常で保持できればいいのですが(苦笑)、安全運転とかには役立ってるかも知れません。


ところで昨日は、これまた久々に“くまもとらーめん ブッダガヤ”(市内中町)で食べてきました。
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“ブッダガヤラーメン”
いつもならこれにチャーシューと高菜が加わったスタミナラーメンを頼むのですが、麺とスープをより味わいたかったので。

硬め太麺と柔らかい豚角煮、キャベツが入った濃厚な熊本系とんこつスープ。
この一杯が時々無性に食べたくなります。

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八王子城再訪②

御主殿曲輪の整備と併せて建てられたガイダンス棟。後方は八王子城山(深沢山)。
どんなものができたのか、こちらも楽しみにしてました。
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なんだかウルトラセブンに出てきた宇宙人の宇宙船のような特徴的なシルエットですが、八王子の“八”に合わせた形(八芒星?)の屋根なのだとか。
八王子権現は方位除けの神としての性格ももっていましたから、まあ、デザインとしては悪くないかもしれません。

室内の展示は、北条氏や氏照、八王子城に関しての紹介パネルが中心。
出土遺物(陶磁器片)から再現された舶載の皿(のレプリカらしい)なども。

こちらは、八王子城山の立体模型。
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スクリーンになっていて、プロジェクターで往時の八王子城の姿を映し出します。

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落城する八王子城。暗闇に上がる炎が悲劇のドラマを演出します。
こういう立体スクリーンによる展示方法も面白いなと思いました。

吊るされていた手作り甲冑。来館者が着用できるのかも。
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まさかの、兜にカブトムシの立て物。
クワガタムシのバージョンもありました。

ガイダンス棟を後にすると、何やら法螺貝の音。
程なく、正面から甲冑武者隊が。
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どうやら、来週の八幡神社例祭に参加する武者行列のリハーサルだったようです。
それにしても、印判の軍旗とは。のぼり旗で“如意成就”の方がまださまになったような気もしますが…。山伏が行列に加わっているのが、高尾山のある八王子らしいですね。実際に山伏も籠城に加わっていたようですが。

上の写真後方に見える柵に囲まれたところは、近藤曲輪にあたるところ。
以前は東京造形大学のキャンパスがあり、幽霊の目撃で騒がれたそうですが、現在はエントランス広場という明るい芝生公園になっていました。

広場には八王子城と城下を表した立体模型があります。
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城を最奥に、谷戸に沿って作られた城下町なのが分かります。

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アシダ曲輪は、上下2~3段で構成される比較的広めの曲輪。
書籍によっては、こちらを「山下曲輪」と呼んでいる場合もあります。

アシダ曲輪の最下段土塁。
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一部だけ石垣が残っています。
土塁の草刈りを定期的にやってくれてるようで、ありがたい事です。

大手門跡。こちらも以前はブッシュが濃くて見難かったのですが。
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確認された礎石の状況から、この門は薬医門だったと考えられています。
また、堀を伴うものだったのが分かります。

見えてきた御主殿曲輪。大手門からの引き橋(平成2年復元)が経年劣化で通行不可になので、川沿いの林道から入っていく様になっています。
見えている石垣は全て復元ですが、虎口部分のだけやけに近世石垣っぽいのが違和感。
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この道は、江戸幕末に幕府の御用林として植林が進められた際に設けられたものと伝えられ、昭和40年代に東京営林署が大きく拡幅したもの。それによって御主殿の南側土塁の一部や川に面した多くの遺構が破壊されてしまっています。

御主殿の滝。
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投身自殺をした婦女や討死将兵らの血で城山川の水は赤く染まり、その下流の里人が米を炊くと赤い飯となったという伝説。それを偲んで落城日の6月23日には赤飯を炊く風習があるとか。今でもやってるのでしょうかね。

奥野さんから指摘され、滝から少し脇に目を転じると、石垣が良く残る台状遺構がありました。
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中央下段の大きな三角形(台形か)の石を基点に落とし積みした野面石垣の状況。真上に立ってみると奥にもぎっしり礫が詰まっている感触がありました。

林道工事によって破壊された御主殿南側の遺構の一部のようです。御主殿から滝へ下る通路だった可能性もあるでしょうか。次の写真の遺構とともに水汲み場を構成していたと考える人もいるようです。

“水汲み場”
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滝の落ち口の岩を桝状に削ったもののように見えます。
そうだとするなら、滝の水量はそれ程変わっていないのかもしれません。

(つづく)

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八王子城再訪①

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八王子市のマンホール蓋。無形文化財の車人形だそうです。

12日の日曜、八王子城跡に行ってきました。前回行ったのはたぶん平成14・5年頃だから、実に10数年ぶり。天候にも恵まれ、久々の石垣遺構を堪能して来ました。近年整備された御主殿曲輪もじっくり見れて大満足でした。

案内してくれたのは、もう20回以上も八王子城踏査を重ねている奥野さん。
何度も足を運んでいるにも関わらず、急く事も無く、こちらのリクエストにも沿って丁寧に回ってくれました。また各所遺構の見学ポイントなども惜しみなく教示してくれて、大いに刺激を受けました。
まずは、感謝の一文をば。

思えば、私がネットで知り合った人と実際に外で会う“初オフ会”体験になったのが、平成12年暮頃、奥野さんとの八王子城探訪でした。この時、一行に加わってくれたのが宮下さんと猛馬飼育係さん。このお二人も今に至るまでお付き合いが続いてるのを思えば、私の交流の一端における大きな契機でありました。実際にこの後に色々な人達と知り合いになりましたから。

午前9時にJR高尾駅で待ち合わせ。実は2月に声をかけて頂いていたのですが、こちらの都合が合わず、桜散る頃となってしまったのでした。しかしまあ、結果良かったのかも。2月は積雪が多かったらしいし、山の桜はまだ楽しめる程に花が残っていたから…。

それにしても、高尾駅、賑やかになりました。駅もバス停も行楽客でいっぱい。
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駅舎にはこんなお面が。前からあったっけ?
小田原市民の私は大雄山線の改札口の天狗面(道了尊)をすぐ連想してしまいます。
こちら高尾山は飯綱権現が有名なところ。天狗のお山というと、大体はこの手の赤い面が縁起物になっていますね。
それにしても、ワラの髪がナマハゲを思わせるお面です。

駅前で昼食を買って“八王子城跡行き”バスへ。ほぼ満席。高尾山人気と共に八王子城跡も有力な観光資源として認知されているようです。電車の中で隣に座っていた女性ハイカー達も八王子城に行こうかという話をしていました。心霊スポットという暗いイメージも薄れてきつつあるのかもしれません。

廿里山を左手に見て、“宮の前”で下車。まずはこの八幡神社へ参ろうということに。
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齢重ねた桜並木の参道に朱の鳥居がよく映えていました。
ちなみに、後で本(『北条氏照とその周辺』北島藤次郎)を読んで知ったことですが、この“郷社八幡神社”の標柱の土台石は、「出羽屋敷」の庭石であったものと伝わるとか。地図を見るに、どうやら、この東にある出羽山公園のあたりのようです。その中で著者の北島氏は、これは近藤出羽守ではなく、布施出羽守の屋敷地ではと推測していました。

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これは、“梶原杉”という、かつてのご神木。
境内に掲示されていた由緒によれば、付近はかつて鎌倉時代の御家人・梶原景時の所領で、八幡神社も、建久2年(1191)6月、鶴岡八幡宮から勧請されたものが創始とのこと。
梶原杉は八幡社勧請の時に植えられたものと伝わり、昭和47年に枯れて伐採されるまでは都内随一の大杉だったそうです。高さ30m、幹回り12mもあったとのことで、ビルも無かった昔は地域のシンボルであり自慢でもあったのではないでしょうか。

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こちらは白くて花弁の大きな大島桜(だと思います)。
海沿いの小田原や伊豆を思わせますが、もちろんそんなに古い樹ではありません。でも、内陸部では珍しいのでは。
神社のあるマウンドは、一瞬、墳丘を思わせましたが、梶原屋敷という伝承があるとか。一応、都教委の遺跡地図情報のページを見てみましたら、縄文から近世に至るまでの遺跡包蔵地ではあるようです。

境内ではお祭に向けた清掃・飾り付けの作業中。
まずは神社にお参りしようとすると、一人の方が話しかけてくれました。今年の祭から神輿巡行に加えて、八王子城から甲冑隊が神社まで武者行列を披露するのだそうです。その嬉しそうな顔が印象的でした。

境内で目に留まったのがコレ。
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赤錆が年代を感じさせるバケツ。たぶん消火用のもので、神社備え付けのものなんでしょう。この位の大きさの方がリレーしやすそうだし、なにより的確に水をかけれそう。水かけ以外の用途には向いてなさそうだけど。

神社を後にしていよいよ根小屋域へ。
石屋が並ぶ道は前と同じ。
「じゅうれんじ山」の尾根などを左に見て、あの山の裏から敵はやって来たのか、と思いながら歩いていると、程なく「横地堤(よこちづつみ)」。
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見ての通り、かつての見附の役割をしていた土塁で、ここからが本格的な根小屋域。名前の由来は、城代・横地吉信が工事を行ったことからとされています。

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その道路向かいにも、このように明らかな段差。カーブミラーの下に立つのは庚申塔。この手の石仏石塔は、村や集落の境に建てられる例が多いのですが、これが昔のままなら、やはり一つの境界としての意識が残っているのでしょう。
ついでに、その下に寄せ集められたような石も気になります。根小屋の家臣団屋敷での石垣利用はどうだったのでしょうか。

こちらは後で見学した八王子城立体模型の横地堤の部分。
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宗閑寺のあるところがそうですが、道のありようを見るに、ここは食い違いの見附(土塁)だったんでしょうかね。
川側の方に虎口が開いていた可能性もあるとは思いますが。
どちらにせよ、手前で右折していく今の道路は、当初、堀であったのか…。
また、横地堤の一部は、右側の尾根を削り残した土塁であるかも。
…と早くも想像が膨らんでいきます。大した根拠もないのですが、そうした空想遊びも遺跡訪問の楽しみの一つであります。

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横地堤の上に建つ朝遊山宗閑寺(曹洞宗)。
氏照の冥福を祈るために建立された寺ですが、もとはこの上の氏照墓所がある付近にありました。ここに移転したのは明治になってから。
鐘楼には中興開基の中山備中守信治が寄進した鐘がかかっており、近くに寄って見たかったのですが、ちょうど庭の砂利を敷き直している最中だったので、遠慮しておきました。
中山信治は、天正18年の八王子落城時に討死した中山勘解由家範の孫にあたり、水戸藩で家老を務めた人物です。
開山導師の卜山禅師もなかなか興味深そうなお方です。

左後方のお堂は、氏照正室の比左(ひさ)御寮人の持仏であった観音像が祀られている観音堂。
こちらには、相武御府会連盟の皆さん、こたつ城主さん、梵天丸さん、うーろんさん各ご夫婦方々と大雨の中、お参りしたのが懐かしいです。昨日、写真のネガを確認したら平成14年でした。

氏照墓所は、ここからもう少し城方へ向かった道外れの高所にあります。
途中、以前に私設郷土資料館を営んでられたお宅前を通りましたが、今はやっていない模様。
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北条氏照(中央)および、家臣の中山家範(右)とその孫(前述)の中山信治(左)の墓石。五輪塔は不明ながら家臣の金子家重の墓とも。
ここが、先ほどの観音堂旧地で、宗閑寺はこの下にあったようです。
かつては観音堂の後ろに墓碑が並ぶ光景だったのでしょうか。
一応、伝承では、こちらの氏照墓所に首級が、小田原の墓所には胴が眠っている事になっています。

平成12年に初めて来た時は、小田原の酒と菓子(ういろう)をお供えしたっけ。今回は何にも持参せずゴメンナサイ。

(つづく)

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桜花巡覧 地元でぶらり定番どころ

毎度の事ながら今更ってな日記です。
今ごろになって気付くのもなんだけど、自分はたぶん、タイムリーなネタを逐次書き連ねていくSNSやツイッターよりも、ブログとか手作りサイトの方が性にあっていると思う。まあ、両方やっていければ良いのだけれど。
サイトの方も、前々から再開をと思っているのだけど、ほったらかしのまま幾年…
まあいいや、趣味なんだから気ままにやれば。

ということで、サイクリングや散策で撮った市内の桜景色です。
(去年買った、GX7の練習も兼ねて。ブログでは画像軽くするので大分ディティールがつぶれてますが、実際の写りには結構満足しています^^)

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春光院(市内矢作)の枝垂れ桜。

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猪駒塚と工場土手の桜並木(市内成田)。
猪駒(いこま=生駒?)という源頼朝の馬が葬られたという伝説がある。

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酒匂川土手と富士箱根(小田原市桑原)。

以下は、日本新薬工場近くの桜農道(桑原)。
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花咲翁さんの像

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樹根の小さな桜花

以下は、小田原城址公園。
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天守閣

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天守と馬出門

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馬出門枡形の枝垂れ桜

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二の丸平櫓
複数の桜枝が被る定番の撮影スポット。

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馬出門から見るお濠端通り。

お濠端通り
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馬屋曲輪

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同上。すでに葉桜。
今年も観れたことに感謝。

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